錆びない青。
ヒロイン名
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梅雨には珍しく、ぱっきり晴れた日の午後。
夜陣のクラス、A組では壇上にふたりの男女が立ち、女の方は黒板に何やら書いていた。
男の方はかなりガタイがよい。
男が口を開いた。
「今日の体育は来たる六月に行われる体育祭についての話し合いを行いたい。そのためにこの一時間は体育委員であるオレ、柏手 柏手が預かった。体育祭は知っての通りクラスを縦割りにした対抗制だ。うちの2Aクラスは1A、3Aと組んで、B〜Dまでで編成された他三チームと優勝の座を奪い合うこととなる。前半で種目を決め、後半を使って作戦会議をしたいが良いか」
壇上に立つのに慣れていなさそうな様子で男がメモを見ながら話す。
「いいでーす」
皆が返事した。
ちょうど女の方が書き終わったようだ。
柏手は女が書いていたものを指し示して言った。
「今種目の一覧を書いてもらった。適材適所といきたいところだが、やる気も尊重したい。立候補制にして、立候補がなかった種目は他薦にしたいと思うが、他に決め方の案がある者はいるか」
いなかった。
「ちなみにひとりニ種目は必須だ。
ではまず、花形百メートル走から――……」
簡単なものから、次々と出場種目が決まっていく。
ミオは近くに座っていた夜陣に何となく尋ねた。
「夜陣くんは立候補しないの?」
「ふむ、オレは知っての通り、超万能型。運動とて、例外ではない。よって種目は選ばない。空いた種目に穴埋め的に配置してくれれば構わない」
それを体育委員柏手は聞き逃さなかった。
「そうか、夜陣。協力、感謝する。ではお前はキャタピラーレースで頼む」
「?! 何だそれは?」
ミオがくすくす笑いながら説明した。
「夜陣くん、種目の説明読んでなかったの? ダンボールでキャタピラーを作って四つん這いになって進む競技よ。腕と脚の筋肉がかなめの競技ね」
「四つん這い?! かっこ悪いじゃねーか!」
夜陣はイスを反っくり返らせて騒ぎ出した。
柏手は眼光鋭く夜陣を睨んだ。
「夜陣、前言撤回か? その方がはるかにかっこ悪いとオレは考えるが」
「分かったよ……やるよ」
夜陣は体育委員の男、柏手には強く出れないようで、イスに反っくり返ったまま、しぶしぶ頷いた。
立候補がない場合他薦ということだったが、全員最低二種目選択しなければならなかったため、それなりにちゃんと決まっていった。
しかし……。
「残った種目は五十メートル自由形と、五十メートルバタフライにメドレーリレー……どれも水泳だな。いまだ一種目も立候補がないのは、出蔵レーレのみだが……」
レーレはDTM部以外の前ではいまだしゃべらず、寡黙の才女のキャラクターを演じていた。
体育委員の司会、柏手はレーレをチラ見しながら、明らかに困っていた。
ミオが助け舟を出す。
「レーレちゃんは、確か水泳がすごく得意だったよね? やってもらえるかな?」
無表情にこくりと頷くレーレ。
「ありがとう!レーレちゃん! 頑張ろうね!」
またこくりと頷くレーレ。
夜陣はそんなレーレとミオを肘を付きながら横目で見ていた。
体育委員はおとなしい才女に皆が嫌がる水泳を押し付ければならない状況で、レーレが水泳が得意らしい、という情報が出てきたので、安心したようだった。
「全種目が決まったから、次は応援合戦について話し合う。本番の持ち時間は十分。前半で自軍の応援歌を披露し、後半はくじで選んだ敵の一チームにエールを送る構成になっている。応援合戦はただの鼓舞ではなく、競技のひとつとして数えられている。具体的には投票権を持つ教師と体育委員の生徒が自軍以外で応援の良かったチームに投票する仕組みだ。前半の自軍応援では毎回、流行歌の替え歌を応援歌として掲げるのが主流になっている。まず、どの流行歌を元にするか決めた後に作詞者を募りたい」
「その元ってオリジナルじゃだめなのか?」
夜陣が質問した。
「オリジナル? 作曲からするということか? ……そうか、夜陣、お前はDTM部だったな。ルール的にはもちろん構わんはずだが、プロの作った流行歌に勝る曲をお前は作れるということだな?」
「そうだ」
「夜陣くん、かっこいいー」
「ミスターの作曲なら、期待できるね」
クラスメートがぽつりぽつり賛同の意を示した。
夜陣は得意げだ。
「なるほど、他クラスが替え歌をつくってくるなか、オリジナルを打ち出して、それが良ければ強い戦力になろう。応援歌の作曲は夜陣に任せることとする。作詞は……」
夜陣が本人だけが気付くくらいさりげなく、ちらっとミオを流し見た。
びくっとなるミオ。
「はっ、はーい、私、やりたいです!」
ミオはすぐに笑顔を取り繕って名乗り出る。他に立候補者もいなかったため、すんなりミオに決まった。
「とりあえずは、これでいい。他のクラスもオリジナルでくるかも知れんがな」
夜陣がこっそり呟いたのは、誰も知らない。
次の体育の時間は何と全校生徒が大体育館に集められ、縦割りで作戦会議をすることになった。
