デフォルトは木下あかねです。
――赤いFCと、知らなかった世界――
主人公の名前
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月曜日。
大学の講義が終わった頃。
あかねは校舎を出ながら、携帯電話を確認した。
着信はない。
「……まだか」
待っているのは。
修理工場からの連絡。
赤いFCを預けてから二日。
普段なら。
駐車場へ行けばそこにある。
赤いボディ。
少し古い内装。
もう聞き慣れたロータリーの音。
それがない。
たった二日なのに。
「不便……」
電車とバスを乗り継ぐ。
群馬へ引っ越してきたばかりの頃なら。
それが普通だった。
今は。
FCがないだけで。
生活の一部が欠けたように感じる。
そして。
もう一つ。
今週末。
赤城へ行けない。
「……」
それを考えると。
車がないこと以上に。
少しつまらなかった。
*
その日の夕方。
携帯電話が鳴った。
知らない番号。
「はい、もしもし」
修理工場だった。
あかねの表情が変わる。
話を聞く。
そして。
「……はい」
金額を聞いた瞬間。
黙った。
「……そんなに?」
想像より高い。
大学生の自分が。
気軽に払える金額ではなかった。
「……分かりました。一回、父に相談します」
電話を切る。
しばらく。
携帯を見つめる。
「……無理」
バイト代。
家賃。
生活費。
ガソリン。
大学。
全部考える。
どう考えても。
簡単に出せる額じゃない。
そして。
父親へ電話する前に。
ふと思い出した。
『修理の連絡が来たら、俺にも教えてくれ』
涼介。
「……」
携帯電話の登録を見る。
高橋涼介。
指が止まる。
電話するだけ。
約束したから。
それだけ。
なのに。
なぜか少し緊張する。
「……何で電話するだけで緊張するの」
意を決して。
発信。
呼び出し音。
一回。
二回。
『もしもし』
出た。
「あ……涼介さん?」
『ああ。木下か』
「今、大丈夫ですか?」
『大丈夫だ。どうした』
「あの、FC」
『連絡が来たのか?』
「はい」
「原因は?」
あかねは工場から聞いた説明を伝える。
金額も。
少しの沈黙。
『そうか』
「……高いですよね」
『安くはないな』
「ですよね……」
『君が払うのか?』
「多分、お父さんにお願いすることになります」
『そうか』
「なんか情けない」
思わず。
本音が出た。
『なぜ?』
「だって」
あかねはベッドへ座る。
「自分が走りたくて走ってるのに、壊れたらお父さんに払ってもらうって」
『今回の故障が走ったことだけで起きたとは限らない』
「でも」
『それに、最初から全て自分で負担できる人間ばかりじゃない』
「……」
『ただし』
声が少し変わる。
『今後も走るなら、同じ考えではいられないだろうな』
「はい」
『ガソリン、オイル、タイヤ、消耗品。車を速く走らせれば、それだけ負担は増える』
「……はい」
『それを理解した上で続けるかどうかだ』
あかねは少し黙った。
そして。
「続けます」
即答。
電話の向こうで。
ほんの少し。
涼介が笑ったような気がした。
『そう言うと思った』
「……また分かってたんですか?」
『君の性格ならな』
「なんか悔しい」
『なぜだ』
「全部読まれてるみたい」
『全部ではない』
「またそれ」
『事実だ』
少し。
笑う。
気づけば。
修理の話は終わっているのに。
電話を切っていない。
あかねも。
涼介も。
*
「……そういえば」
あかねが言う。
『なんだ?』
「今週、赤城行けないです」
『FCがないからな』
「うん」
『一週くらい休め』
「そうなんだけど」
少し間。
「……暇」
『大学生だろう。やることはいくらでもあるんじゃないのか』
「ひどい」
『間違っているか?』
「間違ってないけど」
あかねはベッドへ倒れる。
