デフォルトは木下あかねです。
――赤いFCと、知らなかった世界――
主人公の名前
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目が覚めた瞬間。
あかねは、自分がどこにいるのか分からなかった。
見慣れない天井。
見慣れない部屋。
「……」
数秒。
そして。
昨夜のことを思い出した。
「……あ」
高橋家。
赤城でFCのエンジンがかからなくなって。
涼介に家へ泊まればいいと言われて。
啓介のFDでここまで来て。
そして今。
自分が着ているのは。
「……」
啓介のTシャツ。
大きな袖から出た自分の手を見る。
昨夜は疲れていたし、色々ありすぎてそのまま寝てしまった。
けれど。
朝になって改めて見ると。
やっぱり恥ずかしい。
「早く着替えよ……」
そう思って。
止まる。
着替え。
ない。
昨日着ていた服しかない。
「……そっか」
仕方なく。
昨日の服に着替えようと立ち上がる。
けれど。
時計を見る。
まだ早い。
家の中も静かだった。
喉が渇いている。
水だけ飲んでこよう。
誰にも会わないだろう。
そう思って。
啓介のTシャツとスウェットのまま。
あかねは客間を出た。
*
静かな廊下。
昨夜、水をもらった場所は覚えている。
あかねは寝癖のついた髪を手で押さえながら歩く。
「……」
当然。
化粧もしていない。
顔もほとんど寝起きのまま。
誰にも会いたくない。
キッチンへ行って。
水を飲んで。
すぐ戻る。
そのつもりだった。
角を曲がる。
「……」
人がいた。
「……あ」
啓介。
向こうも。
止まった。
「……」
「……」
数秒。
無言。
先に口を開いたのは啓介だった。
「おはよ」
「あ……おはよう」
昨夜までと違う。
髪も整えていない。
化粧もしていない。
しかも。
着ているのは啓介の服。
急に全部が恥ずかしくなる。
あかねは反射的に顔を隠した。
「見ないで」
「は?」
「今、顔見ないで」
「何でだよ」
「すっぴんだから!」
啓介が一瞬黙る。
「……だから何だよ」
「だから嫌なの!」
「知らねえよ」
「男の人には分かんないの!」
「昨日の夜も見ただろ」
「昨日は仕方なかったの!」
「今も仕方ねえだろ」
「そうだけど!」
啓介は呆れたようにあかねを見る。
「別に変わんねえじゃん」
「……え?」
思わず。
手を下ろした。
啓介も。
言ってから少し止まった。
「……」
「それって」
あかねがじっと見る。
「何だよ」
「すっぴんでも変じゃないってこと?」
「そう言ってんだろ」
「……」
「何だよ」
「啓介さん」
「あ?」
「そういうこと普通に言えるんだ」
「何がだよ」
「なんか意外」
「朝からうるせえな」
啓介は横を通り過ぎようとする。
その時。
あかねが気づいた。
啓介も。
いつもとは違う。
髪も完全には整っていない。
服もラフ。
赤城で見る啓介でも。
FDの運転席にいる啓介でもない。
「……」
思わず見る。
啓介が気づく。
「今度は何だよ」
「啓介さんも寝起きなんだなって」
「当たり前だろ」
「なんか変な感じ」
「何が?」
「いつも外でしか会わないから」
あかねが笑う。
「普通に家にいるんだね」
「俺を何だと思ってんだよ」
「ずっとFD乗ってる人」
「馬鹿にしてんのか」
「してない」
笑いながら答える。
でも。
本当は。
少し違った。
知らなかった啓介。
ただそれだけなのに。
少し。
胸が落ち着かなかった。
*
「あら、起きたの?」
声。
二人が振り返る。
母親だった。
「おはようございます」
あかねが慌てて頭を下げる。
「よく眠れた?」
「はい。ありがとうございました」
「よかった。もう少ししたら朝ご飯だから、食べていってね」
「あ、でも……」
「遠慮しなくていいのよ」
「……ありがとうございます」
断るのもかえって失礼だ。
そう思って。
あかねは素直に頷いた。
「じゃあ着替えてきます」
「そのままでもいいのに」
「いや、それはちょっと……」
母親が笑う。
そして。
あかねの服を見る。
