一番目
診療所は、離島の中にあるモノとは言えない程
設備が整っていた
CTやレントゲンはもちろん、MRIに手術室まで、大学病院と変わらない
ゆっくりと設備や診療所の配置を見て行き、最後に診察室に入る
椅子に座る白衣を着ている、華奢な医者が診断書に何かを書き込み、苛ついた様子でペンを机に置く
丁度、難しい顔をしている年老いた男性が、診察を受けていた
「先週出した薬…飲んでないでしょ」
「ただの風邪だ。ほっときゃ治る」
頑固な高齢者が、病院や薬を嫌うのは、珍しくない光景だ
横を向き、医者の話を聞かない姿勢に、思わず声を掛けるタイミングを失ってしまう
すると椅子に座る華奢な医者は、ペンを診断書の横に置き直し、手を上に上げる
次の瞬間、机を思い切り叩いた
大きな音が診察室に響き、横を向いていた老人は目を丸くして、ようやく医者のほうを向く
「咳も酷いし痰もでてる。このまま薬を飲まないと、肺炎を併発する。老人の死亡で一番、厄介なのは肺炎。これ以上……奥さんを困らせるんなら、後ろに控えてる看護師に押さえ付けてもらっても、注射打つよ」
「……」
老人が後ろを振り向くと、後ろで仁王立ちしている看護師が、注射を手にスタンバイしていた
低い声で、捲し立てるように老人に詰め寄る姿に、流石の頑固者も折れたのか、小さく舌打ちをして頷く
「1日3回、食後に飲むこと。薬飲んだら極力、運転しないこと。1週間経ったらまた来ること。来なかったら家に行くからね」
「……わかったっ」
絞り出すような声で、返事をした老人はバツの悪そうに診察室を出て行った
仁王立ちしている看護師に、診断書を渡して華奢な医者はため息をつく
「血圧上がるような事言っちゃって」
看護師が、肩を竦めながら診断書を薬局に届けに出て行く
声を掛けるタイミングを失った石田は、医者の後ろで身動きが取れずにいた
すぐに感情的になる医者は、石田の最も苦手とする人物像の一つだ
「あ、あのう……」
控えめに声を掛けてみるが、医者は振り向く事無く、次の診断書に目を通している
-無視を、されている……
何と言っていいか分からず、しばらく医者の後ろで突っ立っていると、薬局に診断書を持って行った看護師が戻って来た
石田と目が合うと、あっと声を上げる
「今日からウチに来るお医者さん?」
「あ、はい……石田といいます。あの、九条先生は……あの人ですよね」
「ええ、九条先生はこの人ですけど。後ろに立ってちゃダメですよ」
「……?」
看護師の言っている意味が理解できず、首を傾げると、看護師が手招きする
仕方なく医者の横を通り、看護師の前に来るとようやく診断書から顔を上げて、石田に気付く
「誰、あんた」
「もう、今日から新しいお医者さんが来るって猪俣さんが言ってたでしょ」
「あぁ、現場で行き詰まった医者が来るって言ってたな」
ストレートな言葉しか選ばない猪俣の言いそうな事だと、石田は苦笑いを浮かべる
椅子に座る医者が、顔を上げた
切れ長な目に薄い唇、長い黒髪をひとつに纏めた白衣の医者は、美形の言葉が良く似合う人だった
「使い者になるの?」
「もう、九条先生。言葉が悪い」
「ここで使えるのかって聞いてるんだ」
石田に向けられた言葉に、返す言葉が浮かばない
黙っていると、隣に居る看護師が耳打ちする
「ごめんなさい。根は良いんですけど…」
「あ、いえ……本当の事ですから」
小声で返していると、睨まれてしまった
「おい、読唇できないだろ。正面向いて話せ」
「あ、すみません」
とっさに頭を下げた所で、石田は顔を上げた
-今、読唇って言った……?