「毎週行ってたから、変な感じ」
『そうか』
「涼介さんたちは行くんですよね?」
『そのつもりだ』
「いいなあ」
『……』
「何?」
『いや』
涼介が少し考える。
『来たいのか?』
「行けるなら」
『車がなくても?』
聞かれて。
あかねが止まる。
車がない。
走れない。
練習もできない。
それでも。
「……行きたいかも」
自分でも。
少し意外だった。
電話の向こう。
涼介が黙る。
『そうか』
「でも行けないから、今週は休みます」
『分かった』
「はい」
今度こそ。
切ろうとする。
「あ、じゃあ――」
『あかね』
「……はい?」
名前。
また。
一瞬。
胸が跳ねる。
『父親と話したら、修理をどうするか連絡してくれ』
「あ……はい」
『じゃあな』
「はい。おやすみなさい」
電話が切れる。
あかねは。
しばらく携帯を耳に当てたままだった。
「……」
そして。
画面を見る。
高橋涼介。
通話時間。
思っていたより。
長い。
「……車の話だけだったよね」
誰に言うでもなく。
呟いた。
*
高橋家。
涼介は携帯を置く。
机には。
開いた本。
電話が来る前まで読んでいた。
「……」
視線を戻す。
数行。
読む。
そして。
止まる。
『車がなくても?』
自分が聞いた。
『……行きたいかも』
あかねが答えた。
走れないのに。
赤城へ来たい。
それは。
何のためだ。
レッドサンズのメンバーに会うため。
啓介に会うため。
自分に会うため。
そのどれなのか。
あるいは。
全部なのか。
「……」
以前なら。
そんなことを考える必要はなかった。
今は。
気になる。
それ自体が。
答えのようなものだった。
*
同じ頃。
啓介は。
まだ何も知らなかった。
*
水曜日。
夜。
黄色いFDが高橋家へ戻ってきた。
玄関を開ける。
リビングへ入ると。
涼介がいた。
「兄貴」
「ああ」
「そういや、あかねのFCどうなった?」
涼介が顔を上げる。
「連絡が来たそうだ」
啓介の動きが止まる。
「…… あかねから兄貴にも?」
「ああ」
「いつ?」
「月曜だ」
「……」
二日。
啓介は知らなかった。
「何で兄貴に連絡してんだ?」
「俺が、分かったら教えてくれと言ったからだ」
「……そうかよ」
理屈は分かる。
何もおかしくない。
なのに。
胸の奥。
また。
あの感覚。
「で?」
啓介は聞く。
「何だった?」
涼介が故障の内容を説明する。
金額。
修理。
あかねが父親へ相談すること。
啓介の表情が少し曇る。
「結構いくな」
「ああ」
「……あいつ、払えんのか?」
「父親に相談すると言っていた」
「そうか」
少し安心する。
そして。
啓介は聞く。
「今週は?」
「赤城には来ないそうだ」
「……」
また。
妙な沈黙。
「そりゃFCねえんだから当たり前か」
「ああ」
啓介は冷蔵庫を開ける。
「……」
飲み物を取る。
閉める。
「兄貴」
「なんだ?」
「電話」
「ああ」
「車の話だけか?」
涼介が弟を見る。
「なぜ聞く?」
「……別に」
「なら答える必要もないだろう」
「何だよそれ」
啓介が少し苛立つ。
「普通に聞いただけだろ」
「普通に、か」
「何だよ」
涼介は弟を見る。
啓介も兄を見る。
数秒。
先に視線を逸らしたのは。
啓介だった。
「……もういい」
飲み物を持って。
部屋へ戻っていく。
涼介は。
その背中を見送った。
*
金曜日。
夕方。
あかねはバイトへ向かう準備をしていた。
携帯電話が鳴る。
「?」
画面を見る。
高橋啓介。
「……珍しい」
啓介から電話が来ることは。
ほとんどない。
出る。
「もしもし?」
『おう』
「どうしたの?」
『今何してる?』
「これからバイト」
『何時まで?』
「夜まで。何で?」
『……いや』
「何?」
『FC』
「ああ」
『兄貴から聞いた』
「そっか」