「それ、啓介の?」
「……はい」
「へえ」
「母さん」
啓介が嫌そうな声を出す。
「何よ」
「変な意味で言うなよ」
「何も言ってないじゃない」
「顔が言ってんだよ」
あかねは。
急にまた恥ずかしくなった。
「着替えてきます!」
逃げるように客間へ戻った。
その後ろで。
母親の笑い声が聞こえた。
*
着替えて。
最低限、髪を整える。
昨日の服。
化粧はできない。
仕方がない。
リビングへ行くと。
すでに啓介が座っていた。
そして。
少し遅れて。
「おはよう」
涼介が入ってきた。
「おはようございます」
あかねが答える。
涼介の視線があかねへ向く。
「眠れたか?」
「はい」
「そうか」
いつもと同じ。
落ち着いた声。
でも。
やっぱり。
赤城で見る涼介とは少し違う。
家の中にいる。
それだけで。
距離が近く感じる。
「何だ?」
「え?」
「また見ていたから」
「あ……」
また。
気づかれた。
「涼介さんも普通に朝ご飯食べるんだなと思って」
「……?」
涼介が僅かに眉を上げる。
啓介が横から笑う。
「こいつ、さっき俺にも似たようなこと言ってたぞ」
「だって変な感じなんだもん」
「何がだ」
「いつも二人とも赤城にいるから」
涼介が少し笑う。
「俺たちも家では普通だ」
「ですよね」
「当たり前だろ」
啓介が呆れる。
あかねも笑った。
*
朝食。
高橋家の食卓に。
あかねがいる。
それだけで。
不思議だった。
「大学は今日は休み?」
母親に聞かれる。
「はい。土曜日なので」
「一人暮らしなんでしょう?」
「はい」
「ご両親、心配してるんじゃない?」
「多分……」
そこで。
あかねの箸が止まった。
「……あ」
啓介が見る。
「何だよ」
「お父さん」
「親父?」
「私のお父さん!」
完全に忘れていた。
FC。
修理。
そして。
修理代。
「……言わなきゃ」
涼介があかねを見る。
「車のことか」
「はい」
一気に気が重くなる。
「絶対怒られる……」
啓介が笑う。
「何でだよ」
「だってFC壊したなんて言ったら」
「お前が壊したって決まったわけじゃねえだろ」
「でも……」
「普通に故障しただけかもしれない」
涼介も言う。
「まず原因を確認してからでもいい」
「でも修理するなら、どっちにしろ言わないと」
あかねは小さくため息をつく。
「私、そんなにお金ないし」
啓介が箸を止める。
「維持費どうしてんだ?」
「ガソリンとかオイルとかは自分で払ってるよ」
「バイト?」
「うん」
「タイヤは?」
「……最近高いなと思ってる」
「高いなじゃねえよ」
「だって高いんだもん」
啓介が呆れる。
「走るってのは金かかんだよ」
「最近分かってきた」
「遅えよ」
涼介が口を開く。
「今回の修理は、金額が分かってから考えればいい」
「はい」
「それと」
「?」
「走ることを続けるなら、車の維持にいくらかかるのか一度きちんと計算した方がいい」
「……はい」
正論。
あかねは少し小さくなる。
その様子を見て。
啓介が言った。
「まあ、最初から全部分かってる奴なんていねえよ」
あかねが顔を上げる。
「啓介さんでも?」
「俺は知ってた」
「何それ」
「俺を一緒にすんな」
「せっかくちょっと優しいと思ったのに」
「知らねえよ」
いつもの調子。
少しだけ。
気が楽になった。
*
朝食の後。
あかねは携帯電話を手に庭へ出た。
父親へ電話する。
番号を押す。
呼び出し音。
「……」
緊張する。
数回。
『もしもし』
「……もしもし、お父さん?」
『どうした』
「今、大丈夫?」
『大丈夫だけど』
「えっと……」
言えない。
『何だ』
「FCなんだけど」
『事故ったのか?』
「事故ってない!」
思わず大声になる。
家の中。
窓際にいた啓介がこちらを見る。
あかねは少し離れた。
「事故じゃない。故障したの」
『故障?』
「うん」
『どこで?』
「……」
来た。
「群馬」
『群馬に住んでるんだから当たり前だろ。どこだよ』
「……山」
『山?』
「うん」
『何で車で山にいるんだ?』
「……」
