ドレスローザ原作沿い・悲恋・女主

Name

連載・短編共通の名前変換
ミョウジ
ナマエ
別名(仕事用の夢主のナマエ)
夢主の兄のナマエ
夢主の弟のナマエ

未来を斬り開く
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 他言無用。平穏に暮らすべし。役人の言葉を胸に朝のバイトをこなす。店内が騒がしいのはいつものこと。ドンキホーテファミリーが賭け事に興じているのも、見て見ぬふりをするのも変わらない。

 足元がゆれた。地響きとともに床が大きく抜け落ちる。衝撃で倒れた体をどうにか起こし、目の前の惨状を呆然と見つめる。店を壊した犯人は堂々と立ち去った。

ナマエ、ちょっと来てくれ」

 店長に呼ばれ、レジへ向かう。一枚の紙切れを手渡された。

「いま、男にもらったやつだ」

 紙面には「海軍本部」、そして電伝虫の番号が。ほかに文字はない。

「うさんくせェだろ? 海軍に損害請求するとしてもだ。せめて本人の名前くらいは把握しとかねェと」

 名刺のような厚紙でもなく、ちぎったペラペラの紙切れに走り書き。これでは怪しすぎる。

「ちょっくらひとっ走りして、名前を聞いてきてくれねェか。あの顔は新聞で見た気もするが、一応な」

 新聞で見た顔。自分の記憶を掘り起こすも、ピンとこない。

「おまえ、走るのは得意だろ」

 否定できないので、こくりとうなずく。

「名前を聞いたら、今日はもう上がっていい。頼んだ」

 いそいで店を出る。男の服は藤色で目立つので、すぐに追いついた。杖で床をたたきながら歩く様子から、目が不自由なのだと察する。真正面にまわりこんでから、はっきりと音にした。

「店の者です。さきほど受け取った紙を読みました。失礼ですが、お名前を聞いてもよろしいでしょうか」

 男が立ちどまる。

「ああ、名前を書き忘れておりやしたか。これは失礼した」

 ぺこりと頭を下げられる。

「あっしの名はイッショウ。いまは海軍本部大将、藤虎と呼ばれておりやす」

 海軍本部の大将。このひとが。

「あんたの店には悪いことをした。まことに申し訳ねェ。これ以上、市民のみなさんに迷惑がかからねェよう、よくよく気をつけますんで。このとおり」

 また深々と頭を下げられる。

「私はただのバイトなので、そんなに頭を下げないでください。名前を聞けたので、もう大丈夫です」

 ゆっくりと体を直し、彼が顔を上げる。真正面から見ると、本当に背が高い。こちらの背後を遠く見渡している。じっと言葉を待つこと数秒。無表情から、わずかに口角が上がった。

