デフォルトは木下あかねです。
――赤いFCと、知らなかった世界――
主人公の名前
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「涼介さん」
あかねが白いFCの方へ歩いていく。
その後ろ。
黄色いFDにもたれたまま、啓介はその背中を目で追っていた。
「……」
さっきまで。
自分の助手席にいた。
わざわざ迎えに行って。
ここまで一緒に来た。
なのに。
赤城へ着いて最初に探すのは兄貴か。
「……別にいいけどよ」
誰に言うでもなく呟く。
近くにいたレッドサンズのメンバーがちらりと啓介を見る。
「啓介さん」
「あ?」
「いや、何でもないっす」
「……最近それ多くねえか?」
「気のせいですよ」
明らかに何かを察している顔。
「だったらこっち見て笑うな」
「笑ってないですって」
「笑ってんだろ」
「気のせいです」
「お前――」
その間にも。
あかねは涼介のところまで行ってしまった。
*
「こんばんは」
「ああ」
涼介が答える。
そして。
一度だけ。
黄色いFDを見る。
「来たんだな」
「はい」
「車がないのに?」
「……来ちゃいました」
「そうか」
涼介は少し笑う。
「この前は休むと言っていただろう」
「そのつもりだったんですけど」
「気が変わったのか?」
「うん」
「どうやって来た?」
聞かれて。
あかねが黄色いFDを指差す。
「啓介さんが迎えに来てくれました」
「ああ」
知っていた。
見れば分かる。
それでも。
本人の口から聞くと。
胸の奥にあった感情が、また僅かに動いた。
「電話してくれたんです」
「啓介から?」
「はい。『迎え行けば来れんだろ』って」
あかねは少し笑っている。
嬉しかったのだろう。
それも分かる。
「そうか」
涼介はそれ以上言わなかった。
「涼介さん?」
「なんだ?」
「FCのこと、お父さんに話しました」
「どうだった?」
「怒られた」
「だろうな」
「涼介さんまで」
「予想できたことだ」
「でも修理代は出してくれるって」
「そうか」
「その代わり」
「?」
「今度東京帰った時、夜に山で何してるのか説明しろって」
涼介が少し笑った。
「それは逃げられそうにないな」
「どうしよう」
「正直に言えばいい」
「走り屋になりたいですって?」
「ああ」
「絶対怒られる」
「嘘をついて後で知られるよりはいいだろう」
「……それはそうだけど」
あかねはため息をつく。
涼介はそんなあかねを見ていた。
以前なら。
話の中心は必ず車だった。
ブレーキ。
ライン。
荷重。
FC。
今は。
父親の話。
大学の話。
生活の話。
少しずつ。
知っていることが増えている。
そして。
もっと知りたいと思っている。
それを。
もう涼介は否定していなかった。
*
「で」
突然。
二人の間に声が入った。
「今日何すんだ?」
啓介。
あかねが振り返る。
「何って?」
「お前走れねえだろ」
「うん」
「ずっと見てんのか?」
「そのつもりだけど」
「暇だぞ」
「いいよ」
「何が面白いんだよ」
「見るのも勉強になるって前に言ったの啓介さんじゃん」
「それはそうだけどよ」
涼介が弟を見る。
「お前が連れてきたんだろう」
「そうだよ」
「なら、今さら何を言っている」
「……」
啓介が詰まる。
あかねが笑う。
「本当だよ」
「うるせえな」
「自分で迎えに来たのに」
「来たいっつったのはお前だろ」
「誘ったの啓介さんじゃん」
「……そうだけどよ」
また。
近くのメンバーが笑っている。
啓介が睨む。
「お前ら聞いてんじゃねえ」
「聞こえるんすよ」
あかねも笑った。
その様子を。
涼介は静かに見ている。
やはり。
二人の距離は近い。
言葉を選ばない。
遠慮もしない。
自分とあかねの間には。
まだないもの。
少しだけ。
羨ましいと思った。
*
その後。
レッドサンズの走行が始まった。
あかねはガードレールの近くから見ていた。
今までは。
自分も走る側だった。
今日は違う。
音。
ライト。
次々とコーナーへ消えていく車。
「……」
見ているだけだからこそ。
分かることもある。
「あ……」
黄色いFD。
啓介。