『結構かかるらしいな』
「うん」
『親父さん何て?』
「払ってくれるって」
『そうか』
少し間。
『怒られたか?』
「めちゃくちゃ」
啓介が笑う。
『だろうな』
「笑わないでよ」
『夜中に山でドライブして車壊しましたじゃな』
「だから壊したって決まってない!」
『分かってるよ』
電話なのに。
いつも通り。
自然に言い合う。
あかねは笑っていた。
「それだけ?」
『あ?』
「FCのこと聞くために電話したの?」
『……』
啓介が黙る。
「啓介さん?」
『明日』
「うん」
『赤城来ねえの?』
あかねが少し驚く。
「車ないもん」
『それは知ってる』
「じゃあどうやって行くの」
『……』
また。
沈黙。
そして。
『迎え行けば来れんだろ』
「……え?」
あかねが止まった。
「啓介さんが?」
『他に誰がいんだよ』
「私を?」
『だからそう言ってんだろ』
「……」
『嫌ならいいけどよ』
「嫌じゃない」
また。
即答。
電話の向こうで。
啓介も少し黙る。
『……じゃあ行く』
「でも」
『何だよ』
「私、走れないよ?」
『別に走らなくてもいいだろ』
「……」
今度は。
あかねが黙った。
走らなくてもいい。
それでも。
来ればいい。
『おい』
「……うん」
『何黙ってんだよ』
「いや」
あかねは少し笑う。
「行きたい」
『なら決まりだ』
「うん」
『時間はまた連絡する』
「分かった」
『じゃあな』
「うん。バイバイ」
電話が切れる。
あかねは。
携帯を見る。
そして。
気づけば。
笑っていた。
*
土曜日。
夜。
あかねの家の近く。
聞き慣れた。
ロータリーサウンド。
「……来た」
外へ出る。
黄色いFD。
いつもは赤城で見る車が。
今日は。
自分を迎えに来た。
助手席の窓が下がる。
啓介。
「乗れよ」
「はい」
助手席へ乗る。
シートベルト。
FDが走り出す。
「なんか変な感じ」
あかねが言う。
「何が?」
「啓介さんが迎えに来るの」
「もう帰るか?」
「なんでそうなるの」
「文句言うからだろ」
「文句じゃないよ」
あかねは窓の外を見る。
「嬉しいってこと」
啓介の手が。
一瞬。
止まった。
「……」
「啓介さん?」
「何でもねえ」
前を見る。
耳が。
少し熱い。
あかねは気づかない。
「でも本当にいいの?」
「何が?」
「わざわざ迎えに来てもらって」
「俺が来いって言ったんだからいいだろ」
「そっか」
「おう」
少しの沈黙。
黄色いFDは。
赤城へ向かう。
「啓介さん」
「何だ?」
「ありがとう」
「……おう」
短い返事。
でも。
今度は。
啓介も。
少しだけ笑っていた。
*
赤城。
いつもの場所。
黄色いFDが入ってくる。
レッドサンズのメンバーが気づく。
「あれ?」
FDが停まる。
運転席から啓介。
そして。
助手席から。
あかね。
「こんばんは」
「え、あかねちゃん?」
「FCどうした?」
「まだ修理中です」
「じゃあどうやって――」
言いかけて。
全員が黄色いFDを見る。
そして。
啓介を見る。
「……」
「……」
一人が。
少し笑う。
「啓介さんが迎えに行ったんすか?」
「悪いかよ」
「いや、別に」
明らかに。
何か言いたそう。
「何だよ」
「何でもないっす」
「なら笑うな」
あかねは。
その横で。
何も分かっていない。
「涼介さんは?」
何気なく聞いた。
その瞬間。
啓介の表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「あっち」
白いFC。
涼介がいる。
あかねがそちらを見る。
涼介も。
こちらを見ていた。
黄色いFD。
その助手席から降りたあかね。
そして。
隣にいる啓介。
「……」
今度は。
涼介の胸の中にも。
説明する必要のない感情が。
はっきりと生まれた。
嫉妬。