答えられない。
『あかね?』
「ちょっとドライブ」
『昼間に?』
「……」
『お前、何してるんだ?』
「何もしてない!」
『何もしてなくて車壊れるのか?』
「車は何もしてなくても壊れるでしょ!」
『買ってまだそんなに経ってないだろ』
「中古だもん!」
言い返して。
自分でも苦しいと思った。
『で、今どこにいる』
「……知り合いの家」
『誰の?』
「……友達」
『女の子か?』
「……」
沈黙。
『あかね』
「男の人だけど」
『は?』
まずい。
「違う! 二人だけじゃない! 家族もいる!」
『どういうことだ』
「車が動かなくなって、夜遅かったから泊めてもらっただけ!」
『お前な――』
「ちゃんとした人だから!」
『そういう問題じゃない』
「分かってる!」
庭先。
あかねが頭を抱える。
家の中。
啓介が笑っているのが見えた。
睨む。
啓介は余計に笑う。
『修理代は?』
「まだ分かんない」
『見てもらったのか?』
「これから」
『分かったら連絡しろ』
「……うん」
『払えるのか?』
「……多分無理」
正直に答えた。
父親がため息をつく。
『金額聞いてからだ』
「……はい」
『あと』
「何?」
『夜に山で何してるのか、今度ちゃんと聞くからな』
「……」
切りたい。
「じゃあまた連絡するね!」
『おい――』
通話終了。
「……」
あかねは携帯を見つめる。
「終わった……」
「何が?」
真後ろ。
「わっ!」
振り返る。
啓介。
「いつからいたの!?」
「途中から」
「聞いてた?」
「山で何してんだってとこは」
「最悪!」
啓介が笑う。
「ドライブだってよ」
「他に何て言えばいいの!」
「走ってますって言えよ」
「言えるわけないでしょ!」
「いつかバレんだろ」
その言葉に。
あかねが止まる。
「……やっぱり?」
「そりゃな」
啓介は少し真面目になる。
「金もかかる。タイヤも減る。車だって傷む」
「……」
「ずっと普通に乗ってるだけってのは無理あるだろ」
「そっか……」
あかねは赤城の方向を見る。
走る。
ただ楽しいから。
速くなりたいから。
それだけで始めた。
でも。
続けるなら。
色々なものが必要になる。
「バイト増やそうかな」
「大学疎かにすんなよ」
「分かってる」
「走るために生活ぶっ壊したら意味ねえだろ」
あかねが啓介を見る。
「……啓介さん、ちゃんとしたこと言うね」
「喧嘩売ってんのか」
「褒めたの」
「聞こえねえよ」
あかねが笑った。
*
朝食を終えて。
あかねは荷物をまとめた。
借りた服も畳む。
「ありがとうございました」
母親へ頭を下げる。
「またいつでもいらっしゃい」
「母さん」
啓介がすぐ反応する。
「何よ」
「また車壊せって言ってるみてえだろ」
「そういう意味じゃないわよ」
あかねが笑う。
「次は壊さず来ます」
「お前も来る気なのかよ」
「冗談だよ」
「分かりづれえ」
そして。
三人で外へ出る。
あかねは当然。
そのまま帰るつもりだった。
「じゃあ、私――」
「何言ってんだ」
啓介が遮る。
「え?」
「赤城に置いてきたFC見に行くぞ」
「今から?」
「当たり前だろ」
啓介は黄色いFDのキーを出す。
「自分の車だろ」
「でも私が行っても何もできないよ?」
「だからって人任せにすんな」
「……」
「原因くらい自分で聞け」
あかねは少し黙って。
「……はい」
素直に頷いた。
涼介も白いFCへ向かう。
「兄貴も来るの?」
「ああ」
「二台で?」
「その方がいいだろう」
「なんで?」
あかねが尋ねる。
涼介が答える。
「FCを修理へ出した後、君を家まで送る車が必要になる」
「あ」
確かに。
「じゃあ私、啓介さんのFD?」
「今はな」
「帰りは?」
一瞬。
兄弟の間に。
妙な間があった。
先に答えたのは。
涼介だった。
「俺が送る」
あかねが涼介を見る。
「いいんですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
啓介は。
何も言わなかった。
ただ。
黄色いFDのドアを開ける音が。