速い。
当然知っていた。
何度も後ろを走った。
でも。
外から見ると。
改めて違う。
「あんな速かったんだ……」
自分の練習に付き合っている時。
どれだけ速度を落としているのか。
初めて。
はっきり分かった。
FDがコーナーへ消える。
しばらくして。
白いFC。
涼介。
「……」
また違う。
啓介は。
見ていて分かるほど鋭い。
涼介は。
速いのに。
速く見えない。
無駄がない。
「すごい……」
思わず呟く。
隣にいたレッドサンズのメンバーが笑った。
「やっぱ涼介さんは別格だろ」
「はい」
「啓介さんも速いけどな」
「うん」
あかねは道路の先を見る。
「私、いつかあんなふうに走れるかな」
メンバーが少し驚く。
「涼介さんみたいに?」
「……そこまでは無理かも」
あかねが笑う。
「でも、もっと速くなりたい」
「最初の頃から見たら、相当変わったよ」
「本当?」
「ああ」
「最初は正直、いつまで来るんだろうって思ってた」
「ひどい」
「だって何も知らなかっただろ?」
「……それはそう」
「でも今は」
男は少し考える。
「赤いFC来ないと、なんか足りない感じするな」
あかねが目を丸くする。
「本当?」
「毎週いるからな」
少し照れくさくなる。
ここへ来たばかりの頃。
誰も知らなかった。
今は。
自分がいないことを。
誰かが気づく。
それが。
少し嬉しかった。
*
一通り走り終えた啓介が戻ってきた。
FDから降りる。
最初に。
あかねを探した。
「……」
いる。
レッドサンズのメンバーと話している。
何か楽しそうに笑っている。
「……」
また。
妙な感覚。
今度は兄貴じゃない。
「何なんだよ……」
自分でも呆れる。
兄貴なら気になる。
他の男でも気になる。
それじゃ。
まるで。
「あー……くそ」
頭を掻く。
認めたくない。
でも。
もう。
かなり分かっている。
*
「あかね」
呼ばれる。
振り返る。
「啓介さん」
「見てたか?」
「見てた!」
あかねがすぐ近づいてくる。
「すごかった」
「何が?」
「啓介さん」
「……」
あまりにも真っ直ぐ言われて。
啓介が一瞬止まる。
「私の前走ってる時、全然本気じゃなかったんだね」
「今さら気づいたのかよ」
「だって後ろからしか見たことなかったもん」
「お前のペースで本気出せるわけねえだろ」
「分かってるけど」
あかねは道路を見る。
「なんか悔しい」
「何でだよ」
「全然追いつけないじゃん」
「当たり前だ」
即答。
あかねが睨む。
「そこはいつか追いつけるって言ってよ」
「簡単に言えるか」
「ケチ」
「でも」
啓介が続ける。
あかねが見る。
「追いつきたいなら来いよ」
「……」
「俺は待ってやんねえけどな」
啓介らしい。
絶対に。
大丈夫だとも。
できるとも言わない。
それでも。
来るなとは。
もう言わない。
あかねが笑う。
「うん」
「絶対追いつく」
「やってみろ」
目が合う。
啓介も。
少し笑った。
その瞬間。
あかねの胸が。
小さく跳ねた。
「……」
いつも見ている顔。
いつも言い合っている相手。
なのに。
さっき。
本気で走る姿を見たせいか。
急に。
格好よく見えた。
「……何だよ」
「え?」
「また見てんぞ」
「見てない」
「見てただろ」
「見てません」
「何で敬語なんだよ」
「知らない」
あかねは顔を逸らす。
啓介が首を傾げる。
その時。
「啓介」
涼介の声。
二人が振り返る。
「少しいいか」
「ああ」
啓介が兄の方へ行く。
あかねは。
その背中を見送った。
まだ。
少し。
心臓が速かった。
*
深夜。
「そろそろ帰るか」
啓介が言った。
「うん」
あかねは黄色いFDへ向かう。
当然。
帰りも啓介の助手席。
そう思っていた。
「待て」
涼介。
二人が振り返る。
「啓介、お前はこの後もう一本走るんだろう」
「ああ」
「なら俺が送る」
「……」
啓介が兄を見る。
あかねも。
涼介を見る。
「でも」
「俺は今日は終わりだ」
「……」
啓介がすぐ言う。
「一本くらい後でいい」
「無理に予定を変える必要はない」
「別に無理じゃねえよ」
「啓介さん」
あかねが口を挟む。
「走ってきていいよ」
「……」