目を見開いていると、看護師が首を傾げる
「あれ、猪俣さんから聞いてないんですか?」
「猪俣教授はいつも大事な事を言わないからな」
猪俣のやり口に慣れているのか、石田の反応に慣れているのか、ため息をつかれてしまう
「私は耳が聴こえないんだ」
「え、……」
突然の事で頭が上手くついていかない
今まで出会ってきた医者は数多く居るが、聴覚障害を持った医者など、聞いた事がなかった
「あのジジイ、薬を飲まないかもしれないから、奥さんと連携よろしく」
「分かりました」
驚きで固まってる石田を他所に、さっさと仕事を進める
「あの、耳が聴こえないって……」
「聞こえなかったのか?」
「あ、いえ、聞こえてましたけど……」
「なんだ。言いたい事は簡潔に言え。私は忙しいんだ」
「聴覚障害はいつからです?」
そう質問した所で、ニヤリと九条の口元が上がる
「一応、医者としての目はしてるんだな」
「え……?」
「生まれつきの聴覚障害なら、言葉は上手く話せない。でも私は、流暢に話している。何故か。生まれつきの聴覚障害じゃないからだ」
「じゃあ……膠原病が、原因ですか」
「んーそれも持病ではあるが、八割正解ってとこかな。私はそれに高熱が併発して聴覚を失ったってワケ。だからあの爺さんとも、横を向いた状態で話せなかったんだ」
「あ……」
あの時-机を大きく叩いたのは、苛ついたからではなく、読唇できるように正面を向かせたかったから
横向きだと正確な読唇は出来ず、誤解を生む原因にもなり得ない
難しい性格の老人を相手にするなら、面と向かって話す必要がある
そう判断した九条の、咄嗟の判断だった
-この人となら……
患者を第一に考え、命を救うことを優先とする
この人となら
医者としての在り方を、見つけられるかもしれない
ここで医者として働ける事に対する思いを、改めて確認できた気がした
「いい顔してるね。石田先生」
九条が石田の表情を見て、薄らと笑う
切れ長な目が細くなり、笑った顔も美人だ
「言っとくが、私なりに医者としてやって行けるか、厳しく見る。ダメならすぐに追い出すからな」
「…っよろしくお願いします!」
感情が昂ってしまい、大声が出てしまった
初々しいねえと、後ろの待合室に居るおばあさんがにこやかに笑う
「ようこそ、離島の診療所へ」
・
設備が整っていた
CTやレントゲンはもちろん、MRIに手術室まで、大学病院と変わらない
ゆっくりと設備や診療所の配置を見て行き、最後に診察室に入る
椅子に座る白衣を着ている、華奢な医者が診断書に何かを書き込み、苛ついた様子でペンを机に置く
丁度、難しい顔をしている年老いた男性が、診察を受けていた
「先週出した薬…飲んでないでしょ」
「ただの風邪だ。ほっときゃ治る」
頑固な高齢者が、病院や薬を嫌うのは、珍しくない光景だ
横を向き、医者の話を聞かない姿勢に、思わず声を掛けるタイミングを失ってしまう
すると椅子に座る華奢な医者は、ペンを診断書の横に置き直し、手を上に上げる
次の瞬間、机を思い切り叩いた
大きな音が診察室に響き、横を向いていた老人は目を丸くして、ようやく医者のほうを向く
「咳も酷いし痰もでてる。このまま薬を飲まないと、肺炎を併発する。老人の死亡で一番、厄介なのは肺炎。これ以上……奥さんを困らせるんなら、後ろに控えてる看護師に押さえ付けてもらっても、注射打つよ」
「……」
老人が後ろを振り向くと、後ろで仁王立ちしている看護師が、注射を手にスタンバイしていた
低い声で、捲し立てるように老人に詰め寄る姿に、流石の頑固者も折れたのか、小さく舌打ちをして頷く
「1日3回、食後に飲むこと。薬飲んだら極力、運転しないこと。1週間経ったらまた来ること。来なかったら家に行くからね」
「……わかったっ」
絞り出すような声で、返事をした老人はバツの悪そうに診察室を出て行った
仁王立ちしている看護師に、診断書を渡して華奢な医者はため息をつく
「血圧上がるような事言っちゃって」
看護師が、肩を竦めながら診断書を薬局に届けに出て行く
声を掛けるタイミングを失った石田は、医者の後ろで身動きが取れずにいた