いつもより。
少しだけ。
強かった。
*
再び赤城。
昨夜と同じ場所。
赤いFCは。
静かに停まっていた。
あかねが近づく。
「……」
昨日までは。
走るための車だった。
でも。
今見ると。
少し違って見える。
父親に買ってもらった車。
自分が何も知らず。
見た目だけで選んだ車。
それが。
今では。
ここへ来るために欠かせないものになった。
「壊しちゃったのかな……」
小さく呟く。
「まだ決まってねえって」
隣に啓介。
「うん」
「ちゃんと直して、また走ればいい」
あかねがFCを見る。
「高かったらどうしよう」
「その時考えろ」
「簡単に言うなあ」
「考える前から落ち込んでどうすんだよ」
「……それもそうか」
少し離れた場所から。
涼介が二人を見る。
あかねの隣に立つ啓介。
いつの間にか。
自然な光景になっている。
そして。
それを見た自分が。
何を感じたのか。
涼介には。
もう。
以前より分かっていた。
*
その後。
赤いFCは修理工場へ運ばれることになった。
その場ですぐ金額は出ない。
詳しく調べてから連絡をもらう。
それで決まった。
「じゃあ……帰る…」
あかねが言う。
「そうだな」
啓介が答える。
しかし。
あかねが向かったのは。
白いFC。
助手席。
ドアを開ける。
「よろしくお願いします、涼介さん」
「ああ」
涼介が運転席へ乗る。
啓介は黄色いFDのそばから。
その様子を見る。
「……」
昨夜。
自分の服を着ていた。
今朝。
寝起きの顔を見た。
一緒に朝飯を食った。
ついさっきまで。
自分のFDの助手席にいた。
なのに。
今は。
兄貴のFCの助手席。
「……何なんだよ」
小さく呟く。
黄色いFDのドアを開ける。
一方。
白いFCの中。
あかねはシートベルトを締めた。
「じゃあ行くぞ」
「はい」
白いFCが走り出す。
赤城を離れ。
あかねの家へ向かう。
二人きり。
昨夜とは違う。
今度は。
しばらく。
逃げ場のない助手席。
あかねは窓の外を見る。
そして。
運転席の涼介を。
ほんの一瞬だけ。
横目で見た。
その視線に。
涼介はまだ。
気づかないふりをしていた。
あかねは、自分がどこにいるのか分からなかった。
見慣れない天井。
見慣れない部屋。
「……」
数秒。
そして。
昨夜のことを思い出した。
「……あ」
高橋家。
赤城でFCのエンジンがかからなくなって。
涼介に家へ泊まればいいと言われて。
啓介のFDでここまで来て。
そして今。
自分が着ているのは。
「……」
啓介のTシャツ。
大きな袖から出た自分の手を見る。
昨夜は疲れていたし、色々ありすぎてそのまま寝てしまった。
けれど。
朝になって改めて見ると。
やっぱり恥ずかしい。
「早く着替えよ……」
そう思って。
止まる。
着替え。
ない。
昨日着ていた服しかない。
「……そっか」
仕方なく。
昨日の服に着替えようと立ち上がる。
けれど。
時計を見る。
まだ早い。
家の中も静かだった。
喉が渇いている。
水だけ飲んでこよう。
誰にも会わないだろう。
そう思って。
啓介のTシャツとスウェットのまま。
あかねは客間を出た。
*
静かな廊下。
昨夜、水をもらった場所は覚えている。
あかねは寝癖のついた髪を手で押さえながら歩く。
「……」
当然。
化粧もしていない。
顔もほとんど寝起きのまま。
誰にも会いたくない。
キッチンへ行って。
水を飲んで。
すぐ戻る。
そのつもりだった。
角を曲がる。
「……」
人がいた。
「……あ」
啓介。
向こうも。
止まった。
「……」
「……」
数秒。
無言。
先に口を開いたのは啓介だった。
「おはよ」
「あ……おはよう」
昨夜までと違う。
髪も整えていない。
化粧もしていない。
しかも。
着ているのは啓介の服。
急に全部が恥ずかしくなる。
あかねは反射的に顔を隠した。
「見ないで」
「は?」
「今、顔見ないで」
「何でだよ」
「すっぴんだから!」
啓介が一瞬黙る。
「……だから何だよ」
「だから嫌なの!」
「知らねえよ」
「男の人には分かんないの!」