自覚してしまえば。
驚くほど。
単純なものだった。
そして。
涼介は。
自分が思っていたより。
この状況を。
面白くないと感じていた。
大学の講義が終わった頃。
あかねは校舎を出ながら、携帯電話を確認した。
着信はない。
「……まだか」
待っているのは。
修理工場からの連絡。
赤いFCを預けてから二日。
普段なら。
駐車場へ行けばそこにある。
赤いボディ。
少し古い内装。
もう聞き慣れたロータリーの音。
それがない。
たった二日なのに。
「不便……」
電車とバスを乗り継ぐ。
群馬へ引っ越してきたばかりの頃なら。
それが普通だった。
今は。
FCがないだけで。
生活の一部が欠けたように感じる。
そして。
もう一つ。
今週末。
赤城へ行けない。
「……」
それを考えると。
車がないこと以上に。
少しつまらなかった。
*
その日の夕方。
携帯電話が鳴った。
知らない番号。
「はい、もしもし」
修理工場だった。
あかねの表情が変わる。
話を聞く。
そして。
「……はい」
金額を聞いた瞬間。
黙った。
「……そんなに?」
想像より高い。
大学生の自分が。
気軽に払える金額ではなかった。
「……分かりました。一回、父に相談します」
電話を切る。
しばらく。
携帯を見つめる。
「……無理」
バイト代。
家賃。
生活費。
ガソリン。
大学。
全部考える。
どう考えても。
簡単に出せる額じゃない。
そして。
父親へ電話する前に。
ふと思い出した。
『修理の連絡が来たら、俺にも教えてくれ』
涼介。
「……」
携帯電話の登録を見る。
高橋涼介。
指が止まる。
電話するだけ。
約束したから。
それだけ。
なのに。
なぜか少し緊張する。
「……何で電話するだけで緊張するの」
意を決して。
発信。
呼び出し音。
一回。
二回。
『もしもし』
出た。
「あ……涼介さん?」
『ああ。木下か』
「今、大丈夫ですか?」
『大丈夫だ。どうした』
「あの、FC」
『連絡が来たのか?』
「はい」
「原因は?」
あかねは工場から聞いた説明を伝える。
金額も。
少しの沈黙。
『そうか』
「……高いですよね」
『安くはないな』
「ですよね……」
『君が払うのか?』
「多分、お父さんにお願いすることになります」
『そうか』
「なんか情けない」
思わず。
本音が出た。
『なぜ?』
「だって」
あかねはベッドへ座る。
「自分が走りたくて走ってるのに、壊れたらお父さんに払ってもらうって」
『今回の故障が走ったことだけで起きたとは限らない』
「でも」
『それに、最初から全て自分で負担できる人間ばかりじゃない』
「……」
『ただし』
声が少し変わる。
『今後も走るなら、同じ考えではいられないだろうな』
「はい」
『ガソリン、オイル、タイヤ、消耗品。車を速く走らせれば、それだけ負担は増える』
「……はい」
『それを理解した上で続けるかどうかだ』
あかねは少し黙った。
そして。
「続けます」
即答。
電話の向こうで。
ほんの少し。
涼介が笑ったような気がした。
『そう言うと思った』
「……また分かってたんですか?」
『君の性格ならな』
「なんか悔しい」
『なぜだ』
「全部読まれてるみたい」
『全部ではない』
「またそれ」
『事実だ』
少し。
笑う。
気づけば。
修理の話は終わっているのに。
電話を切っていない。
あかねも。
涼介も。
*
「……そういえば」
あかねが言う。
『なんだ?』
「今週、赤城行けないです」
『FCがないからな』
「うん」
『一週くらい休め』
「そうなんだけど」
少し間。
「……暇」
『大学生だろう。やることはいくらでもあるんじゃないのか』
「ひどい」
『間違っているか?』
「間違ってないけど」
あかねはベッドへ倒れる。
「毎週行ってたから、変な感じ」
『そうか』