先ほどのクラスでの話し合いに仲間の1A、3Aが加わってくる。
合流した中には1Aの樹がいた。
柏手が話を進める。
「まずは最大配点を持つラスト種目スウェーデンリレーからだ。スウェーデンリレーの走者は四人で構成され、第一走者は百万メートル、第二走者は二百メートル、第三走者は三百メートル、アンカーは四百メートルを走ることとなる。走る四人は、体育委員のオレと夜陣、一年の樹、三年の強瀬先輩だ。今言ったのは今年の体力測定時の百メートル走の速さ順でもある。だが、このスウェーデンリレーは単純にタイムの速い者から逆に配置していけばいいというものでもない」
「いや、走る距離がちがうなら、タイム逆順でいいだろ?」
日焼けしたランナーといった雰囲気を持つ、三年強瀬がつっこんだ。
夜陣が反論する。
「いや、百メートル走のタイムなんだよな? 一番早い柏手は実は超初速型で、四百メートルはそんなに早くない、という可能性もある。それにオレの考えではアンカーよりトップバッターのほうが大事だ。最初についた差を後から巻き返すのはかなり実力差が要求される」
ふむふむと解説を聞いていた一同だったが、樹が突然目を輝かせて
「オレ持久力自信あります」
と言い出したため、四百メートル走者は樹に。
一番タイムの速い柏手はトップバッターに。
次いで強瀬に短めの二百メートルを走らせ、三百メートルを夜陣が走る作戦になった。
夜陣は他チームの方を強く意識しているようで、
「てかこれ、他チームの走順によってだいぶ有利不利変わってくるな……他チームの練習風景を見て走順を割り出し、その上で考えた方がいいんじゃねーか?」
と面倒そうなことを言い出したが、柏手が、
「姑息! スポーツマンシップにのっとる宣誓に反する」
と一刀両断したため、この走順で決定となった。
夜陣はひとりでぶつぶつ唸った。
「ふむむ。オレの個人的なやり方は手段を選ばないだが、スポーツマンシップに従った場合どうなるか、今回試してみるのも悪くないだろう。だが、それで結果が伴わなかった場合……」
数日後の体育の時間。
やはり、話し合いの続きのため、皆制服のまま、柏手が話していくのを聞いていた。
「次、応援合戦の練習タイムだ。応援団長夜陣に場を預ける。頼んだ」
「応援団長に勝手に決められたのか。まあ、いい。今回オレが夜鍋して作った応援歌はこれだ!」
バーンと譜面をかざす夜陣。
「応援歌たりとて他クラスには負けられんから派手な曲にした」
一斉に配られた譜面を覗き込むクラスメートたち。
「おいおい、オレたちほとんど譜面読めないんだから解説してくれないと……ってええ?!」
「えええ?!!」
騒然とし始める一同。
「譜面読めなくても分かるぜ!! この曲はひとりじゃ誰にも歌えない!」
「でも、大勢なら歌えるな。そういう人との協力が必要だという教えが込められているんじゃないのか?」
夜陣は首を横に振った。
「違うな。個人プレーのオレがそんな気持ち悪いもの込めるか。歌えるやつ、いるんだよなー。この中に、ひとり……」
「だぁれ? 歌姫ミオちゃん?」
「はは、ミオに歌えるなら、オレだって逆立ちして歌えるさ」
ミオは夜陣のあまりの言いようにむくれた。
「もうー、そりゃ、無理だけど。そうやって、挑発するの良くないと思うな、夜陣くん」
ミオは黙ってうつむいているレーレの方を見ている夜陣に言った。
レーレは何のことか分からない、という顔をしていた。
放課後。
DTM部の部室でレーレはキレていた。
「私はDTM部の連中以外に素顔を晒して歌う気はねーよ! ましてや、誰も歌えない応援歌を応援合戦にて歌うわけないだろ! せっかく寡黙キャラ築いてクラスではしゃべらなくても許される温い環境なのに、それを壊す道理はないだろ! 夜陣のばーか」
レーレにキレられても夜陣は全く動じない。
「はい、録音したー、弱みゲッツー」
「何ィ?! 消せ消せぇ!!」
漫才の合間に夜陣はぽつりと言った。
「無理にとは言わん約束だが……なかなか楽しそうに見えるんだがな。歌ってるお前は」
レーレはびっくりしたようだった。
「と……にかく! 私は仮面なしでは歌わないからな!」
その後、話し合いで、曲自体はバリバリの応援歌なので、歌い方だけ、皆で協力して歌うことになった。
体育祭当日。
スタートから夜陣VS龍華の様相となった。
キャタピラーレースでふたりは四つん這いになって走りながらもいがみ合う。
「お前がキャタピラーレースとは意外だぜ、夜陣」
「む、龍華もキャタピラーレースか。お前は別に意外じゃないな、妥当という感じだ」
「うるせー、何でもやるって言ったらこれになっちまったんだよ!」
「……オレと同じじゃねーか……」
結局龍華の方が腕の筋力があったらしく、龍華が先にゴールした。
「けっ、手は大事にしろよ、ピアニスト」
夜陣は悔しそうに吐き捨てたが、龍華は
「これくらい、酷使の内に入らねーよ」
と言い返した。
午前最後の競技、水泳。
水泳部や、肉体派らしき面々が集う中、ひとりだけちんまり&ほっそりとした身体つきのレーレが目立っていた。