「昨日の夜も見ただろ」
「昨日は仕方なかったの!」
「今も仕方ねえだろ」
「そうだけど!」
啓介は呆れたようにあかねを見る。
「別に変わんねえじゃん」
「……え?」
思わず。
手を下ろした。
啓介も。
言ってから少し止まった。
「……」
「それって」
あかねがじっと見る。
「何だよ」
「すっぴんでも変じゃないってこと?」
「そう言ってんだろ」
「……」
「何だよ」
「啓介さん」
「あ?」
「そういうこと普通に言えるんだ」
「何がだよ」
「なんか意外」
「朝からうるせえな」
啓介は横を通り過ぎようとする。
その時。
あかねが気づいた。
啓介も。
いつもとは違う。
髪も完全には整っていない。
服もラフ。
赤城で見る啓介でも。
FDの運転席にいる啓介でもない。
「……」
思わず見る。
啓介が気づく。
「今度は何だよ」
「啓介さんも寝起きなんだなって」
「当たり前だろ」
「なんか変な感じ」
「何が?」
「いつも外でしか会わないから」
あかねが笑う。
「普通に家にいるんだね」
「俺を何だと思ってんだよ」
「ずっとFD乗ってる人」
「馬鹿にしてんのか」
「してない」
笑いながら答える。
でも。
本当は。
少し違った。
知らなかった啓介。
ただそれだけなのに。
少し。
胸が落ち着かなかった。
*
「あら、起きたの?」
声。
二人が振り返る。
母親だった。
「おはようございます」
あかねが慌てて頭を下げる。
「よく眠れた?」
「はい。ありがとうございました」
「よかった。もう少ししたら朝ご飯だから、食べていってね」
「あ、でも……」
「遠慮しなくていいのよ」
「……ありがとうございます」
断るのもかえって失礼だ。
そう思って。
あかねは素直に頷いた。
「じゃあ着替えてきます」
「そのままでもいいのに」
「いや、それはちょっと……」
母親が笑う。
そして。
あかねの服を見る。
「それ、啓介の?」
「……はい」
「へえ」
「母さん」
啓介が嫌そうな声を出す。
「何よ」
「変な意味で言うなよ」
「何も言ってないじゃない」
「顔が言ってんだよ」
あかねは。
急にまた恥ずかしくなった。
「着替えてきます!」
逃げるように客間へ戻った。
その後ろで。
母親の笑い声が聞こえた。
*
着替えて。
最低限、髪を整える。
昨日の服。
化粧はできない。
仕方がない。
リビングへ行くと。
すでに啓介が座っていた。
そして。
少し遅れて。
「おはよう」
涼介が入ってきた。
「おはようございます」
あかねが答える。
涼介の視線があかねへ向く。
「眠れたか?」
「はい」
「そうか」
いつもと同じ。
落ち着いた声。
でも。
やっぱり。
赤城で見る涼介とは少し違う。
家の中にいる。
それだけで。
距離が近く感じる。
「何だ?」
「え?」
「また見ていたから」
「あ……」
また。
気づかれた。
「涼介さんも普通に朝ご飯食べるんだなと思って」
「……?」
涼介が僅かに眉を上げる。
啓介が横から笑う。
「こいつ、さっき俺にも似たようなこと言ってたぞ」
「だって変な感じなんだもん」
「何がだ」
「いつも二人とも赤城にいるから」
涼介が少し笑う。
「俺たちも家では普通だ」
「ですよね」
「当たり前だろ」
啓介が呆れる。
あかねも笑った。
*
朝食。
高橋家の食卓に。
あかねがいる。
それだけで。
不思議だった。
「大学は今日は休み?」
母親に聞かれる。
「はい。土曜日なので」
「一人暮らしなんでしょう?」
「はい」
「ご両親、心配してるんじゃない?」
「多分……」
そこで。
あかねの箸が止まった。
「……あ」
啓介が見る。
「何だよ」
「お父さん」
「親父?」
「私のお父さん!」
完全に忘れていた。
FC。
修理。
そして。
修理代。
「……言わなきゃ」
涼介があかねを見る。
「車のことか」
「はい」
一気に気が重くなる。
「絶対怒られる……」
啓介が笑う。
「何でだよ」
「だってFC壊したなんて言ったら」
「お前が壊したって決まったわけじゃねえだろ」
「でも……」
