デフォルトは木下あかねです。
――赤いFCと、知らなかった世界――
主人公の名前
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週末の赤城。
午後十時を過ぎる頃には、いつもの場所に何台もの車が集まり始めていた。
その中心にいるのは、赤城レッドサンズ。
白いFC。
黄色いFD。
そして、その周囲に並ぶチームの車。
そこへ最近、もう一台。
当たり前のように混ざる車がある。
多摩ナンバーの赤いFC。
「あ、来た」
レッドサンズのメンバーの一人が道路の方を見る。
赤いFCがゆっくり駐車場へ入ってきた。
「今日も来たな」
「ほんと毎週いるよな、あの子」
「最初に来た時なんて、走り屋自体知らなかったんだろ?」
「らしいな」
「それが今じゃ啓介さんに毎週しごかれてんだから分かんねえもんだな」
そんな会話の中。
赤いFCがいつもの場所へ停まった。
運転席からあかねが降りる。
「こんばんは」
「おう、あかねちゃん」
「こんばんは」
「今日ちょっと遅かったな」
「大学終わってから一回家帰ったら遅くなっちゃって」
最初の頃なら。
車から降りても、知っているのは啓介と涼介だけだった。
周囲にいる男たちから見られるのも落ち着かなかった。
今は違う。
毎週顔を合わせていれば、自然と話すようになる。
名前を知らない相手もまだいる。
それでも。
少なくとも、ここへ来ること自体に緊張することはなくなっていた。
「あかね」
聞き慣れた声。
振り返る。
黄色いFDのそばに啓介がいた。
「こんばんは、啓介さん」
「おう」
啓介は赤いFCを見る。
「ちゃんと来る前に空気圧見たか?」
「見ました」
「ガソリンは?」
「入れてきた」
「オイルは?」
「昨日見ました」
「ならいい」
あかねが少し得意そうに笑う。
「もう最初の頃とは違うんですよ」
「当たり前だろ。何ヶ月経ったと思ってんだ」
近くにいたレッドサンズのメンバーが笑う。
「啓介さん、すっかり先生っすね」
啓介が振り返る。
「うるせえ」
「毎週ちゃんと面倒見てるじゃないっすか」
「こいつほっとくと何するか分かんねえんだよ」
「失礼」
あかねが睨む。
「事実だろ」
「最近はちゃんと言うこと聞いてるじゃん」
「最近は、な」
「一言多い」
メンバーたちが笑う。
それにも、あかねはもう慣れていた。
少し離れた場所。
白いFCの横では、涼介が数人のメンバーと話している。
あかねに気づくと、涼介がこちらを見た。
「来たのか」
「こんばんは、涼介さん」
「ああ」
「今日も走ります」
「そのつもりで来たんだろう」
「はい」
涼介は赤いFCへ視線を移す。
「最近、調子はどうだ?」
「自分では結構いいと思います」
「そうか」
その言葉を聞いた啓介が横から口を挟む。
「自分で言うなよ」
「だって前よりはいいでしょ?」
「前よりはな」
「ほら」
「そこで満足すんな」
「してないって」
また始まった。
レッドサンズのメンバーたちは、もはや誰も驚かない。
「相変わらずだな」
「毎週あれだぞ」
「よく続くよな」
そんな声が小さく聞こえる。
あかねが啓介を見る。
「今日は前走ってくれるんでしょ?」
「ああ」
「先週の続き?」
「そうだ」
啓介はFDのドアへ手をかける。
「前回、お前が何ヶ所かライン外してたとこあっただろ」
「あった」
「今日はそこ見る」
「分かりました」
二人がそれぞれの車へ向かう。
その時。
レッドサンズのメンバーの一人が声を上げた。
「啓介さん」
「あ?」
「俺も後ろから見ていいっすか?」
啓介が足を止める。
「何でだよ」
「いや、最近あかねちゃん速くなったって聞くから」
「誰から聞いたんだ」
「みんな言ってますよ」
「みんな?」
啓介が周囲を見る。
何人かが笑っている。
「だって最初と全然違うじゃないっすか」
別のメンバーも口を挟む。
「俺もこの前見ましたけど、結構まともに走ってましたよ」
あかねが少し嬉しそうになる。
「本当?」
「うん。最初なんか後ろ走ってるこっちが怖かったけど」
「そんなに?」
「そんなに」
「……知らなかった」
啓介が呆れる。
「お前、自分が最初どんだけ下手だったと思ってんだ」
「啓介さんに言われるのと他の人に言われるのは違うの」
「何が違うんだよ」
「啓介さん、基準高いから」
「当たり前だろ」
その会話を聞いていた涼介が口を開いた。
「いい機会かもしれないな」
啓介が兄を見る。
「兄貴?」