「涼介さんたちは行くんですよね?」
『そのつもりだ』
「いいなあ」
『……』
「何?」
『いや』
涼介が少し考える。
『来たいのか?』
「行けるなら」
『車がなくても?』
聞かれて。
あかねが止まる。
車がない。
走れない。
練習もできない。
それでも。
「……行きたいかも」
自分でも。
少し意外だった。
電話の向こう。
涼介が黙る。
『そうか』
「でも行けないから、今週は休みます」
『分かった』
「はい」
今度こそ。
切ろうとする。
「あ、じゃあ――」
『あかね』
「……はい?」
名前。
また。
一瞬。
胸が跳ねる。
『父親と話したら、修理をどうするか連絡してくれ』
「あ……はい」
『じゃあな』
「はい。おやすみなさい」
電話が切れる。
あかねは。
しばらく携帯を耳に当てたままだった。
「……」
そして。
画面を見る。
高橋涼介。
通話時間。
思っていたより。
長い。
「……車の話だけだったよね」
誰に言うでもなく。
呟いた。
*
高橋家。
涼介は携帯を置く。
机には。
開いた本。
電話が来る前まで読んでいた。
「……」
視線を戻す。
数行。
読む。
そして。
止まる。
『車がなくても?』
自分が聞いた。
『……行きたいかも』
あかねが答えた。
走れないのに。
赤城へ来たい。
それは。
何のためだ。
レッドサンズのメンバーに会うため。
啓介に会うため。
自分に会うため。
そのどれなのか。
あるいは。
全部なのか。
「……」
以前なら。
そんなことを考える必要はなかった。
今は。
気になる。
それ自体が。
答えのようなものだった。
*
同じ頃。
啓介は。
まだ何も知らなかった。
*
水曜日。
夜。
黄色いFDが高橋家へ戻ってきた。
玄関を開ける。
リビングへ入ると。
涼介がいた。
「兄貴」
「ああ」
「そういや、あかねのFCどうなった?」
涼介が顔を上げる。
「連絡が来たそうだ」
啓介の動きが止まる。
「…… あかねから兄貴にも?」
「ああ」
「いつ?」
「月曜だ」
「……」
二日。
啓介は知らなかった。
「何で兄貴に連絡してんだ?」
「俺が、分かったら教えてくれと言ったからだ」
「……そうかよ」
理屈は分かる。
何もおかしくない。
なのに。
胸の奥。
また。
あの感覚。
「で?」
啓介は聞く。
「何だった?」
涼介が故障の内容を説明する。
金額。
修理。
あかねが父親へ相談すること。
啓介の表情が少し曇る。
「結構いくな」
「ああ」
「……あいつ、払えんのか?」
「父親に相談すると言っていた」
「そうか」
少し安心する。
そして。
啓介は聞く。
「今週は?」
「赤城には来ないそうだ」
「……」
また。
妙な沈黙。
「そりゃFCねえんだから当たり前か」
「ああ」
啓介は冷蔵庫を開ける。
「……」
飲み物を取る。
閉める。
「兄貴」
「なんだ?」
「電話」
「ああ」
「車の話だけか?」
涼介が弟を見る。
「なぜ聞く?」
「……別に」
「なら答える必要もないだろう」
「何だよそれ」
啓介が少し苛立つ。
「普通に聞いただけだろ」
「普通に、か」
「何だよ」
涼介は弟を見る。
啓介も兄を見る。
数秒。
先に視線を逸らしたのは。
啓介だった。
「……もういい」
飲み物を持って。
部屋へ戻っていく。
涼介は。
その背中を見送った。
*
金曜日。
夕方。
あかねはバイトへ向かう準備をしていた。
携帯電話が鳴る。
「?」
画面を見る。
高橋啓介。
「……珍しい」
啓介から電話が来ることは。
ほとんどない。
出る。
「もしもし?」
『おう』
「どうしたの?」
『今何してる?』
「これからバイト」
『何時まで?』
「夜まで。何で?」
『……いや』
「何?」
『FC』
「ああ」
『兄貴から聞いた』
「そっか」
『結構かかるらしいな』
「うん」
『親父さん何て?』