「あんたはいい人だ。民の生活を守るためにも、海軍がきちっと動かねェとなぁ」

 どう反応すればいいかわからない。だからといって、こちらの表情を認識できない相手に無言は避けたい。

「そういえば、大将さんはなぜドレスローザへいらしたのですか」

 一瞬、空気が張り詰める。彼が笑顔をみせた。

「なに、ちょっとした野暮用で。市民のみなさんは、いつもどおり過ごしてもらえればいい」

 彼が歩きだしたので道をゆずる。遠ざかる背中をぼんやりと見ていると、数歩先で足がとまった。こちらをふりかえる。

「失礼ですが、お嬢さん。その走りは、どこかで教わったもんで?」

 その走り。彼に追いつくためにスピードを出した、さっきの走りについて。

「ごめんなさい。不快にさせるつもりはなかったのですが、急ぎだったので」

 彼はじっと押し黙ったまま、動く様子はない。肝心の質問に答えていないことを思い出す。

「気づいたら、はやく走れるようになっていました。私もよくわからなくて。今みたいに相手をびっくりさせてしまうので、必要なときだけ使っています」

 どうも、自分は特別な走り方ができるらしい。店長はこの走りを知っているから、今回任せたのだ。

「気づいたら、ですかい。そいつは不思議な話もあるもんで。うちの部下でも、あんたほど走れるもんはなかなか見ねェ」

 どきりと肩が跳ねる。このひとは何が言いたいのか。

「お気を悪くしなさんな。あんたが一般市民であるかぎり、関係ないこと」

 声はおだやかなのに、言葉に少し棘がある。無意識のうちに顔をしかめてしまう。

「これ以上はやめときやしょう。お互いのためにも」

 では、と頭を下げて、ふたたび歩きだした。

 午前十一時からは次のバイトへ。ピザ配達をこなすなか、スーツの男が目にとまる。たしか、五分前にも見た気が。全力疾走する様子は、街なかで異様に映った。次の配達でも同じ緑髪の男。その次も。今度は違う方角へ突っ走っている。この通りは分岐が多い。似た建築物ばかり。配達の帰り道に、見かねて声をかけた。

「なにかお困りですか。地図ならここにあります」

 仕事柄、詳細な国内地図を持ち歩いている。とりあえず地図を広げた。

「いや、道はわかっている」

 思った以上に声が若い。サングラスをかけて、豊かに口ひげをたくわえているので、てっきり歳を重ねたご老人かと。

「わかってないから、ぐるぐるしてるんでしょ!」

 男の胸もとからもぞもぞと。この声は、

「ウィッカ、どうしたの」

 青髪の小人が顔を出した。目が合うと、彼女がにっこりと歯を見せる。

ナマエ。よかった! 助けてくらさい」

 男がもの言いたげに口を開いたが、ひとまずウィッカから話を聞く。この男のせいで足をくじいた。重要任務のため、花畑に急いでいる。男に連れて行ってもらうつもりが、方向音痴で困っている。

「いまバイト中で抜け出せないけれど」

 注文表の記憶をたどる。

「もしかして、三時に花畑までピザを頼んだのって、ウィッカたち?」

 住宅街から大きく外れた花畑あてに、二十枚の大量注文がきていたのだ。

「そうれす! せっかくドレスローザに来たから頼んでみました」

 これでつながった。

「わかった。いまからピザ二十枚を取りに帰る。一緒に花畑へ行こう。それでいい?」

 ウィッカが笑顔になるも、男のほうは片眉を上げて腕を組んだ。

「ピザを待つ余裕なんざねェぞ。はやく海岸へ行かせろ」

 聞けば、この男も急いでいるらしい。花畑へ直行後、今度はウィッカが男を海岸へ案内する約束だとか。

「ここにピザを持ってくるのに五分。花畑まで五分。それでどう?」

 ウィッカは自分の仕事事情を理解している。いまの確認は男に対してだ。

「あんたが道に迷って、もう二十分は経ったれすよ」

 下からの声に、男が顔をゆがませる。ふいと横を向いた。

「わかった。さっさと二十枚持ってこい」

 ピザを抱えて合流。花畑へ向かう。「五分で到着する」と豪語してしまった以上、努めて走る速度を維持した。だが二十枚を抱えているため、バランスが崩れやすい。準備を惜しまず紐でまとめればよかった。何度も立ちどまりながら姿勢を調整していると、男がこちらをふり向いた。

「その量を一度で運ぶのは無謀だろ」

 弁明しようと口を開けば、ウィッカが先に答えてくれた。

ナマエはいつも二十枚まとめて届けてくれますよ」
「いつも?」

 男がこちらを見るので、今度は自分が説明を。

「二週間に一度、グリーンビットまで配達してる。ちょっと遠いから、注文は忙しい時間を避けてもらうけれど」

 ウィッカが昔のできごとを語る。

「前にピザをもらったとき、ナマエに捕まったことがあったんれす。『ちゃんと注文したら、ピザを食べたいだけ届けてあげる』って言われました。それからは、ナマエのお店に電伝虫してるのれすよ」