「いつまでもお前の後ろだけを走らせるわけにもいかない」
あかねも涼介を見る。
「どういうことですか?」
「今の君は、啓介の走りを基準にしすぎている」
「……ダメなんですか?」
「悪いことではない」
涼介は答える。
「だが、前に啓介がいなければ同じ走りができないようでは意味がない」
あかねは黙る。
確かに。
最近は啓介のFDについていくことが多い。
ブレーキランプを見る。
ラインを見る。
その通りに走る。
それが練習だと思っていた。
「今日は一人で走ってみろ」
涼介が言った。
「一人?」
「ああ」
「後ろにも誰もいない?」
「いない」
あかねは少し不安になった。
「それでいつも通り走れるかを見る」
啓介も少し考える。
やがて頷いた。
「それがいいかもな」
「啓介さんも?」
「ああ」
啓介は赤いFCを見る。
「俺が前走ってんの真似すんのは、前よりできるようになった」
「うん」
「次は自分で考えて走れ」
「……分かった」
あかねは赤いFCへ向かった。
*
一台だけ。
赤いFCが赤城を走る。
後ろに黄色いFDはいない。
前にもいない。
「……なんか変」
静かだった。
いつもなら。
バックミラーに黄色いヘッドライト。
あるいは前方にFDのテールランプ。
それを意識しながら走っていた。
今日は自分だけ。
最初のコーナー。
ブレーキ。
「あれ……」
少し早い。
次。
今度は遅い。
「違う」
もう一度。
頭の中で啓介のFDを思い出す。
どこでブレーキランプが光っていた?
どこから曲がっていた?
「ここ……」
ブレーキ。
進入。
アクセル。
違う。
何となく走りにくい。
「私……」
今まで。
啓介について走ることで、自分が上手くなったような気になっていただけなのか。
少し不安になる。
でも。
そこで思い出した。
最初に涼介から言われたこと。
自分の車が何をできるのか知れ。
そして。
事故を起こしかけた夜。
怖さを使って、自分の限界を判断する。
「……そうだ」
啓介の真似をするんじゃない。
自分のFCを見る。
ブレーキ。
車の前へ荷重が移る。
ハンドル。
車体の向きが変わる。
アクセル。
「……」
一つ。
また一つ。
少しずつ。
赤いFCの動きがまとまり始めた。
速く走ろうとしない。
啓介ならどうするかではなく。
今の自分ならどうするか。
それを考える。
そして――
中盤を過ぎた頃。
「……ここ」
ブレーキ。
ターンイン。
クリッピングポイント。
アクセル。
赤いFCが綺麗に立ち上がった。
「できた……」
誰もいない車内で。
あかねが小さく笑った。
*
赤いFCが戻ってくる。
レッドサンズのメンバーたちが待っていた。
車を停める。
あかねが降りる。
「どうだった?」
啓介が真っ先に聞いた。
あかねは少し考える。
「最初、全然ダメだった」
「だろうな」
「なんで分かるの?」
「お前、俺の後ろ走るのに慣れすぎてたから」
「先に言ってよ」
「言ったら意味ねえだろ」
「……確かに」
「で?」
啓介が尋ねる。
「途中からは?」
あかねは少し笑った。
「多分、できた」
啓介の表情が変わる。
「多分?」
「自分ではよかったと思う」
啓介が涼介を見る。
「兄貴」
「ああ」
涼介が腕時計を見る。
「もう一度行け」
あかねが驚く。
「もう一回?」
「今度は俺が後ろから見る」
「分かりました」
啓介がすぐ口を挟む。
「俺が見る」
涼介が弟を見る。
「さっきまでお前が見ていただろう」
「今日はまだ見てねえよ」
「どちらでも同じだ」
「同じじゃねえ」
「何が違う?」
「……」
啓介が詰まる。
あかねは二人を交互に見る。
「じゃあ二人で来れば?」
「だから三台で走る意味ねえって兄貴が言ってんだろ」
「じゃあ涼介さんでいい」
あかねがあっさり決めた。
啓介が振り返る。
「なんでだよ」
「だって啓介さんはいつも見てるじゃん」
「……」
「涼介さんに見てもらう方が少ないし」
「……まあ、そうだけどよ」
「じゃあ決まり」
あかねは赤いFCへ戻っていった。
その背中を啓介が見送る。
近くにいたレッドサンズのメンバーが、思わず笑った。
「啓介さん」
「あ?」
「いや、何でもないっす」
「なら笑うな」
「すいません」
明らかに笑いを堪えている。
「何なんだよ」
「ほんと何でもないですって」
啓介が睨む。
男は慌てて顔を逸らした。
涼介だけは。
弟がなぜ不機嫌になったのか。
なんとなく分かっていた。
*
二本目。
赤いFC。
その後ろに白いFC。
涼介は一定の距離を保つ。