「せっかく来たんでしょ?」
「でもよ」
「涼介さんが送ってくれるなら大丈夫」
その言葉。
啓介の胸に。
引っかかる。
――涼介さんなら大丈夫。
もちろん。
兄貴なら安全だ。
自分より。
ずっと。
でも。
今は。
それが気に入らない。
「……」
啓介が涼介を見る。
涼介も。
弟を見る。
短い沈黙。
先に涼介が言った。
「どうする?」
静かな声。
啓介は。
兄の目を見た。
なぜか。
分かった。
兄貴も。
同じだ。
ただ送るだけ。
それだけではない。
少なくとも。
自分と同じように。
あかねを意識している。
「……兄貴」
「なんだ」
「いや」
啓介は視線を外す。
「分かった。頼む」
あかねが笑う。
「じゃあまた来週」
「お前、来週FC戻ってんのか?」
「多分」
「戻ってなかったら?」
「……」
あかねが考える。
「また迎えに来てくれる?」
軽い冗談。
そのつもりだった。
でも。
啓介は。
少しも笑わなかった。
「来てほしいなら行く」
「……」
今度は。
あかねが止まる。
「……うん」
「じゃあ連絡しろ」
「……分かった」
何だろう。
今日。
啓介が。
時々。
いつもの啓介じゃない。
そう思った。
*
白いFC。
助手席。
また。
ここ。
シートベルトを締める。
「お願いします」
「ああ」
白いFCが発進する。
しばらく。
会話がない。
あかねは窓の外を見る。
そして。
さっきの啓介を思い出す。
『来てほしいなら行く』
「……」
また。
心臓。
少し速い。
「今日は楽しそうだったな」
突然。
涼介。
「え?」
「走れなかった割には」
「ああ」
あかねが笑う。
「楽しかったです」
「そうか」
「見るのも結構楽しい」
「それだけか?」
「?」
「いや」
涼介は前を見る。
聞こうとして。
やめた。
啓介と一緒だったからか。
そんなこと。
今聞く必要はない。
「涼介さん?」
「何でもない」
あかねが少し笑う。
「二人とも今日それ多い」
「二人?」
「啓介さんも何回か『何でもない』って」
「そうか」
「兄弟だね」
「……そうかもしれないな」
涼介は。
少しだけ苦笑した。
*
途中。
赤信号。
白いFCが停まる。
あかねが窓の外を見る。
「……あ」
小さな店。
まだ明かりがついている。
「お腹すいた……」
無意識の呟き。
涼介が聞く。
「夕飯は?」
「食べたけど、もうこんな時間だし」
「何か食べるか?」
「え?」
「このまま帰るなら構わないが」
「……」
あかねは時計を見る。
深夜。
普通なら。
帰る時間。
でも。
少しだけ。
帰りたくないと思った。
「涼介さんは?」
「俺も少し腹が減った」
「じゃあ……」
あかねが笑う。
「食べたい」
「分かった」
信号が青になる。
しかし。
白いFCは。
あかねの家へ向かう道を。
そのまま進まなかった。
*
深夜のファミリーレストラン。
駐車場に。
白いFC。
向かい合って座る。
あかねはメニューを見る。
「こんな時間に食べたら太るかな」
「気になるならやめればいい」
「そこは大丈夫って言うところじゃない?」
「俺に聞かれても分からない」
「涼介さん、そういうところありますよね」
「どういうところだ?」
「女心分かってない」
「そうかもしれないな」
あっさり。
あかねが笑う。
「啓介さんよりは分かりそうなのに」
「なぜそこで啓介が出てくる」
「比較対象」
「本人が聞いたら怒るぞ」
「怒るだろうね」
笑う。
赤城ではない。
車の中でもない。
普通の店。
向かい合って。
二人で食事。
それに気づいた瞬間。
あかねの動きが。
少し止まった。
「……」
これ。
傍から見たら。
どう見えるんだろう。
考えた途端。
急に。
涼介の顔を見づらくなる。
「どうした?」
「……何でもない」
涼介があかねを見る。
「今度は君か」
「え?」
「今日はそれが多いんだろう?」
「あ……」
言われて。
二人で笑った。
でも。
あかねの胸は。
さっきより。
少しだけ。
速かった。
そして涼介も。
気づいていた。
送るだけなら。
ここへ寄る必要はなかった。
あかねが腹を空かせていたから。
それは事実。
だが。
自分も。
まだ帰したくなかった。