すぐに感情的になる医者は、石田の最も苦手とする人物像の一つだ
「あ、あのう……」
控えめに声を掛けてみるが、医者は振り向く事無く、次の診断書に目を通している
-無視を、されている……
何と言っていいか分からず、しばらく医者の後ろで突っ立っていると、薬局に診断書を持って行った看護師が戻って来た
石田と目が合うと、あっと声を上げる
「今日からウチに来るお医者さん?」
「あ、はい……石田といいます。あの、九条先生は……あの人ですよね」
「ええ、九条先生はこの人ですけど。後ろに立ってちゃダメですよ」
「……?」
看護師の言っている意味が理解できず、首を傾げると、看護師が手招きする
仕方なく医者の横を通り、看護師の前に来るとようやく診断書から顔を上げて、石田に気付く
「誰、あんた」
「もう、今日から新しいお医者さんが来るって猪俣さんが言ってたでしょ」
「あぁ、現場で行き詰まった医者が来るって言ってたな」
ストレートな言葉しか選ばない猪俣の言いそうな事だと、石田は苦笑いを浮かべる
椅子に座る医者が、顔を上げた
切れ長な目に薄い唇、長い黒髪をひとつに纏めた白衣の医者は、美形の言葉が良く似合う人だった
「使い者になるの?」
「もう、九条先生。言葉が悪い」
「ここで使えるのかって聞いてるんだ」
石田に向けられた言葉に、返す言葉が浮かばない
黙っていると、隣に居る看護師が耳打ちする
「ごめんなさい。根は良いんですけど…」
「あ、いえ……本当の事ですから」
小声で返していると、睨まれてしまった
「おい、読唇できないだろ。正面向いて話せ」
「あ、すみません」
とっさに頭を下げた所で、石田は顔を上げた
-今、読唇って言った……?
目を見開いていると、看護師が首を傾げる
「あれ、猪俣さんから聞いてないんですか?」
「猪俣教授はいつも大事な事を言わないからな」
猪俣のやり口に慣れているのか、石田の反応に慣れているのか、ため息をつかれてしまう
「私は耳が聴こえないんだ」
「え、……」
突然の事で頭が上手くついていかない
今まで出会ってきた医者は数多く居るが、聴覚障害を持った医者など、聞いた事がなかった
「あのジジイ、薬を飲まないかもしれないから、奥さんと連携よろしく」
「分かりました」
驚きで固まってる石田を他所に、さっさと仕事を進める
「あの、耳が聴こえないって……」
「聞こえなかったのか?」
「あ、いえ、聞こえてましたけど……」
「なんだ。言いたい事は簡潔に言え。私は忙しいんだ」
「聴覚障害はいつからです?」
そう質問した所で、ニヤリと九条の口元が上がる
「一応、医者としての目はしてるんだな」
「え……?」
「生まれつきの聴覚障害なら、言葉は上手く話せない。でも私は、流暢に話している。何故か。生まれつきの聴覚障害じゃないからだ」
「じゃあ……膠原病が、原因ですか」
「んーそれも持病ではあるが、八割正解ってとこかな。私はそれに高熱が併発して聴覚を失ったってワケ。だからあの爺さんとも、横を向いた状態で話せなかったんだ」
「あ……」
あの時-机を大きく叩いたのは、苛ついたからではなく、読唇できるように正面を向かせたかったから
横向きだと正確な読唇は出来ず、誤解を生む原因にもなり得ない
難しい性格の老人を相手にするなら、面と向かって話す必要がある
そう判断した九条の、咄嗟の判断だった
-この人となら……
患者を第一に考え、命を救うことを優先とする
この人となら
医者としての在り方を、見つけられるかもしれない
ここで医者として働ける事に対する思いを、改めて確認できた気がした
「いい顔してるね。石田先生」
九条が石田の表情を見て、薄らと笑う
切れ長な目が細くなり、笑った顔も美人だ
「言っとくが、私なりに医者としてやって行けるか、厳しく見る。ダメならすぐに追い出すからな」
「…っよろしくお願いします!」
感情が昂ってしまい、大声が出てしまった
初々しいねえと、後ろの待合室に居るおばあさんがにこやかに笑う
「ようこそ、離島の診療所へ」
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