序盤。
やはり少し硬い。
後ろを意識している。
しかし。
数コーナーを抜けると変わった。
「……」
赤いFCが自分のリズムを作り始める。
ブレーキ。
進入。
旋回。
立ち上がり。
まだ甘い。
だが。
啓介のラインをそのままなぞってはいない。
自分が扱える速度。
自分が安心してブレーキを終えられる位置。
自分のFCが曲がりやすい場所。
それを組み合わせている。
「そういうことか」
涼介が呟く。
啓介から教えられたことを。
ただ真似しているわけではない。
一度、自分の中に取り込んで。
自分なりに使おうとしている。
それができる。
「面白いな……」
以前と同じ言葉。
ただし。
あの時より意味は大きかった。
*
戻ってくる。
あかねがFCから降りる。
今度は聞かなかった。
どうでした?
そう尋ねる前に。
涼介が白いFCから降りてきた。
「悪くない」
あかねの顔が明るくなる。
啓介が兄を見る。
「マジか?」
「ああ」
「どのくらい?」
あかねより啓介の方が先に聞いた。
涼介が弟を見る。
「気になるのか?」
「そりゃ俺が教えてんだから気になるだろ」
「そうだな」
涼介はそれ以上追及しない。
そして。
あかねを見る。
「木下」
「はい」
「そろそろ次へ進んでもいいだろう」
あかねの表情が変わった。
「次?」
「ああ」
「何するんですか?」
涼介は少し考えてから答えた。
「他人と走る」
あかねが固まる。
啓介も表情を変えた。
「兄貴」
「バトルという意味ではない」
涼介は続ける。
「啓介でも俺でもない。君と同じくらいの速度で走れる相手と走らせる」
あかねは少し緊張する。
「知らない人?」
「最初はレッドサンズの中から選ぶ」
その言葉に。
周囲にいたメンバーたちが反応した。
「俺たちっすか?」
「ああ」
涼介は冷静だった。
「速すぎる相手では意味がない。木下が無理をせずについていける相手がいい」
数人が顔を見合わせる。
その中で。
啓介だけは黙っていた。
あかねが啓介を見る。
「啓介さん?」
「……なんだよ」
「嫌そう」
「別に」
「また別にって言った」
「うるせえな」
啓介は黄色いFDにもたれる。
理屈では分かる。
兄貴の言っていることは正しい。
いつまでも自分だけと走っていても仕方がない。
色々な相手と走った方がいい。
分かっている。
なのに。
「……」
気に入らない。
理由は。
まだ自分でも分からなかった。
*
その日の終わり。
レッドサンズのメンバーたちが帰り始める。
あかねも赤いFCへ向かった。
「じゃあ、また来週」
「おう、あかねちゃん」
「気をつけてな」
「はい。お疲れさまでした」
自然に交わされる言葉。
もう。
ここへ来たばかりの頃のように。
一人ではなかった。
赤いFCへ乗り込もうとした時。
「あかね」
啓介だった。
「何?」
「来週」
「うん」
「他の奴と走ることになっても」
少し間が空く。
「無理してついてこうとすんなよ」
あかねは笑った。
「分かってる」
「抜かれても気にすんな」
「分かってるって」
「後ろから詰められても――」
「啓介さん」
あかねが途中で止める。
「何だよ」
「心配しすぎ」
啓介が黙る。
「……」
「大丈夫だよ」
「……ならいい」
「それに」
あかねは少し考えてから続けた。
「何か分かんなかったら、また啓介さんに聞くから」
啓介があかねを見る。
「……ああ」
短い返事。
それだけなのに。
さっきまで胸の奥にあった妙な苛立ちが。
少しだけ消えた。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おう」
赤いFCのエンジンがかかる。
多摩ナンバーの赤いFCが。
ゆっくりと赤城を下っていく。
啓介はその姿が見えなくなるまで。
何となく。
道路の先を見ていた。
そして。
その様子を。
少し離れた白いFCのそばから。
涼介が静かに見ていた。
午後十時を過ぎる頃には、いつもの場所に何台もの車が集まり始めていた。
その中心にいるのは、赤城レッドサンズ。
白いFC。
黄色いFD。
そして、その周囲に並ぶチームの車。
そこへ最近、もう一台。
当たり前のように混ざる車がある。
多摩ナンバーの赤いFC。
「あ、来た」
レッドサンズのメンバーの一人が道路の方を見る。
赤いFCがゆっくり駐車場へ入ってきた。
「今日も来たな」
「ほんと毎週いるよな、あの子」
「最初に来た時なんて、走り屋自体知らなかったんだろ?」
「らしいな」