「普通に故障しただけかもしれない」
涼介も言う。
「まず原因を確認してからでもいい」
「でも修理するなら、どっちにしろ言わないと」
あかねは小さくため息をつく。
「私、そんなにお金ないし」
啓介が箸を止める。
「維持費どうしてんだ?」
「ガソリンとかオイルとかは自分で払ってるよ」
「バイト?」
「うん」
「タイヤは?」
「……最近高いなと思ってる」
「高いなじゃねえよ」
「だって高いんだもん」
啓介が呆れる。
「走るってのは金かかんだよ」
「最近分かってきた」
「遅えよ」
涼介が口を開く。
「今回の修理は、金額が分かってから考えればいい」
「はい」
「それと」
「?」
「走ることを続けるなら、車の維持にいくらかかるのか一度きちんと計算した方がいい」
「……はい」
正論。
あかねは少し小さくなる。
その様子を見て。
啓介が言った。
「まあ、最初から全部分かってる奴なんていねえよ」
あかねが顔を上げる。
「啓介さんでも?」
「俺は知ってた」
「何それ」
「俺を一緒にすんな」
「せっかくちょっと優しいと思ったのに」
「知らねえよ」
いつもの調子。
少しだけ。
気が楽になった。
*
朝食の後。
あかねは携帯電話を手に庭へ出た。
父親へ電話する。
番号を押す。
呼び出し音。
「……」
緊張する。
数回。
『もしもし』
「……もしもし、お父さん?」
『どうした』
「今、大丈夫?」
『大丈夫だけど』
「えっと……」
言えない。
『何だ』
「FCなんだけど」
『事故ったのか?』
「事故ってない!」
思わず大声になる。
家の中。
窓際にいた啓介がこちらを見る。
あかねは少し離れた。
「事故じゃない。故障したの」
『故障?』
「うん」
『どこで?』
「……」
来た。
「群馬」
『群馬に住んでるんだから当たり前だろ。どこだよ』
「……山」
『山?』
「うん」
『何で車で山にいるんだ?』
「……」
答えられない。
『あかね?』
「ちょっとドライブ」
『昼間に?』
「……」
『お前、何してるんだ?』
「何もしてない!」
『何もしてなくて車壊れるのか?』
「車は何もしてなくても壊れるでしょ!」
『買ってまだそんなに経ってないだろ』
「中古だもん!」
言い返して。
自分でも苦しいと思った。
『で、今どこにいる』
「……知り合いの家」
『誰の?』
「……友達」
『女の子か?』
「……」
沈黙。
『あかね』
「男の人だけど」
『は?』
まずい。
「違う! 二人だけじゃない! 家族もいる!」
『どういうことだ』
「車が動かなくなって、夜遅かったから泊めてもらっただけ!」
『お前な――』
「ちゃんとした人だから!」
『そういう問題じゃない』
「分かってる!」
庭先。
あかねが頭を抱える。
家の中。
啓介が笑っているのが見えた。
睨む。
啓介は余計に笑う。
『修理代は?』
「まだ分かんない」
『見てもらったのか?』
「これから」
『分かったら連絡しろ』
「……うん」
『払えるのか?』
「……多分無理」
正直に答えた。
父親がため息をつく。
『金額聞いてからだ』
「……はい」
『あと』
「何?」
『夜に山で何してるのか、今度ちゃんと聞くからな』
「……」
切りたい。
「じゃあまた連絡するね!」
『おい――』
通話終了。
「……」
あかねは携帯を見つめる。
「終わった……」
「何が?」
真後ろ。
「わっ!」
振り返る。
啓介。
「いつからいたの!?」
「途中から」
「聞いてた?」
「山で何してんだってとこは」
「最悪!」
啓介が笑う。
「ドライブだってよ」
「他に何て言えばいいの!」
「走ってますって言えよ」
「言えるわけないでしょ!」
「いつかバレんだろ」
その言葉に。
あかねが止まる。
「……やっぱり?」
「そりゃな」
啓介は少し真面目になる。
「金もかかる。タイヤも減る。車だって傷む」
「……」
「ずっと普通に乗ってるだけってのは無理あるだろ」
「そっか……」
あかねは赤城の方向を見る。
走る。
ただ楽しいから。
速くなりたいから。
それだけで始めた。
でも。
続けるなら。