そんな中。
「えっ、メドレーリレーの第二走者のコがばっくれ?」
「いや、トップバッターもらしい!」
ざわざわする夜陣たちのクラス。
黒川が意気揚々とやって来た。さすがにスーツは着ていない。黒ジャージに黒スニーカーだ。ラフな印象を与えるジャージ姿のはずが、胸元とヒップが異様にボリュームがあるため、奇跡的にぱつぱつしている。
「おいー、当日無断欠席を二人も出すとは問題児学級だなー。このままじゃ、水泳での最大配点を持つメドレーリレーは失格だな!」
夜陣がすかさず進言する。
「先生、代打を出すことができるはずですが」
黒川は不愉快そうな表情になった。
「知っていたか……。だが、第一走者の担当はバタフライで第二走者の担当は背泳ぎ! ぬるい平泳ぎとかとはワケが違うぞ。代打できるやつはいるのか?」
夜陣はきっぱり答えた。
「ここにいますよ、オレが両方やります」
黒川が切り捨てた。
「認めん! あくまでリレー、第一走者と第二走者連続することはルールに反する」
夜陣はさすがに困ったようだった。
「……水泳は候補者がレーレのみだったはず……、オレ以外もうひとり代打立てるのは、厳しい」
すると夜陣の腕をくわっと掴む者がいた。
「! レーレ……」
レーレは周りに黒川と夜陣しかいないことを確認して言った。
「第一走者は私がやってやる。もちろん、本来のアンカーもやる。リレーにはなってる。問題ないな?黒川先生」
「ああ、走者が連続しなければ問題はないぞ。ただし、お前はリレーで計百メートルと個人で五十メートルを二本を泳ぐことになるがな」
夜陣は焦ったようだった。
「おい、やめとけ……。負担がやばい。そうだ! 柏手に泳がせればいい」
背後から柏手がにゅっと顔を覗かせた。
「それが人に頼む態度か、夜陣」
夜陣は棒読みで頼んだ。
「あ、すみません、柏手体育委員。水泳のリレー、やってもらえますか?」
「無理だ。なぜなら、オレはカナヅチだ!」
どんっと体育委員の威厳を持って言い切る柏手。
夜陣は叫んだ。
「柏手ぇ! 頼み損かよ!」
騒ぐ夜陣の後ろ頭をレーレはばぼんっと叩いて微笑み、口パクした。
「夜陣がDTM以外で燃えてるの、珍しいからちっとは頑張ってやるんだぜ、私」
夜陣は頭を押さえて言った。
「ふむ。確かめたいことがあってな」
「ふふ、どーせろくなことじゃないんだろーな」
柏手はそれを意味深げに眺めていた。
夜陣のクラスの生徒が呼びに来た。
「もう、水泳のリレー始まるぞー!!」
「レディ・ゴー!」
スタートを切ったが、まず飛び出すの自体が一番早いレーレ。
そして、どんどん差を付けていく。
五十メートル泳ぎ切る頃には、二位のクラスと五メートルくらいの差が付いていた。
夜陣はつぶやく。
「約五メートルか……。背泳ぎさえもかっこよく泳いでしまうオレにこの差はふさわしいマージンだな」
レーレとは違い、慎重に飛び出す夜陣。
夜陣はものすごく速かったが、二位のクラス……龍華のクラスだったのだが、の第二走者の体格の良い男が異様に速く、なんと夜陣はラスト十メートルで抜かされてしまう。
「ミスター抜かされたっ!」
興奮して騒ぎ立てる生徒たち。
夜陣は二位で第三走者の体育委員柏手にバトンタッチした。
一位に躍り出たクラスの第三走者は龍華だった。
夜陣は抜かされたことに気付くと叫んだ。
「やられた! 抜かしたのはどいつだ?!」
「オレだよ」
夜陣の背後から響きの良い声がした。
夜陣はげっそりした顔をした。
「なんだ、デブか……」
デブと呼ばれた男子生徒は人好きのする笑みで微笑んだ。
「デブって言わないでくれよ、オレはこの展開を完全に予想してたけど。夜陣なら他クラスの走順まで割り出して作戦練ってくるかと思ってたんだけどな。ふさわしいマージン確保とやらで精一杯だったか」
「! 相変わらずすんげー嫌味な分析派で口も回るな」
「口ではお前には負けるよ。ま、背泳ぎで勝ったからイーブンだけど」
怒りに震えるが、事実なので夜陣は言い返せなかった。
第三走者対決はガタイのよい柏手に超痩身の龍華という対照的なカードだったが、速さは互角で、五メートルくらい差を保持したまま、アンカーへ繋いだ。
龍華のクラスのアンカーや、その他のクラスがバシャバシャと派手に水面を蹴ってクロールするのに対し、レーレはほとんど水しぶきを立てず、しなやかにクロールしていく。
さらにレーレ以外は一生懸命息継ぎしているのに対し、レーレは五回に一回くらいしか息継ぎしていない。レーレは目にも止まらぬ速さで龍華のクラスを抜き去り、トップに返り咲いてゴールした。
「一位はA組連合――!!」
「すごぉい! レーレちゃん!」
「寡黙なのに、肺活量はんぱないよぉ」
「夜陣、レーレさまにフォローされてんじゃねーか!」
クラスメートが夜陣を囃すので、ミオは心配そうに夜陣に言った。
「あの、夜陣くん、あまり気にしないで……」
夜陣は相変わらずげっそりしている。
「いや、あの男が策士として動いてるなら、全体として勝てただけで十分だ」
「あの男? って夜陣くんと背泳ぎで戦った割とぽっちゃりした人のこと?」