「払ってくれるって」
『そうか』
少し間。
『怒られたか?』
「めちゃくちゃ」
啓介が笑う。
『だろうな』
「笑わないでよ」
『夜中に山でドライブして車壊しましたじゃな』
「だから壊したって決まってない!」
『分かってるよ』
電話なのに。
いつも通り。
自然に言い合う。
あかねは笑っていた。
「それだけ?」
『あ?』
「FCのこと聞くために電話したの?」
『……』
啓介が黙る。
「啓介さん?」
『明日』
「うん」
『赤城来ねえの?』
あかねが少し驚く。
「車ないもん」
『それは知ってる』
「じゃあどうやって行くの」
『……』
また。
沈黙。
そして。
『迎え行けば来れんだろ』
「……え?」
あかねが止まった。
「啓介さんが?」
『他に誰がいんだよ』
「私を?」
『だからそう言ってんだろ』
「……」
『嫌ならいいけどよ』
「嫌じゃない」
また。
即答。
電話の向こうで。
啓介も少し黙る。
『……じゃあ行く』
「でも」
『何だよ』
「私、走れないよ?」
『別に走らなくてもいいだろ』
「……」
今度は。
あかねが黙った。
走らなくてもいい。
それでも。
来ればいい。
『おい』
「……うん」
『何黙ってんだよ』
「いや」
あかねは少し笑う。
「行きたい」
『なら決まりだ』
「うん」
『時間はまた連絡する』
「分かった」
『じゃあな』
「うん。バイバイ」
電話が切れる。
あかねは。
携帯を見る。
そして。
気づけば。
笑っていた。
*
土曜日。
夜。
あかねの家の近く。
聞き慣れた。
ロータリーサウンド。
「……来た」
外へ出る。
黄色いFD。
いつもは赤城で見る車が。
今日は。
自分を迎えに来た。
助手席の窓が下がる。
啓介。
「乗れよ」
「はい」
助手席へ乗る。
シートベルト。
FDが走り出す。
「なんか変な感じ」
あかねが言う。
「何が?」
「啓介さんが迎えに来るの」
「もう帰るか?」
「なんでそうなるの」
「文句言うからだろ」
「文句じゃないよ」
あかねは窓の外を見る。
「嬉しいってこと」
啓介の手が。
一瞬。
止まった。
「……」
「啓介さん?」
「何でもねえ」
前を見る。
耳が。
少し熱い。
あかねは気づかない。
「でも本当にいいの?」
「何が?」
「わざわざ迎えに来てもらって」
「俺が来いって言ったんだからいいだろ」
「そっか」
「おう」
少しの沈黙。
黄色いFDは。
赤城へ向かう。
「啓介さん」
「何だ?」
「ありがとう」
「……おう」
短い返事。
でも。
今度は。
啓介も。
少しだけ笑っていた。
*
赤城。
いつもの場所。
黄色いFDが入ってくる。
レッドサンズのメンバーが気づく。
「あれ?」
FDが停まる。
運転席から啓介。
そして。
助手席から。
あかね。
「こんばんは」
「え、あかねちゃん?」
「FCどうした?」
「まだ修理中です」
「じゃあどうやって――」
言いかけて。
全員が黄色いFDを見る。
そして。
啓介を見る。
「……」
「……」
一人が。
少し笑う。
「啓介さんが迎えに行ったんすか?」
「悪いかよ」
「いや、別に」
明らかに。
何か言いたそう。
「何だよ」
「何でもないっす」
「なら笑うな」
あかねは。
その横で。
何も分かっていない。
「涼介さんは?」
何気なく聞いた。
その瞬間。
啓介の表情が。
ほんの少しだけ変わった。
「あっち」
白いFC。
涼介がいる。
あかねがそちらを見る。
涼介も。
こちらを見ていた。
黄色いFD。
その助手席から降りたあかね。
そして。
隣にいる啓介。
「……」
今度は。
涼介の胸の中にも。
説明する必要のない感情が。
はっきりと生まれた。
嫉妬。
自覚してしまえば。
驚くほど。
単純なものだった。
そして。
涼介は。
自分が思っていたより。
この状況を。
面白くないと感じていた。