「それが今じゃ啓介さんに毎週しごかれてんだから分かんねえもんだな」
そんな会話の中。
赤いFCがいつもの場所へ停まった。
運転席からあかねが降りる。
「こんばんは」
「おう、あかねちゃん」
「こんばんは」
「今日ちょっと遅かったな」
「大学終わってから一回家帰ったら遅くなっちゃって」
最初の頃なら。
車から降りても、知っているのは啓介と涼介だけだった。
周囲にいる男たちから見られるのも落ち着かなかった。
今は違う。
毎週顔を合わせていれば、自然と話すようになる。
名前を知らない相手もまだいる。
それでも。
少なくとも、ここへ来ること自体に緊張することはなくなっていた。
「あかね」
聞き慣れた声。
振り返る。
黄色いFDのそばに啓介がいた。
「こんばんは、啓介さん」
「おう」
啓介は赤いFCを見る。
「ちゃんと来る前に空気圧見たか?」
「見ました」
「ガソリンは?」
「入れてきた」
「オイルは?」
「昨日見ました」
「ならいい」
あかねが少し得意そうに笑う。
「もう最初の頃とは違うんですよ」
「当たり前だろ。何ヶ月経ったと思ってんだ」
近くにいたレッドサンズのメンバーが笑う。
「啓介さん、すっかり先生っすね」
啓介が振り返る。
「うるせえ」
「毎週ちゃんと面倒見てるじゃないっすか」
「こいつほっとくと何するか分かんねえんだよ」
「失礼」
あかねが睨む。
「事実だろ」
「最近はちゃんと言うこと聞いてるじゃん」
「最近は、な」
「一言多い」
メンバーたちが笑う。
それにも、あかねはもう慣れていた。
少し離れた場所。
白いFCの横では、涼介が数人のメンバーと話している。
あかねに気づくと、涼介がこちらを見た。
「来たのか」
「こんばんは、涼介さん」
「ああ」
「今日も走ります」
「そのつもりで来たんだろう」
「はい」
涼介は赤いFCへ視線を移す。
「最近、調子はどうだ?」
「自分では結構いいと思います」
「そうか」
その言葉を聞いた啓介が横から口を挟む。
「自分で言うなよ」
「だって前よりはいいでしょ?」
「前よりはな」
「ほら」
「そこで満足すんな」
「してないって」
また始まった。
レッドサンズのメンバーたちは、もはや誰も驚かない。
「相変わらずだな」
「毎週あれだぞ」
「よく続くよな」
そんな声が小さく聞こえる。
あかねが啓介を見る。
「今日は前走ってくれるんでしょ?」
「ああ」
「先週の続き?」
「そうだ」
啓介はFDのドアへ手をかける。
「前回、お前が何ヶ所かライン外してたとこあっただろ」
「あった」
「今日はそこ見る」
「分かりました」
二人がそれぞれの車へ向かう。
その時。
レッドサンズのメンバーの一人が声を上げた。
「啓介さん」
「あ?」
「俺も後ろから見ていいっすか?」
啓介が足を止める。
「何でだよ」
「いや、最近あかねちゃん速くなったって聞くから」
「誰から聞いたんだ」
「みんな言ってますよ」
「みんな?」
啓介が周囲を見る。
何人かが笑っている。
「だって最初と全然違うじゃないっすか」
別のメンバーも口を挟む。
「俺もこの前見ましたけど、結構まともに走ってましたよ」
あかねが少し嬉しそうになる。
「本当?」
「うん。最初なんか後ろ走ってるこっちが怖かったけど」
「そんなに?」
「そんなに」
「……知らなかった」
啓介が呆れる。
「お前、自分が最初どんだけ下手だったと思ってんだ」
「啓介さんに言われるのと他の人に言われるのは違うの」
「何が違うんだよ」
「啓介さん、基準高いから」
「当たり前だろ」
その会話を聞いていた涼介が口を開いた。
「いい機会かもしれないな」
啓介が兄を見る。
「兄貴?」
「いつまでもお前の後ろだけを走らせるわけにもいかない」
あかねも涼介を見る。
「どういうことですか?」
「今の君は、啓介の走りを基準にしすぎている」
「……ダメなんですか?」
「悪いことではない」
涼介は答える。
「だが、前に啓介がいなければ同じ走りができないようでは意味がない」
あかねは黙る。
確かに。
最近は啓介のFDについていくことが多い。
ブレーキランプを見る。
ラインを見る。
その通りに走る。
それが練習だと思っていた。
「今日は一人で走ってみろ」
涼介が言った。
「一人?」
「ああ」
「後ろにも誰もいない?」
「いない」
あかねは少し不安になった。
「それでいつも通り走れるかを見る」
啓介も少し考える。
やがて頷いた。
「それがいいかもな」
「啓介さんも?」
「ああ」
啓介は赤いFCを見る。
