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一番目

猪俣教授から紹介された離島の診療所は、大学病院の援助もあり、設備は一通り揃っているらしい

手続きも終え、荷物をまとめる

トラックに詰めて業者を見送った後、空になった部屋に戻ると、真ん中で寝そべり、天井を見つめた

ここでの生活もいよいよ終わり

しばらくは、何も知らない土地で、医者としてやって行く

不安もあるが、大自然に囲まれた中での診療所は、どのようなものかと好奇心をくすぐられている自分がいた

遠足を待ちきれない子供のように、眠れない夜を過ごす事になりそうだ

母親に異動の話をした時は、電話口で心配をかけてしまった

声で疲労が重なっているのかと、母親のカンを当てられ、幾つになっても敵わないと笑ってしまう

次の日は大きな旅行鞄を一つ持って移動を始めた

非番の同期が駆けつけてくれ、空港で別れを告げる

飛行機の搭乗手続きをした所で、猪俣教授からメールが届く

«何か手助けが必要だと思ったら、連絡するように»

「短いなあ」

あまり余計な事を言わず、ストレートに物を言う猪俣教授にとっては、何より激励の言葉だった

飛行機に乗り二時間後、到着した離島は、海に囲まれた静かな場所

猪俣から渡されたメモを見ながら、空港内を歩いていると、肩を叩かれた

「大学病院から配属された、お医者さん?」

中肉中背で眼鏡をかけた男が、にこやかな表情で尋ね、頷くと歓迎された

空港からは車で診療所まで送ると言われ、甘える事になり、白いワゴンに乗り込む

男は診療所の近くに住む、浅生田と名乗った

「ここには一つしか診療所がなくて、お医者さんも一人しか居ないもんだから、助かります」

海岸沿いを車で走りながら、嬉しそうに浅生田は口を開く

離島の特徴や主に育つ作物、人口の7割は高齢者で子供は僅か12人

移動販売のトラックがあり、1日に三度、食材や日用品を扱っているらしい

バスはなく、運転できる大人が車を出しているのが現状で、農家が大半を占めている

「僕は、役に立つんでしょうか…」

潮の香りを乗せた風に目を細めながら、独り言のように呟くと、浅生田は苦笑いを浮かべる

それが何を意味しているのか、すぐに理解できた

猪俣教授から渡された茶封筒

診療所で働いている医者の情報が載せられていた

都内の大学で医学の全範囲を学び、首席で卒業

医師免許を取得した後は、猪俣教授の元で働き
実力は同期も追いつかない程

大学病院で経験を積み、キャリアをモノにしたと思ったら、急にこの離島に診療所を作って、大学病院はさっさと辞めた

そんな天才的な医者がいるらしい診療所で、果たして釣り合うのか

地獄だった大学病院から離れ、離島で生活する嬉しさとは裏腹に、不安も出ている

「医者として……僕は、」

「少なくとも、私は必要としてます。あなたのようなお医者さんを」

真っ直ぐ前を見据えて、浅生田は笑う

「私らは医学の知識がない。だからこそ、家族や大切な人が、命の危機に瀕した時は、あなたのようなお医者さんに助けて欲しい。島の皆も、そう思ってるはずです」

車がとまる

少し古びた白い建物が、目の前にあった

車を降りて、荷物を手にする

『九条診療所』

達筆な文字で書かれた看板と、歓迎の為に集まった子供達が立っていた

「離島の診療所へようこそ。若いお医者さん」

子供達を見守るように立っていた、年老いた女性が目尻に皺を寄せる

知らない風が、肌を撫でたような気がした

自然と背筋が伸び、荷物を持ったまま、深々と頭を下げる

「石田 浩史です。今日からお世話になります」






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