それも。
同じくらい。
事実だった。
あかねが白いFCの方へ歩いていく。
その後ろ。
黄色いFDにもたれたまま、啓介はその背中を目で追っていた。
「……」
さっきまで。
自分の助手席にいた。
わざわざ迎えに行って。
ここまで一緒に来た。
なのに。
赤城へ着いて最初に探すのは兄貴か。
「……別にいいけどよ」
誰に言うでもなく呟く。
近くにいたレッドサンズのメンバーがちらりと啓介を見る。
「啓介さん」
「あ?」
「いや、何でもないっす」
「……最近それ多くねえか?」
「気のせいですよ」
明らかに何かを察している顔。
「だったらこっち見て笑うな」
「笑ってないですって」
「笑ってんだろ」
「気のせいです」
「お前――」
その間にも。
あかねは涼介のところまで行ってしまった。
*
「こんばんは」
「ああ」
涼介が答える。
そして。
一度だけ。
黄色いFDを見る。
「来たんだな」
「はい」
「車がないのに?」
「……来ちゃいました」
「そうか」
涼介は少し笑う。
「この前は休むと言っていただろう」
「そのつもりだったんですけど」
「気が変わったのか?」
「うん」
「どうやって来た?」
聞かれて。
あかねが黄色いFDを指差す。
「啓介さんが迎えに来てくれました」
「ああ」
知っていた。
見れば分かる。
それでも。
本人の口から聞くと。
胸の奥にあった感情が、また僅かに動いた。
「電話してくれたんです」
「啓介から?」
「はい。『迎え行けば来れんだろ』って」
あかねは少し笑っている。
嬉しかったのだろう。
それも分かる。
「そうか」
涼介はそれ以上言わなかった。
「涼介さん?」
「なんだ?」
「FCのこと、お父さんに話しました」
「どうだった?」
「怒られた」
「だろうな」
「涼介さんまで」
「予想できたことだ」
「でも修理代は出してくれるって」
「そうか」
「その代わり」
「?」
「今度東京帰った時、夜に山で何してるのか説明しろって」
涼介が少し笑った。
「それは逃げられそうにないな」
「どうしよう」
「正直に言えばいい」
「走り屋になりたいですって?」
「ああ」
「絶対怒られる」
「嘘をついて後で知られるよりはいいだろう」
「……それはそうだけど」
あかねはため息をつく。
涼介はそんなあかねを見ていた。
以前なら。
話の中心は必ず車だった。
ブレーキ。
ライン。
荷重。
FC。
今は。
父親の話。
大学の話。
生活の話。
少しずつ。
知っていることが増えている。
そして。
もっと知りたいと思っている。
それを。
もう涼介は否定していなかった。
*
「で」
突然。
二人の間に声が入った。
「今日何すんだ?」
啓介。
あかねが振り返る。
「何って?」
「お前走れねえだろ」
「うん」
「ずっと見てんのか?」
「そのつもりだけど」
「暇だぞ」
「いいよ」
「何が面白いんだよ」
「見るのも勉強になるって前に言ったの啓介さんじゃん」
「それはそうだけどよ」
涼介が弟を見る。
「お前が連れてきたんだろう」
「そうだよ」
「なら、今さら何を言っている」
「……」
啓介が詰まる。
あかねが笑う。
「本当だよ」
「うるせえな」
「自分で迎えに来たのに」
「来たいっつったのはお前だろ」
「誘ったの啓介さんじゃん」
「……そうだけどよ」
また。
近くのメンバーが笑っている。
啓介が睨む。
「お前ら聞いてんじゃねえ」
「聞こえるんすよ」
あかねも笑った。
その様子を。
涼介は静かに見ている。
やはり。
二人の距離は近い。
言葉を選ばない。
遠慮もしない。
自分とあかねの間には。
まだないもの。
少しだけ。
羨ましいと思った。
*
その後。
レッドサンズの走行が始まった。
あかねはガードレールの近くから見ていた。
今までは。
自分も走る側だった。
今日は違う。
音。
ライト。
次々とコーナーへ消えていく車。
「……」
見ているだけだからこそ。
分かることもある。
「あ……」
黄色いFD。
啓介。
速い。
当然知っていた。
何度も後ろを走った。
でも。
外から見ると。
改めて違う。
「あんな速かったんだ……」
自分の練習に付き合っている時。