 また男と目が合う。

「ピザをあげたなら捕まえるか? おまえも小人に盗まれたんだろ」
「ちがう。ドレスローザの人たちは、妖精にモノを譲っているの」

 サングラス越しのまなざしが鋭い。日差しの角度によっては、うっすらと目もとが透けて見えた。やはり若いのでは。

「おれは刀を譲った記憶はねェぞ」

 ここでようやく違和感に気づく。町の人々とはこんな会話にならない。

「もしかして、ドレスローザに来たばかり?」

 下から声が。

「この大人間は麦わらの一味なんれすよ」
「てめェ! それを言うな」

 はじめて男が声を張り上げた。一瞬の沈黙。ウィッカが叫ぶ。

「わたしのドジっ!」

 顔をゆがませて目尻に涙をためる姿は見ていられない。男が口をひん曲げて大きく息をつく。なにかフォローを。

「だいじょうぶ。気にしない。聞こえてない」
「ほんとうれすか! よかった」

 言いながら、今朝の新聞を思い出す。国王が王下七武海をやめたと偽る原因になった海賊。それがこの男。急な事実で、うまくのみこめない。

「大丈夫そうには見えねェが?」

 男の鋭い音。勝手に息がとまる。

「おれたちの上陸はドンキホーテファミリーにバレている。だからといって、わざわざ一般人に名乗る筋合いはねェ」

 まっすぐ前を向いて長いため息がもれる。小さく首も横にふった。また目が合う。

「すくなくとも、ピザ屋に用はねェ。安心しろ」

 この一瞬で、自分が海賊に怯えていると解釈された。肯定も否定も違う気がして、言葉に迷う。そうこうしているうちに、花畑から階段を下りていく。広い空間。いつものトンタッタたちに出迎えられた。

「たしかに、ちょうどお預かりしました」

 ピザ二十枚と代金を引き換える。

「おい、なんだあれは」

 あたりを見まわすが、ウィッカの姿はない。男はこちらを向いている。自分に声をかけたのだ。彼が指さした先には大きなスクリーンが。

「コロシアムの中継。今日は賞品が豪華だから盛り上がってるみたい」

 コロシアム? と首をかしげて、またスクリーンへ顔をもどす。サングラスも外した。鋭い眼光。左目にはざっくりと縦に入った傷痕が。右目だけで中継を見ている。やはり顔は若い。このひとが海賊だったことを思い出し、少し長めの説明を続ける。

「コリーダコロシアムは、ドレスローザの伝統的な武術大会。専属剣闘士のほかに、一般参加者、そして今日は──」
「一般参加? おれもあそこに出れるのか」

 手もとの腕時計はちょうど三時。スクリーン上ではCブロック開始の合図が鳴った。

「もう始まっているから、一般参加は無理」

 男が舌打ちする。まさか、このひと、

「出たかったの?」
「当たり前だろ。こんなおもしれェもんがあるなら、はやく言え」

 言え? 私が?

「でも、今日は参加しないほうがいいよ。メラメラの実目当てで、強い参加者が集まったから」

 ずっとスクリーンに食いついていた男が、しっかりとこちらをふり返った。

「メラメラ?」
「そう。悪魔の実の、メラメラの実。今日の優勝賞品。たしか、白ひげ海賊団の、元幹部の」

 彼の声が重なる。

「エース。火拳のエースだ」
「そう。そのひと」

 じっと目が合ったまま。彼の言葉は続かない。なにか反応しようと自分も口を開けると、ちょうどコロシアムから歓声が上がった。ふたり同時にスクリーンを見る。

『謎の剣闘士ルーシー! つよい!』

 司会の声にも熱が入っている。大きく映し出された、一般参加の男が活躍しているらしい。

「ルフィ!? あいつ、なにやって」

 となりから大声が。思わず片耳をふさいでしまう。

「ちゃっかり出やがって。工場はどうし──」

 男の声が途切れる。眉間にしわを寄せた。

「そういうことか。あの野郎」

 叫んだかと思えば、今度は黙りこくってしまった。無言でスクリーンを睨みつける。いま闘っている男は知り合いで、勝手に参加したから悔しがった。そもそも、このひとは海賊。しかも麦わらの一味。素性を隠してドレスローザにやってきた。それで、いま闘っている男は彼の知り合いだから。あともう少しで、なにか、