「デブと呼べ……。龍華は脳筋だが、あいつと組んでたら、応援合戦以降もたやすくは勝てないかも知れん……」
その後、レーレは水泳個人種目でもぶっちぎりの一位を納めた。
昼休み。
前半の結果を踏まえて、まだ練れる作戦があるかもということで、クラスごとにふんわりまとまって食べていた。
ミオがレーレをねぎらう。
「レーレちゃん、本当によく頑張ってくれたよー、午後イチの応援合戦は休んでてね。寡黙キャラだもんね?」
嫌味っぽくなく微笑むミオにレーレは
「いーや、出るぜ」
と大きめの声で返事した。
びっくりして箸を落とすミオ。
クラスメートは
「今の地を這うようなドスの聞いた声、誰が出したの?」
「レーレちゃんの方から聞こえたような……」
と首をかしげていた。
午後の応援合戦。
「みんな次カンニングブレスね!」
と予定していたところに差し掛かった瞬間、レーレはいきなり口を開き、歌うことに参加し出した。
肺活が足りない為、ひとり、まあひとりと脱落し、カンニングブレスに切り替えようとするが、レーレはかなりの音量を保ったまま、実質ソロで歌いきってしまった。
ミオと夜陣以外の生徒は驚愕した。
「水泳の後で……それで……しかもその声!」
「に……人間技か?」
さあーっと引いていくクラスメートを見たレーレの目に失望の色が滲みかけた。
次の瞬間。
「何て心地よく甘く響く声なんだろう!」
「鍾乳洞で重く、長く響く水滴のようだ!」
「てかDTM部新歓で神歌披露した仮面女子、レーレさまじゃねーか!」
めちゃくちゃにテンションを上げて騒ぎ出すクラスメート。
「結局お姫様扱い続行みたいね、レーレちゃん」
ミオが呟いた。
レーレは照れ隠しか、夜陣に切れるという手段に出た。
「夜陣、お前、私に合わせて曲作っただろ! しゃべらした&歌わせた責任とれよ!」
「望むところだ」
「きゃー、夜陣くんとレーレちゃんって、どういう仲なの?!」
騒ぐクラスメートの女子たち。
すると龍華がふらーっと夜陣のクラスへ現れた。
夜陣をぎろりと見据える龍華。
「キャタピラーでは勝ったが、応援合戦ではたぶん負けたナ。つまり……」
「ふむ、ラストのスウェーデンリレーで白黒つけようということか」
「そうだ。言いたいのはそれだけだ」
龍華が去ると同時に樹もふらーっと現れた。
「夜陣さんと龍華さんは一体何回白黒付ければ気が済むんですかねぇー」
「今の聞いてたなら分かってるな? 樹。スウェーデンのアンカーは全力で走れよ」
命じる夜陣に樹は目を細めて心底楽しそうに囁いた。
「スウェーデン全力で走って欲しかったら、部長権限で部費で買ってほしいもの、あるんすけど」
「……オレとお前、同じチームだよな? なぜお前を全力で走らせる為に何かを買い与えなきゃならねーんだ?」
「あはー今から龍華さんのところに行ってわざと転ぼっか? って交渉して来てもいいんすよ、オレは」
夜陣はこぶしを握りしめて、憎しみを込めるかのように樹を見据えた。
「お前は、壊れてる」
「はいーだから、巻いてくださいよ、オレのネジ」
そして、始まったスウェーデンリレー。
第三走者夜陣にバトンが渡るまではトップは夜陣のチームと龍華のチームが拮抗する速度で走っていた。
夜陣は第三走者として爆走してマージンをとり、アンカーの樹が不自然に減速しない限り一位確定の状況を作ってしまう。
樹はつぶやく。
「ホントにわざと転ぼっかなー。自分がかっこ悪く見えるとか、ここで総合優勝が決まるとか、どうでもいいんだよねー」
夜陣はバトンを渡す瞬間、諦めたように
「勝ったらコーヒーメーカー買うぞ」
と樹に囁く。
瞬間、目をカッと見開き、全力爆走して行く樹。
一生懸命走る樹はフォームも完璧で無駄というものがなく、誰の追随も許さないように見えたが、あまりにも必死過ぎて、ゴール十メートル前で本当に転倒してしまう。ずざざざざっ! と顔面からスライディングし、コースアウトしてしまう樹。
あっさり抜かして行く龍華。
龍華はそのまま一位でゴールし、
「よっしァアア!」
と吼えた。
落胆する夜陣を始め、樹とおなじチームの生徒たち。
夜陣はつかつかと樹に近寄った。
俯いて目を合わせられないようすの樹のトゲトゲ頭を掴んで無理やり上を向かせると、容赦なく言い放った。
「お前の弱点はずばり本番だな! 全く、使えん! 使えんよ、樹!」
「うわ、本気で走っただけに悔しいっす。夜陣さんからの無能判定とコーヒーメーカー欲しかった……」
そう言って、本番弱点の不名誉なレッテルを貼られた樹はその場に倒れ伏した。
無表情に樹を踏んづけようとする夜陣を慌てて制すミオや柏手たち。
すると黒川が現れた。
踏んづけようとするのを止めはせず、つまらなそうな顔をしている。
「まあ、樹の本番が夜陣並みに強ければすでにプロでデビューしてるねぇ。樹都織は才能があるよ」
と意味深に言い残して去って行った。
ミオは
「黒川先生って樹くん推しよね。でもどんな才能があるって思ってるんだろ?」
と呟いた。