どれだけ速度を落としているのか。
初めて。
はっきり分かった。
FDがコーナーへ消える。
しばらくして。
白いFC。
涼介。
「……」
また違う。
啓介は。
見ていて分かるほど鋭い。
涼介は。
速いのに。
速く見えない。
無駄がない。
「すごい……」
思わず呟く。
隣にいたレッドサンズのメンバーが笑った。
「やっぱ涼介さんは別格だろ」
「はい」
「啓介さんも速いけどな」
「うん」
あかねは道路の先を見る。
「私、いつかあんなふうに走れるかな」
メンバーが少し驚く。
「涼介さんみたいに?」
「……そこまでは無理かも」
あかねが笑う。
「でも、もっと速くなりたい」
「最初の頃から見たら、相当変わったよ」
「本当?」
「ああ」
「最初は正直、いつまで来るんだろうって思ってた」
「ひどい」
「だって何も知らなかっただろ?」
「……それはそう」
「でも今は」
男は少し考える。
「赤いFC来ないと、なんか足りない感じするな」
あかねが目を丸くする。
「本当?」
「毎週いるからな」
少し照れくさくなる。
ここへ来たばかりの頃。
誰も知らなかった。
今は。
自分がいないことを。
誰かが気づく。
それが。
少し嬉しかった。
*
一通り走り終えた啓介が戻ってきた。
FDから降りる。
最初に。
あかねを探した。
「……」
いる。
レッドサンズのメンバーと話している。
何か楽しそうに笑っている。
「……」
また。
妙な感覚。
今度は兄貴じゃない。
「何なんだよ……」
自分でも呆れる。
兄貴なら気になる。
他の男でも気になる。
それじゃ。
まるで。
「あー……くそ」
頭を掻く。
認めたくない。
でも。
もう。
かなり分かっている。
*
「あかね」
呼ばれる。
振り返る。
「啓介さん」
「見てたか?」
「見てた!」
あかねがすぐ近づいてくる。
「すごかった」
「何が?」
「啓介さん」
「……」
あまりにも真っ直ぐ言われて。
啓介が一瞬止まる。
「私の前走ってる時、全然本気じゃなかったんだね」
「今さら気づいたのかよ」
「だって後ろからしか見たことなかったもん」
「お前のペースで本気出せるわけねえだろ」
「分かってるけど」
あかねは道路を見る。
「なんか悔しい」
「何でだよ」
「全然追いつけないじゃん」
「当たり前だ」
即答。
あかねが睨む。
「そこはいつか追いつけるって言ってよ」
「簡単に言えるか」
「ケチ」
「でも」
啓介が続ける。
あかねが見る。
「追いつきたいなら来いよ」
「……」
「俺は待ってやんねえけどな」
啓介らしい。
絶対に。
大丈夫だとも。
できるとも言わない。
それでも。
来るなとは。
もう言わない。
あかねが笑う。
「うん」
「絶対追いつく」
「やってみろ」
目が合う。
啓介も。
少し笑った。
その瞬間。
あかねの胸が。
小さく跳ねた。
「……」
いつも見ている顔。
いつも言い合っている相手。
なのに。
さっき。
本気で走る姿を見たせいか。
急に。
格好よく見えた。
「……何だよ」
「え?」
「また見てんぞ」
「見てない」
「見てただろ」
「見てません」
「何で敬語なんだよ」
「知らない」
あかねは顔を逸らす。
啓介が首を傾げる。
その時。
「啓介」
涼介の声。
二人が振り返る。
「少しいいか」
「ああ」
啓介が兄の方へ行く。
あかねは。
その背中を見送った。
まだ。
少し。
心臓が速かった。
*
深夜。
「そろそろ帰るか」
啓介が言った。
「うん」
あかねは黄色いFDへ向かう。
当然。
帰りも啓介の助手席。
そう思っていた。
「待て」
涼介。
二人が振り返る。
「啓介、お前はこの後もう一本走るんだろう」
「ああ」
「なら俺が送る」
「……」
啓介が兄を見る。
あかねも。
涼介を見る。
「でも」
「俺は今日は終わりだ」
「……」
啓介がすぐ言う。
「一本くらい後でいい」
「無理に予定を変える必要はない」
「別に無理じゃねえよ」
「啓介さん」
あかねが口を挟む。
「走ってきていいよ」
「……」
「せっかく来たんでしょ?」
「でもよ」
「涼介さんが送ってくれるなら大丈夫」
その言葉。
啓介の胸に。
引っかかる。
――涼介さんなら大丈夫。
もちろん。