「何してるのれすか」

 ウィッカがもどってきた。彼がコロシアムに興味津々なことを伝えると、彼女が頬をふくらませる。

「あんた、急ぎじゃなかったのれすか」

 ウィッカが男の肩をポカポカたたくが、まるで気づかない。知り合いの戦闘に見入っている。Cブロックの人数は目に見えて減っていた。腕時計は三時十五分。ここで仕事を思い出し、あわてて部屋を飛びだす。二十枚の大口注文だったので、時間に余裕はあった。

 長い階段を上っていくと、向かいから足音、巨大な影が。見たことないオモチャ。いや、ちがう。この風貌には見覚えがあった。朝のバイト先にいた客。大口を開けて料理をかきこむ姿が妙に印象的だった。オモチャは食事できないので、これは人間。大男の肩には、いつもの片足オモチャが。ふたりは知り合いなのか。でも、この先にはトンタッタと、あの海賊が。無言で通り過ぎるつもりが、つい立ちどまってしまう。

「この先には何もありませんでしたよ」

 大男が止まった。片足オモチャが片手を上げる。

「ああ、大丈夫だ。親切にありがとう」

 いまいち話が通じない。どうしよう。

「話は聞いている。いつものピザを彼らに届けてくれたのだろう」

 肩が跳ねてしまう。それなら、片足オモチャはウィッカたちと知り合い?

「きみの店はおいしいと評判だ。味覚があるなら私も食べてみたかった」

 ハハハ、と和やかに笑う。片足オモチャとはあいさつを交わす程度だが、悪いうわさは聞かない。大男は終始無言。なにより強そうだ。仕事中にトラブルは避けたい。

「うれしい言葉をありがとう。店長に伝えておく。それじゃ」

 軽く頭を下げて通りすぎる。たとえ大男相手でも、あの男なら自分でなんとかするだろう。一度もうしろをふり返らずに階段を上っていった。

「知り合いか?」
「ああ。顔見知り程度だが。ピザ配達で顔の広い子だ。名はナマエ。一人暮らしと聞いたことがある。家族はいない。生まれたときからひとりだったそうだ」
「妙な話だ」
「この国の客は金払いがいい。彼女以外にも、アルバイトで生計を立てている孤児は少なくない」
「いまの姉ちゃんも、家族をオモチャにされたってことか」
「その可能性が高い」