ここまでで龍華のチームが優勝濃厚かと思われたが、応援合戦の結果が届き、夜陣のチームが体育祭総合優勝となった。
夜陣のチームが勝利に沸く中、レーレは夜陣に訊いてみた。
「終わりよければ全て良しじゃねーか? 夜陣よ。ところで、チームプレーすることで、確かめたいことって一体何だったんだ?」
「ん?スポーツマンシップとやらは手段として有効か、確かめていた。分かったことは……」
夜陣は端正な顔を歪めて暗く笑った。
「やっぱスポーツマンシップとかありえんな。計算と個人プレーに限る」
「うわ、こっわ。夜陣らしいな」
レーレは笑って言ったが、そばで会話を聞いていた柏手はカチンときたようだった。
「計算と個人プレーに限る、か。DTM部の考えそうなことだよな」
柏手がちくりと言ってきたので夜陣も言い返した。
「そうか。柏手は体育委員なだけじゃなく、あの部活の部長でもあったな。お前となら体育祭なんて回りくどい手段でなくても本業で直接対決可能だな?」
「夜陣、お前まさか、ウチの部活にイチパーセントでも勝てる見込みがあるとでも考えてるのか? 大物だな」
「はは、いずれ分かることだ」
夜陣のクラス、A組では壇上にふたりの男女が立ち、女の方は黒板に何やら書いていた。
男の方はかなりガタイがよい。
男が口を開いた。
「今日の体育は来たる六月に行われる体育祭についての話し合いを行いたい。そのためにこの一時間は体育委員であるオレ、
壇上に立つのに慣れていなさそうな様子で男がメモを見ながら話す。
「いいでーす」
皆が返事した。
ちょうど女の方が書き終わったようだ。
柏手は女が書いていたものを指し示して言った。
「今種目の一覧を書いてもらった。適材適所といきたいところだが、やる気も尊重したい。立候補制にして、立候補がなかった種目は他薦にしたいと思うが、他に決め方の案がある者はいるか」
いなかった。
「ちなみにひとりニ種目は必須だ。
ではまず、花形百メートル走から――……」
簡単なものから、次々と出場種目が決まっていく。
ミオは近くに座っていた夜陣に何となく尋ねた。
「夜陣くんは立候補しないの?」
「ふむ、オレは知っての通り、超万能型。運動とて、例外ではない。よって種目は選ばない。空いた種目に穴埋め的に配置してくれれば構わない」
それを体育委員柏手は聞き逃さなかった。
「そうか、夜陣。協力、感謝する。ではお前はキャタピラーレースで頼む」
「?! 何だそれは?」
ミオがくすくす笑いながら説明した。
「夜陣くん、種目の説明読んでなかったの? ダンボールでキャタピラーを作って四つん這いになって進む競技よ。腕と脚の筋肉がかなめの競技ね」
「四つん這い?! かっこ悪いじゃねーか!」
夜陣はイスを反っくり返らせて騒ぎ出した。
柏手は眼光鋭く夜陣を睨んだ。
「夜陣、前言撤回か? その方がはるかにかっこ悪いとオレは考えるが」
「分かったよ……やるよ」
夜陣は体育委員の男、柏手には強く出れないようで、イスに反っくり返ったまま、しぶしぶ頷いた。
立候補がない場合他薦ということだったが、全員最低二種目選択しなければならなかったため、それなりにちゃんと決まっていった。
しかし……。
「残った種目は五十メートル自由形と、五十メートルバタフライにメドレーリレー……どれも水泳だな。いまだ一種目も立候補がないのは、出蔵レーレのみだが……」
レーレはDTM部以外の前ではいまだしゃべらず、寡黙の才女のキャラクターを演じていた。
体育委員の司会、柏手はレーレをチラ見しながら、明らかに困っていた。
ミオが助け舟を出す。
「レーレちゃんは、確か水泳がすごく得意だったよね? やってもらえるかな?」
無表情にこくりと頷くレーレ。
「ありがとう!レーレちゃん! 頑張ろうね!」
またこくりと頷くレーレ。
夜陣はそんなレーレとミオを肘を付きながら横目で見ていた。
体育委員はおとなしい才女に皆が嫌がる水泳を押し付ければならない状況で、レーレが水泳が得意らしい、という情報が出てきたので、安心したようだった。
「全種目が決まったから、次は応援合戦について話し合う。本番の持ち時間は十分。前半で自軍の応援歌を披露し、後半はくじで選んだ敵の一チームにエールを送る構成になっている。応援合戦はただの鼓舞ではなく、競技のひとつとして数えられている。具体的には投票権を持つ教師と体育委員の生徒が自軍以外で応援の良かったチームに投票する仕組みだ。前半の自軍応援では毎回、流行歌の替え歌を応援歌として掲げるのが主流になっている。まず、どの流行歌を元にするか決めた後に作詞者を募りたい」
「その元ってオリジナルじゃだめなのか?」
夜陣が質問した。
「オリジナル? 作曲からするということか? ……そうか、夜陣、お前はDTM部だったな。ルール的にはもちろん構わんはずだが、プロの作った流行歌に勝る曲をお前は作れるということだな?」
「そうだ」
「夜陣くん、かっこいいー」
「ミスターの作曲なら、期待できるね」
クラスメートがぽつりぽつり賛同の意を示した。
夜陣は得意げだ。
