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一番目

診療所からさほど離れていない場所に、石田がこれから住む家はある

大きな平屋の一軒家で5LDKという、立派な日本家屋なのに、家賃3万円と格安だった

荷物を全て運んでも、空きの部屋が出来てしまう程

一部屋に荷物を置いて一呼吸置くと、石田は片付けの気合いを入れる

同時に呼び鈴が鳴り響き、先程の気合いが空振りしてしまう

「どちら様……」

玄関を開けると、立っていたのは石田の近所に住む人達

皆、にこやかに石田に挨拶する

「片付け大変だと思って、手伝いにな」

「いえ、そんな…お構いなく」

「今から私らも、何かとお世話になるだろうから。気になさらず」

ご近所さん達の厚意に、石田は甘える事にした

荷解きはものの1時間ほとで終わり、掃除の手伝いもしてくれた

おかげで夕方になった頃は、生活感の溢れる空間になっていた

「どうも、ありがとうございました」

「ご飯、まだでしょ?後で差し入れ持ってくるからね」

二軒隣の主婦をしている風見がそう言って家を後にする

次々と近所の人達が帰っていき、石田一人になると、広すぎる家は静まり返った

落ち着いた所で、汗をかいている事に気付き、石田はいつもより重くなった体を動かして風呂に入り、疲れた体を癒す

台所に設置したばかりの冷蔵庫から、冷えた麦茶を取り出して、飲んだ時携帯が鳴り響く

見ると、知らない番号からだった

「はい」

「石田先生。急患です」

電話の主は、診療所で会った看護師だった

急いで身支度をして、家を飛び出す

診療所に着いた時は、背中が汗で湿っていた

勢いよく診察室に飛び込むと、ベッドに横たわる患者に九条が跨り、心臓マッサージをしている

「え…」

心臓マッサージをされているのは、昼間診察に来ていたあの気難しい老人だった

「遅いっ」

心臓マッサージをしている手を止めず、九条は振り向きざまに石田を怒鳴る

「昼間まで、元気だったのに…」

「心筋梗塞だ。あの後、畑の作業に出かけた先で、倒れていたらしい。ここに来た時は既に心停止していた。急げ」

「は、はい」

看護師が電気ショックを準備して電源を入れ、石田に渡す

低い電圧を流し、スタンバイすると、九条は老人から離れる

「下がって」

老人の胸に除細動器を当てると、電流が流れて老人の体がびくりと跳ねる

モニターを見るが、心臓は動かない

「もう一度、いきます」

電圧を上げ、もう一度除細動器を胸に当てる

「強心剤、追加でいれろ」

そう言って九条は再び、心臓マッサージを再開する

看護師が手際よく、点滴から強心剤を投与して間もなく、脈伯が戻ったのをモニターが示していた

「心拍、戻りました」

九条が心臓マッサージを止め、荒くなった息を整える

しばらくすると意識が戻り、会話が出来るようになるまで回復した

「しばらく入院だな。病室の空きはあるか?」

「大丈夫です。落ち着いたら、移動します」

点滴を調節しながら、看護師が答えた

除細動器を片付け、石田は九条と共に待合室を訪れる

待合室には奥さんと、老人を運んできた中年の男性が、蒼白な顔つきのまま椅子に座っていた

「意識が戻った。もう心配ない」

「ああ、良かった。ありがとうございます」

奥さんは涙を流し、九条に向かって頭を下げ、運んだ男性も安堵のため息をついて、脱力した

念の為、一週間の入院をすると説明し、男性に奥さんを送るよう伝えて、二人は診療所を後にする

「高血圧、高脂血症、プラス煙草を吸い、酒を飲む。心筋梗塞を起こすには十分な要素だな」

「分かってたんですか」

「あの手の性格は、薬を飲むのさえも拒む。きっと…処方された薬も、私の前じゃ飲むと言って、ろくに飲まなかったんだろう。だから、警戒していたんだ」

血液検査の結果報告の紙を、九条から受け取り数値を見てみると、確かに血圧の数値が高く、血管の状態も悪い

いつ心臓が止まってもおかしくない状況だった

安堵すると、一気に疲れが押し寄せ、思わずまちあのソファーに座り込む

「お呼びしてすみません。慣れない環境で疲れてるのに」

看護師が紙コップに麦茶を差し出してくれた

乾いた喉に染み渡る水分をありがたく頂いた

「私、橘 梨花。診療所で看護師をしてます」

挨拶が遅くなりごめんなさい、と看護師はにこりと笑う

診察室へ戻ると九条は、先程の患者のカルテを作成している所だった

「ERにいた経験は?」

カルテをある程度作成した所で、九条は石田の方を向く

首を振ると、九条はやっぱりとため息をついて睨む

「大学病院では、外科を専門としてました」

「あんたの腕じゃ、どうせ助手止まりだったんだろうな」

図星を突かれ、何も返せず苦笑いしか出来ない

大学病院では外科の外来と、たまにある手術の助手ばかりやっていた

急患の出る救急外来は、当直の際に先輩の医者と一緒に患者の処置をするくらい

あまり経験があるとはいえなかった

「ま、ここじゃ急患が来るのは当たり前。いつでも診療所に来れるような体勢にしてて」

「はい…」

返事を見た九条は手を振ってカルテを橘に渡す

ひと段落したのか、椅子にもたれて背伸びをする

「2時か……」

時計は午前2時を少し回った所だった

処置をしていた時間が、早く感じたせいか、そこまで時間が過ぎているとは思わなかった

「診療所には、正確な開院時間がない。明日は早めに来るように」

「分かりました」

「今日はもう帰って休め。私はもう少し書類を片付ける」

石田は、九条に頭を下げて診察室を出る

受付の場所には橘が座っており、帰る事を伝えて診療所を後にした

石田が帰った後、橘は診察室に入り書類の整理をしていた九条の肩を叩く

「石田先生、大丈夫ですかね」

「ここで使えるかどうかは、2ヶ月後に判断する予定だ。猪俣教授から、丁寧にしごけと言われてる」

「あの人のしごけはやり方酷いですよ?まあ、九条先生のやり方もえげつないですけど」

「褒め言葉だね」

「もう……」

ペンを置いて、九条はコーヒーを少し飲んでから口を開く

「明日になれば、大学病院で働いていた時が、いかに有意義だったのか…身を持って知るだろうね」

怪しい笑みを浮かべる九条に、橘は幸先悪いスタートに肩を落とした






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