 小走りで階段をかけ上がる。地上の花畑まで、あともう少し。

「あれ、ナマエれすよ」

 後方から声が。ウィッカがビーに乗っていた。あの海賊も一緒。そういえば、さっきの大男と顔を合わせたのでは。

「片足のオモチャと、大きな人間とすれ違った?」
「はいれす! あの大人間は──」

 ウィッカの声を男がさえぎった。

「余計なことしゃべんじゃねェぞ。おれが答える」

 階段を並走しながら目が合う。彼のサングラスは頭に乗っていた。

「ああ。一人すれ違ったな。それがどうした」
「正体を隠しているって聞いたから。相手にバレなかったか心配で」

 大きく目を丸めたかと思えば、勢いよく吹きだす。しまいには大口を開けて笑いだした。いつまでたっても声が止まないので、つい毒を吐いてしまう。

「なにがおかしいの」

 だんだん笑い声が小さくなる。それでも口角は上がり、歯を見せていた。

「あんなに海賊にビビっていた野郎が、まさかな」

 なにそれ。嫌味な言い方。

「別に、海賊はどうでもいい。コロシアム目的でドレスローザによく来るから。ビビってない。ただ、知っている海賊団の名前を聞くと思わなかっただけ」

 笑顔が消えて、片眉を上げる。交差していた視線も前へ向いた。ちょうど地上が見えたのだ。最後の一段を踏む。

「ビビらなかったとしても、警戒くらいはしてるだろ」

 ふたりとも、足を止めて息を整える。彼が花畑を見渡しながら、サングラスを目もとにかけ直す。

「そういうものは態度に出る。なにもおかしかねェ。警戒されて当然だ」

 さっきから何が言いたいのか全然わからない。首をかしげると、彼がまた歯を見せた。今だって、なぜ笑ったのか。

「けっこう遠回りしたな。急ぐか」

 花畑から下りて水道橋を越える。特に会話することなく、街なかで彼らと別れた。

「ゾロ殿! こっちでござる」

 コロシアム前で待機する錦えもんとサンジの元へ。ゾロが駆けつける。

「おい、クソマリモ。いまの子は誰だ」

 胸もとに隠れたウィッカが顔を出そうとするも、ゾロが手で制する。ぶっきらぼうに答えた。

「なんのことだ」
「とぼけるな。おまえ、すぐそこまで女の子と一緒だっただろ。並んで走っていた、キャップ帽の子だ。てめェ、何をした」

 顔をしかめたゾロがぼそりとつぶやく。

「おんな? ありゃ男だろ」

 サンジの顔が青くなる。片手でつくった拳が震えだした。

「そんなこったろうと思った。てめェの目は節穴か」

 ゾロが面倒そうにため息をつく。

「おい。錦えもんからも言ってやれ。あの子の胸が、小さいながらもぷっくり膨らんでいたことを」

 サンジが両手で小山をつくり、自身の胸もとにあてがう。対する錦えもんは顔を赤らめた。

「は、破廉恥な。拙者は乳よりも腰のほうにだな」

 サンジがバシッと錦えもんの背中をたたく。

「わかってるじゃねェか。あのダボッとしたユニフォームを、ベルトでタイトに締め付けるのが、ロマンあって──」

 サンジの語りは続く。盛り上がる二人から目をそらし、ゾロは神妙な顔で腕を組んだ。

 時刻は三時四十分。今度は五枚のピザを王宮へ届ける。ちょうどコロシアムでは決勝が始まっていた。やけに王宮が騒がしい。来た通路をもどっていけば、前方から地響きが。破壊音も聞こえてくる。おそるおそる曲がり角からのぞけば、壁面が大きく傾いていた。左右の壁が動き、一部がつながっている。のびた壁から顔が見えた。あれはピーカ様。

「くそっ! キリがねェ!」

 あの声は。まさか。目を凝らして五十メートル先を見つめる。剣を構えたスーツの男が。石のかたまりを叩き斬った。緑色の髪。口ひげもサングラスもないが、さっきの海賊、麦わらの一味だ。

「なんであのひとが、ここに」

 しかもドンキホーテファミリー幹部のピーカ様と闘っている。海賊が王宮へ攻めてきた。ピーカ様があの男の侵入を防いでいる。ここは地下一階の外壁塔。地上へつづく階段はこの通路の先にある。他にルートはない。配達はまだ残っている。さきほどの代金はポケットの中。店に帰らないと。

 目を閉じて深呼吸。おちつけ。おちつくんだ。あの鉄橋を渡るときだって、集中すれば闘魚をかわせた。キャップ帽を深くかぶり、軽く屈伸する。地を蹴り、一気に加速。左右の壁を交互に蹴り、足場を確保。さらに上へ。まずはピーカ様の頭上を通過。剣士は降ってくる石を防ぐ一方で、ほとんど動いていない。このまま彼の上も飛び越えよう。