「俺が前走ってんの真似すんのは、前よりできるようになった」
「うん」
「次は自分で考えて走れ」
「……分かった」
あかねは赤いFCへ向かった。
*
一台だけ。
赤いFCが赤城を走る。
後ろに黄色いFDはいない。
前にもいない。
「……なんか変」
静かだった。
いつもなら。
バックミラーに黄色いヘッドライト。
あるいは前方にFDのテールランプ。
それを意識しながら走っていた。
今日は自分だけ。
最初のコーナー。
ブレーキ。
「あれ……」
少し早い。
次。
今度は遅い。
「違う」
もう一度。
頭の中で啓介のFDを思い出す。
どこでブレーキランプが光っていた?
どこから曲がっていた?
「ここ……」
ブレーキ。
進入。
アクセル。
違う。
何となく走りにくい。
「私……」
今まで。
啓介について走ることで、自分が上手くなったような気になっていただけなのか。
少し不安になる。
でも。
そこで思い出した。
最初に涼介から言われたこと。
自分の車が何をできるのか知れ。
そして。
事故を起こしかけた夜。
怖さを使って、自分の限界を判断する。
「……そうだ」
啓介の真似をするんじゃない。
自分のFCを見る。
ブレーキ。
車の前へ荷重が移る。
ハンドル。
車体の向きが変わる。
アクセル。
「……」
一つ。
また一つ。
少しずつ。
赤いFCの動きがまとまり始めた。
速く走ろうとしない。
啓介ならどうするかではなく。
今の自分ならどうするか。
それを考える。
そして――
中盤を過ぎた頃。
「……ここ」
ブレーキ。
ターンイン。
クリッピングポイント。
アクセル。
赤いFCが綺麗に立ち上がった。
「できた……」
誰もいない車内で。
あかねが小さく笑った。
*
赤いFCが戻ってくる。
レッドサンズのメンバーたちが待っていた。
車を停める。
あかねが降りる。
「どうだった?」
啓介が真っ先に聞いた。
あかねは少し考える。
「最初、全然ダメだった」
「だろうな」
「なんで分かるの?」
「お前、俺の後ろ走るのに慣れすぎてたから」
「先に言ってよ」
「言ったら意味ねえだろ」
「……確かに」
「で?」
啓介が尋ねる。
「途中からは?」
あかねは少し笑った。
「多分、できた」
啓介の表情が変わる。
「多分?」
「自分ではよかったと思う」
啓介が涼介を見る。
「兄貴」
「ああ」
涼介が腕時計を見る。
「もう一度行け」
あかねが驚く。
「もう一回?」
「今度は俺が後ろから見る」
「分かりました」
啓介がすぐ口を挟む。
「俺が見る」
涼介が弟を見る。
「さっきまでお前が見ていただろう」
「今日はまだ見てねえよ」
「どちらでも同じだ」
「同じじゃねえ」
「何が違う?」
「……」
啓介が詰まる。
あかねは二人を交互に見る。
「じゃあ二人で来れば?」
「だから三台で走る意味ねえって兄貴が言ってんだろ」
「じゃあ涼介さんでいい」
あかねがあっさり決めた。
啓介が振り返る。
「なんでだよ」
「だって啓介さんはいつも見てるじゃん」
「……」
「涼介さんに見てもらう方が少ないし」
「……まあ、そうだけどよ」
「じゃあ決まり」
あかねは赤いFCへ戻っていった。
その背中を啓介が見送る。
近くにいたレッドサンズのメンバーが、思わず笑った。
「啓介さん」
「あ?」
「いや、何でもないっす」
「なら笑うな」
「すいません」
明らかに笑いを堪えている。
「何なんだよ」
「ほんと何でもないですって」
啓介が睨む。
男は慌てて顔を逸らした。
涼介だけは。
弟がなぜ不機嫌になったのか。
なんとなく分かっていた。
*
二本目。
赤いFC。
その後ろに白いFC。
涼介は一定の距離を保つ。
序盤。
やはり少し硬い。
後ろを意識している。
しかし。
数コーナーを抜けると変わった。
「……」
赤いFCが自分のリズムを作り始める。
ブレーキ。
進入。
旋回。
立ち上がり。
まだ甘い。
だが。
啓介のラインをそのままなぞってはいない。
自分が扱える速度。
自分が安心してブレーキを終えられる位置。
自分のFCが曲がりやすい場所。
それを組み合わせている。
「そういうことか」
涼介が呟く。
啓介から教えられたことを。
ただ真似しているわけではない。
一度、自分の中に取り込んで。
自分なりに使おうとしている。
それができる。
「面白いな……」
以前と同じ言葉。
ただし。
あの時より意味は大きかった。
*
戻ってくる。
あかねがFCから降りる。
今度は聞かなかった。
どうでした?