「なるほど、他クラスが替え歌をつくってくるなか、オリジナルを打ち出して、それが良ければ強い戦力になろう。応援歌の作曲は夜陣に任せることとする。作詞は……」
夜陣が本人だけが気付くくらいさりげなく、ちらっとミオを流し見た。
びくっとなるミオ。
「はっ、はーい、私、やりたいです!」
ミオはすぐに笑顔を取り繕って名乗り出る。他に立候補者もいなかったため、すんなりミオに決まった。
「とりあえずは、これでいい。他のクラスもオリジナルでくるかも知れんがな」
夜陣がこっそり呟いたのは、誰も知らない。
次の体育の時間は何と全校生徒が大体育館に集められ、縦割りで作戦会議をすることになった。
先ほどのクラスでの話し合いに仲間の1A、3Aが加わってくる。
合流した中には1Aの樹がいた。
柏手が話を進める。
「まずは最大配点を持つラスト種目スウェーデンリレーからだ。スウェーデンリレーの走者は四人で構成され、第一走者は百万メートル、第二走者は二百メートル、第三走者は三百メートル、アンカーは四百メートルを走ることとなる。走る四人は、体育委員のオレと夜陣、一年の樹、三年の強瀬先輩だ。今言ったのは今年の体力測定時の百メートル走の速さ順でもある。だが、このスウェーデンリレーは単純にタイムの速い者から逆に配置していけばいいというものでもない」
「いや、走る距離がちがうなら、タイム逆順でいいだろ?」
日焼けしたランナーといった雰囲気を持つ、三年強瀬がつっこんだ。
夜陣が反論する。
「いや、百メートル走のタイムなんだよな? 一番早い柏手は実は超初速型で、四百メートルはそんなに早くない、という可能性もある。それにオレの考えではアンカーよりトップバッターのほうが大事だ。最初についた差を後から巻き返すのはかなり実力差が要求される」
ふむふむと解説を聞いていた一同だったが、樹が突然目を輝かせて
「オレ持久力自信あります」
と言い出したため、四百メートル走者は樹に。
一番タイムの速い柏手はトップバッターに。
次いで強瀬に短めの二百メートルを走らせ、三百メートルを夜陣が走る作戦になった。
夜陣は他チームの方を強く意識しているようで、
「てかこれ、他チームの走順によってだいぶ有利不利変わってくるな……他チームの練習風景を見て走順を割り出し、その上で考えた方がいいんじゃねーか?」
と面倒そうなことを言い出したが、柏手が、
「姑息! スポーツマンシップにのっとる宣誓に反する」
と一刀両断したため、この走順で決定となった。
夜陣はひとりでぶつぶつ唸った。
「ふむむ。オレの個人的なやり方は手段を選ばないだが、スポーツマンシップに従った場合どうなるか、今回試してみるのも悪くないだろう。だが、それで結果が伴わなかった場合……」
数日後の体育の時間。
やはり、話し合いの続きのため、皆制服のまま、柏手が話していくのを聞いていた。
「次、応援合戦の練習タイムだ。応援団長夜陣に場を預ける。頼んだ」
「応援団長に勝手に決められたのか。まあ、いい。今回オレが夜鍋して作った応援歌はこれだ!」
バーンと譜面をかざす夜陣。
「応援歌たりとて他クラスには負けられんから派手な曲にした」
一斉に配られた譜面を覗き込むクラスメートたち。
「おいおい、オレたちほとんど譜面読めないんだから解説してくれないと……ってええ?!」
「えええ?!!」
騒然とし始める一同。
「譜面読めなくても分かるぜ!! この曲はひとりじゃ誰にも歌えない!」
「でも、大勢なら歌えるな。そういう人との協力が必要だという教えが込められているんじゃないのか?」
夜陣は首を横に振った。
「違うな。個人プレーのオレがそんな気持ち悪いもの込めるか。歌えるやつ、いるんだよなー。この中に、ひとり……」
「だぁれ? 歌姫ミオちゃん?」
「はは、ミオに歌えるなら、オレだって逆立ちして歌えるさ」
ミオは夜陣のあまりの言いようにむくれた。
「もうー、そりゃ、無理だけど。そうやって、挑発するの良くないと思うな、夜陣くん」
ミオは黙ってうつむいているレーレの方を見ている夜陣に言った。
レーレは何のことか分からない、という顔をしていた。
放課後。
DTM部の部室でレーレはキレていた。
「私はDTM部の連中以外に素顔を晒して歌う気はねーよ! ましてや、誰も歌えない応援歌を応援合戦にて歌うわけないだろ! せっかく寡黙キャラ築いてクラスではしゃべらなくても許される温い環境なのに、それを壊す道理はないだろ! 夜陣のばーか」
レーレにキレられても夜陣は全く動じない。
「はい、録音したー、弱みゲッツー」
「何ィ?! 消せ消せぇ!!」
漫才の合間に夜陣はぽつりと言った。
「無理にとは言わん約束だが……なかなか楽しそうに見えるんだがな。歌ってるお前は」
レーレはびっくりしたようだった。
「と……にかく! 私は仮面なしでは歌わないからな!」
その後、話し合いで、曲自体はバリバリの応援歌なので、歌い方だけ、皆で協力して歌うことになった。
体育祭当日。
スタートから夜陣VS龍華の様相となった。
キャタピラーレースでふたりは四つん這いになって走りながらもいがみ合う。
