零の世界



応える言葉が見つからずに微笑を返したが果たして上手く笑えていただろうか。

美味しそうにハンバーグを頬張るクレイジーを眺めていると理想郷なるものを目指すべきではないのではないかと揺らぎそうになる。事実、あれだけの傷を負わせることになってしまうのならこうした何の変哲も無い日常こそ優先するべきなのではなかろうか。


……そう。行き交う人々に紛れて。

普通の人間と一片の区別もつかないような――


「あっ」

金属音が響いた。

弟が誤ってスプーンを落としてしまったのだ。

「全くお前はそそっかしいな」

小さく曖昧な笑みをこぼして椅子に座ったまま腰を曲げて右手を伸ばす。

「別にそんなこと」


はたと。


時が止まったのだ。正しくはそのような感覚に陥っただけで弟とテーブルの下で視線を交えていたというだけの話だったのだが。

……しかし。

「ほら」

見落としてなどはいない。

「あっありがとう」

今。弟は確かに。

無いはずの右腕を伸ばそうとして――
 
 
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