色々なものが必要になる。
「バイト増やそうかな」
「大学疎かにすんなよ」
「分かってる」
「走るために生活ぶっ壊したら意味ねえだろ」
あかねが啓介を見る。
「……啓介さん、ちゃんとしたこと言うね」
「喧嘩売ってんのか」
「褒めたの」
「聞こえねえよ」
あかねが笑った。
*
朝食を終えて。
あかねは荷物をまとめた。
借りた服も畳む。
「ありがとうございました」
母親へ頭を下げる。
「またいつでもいらっしゃい」
「母さん」
啓介がすぐ反応する。
「何よ」
「また車壊せって言ってるみてえだろ」
「そういう意味じゃないわよ」
あかねが笑う。
「次は壊さず来ます」
「お前も来る気なのかよ」
「冗談だよ」
「分かりづれえ」
そして。
三人で外へ出る。
あかねは当然。
そのまま帰るつもりだった。
「じゃあ、私――」
「何言ってんだ」
啓介が遮る。
「え?」
「赤城に置いてきたFC見に行くぞ」
「今から?」
「当たり前だろ」
啓介は黄色いFDのキーを出す。
「自分の車だろ」
「でも私が行っても何もできないよ?」
「だからって人任せにすんな」
「……」
「原因くらい自分で聞け」
あかねは少し黙って。
「……はい」
素直に頷いた。
涼介も白いFCへ向かう。
「兄貴も来るの?」
「ああ」
「二台で?」
「その方がいいだろう」
「なんで?」
あかねが尋ねる。
涼介が答える。
「FCを修理へ出した後、君を家まで送る車が必要になる」
「あ」
確かに。
「じゃあ私、啓介さんのFD?」
「今はな」
「帰りは?」
一瞬。
兄弟の間に。
妙な間があった。
先に答えたのは。
涼介だった。
「俺が送る」
あかねが涼介を見る。
「いいんですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
啓介は。
何も言わなかった。
ただ。
黄色いFDのドアを開ける音が。
いつもより。
少しだけ。
強かった。
*
再び赤城。
昨夜と同じ場所。
赤いFCは。
静かに停まっていた。
あかねが近づく。
「……」
昨日までは。
走るための車だった。
でも。
今見ると。
少し違って見える。
父親に買ってもらった車。
自分が何も知らず。
見た目だけで選んだ車。
それが。
今では。
ここへ来るために欠かせないものになった。
「壊しちゃったのかな……」
小さく呟く。
「まだ決まってねえって」
隣に啓介。
「うん」
「ちゃんと直して、また走ればいい」
あかねがFCを見る。
「高かったらどうしよう」
「その時考えろ」
「簡単に言うなあ」
「考える前から落ち込んでどうすんだよ」
「……それもそうか」
少し離れた場所から。
涼介が二人を見る。
あかねの隣に立つ啓介。
いつの間にか。
自然な光景になっている。
そして。
それを見た自分が。
何を感じたのか。
涼介には。
もう。
以前より分かっていた。
*
その後。
赤いFCは修理工場へ運ばれることになった。
その場ですぐ金額は出ない。
詳しく調べてから連絡をもらう。
それで決まった。
「じゃあ……帰る…」
あかねが言う。
「そうだな」
啓介が答える。
しかし。
あかねが向かったのは。
白いFC。
助手席。
ドアを開ける。
「よろしくお願いします、涼介さん」
「ああ」
涼介が運転席へ乗る。
啓介は黄色いFDのそばから。
その様子を見る。
「……」
昨夜。
自分の服を着ていた。
今朝。
寝起きの顔を見た。
一緒に朝飯を食った。
ついさっきまで。
自分のFDの助手席にいた。
なのに。
今は。
兄貴のFCの助手席。
「……何なんだよ」
小さく呟く。
黄色いFDのドアを開ける。
一方。
白いFCの中。
あかねはシートベルトを締めた。
「じゃあ行くぞ」
「はい」
白いFCが走り出す。
赤城を離れ。
あかねの家へ向かう。
二人きり。
昨夜とは違う。
今度は。
しばらく。
逃げ場のない助手席。
あかねは窓の外を見る。
そして。
運転席の涼介を。
ほんの一瞬だけ。
横目で見た。
その視線に。
涼介はまだ。
気づかないふりをしていた。