 次の足場とする予定だった壁が大きく傾く。急激にのびて、かたまりが落下。ひとまずかたまりに足をつく。この選択がまちがいだった。

「てめェ! なにしてやがる!」

 下から怒声。彼はすでに剣を構えていた。このかたまりを斬るつもりだ。まずい。避けないと。どうにか体をひねり、かたまりから足をはなす。瞬間、鋭い斬撃が。足場にしていた石が真っ二つに割れる。片方がこちらに落ちてきた。このままでは下敷きに。床に手をついて、思いきり後転する。三メートル先へ背中から落ちた。すぐに上体を起こし、後方を見る。彼がまた石を斬った。

「てめェもドンキホーテファミリーか」

 横顔が見えた。こちらに話しかけたのだ。

「そんなわけ──」

 外から声が。一人二人ではない。コロシアムの観客が全員叫んだかのような。石の攻撃がやむ。ふくらんだ石、割れた石が消える。そしてピーカ様の頭も見えなくなった。

「おい、どうなってんだ」

 視界がぐらつく。頭がいたい。こちらを振り向いた彼の姿が何重にも増えていく。ぽろぽろと涙がこぼれ、必死に胸もとをかきむしる。あつい。耐えられない。立ち上がったばかりの体を支えきれず、前へ倒れ込んだ。

「どう……た。し……りしろ」

 彼の姿も声も。うまく見えない。ぼやけて聞こえない。くるしくて、くるしくて、口をパクパクさせてしまう。のどが擦れて、悲鳴まじりの声が、

「にい、さん」

 いる。かぞくが、いた。ひとりじゃ、なかった。

「ずっ、と、わすれ、て、た」

 ぐるぐると記憶があふれて頭が張り裂けそう。いたい。くるしい。必死に目の前の腕にしがみついた。体が支えられている。わからない。わからない。

「わかった。おまえに敵意はねェ。斬らない。安心しろ」

 今度は音がしっかりと聞こえる。声が近い。すぐそばに彼がいる。

「なにもしねェ。おまえは安全だ。だからおちつけ。ゆっくり深呼吸しろ。まずは息を吐け」

 背中をポンポンとたたかれる。とっさに咳きこんだ。そのうち、彼のたたく動作に合わせるように息も落ち着いてくる。そのまま身を預けて目も閉じた。視界をふさいだことで思考も止まる。とにかくいま、何をすべきか。

「もう、だいじょうぶ。ありがとう」

 声がふるえてしまったが、どうにか言葉にできた。顔を上げて反応を見る。よくわからない表情。にらまれているようにも、くるしそうな目もとにも見える。たぶん怒ってはいない。

「立てるか」
「うん、いける」

 ふたりして座り込んでいた。彼の腕をつかんだまま、ひざを立てる。同じタイミングで立ち上がる。ようやく彼から手をはなした。

「おまえが倒れたのと、石男が消えたのは関係あるのか」

 床に転がった刀を彼が拾い上げる。ゆっくりと鞘におさめた。さっきの言葉どおり、彼に敵意はない。すくなくとも自分に対しては。

「わからない。私も、なんでこんな急に」

 いま、自分の身に起きたことを、このひとに話していいか。信用できるのか。

「とにかく移動するぞ。やけに外が騒がしい」

 彼が歩きだす。自分も数歩遅れて付いていった。外壁塔の庭を進み、王の台地の端へ。コロシアムの歓声ではない。悲鳴と怒声がまじった無数の叫び。この音を十年前にも聞いていた。

「町でなにが起きているか、わかるか」

 低い声。鋭い目つき。このひとなら話せるかも。いや、ちがう。彼は海賊。正体を隠してドレスローザに上陸した結果が、この光景では。

「その前に。教えて。なぜピーカ様と闘っていたの」

 さらに睨まれるかと思いきや、いっさい表情が崩れない。

「ピーカってのは、さっきの石男か」
「そう」

 数秒の沈黙。

「いまさら隠すも何もねェが。こっちが言うからには、おまえも言え」

 こくりとうなずく。

「おれたちは、SMILEの工場を破壊しにきた」

 スマイル?