「お前がキャタピラーレースとは意外だぜ、夜陣」
「む、龍華もキャタピラーレースか。お前は別に意外じゃないな、妥当という感じだ」
「うるせー、何でもやるって言ったらこれになっちまったんだよ!」
「……オレと同じじゃねーか……」
結局龍華の方が腕の筋力があったらしく、龍華が先にゴールした。
「けっ、手は大事にしろよ、ピアニスト」
夜陣は悔しそうに吐き捨てたが、龍華は
「これくらい、酷使の内に入らねーよ」
と言い返した。
午前最後の競技、水泳。
水泳部や、肉体派らしき面々が集う中、ひとりだけちんまり&ほっそりとした身体つきのレーレが目立っていた。
そんな中。
「えっ、メドレーリレーの第二走者のコがばっくれ?」
「いや、トップバッターもらしい!」
ざわざわする夜陣たちのクラス。
黒川が意気揚々とやって来た。さすがにスーツは着ていない。黒ジャージに黒スニーカーだ。ラフな印象を与えるジャージ姿のはずが、胸元とヒップが異様にボリュームがあるため、奇跡的にぱつぱつしている。
「おいー、当日無断欠席を二人も出すとは問題児学級だなー。このままじゃ、水泳での最大配点を持つメドレーリレーは失格だな!」
夜陣がすかさず進言する。
「先生、代打を出すことができるはずですが」
黒川は不愉快そうな表情になった。
「知っていたか……。だが、第一走者の担当はバタフライで第二走者の担当は背泳ぎ! ぬるい平泳ぎとかとはワケが違うぞ。代打できるやつはいるのか?」
夜陣はきっぱり答えた。
「ここにいますよ、オレが両方やります」
黒川が切り捨てた。
「認めん! あくまでリレー、第一走者と第二走者連続することはルールに反する」
夜陣はさすがに困ったようだった。
「……水泳は候補者がレーレのみだったはず……、オレ以外もうひとり代打立てるのは、厳しい」
すると夜陣の腕をくわっと掴む者がいた。
「! レーレ……」
レーレは周りに黒川と夜陣しかいないことを確認して言った。
「第一走者は私がやってやる。もちろん、本来のアンカーもやる。リレーにはなってる。問題ないな?黒川先生」
「ああ、走者が連続しなければ問題はないぞ。ただし、お前はリレーで計百メートルと個人で五十メートルを二本を泳ぐことになるがな」
夜陣は焦ったようだった。
「おい、やめとけ……。負担がやばい。そうだ! 柏手に泳がせればいい」
背後から柏手がにゅっと顔を覗かせた。
「それが人に頼む態度か、夜陣」
夜陣は棒読みで頼んだ。
「あ、すみません、柏手体育委員。水泳のリレー、やってもらえますか?」
「無理だ。なぜなら、オレはカナヅチだ!」
どんっと体育委員の威厳を持って言い切る柏手。
夜陣は叫んだ。
「柏手ぇ! 頼み損かよ!」
騒ぐ夜陣の後ろ頭をレーレはばぼんっと叩いて微笑み、口パクした。
「夜陣がDTM以外で燃えてるの、珍しいからちっとは頑張ってやるんだぜ、私」
夜陣は頭を押さえて言った。
「ふむ。確かめたいことがあってな」
「ふふ、どーせろくなことじゃないんだろーな」
柏手はそれを意味深げに眺めていた。
夜陣のクラスの生徒が呼びに来た。
「もう、水泳のリレー始まるぞー!!」
「レディ・ゴー!」
スタートを切ったが、まず飛び出すの自体が一番早いレーレ。
そして、どんどん差を付けていく。
五十メートル泳ぎ切る頃には、二位のクラスと五メートルくらいの差が付いていた。
夜陣はつぶやく。
「約五メートルか……。背泳ぎさえもかっこよく泳いでしまうオレにこの差はふさわしいマージンだな」
レーレとは違い、慎重に飛び出す夜陣。
夜陣はものすごく速かったが、二位のクラス……龍華のクラスだったのだが、の第二走者の体格の良い男が異様に速く、なんと夜陣はラスト十メートルで抜かされてしまう。
「ミスター抜かされたっ!」
興奮して騒ぎ立てる生徒たち。
夜陣は二位で第三走者の体育委員柏手にバトンタッチした。
一位に躍り出たクラスの第三走者は龍華だった。
夜陣は抜かされたことに気付くと叫んだ。
「やられた! 抜かしたのはどいつだ?!」
「オレだよ」
夜陣の背後から響きの良い声がした。
夜陣はげっそりした顔をした。
「なんだ、デブか……」
デブと呼ばれた男子生徒は人好きのする笑みで微笑んだ。
「デブって言わないでくれよ、オレはこの展開を完全に予想してたけど。夜陣なら他クラスの走順まで割り出して作戦練ってくるかと思ってたんだけどな。ふさわしいマージン確保とやらで精一杯だったか」
「! 相変わらずすんげー嫌味な分析派で口も回るな」
「口ではお前には負けるよ。ま、背泳ぎで勝ったからイーブンだけど」
怒りに震えるが、事実なので夜陣は言い返せなかった。
第三走者対決はガタイのよい柏手に超痩身の龍華という対照的なカードだったが、速さは互角で、五メートルくらい差を保持したまま、アンカーへ繋いだ。
龍華のクラスのアンカーや、その他のクラスがバシャバシャと派手に水面を蹴ってクロールするのに対し、レーレはほとんど水しぶきを立てず、しなやかにクロールしていく。