兄貴なら安全だ。
自分より。
ずっと。
でも。
今は。
それが気に入らない。
「……」
啓介が涼介を見る。
涼介も。
弟を見る。
短い沈黙。
先に涼介が言った。
「どうする?」
静かな声。
啓介は。
兄の目を見た。
なぜか。
分かった。
兄貴も。
同じだ。
ただ送るだけ。
それだけではない。
少なくとも。
自分と同じように。
あかねを意識している。
「……兄貴」
「なんだ」
「いや」
啓介は視線を外す。
「分かった。頼む」
あかねが笑う。
「じゃあまた来週」
「お前、来週FC戻ってんのか?」
「多分」
「戻ってなかったら?」
「……」
あかねが考える。
「また迎えに来てくれる?」
軽い冗談。
そのつもりだった。
でも。
啓介は。
少しも笑わなかった。
「来てほしいなら行く」
「……」
今度は。
あかねが止まる。
「……うん」
「じゃあ連絡しろ」
「……分かった」
何だろう。
今日。
啓介が。
時々。
いつもの啓介じゃない。
そう思った。
*
白いFC。
助手席。
また。
ここ。
シートベルトを締める。
「お願いします」
「ああ」
白いFCが発進する。
しばらく。
会話がない。
あかねは窓の外を見る。
そして。
さっきの啓介を思い出す。
『来てほしいなら行く』
「……」
また。
心臓。
少し速い。
「今日は楽しそうだったな」
突然。
涼介。
「え?」
「走れなかった割には」
「ああ」
あかねが笑う。
「楽しかったです」
「そうか」
「見るのも結構楽しい」
「それだけか?」
「?」
「いや」
涼介は前を見る。
聞こうとして。
やめた。
啓介と一緒だったからか。
そんなこと。
今聞く必要はない。
「涼介さん?」
「何でもない」
あかねが少し笑う。
「二人とも今日それ多い」
「二人?」
「啓介さんも何回か『何でもない』って」
「そうか」
「兄弟だね」
「……そうかもしれないな」
涼介は。
少しだけ苦笑した。
*
途中。
赤信号。
白いFCが停まる。
あかねが窓の外を見る。
「……あ」
小さな店。
まだ明かりがついている。
「お腹すいた……」
無意識の呟き。
涼介が聞く。
「夕飯は?」
「食べたけど、もうこんな時間だし」
「何か食べるか?」
「え?」
「このまま帰るなら構わないが」
「……」
あかねは時計を見る。
深夜。
普通なら。
帰る時間。
でも。
少しだけ。
帰りたくないと思った。
「涼介さんは?」
「俺も少し腹が減った」
「じゃあ……」
あかねが笑う。
「食べたい」
「分かった」
信号が青になる。
しかし。
白いFCは。
あかねの家へ向かう道を。
そのまま進まなかった。
*
深夜のファミリーレストラン。
駐車場に。
白いFC。
向かい合って座る。
あかねはメニューを見る。
「こんな時間に食べたら太るかな」
「気になるならやめればいい」
「そこは大丈夫って言うところじゃない?」
「俺に聞かれても分からない」
「涼介さん、そういうところありますよね」
「どういうところだ?」
「女心分かってない」
「そうかもしれないな」
あっさり。
あかねが笑う。
「啓介さんよりは分かりそうなのに」
「なぜそこで啓介が出てくる」
「比較対象」
「本人が聞いたら怒るぞ」
「怒るだろうね」
笑う。
赤城ではない。
車の中でもない。
普通の店。
向かい合って。
二人で食事。
それに気づいた瞬間。
あかねの動きが。
少し止まった。
「……」
これ。
傍から見たら。
どう見えるんだろう。
考えた途端。
急に。
涼介の顔を見づらくなる。
「どうした?」
「……何でもない」
涼介があかねを見る。
「今度は君か」
「え?」
「今日はそれが多いんだろう?」
「あ……」
言われて。
二人で笑った。
でも。
あかねの胸は。
さっきより。
少しだけ。
速かった。
そして涼介も。
気づいていた。
送るだけなら。
ここへ寄る必要はなかった。
あかねが腹を空かせていたから。
それは事実。
だが。
自分も。
まだ帰したくなかった。
それも。
同じくらい。
事実だった。
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