そう尋ねる前に。
涼介が白いFCから降りてきた。
「悪くない」
あかねの顔が明るくなる。
啓介が兄を見る。
「マジか?」
「ああ」
「どのくらい?」
あかねより啓介の方が先に聞いた。
涼介が弟を見る。
「気になるのか?」
「そりゃ俺が教えてんだから気になるだろ」
「そうだな」
涼介はそれ以上追及しない。
そして。
あかねを見る。
「木下」
「はい」
「そろそろ次へ進んでもいいだろう」
あかねの表情が変わった。
「次?」
「ああ」
「何するんですか?」
涼介は少し考えてから答えた。
「他人と走る」
あかねが固まる。
啓介も表情を変えた。
「兄貴」
「バトルという意味ではない」
涼介は続ける。
「啓介でも俺でもない。君と同じくらいの速度で走れる相手と走らせる」
あかねは少し緊張する。
「知らない人?」
「最初はレッドサンズの中から選ぶ」
その言葉に。
周囲にいたメンバーたちが反応した。
「俺たちっすか?」
「ああ」
涼介は冷静だった。
「速すぎる相手では意味がない。木下が無理をせずについていける相手がいい」
数人が顔を見合わせる。
その中で。
啓介だけは黙っていた。
あかねが啓介を見る。
「啓介さん?」
「……なんだよ」
「嫌そう」
「別に」
「また別にって言った」
「うるせえな」
啓介は黄色いFDにもたれる。
理屈では分かる。
兄貴の言っていることは正しい。
いつまでも自分だけと走っていても仕方がない。
色々な相手と走った方がいい。
分かっている。
なのに。
「……」
気に入らない。
理由は。
まだ自分でも分からなかった。
*
その日の終わり。
レッドサンズのメンバーたちが帰り始める。
あかねも赤いFCへ向かった。
「じゃあ、また来週」
「おう、あかねちゃん」
「気をつけてな」
「はい。お疲れさまでした」
自然に交わされる言葉。
もう。
ここへ来たばかりの頃のように。
一人ではなかった。
赤いFCへ乗り込もうとした時。
「あかね」
啓介だった。
「何?」
「来週」
「うん」
「他の奴と走ることになっても」
少し間が空く。
「無理してついてこうとすんなよ」
あかねは笑った。
「分かってる」
「抜かれても気にすんな」
「分かってるって」
「後ろから詰められても――」
「啓介さん」
あかねが途中で止める。
「何だよ」
「心配しすぎ」
啓介が黙る。
「……」
「大丈夫だよ」
「……ならいい」
「それに」
あかねは少し考えてから続けた。
「何か分かんなかったら、また啓介さんに聞くから」
啓介があかねを見る。
「……ああ」
短い返事。
それだけなのに。
さっきまで胸の奥にあった妙な苛立ちが。
少しだけ消えた。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おう」
赤いFCのエンジンがかかる。
多摩ナンバーの赤いFCが。
ゆっくりと赤城を下っていく。
啓介はその姿が見えなくなるまで。
何となく。
道路の先を見ていた。
そして。
その様子を。
少し離れた白いFCのそばから。
涼介が静かに見ていた。