「おまえら一般人の知らないところで、ドンキホーテファミリーは密輸用の武器を生産している。その武器がSMILEだ」

 密輸。武器。聞いたことない。

「工場を壊せば、ドフラミンゴを一気に追い詰められる」

 それなら、国王が密輸を指示した?

「あの小人たちもドフラミンゴと因縁がある。それも十年前からだ。あいつらも今日すべてカタをつける気だ」

 ウィッカたちが。

「おまえの番だ」

 もう一度、王の台地から町を見下ろす。喧騒は止まない。コロシアムからは爆音が。

「さっき急に、いろんな人を思い出した。いままでずっと忘れていた記憶が、一気に」

 兄だけではない。近所の人、ピザの常連客、人気だったコロシアム剣闘士。

「私、ずっと家族がいなくて、それが当たり前だと思っていた。でも、兄がいた。兄さんがいたことさえ忘れていた」

 こんな意味不明なことを信じてもらえるのか。つい彼から目をそらしてしまう。

「兄さん以外にもたくさんの人を忘れていた。同じバイト先で働いているオモチャも、昔はちゃんと人間だった」

 ひとつひとつをつなぎ合わせる。

「下を見て。町にオモチャがいない。あんなにたくさんいたのに」

 うまく声がでない。

「いま、全部のオモチャが人間にもどった。だから、こんなに町が混乱していて」

 次の言葉を口に出せない。こわい。こんなことを思っているなど、この王宮で誰かに聞かれたら、

「ドフラミンゴが国のやつらをオモチャにしたんだな」

 鋭い音。おそるおそる目を合わせる。まっすぐと自分をとらえていた。

「オモチャの呪いが一気に解けた。ドンキホーテファミリーにとっちゃ、緊急事態だ。あの石男がいったん引いたのも合点がいく」

 ただただ、うなずくしかなかった。

「おまえ、配達の帰りか? よく来るのか」
「うん。週に一回は届けてる」
「ここの構造がわかるなら案内してくれ。ドフラミンゴのもとへ行きたい」

 一瞬、身を引いてしまう。

「で、でも」

 上から衝撃が。ふたりして見上げる。大きく崩れる音。王宮の高い塔すべてがぽっきりと分断された。この庭へ落下してくる。

「下がってろ!」

 あわてて背に隠れる。彼が刀三本すべてを抜いた。こちらに降ってくる石のかたまりを斬って斬って、たたき斬る。落下がおさまったころには、周囲は崩れた石であふれていた。

「トラ男か、敵か。どっちにしろ、派手にやり合っているのは確かだ」

 横顔をのぞく。彼はニヤリと歯を見せていた。

「おい、石男が」

 彼がかけだした。中央の塔から石がのびて手に変形する。悲鳴。人が放り落とされた。自分も急いで向かう。走るあいだにも、空に無数の線がのびる。大きなスクリーンが浮かび上がった。

『ドレスローザの国民たち』

 国王の顔。国王の声。ぞくりと背筋が凍る。ゲーム。懸賞金。このカゴに安全な場所はない。

『おまえたちは被害者だ』

 彼を追いかけた先には見覚えのある顔が。うかつに近づけない。十歩ほど離れた位置で立ちどまると、ひとりがこちらに気づいた。近づいてくる。

「きみは。ピザ屋の」

 片足の兵士。この顔、どこかで、

「けがはないか」

 ちょうど上空のスクリーンが切り替わる。映った者のうち、半数がこの場に居合わせていた。あのひとは海賊狩りのゾロ。ヴァイオレット様はヴィオラ王女。新聞で見た海賊団船長、麦わらのルフィとトラファルガー・ロー。リク王も。そしていま、目の前に立つ兵士が、伝説の剣闘士キュロス。

「あの男を倒さねばならない。今日こそ、すべてを終わらせる」

 スクリーンを見上げてキュロスがつぶやく。こちらをふり向いた。

ナマエ。きみはここにいなさい。町はいま、ごった返している」

 ちょっと、まって。なんで、

「なんで、名前」
「ピザ配達のナマエだろう。足の早い、ちょっとした有名人じゃないか」

 口もとには笑みが。だが表情はかたい。背を向けられる。

「麦わらの一味は味方だ。強い。すくなくとも海軍よりは信用できる」

 あのふたりが。麦わら帽の船長、そして剣士。海賊狩りのゾロは信用できる?

「キュロス、あなたは」

 ごくりと息をのむ。いま伝えなければ。

「あなたも強い。海賊よりも、海軍よりも信用できる」

 彼が背筋をのばした。真横を通りすぎて、皆からはなれる。ついには駆けだした。

「ピザ屋さん。キュロスにいさんがどこへ向かったか、聞いてない?」

 キュロスが消えた先を見つめていれば、声をかけられた。このヴァイオレット様がヴィオラ王女。しっかりと目を合わせて首を横にふる。

「いえ、なにも」

 いま、「キュロスにいさん」と。まさか。

「そう」

 気落ちした声。さっき、王女とキュロスは会話していた。もしかしたらこの方が、自分の名前を彼に教えた?

「あの、伝説の剣闘士キュロスって──」

 言いかけたところで、麦わらの船長が声を張り上げた。誰かと通話している。

「あの片足の兵隊がおまえの父ちゃんだ! コロシアムの銅像の、あいつだった」

 麦わら船長は「レベッカ」と呼びかける。剣闘士レベッカの父親がキュロス? それに、片足の兵隊って、

「キュロスは、もしかして、片足のオモチャの、あの」

 ヴィオラ王女がくるしそうに目を細めた。

「ええ。さっきオモチャの呪いが解けたの。私たちは伝説の剣闘士を忘れていた」

 やっぱり。いつも声をかけてくれた片足のオモチャが。だから自分の名を知っていたのだ。十年前からずっと、あの格好で。

「おれが必ずドフラミンゴをぶっ飛ばしてやる」

 麦わら船長が、国王を──あのドンキホーテ・ドフラミンゴを倒す?

「こんなゲーム、すぐ終わらせる」

 通話が切れる。力強く叫ぶ麦わら船長の言葉が、何重にも頭で響いた。かならず。すぐ。おれが。おれが──

「いくぞ。まっすぐだ!」

 麦わら船長がトラファルガーと海賊狩りのゾロを抱えこむ。一瞬、海賊狩りと目が合った。力強いまなざし。なにも考えられない。麦わらが「ドフラミンゴ」と叫ぶ。一気に駆けだした。

「信じられない。まさか、本当に飛び降りるなんて」

 ヴィオラ王女が軽く息をつく。この場に残ったのは三人。リク王、ヴィオラ王女、そして自分。たった数分のできごとを慎重に思い返した。記憶。兄さん。伝説のキュロス。麦わらの一味。ドフラミンゴの裏切り。

「麦わらの一味は味方だ。強い。すくなくとも海軍よりは信用できる」
 あのキュロスが言うなら。

ナマエ。きみはここにいなさい」
 キュロスはきっと今ごろ闘っている。麦わらたち海賊もドフラミンゴを倒しにいった。それに。兄さんは。

「ちょっと、ピザ屋さん。どこに行くの」

 歩きだしたら王女に呼び止められた。彼女へふり返り、帽子をとる。

「店にもどります。ついでに家も見てきます」

 右手をこちらへのばし、口も開いた。だが王女は何も言わない。手を下ろし、くるしそうに目を細める。

「どうしても、行くのね」

 すみません。

「ドフラミンゴのイトに気をつけなさい。あれは空から降ってくる。屋内へ避難するか、できるだけ立ちどまらぬように」

 リク王の言葉。最後に深々と頭を下げて、帽子をかぶりなおす。麦わらたちとは反対方向へ飛び降りた。
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