さらにレーレ以外は一生懸命息継ぎしているのに対し、レーレは五回に一回くらいしか息継ぎしていない。レーレは目にも止まらぬ速さで龍華のクラスを抜き去り、トップに返り咲いてゴールした。
「一位はA組連合――!!」
「すごぉい! レーレちゃん!」
「寡黙なのに、肺活量はんぱないよぉ」
「夜陣、レーレさまにフォローされてんじゃねーか!」
クラスメートが夜陣を囃すので、ミオは心配そうに夜陣に言った。
「あの、夜陣くん、あまり気にしないで……」
夜陣は相変わらずげっそりしている。
「いや、あの男が策士として動いてるなら、全体として勝てただけで十分だ」
「あの男? って夜陣くんと背泳ぎで戦った割とぽっちゃりした人のこと?」
「デブと呼べ……。龍華は脳筋だが、あいつと組んでたら、応援合戦以降もたやすくは勝てないかも知れん……」
その後、レーレは水泳個人種目でもぶっちぎりの一位を納めた。
昼休み。
前半の結果を踏まえて、まだ練れる作戦があるかもということで、クラスごとにふんわりまとまって食べていた。
ミオがレーレをねぎらう。
「レーレちゃん、本当によく頑張ってくれたよー、午後イチの応援合戦は休んでてね。寡黙キャラだもんね?」
嫌味っぽくなく微笑むミオにレーレは
「いーや、出るぜ」
と大きめの声で返事した。
びっくりして箸を落とすミオ。
クラスメートは
「今の地を這うようなドスの聞いた声、誰が出したの?」
「レーレちゃんの方から聞こえたような……」
と首をかしげていた。
午後の応援合戦。
「みんな次カンニングブレスね!」
と予定していたところに差し掛かった瞬間、レーレはいきなり口を開き、歌うことに参加し出した。
肺活が足りない為、ひとり、まあひとりと脱落し、カンニングブレスに切り替えようとするが、レーレはかなりの音量を保ったまま、実質ソロで歌いきってしまった。
ミオと夜陣以外の生徒は驚愕した。
「水泳の後で……それで……しかもその声!」
「に……人間技か?」
さあーっと引いていくクラスメートを見たレーレの目に失望の色が滲みかけた。
次の瞬間。
「何て心地よく甘く響く声なんだろう!」
「鍾乳洞で重く、長く響く水滴のようだ!」
「てかDTM部新歓で神歌披露した仮面女子、レーレさまじゃねーか!」
めちゃくちゃにテンションを上げて騒ぎ出すクラスメート。
「結局お姫様扱い続行みたいね、レーレちゃん」
ミオが呟いた。
レーレは照れ隠しか、夜陣に切れるという手段に出た。
「夜陣、お前、私に合わせて曲作っただろ! しゃべらした&歌わせた責任とれよ!」
「望むところだ」
「きゃー、夜陣くんとレーレちゃんって、どういう仲なの?!」
騒ぐクラスメートの女子たち。
すると龍華がふらーっと夜陣のクラスへ現れた。
夜陣をぎろりと見据える龍華。
「キャタピラーでは勝ったが、応援合戦ではたぶん負けたナ。つまり……」
「ふむ、ラストのスウェーデンリレーで白黒つけようということか」
「そうだ。言いたいのはそれだけだ」
龍華が去ると同時に樹もふらーっと現れた。
「夜陣さんと龍華さんは一体何回白黒付ければ気が済むんですかねぇー」
「今の聞いてたなら分かってるな? 樹。スウェーデンのアンカーは全力で走れよ」
命じる夜陣に樹は目を細めて心底楽しそうに囁いた。
「スウェーデン全力で走って欲しかったら、部長権限で部費で買ってほしいもの、あるんすけど」
「……オレとお前、同じチームだよな? なぜお前を全力で走らせる為に何かを買い与えなきゃならねーんだ?」
「あはー今から龍華さんのところに行ってわざと転ぼっか? って交渉して来てもいいんすよ、オレは」
夜陣はこぶしを握りしめて、憎しみを込めるかのように樹を見据えた。
「お前は、壊れてる」
「はいーだから、巻いてくださいよ、オレのネジ」
そして、始まったスウェーデンリレー。
第三走者夜陣にバトンが渡るまではトップは夜陣のチームと龍華のチームが拮抗する速度で走っていた。
夜陣は第三走者として爆走してマージンをとり、アンカーの樹が不自然に減速しない限り一位確定の状況を作ってしまう。
樹はつぶやく。
「ホントにわざと転ぼっかなー。自分がかっこ悪く見えるとか、ここで総合優勝が決まるとか、どうでもいいんだよねー」
夜陣はバトンを渡す瞬間、諦めたように
「勝ったらコーヒーメーカー買うぞ」
と樹に囁く。
瞬間、目をカッと見開き、全力爆走して行く樹。
一生懸命走る樹はフォームも完璧で無駄というものがなく、誰の追随も許さないように見えたが、あまりにも必死過ぎて、ゴール十メートル前で本当に転倒してしまう。ずざざざざっ! と顔面からスライディングし、コースアウトしてしまう樹。
あっさり抜かして行く龍華。
龍華はそのまま一位でゴールし、
「よっしァアア!」
と吼えた。
落胆する夜陣を始め、樹とおなじチームの生徒たち。
夜陣はつかつかと樹に近寄った。
俯いて目を合わせられないようすの樹のトゲトゲ頭を掴んで無理やり上を向かせると、容赦なく言い放った。
「お前の弱点はずばり本番だな! 全く、使えん! 使えんよ、樹!」
「うわ、本気で走っただけに悔しいっす。夜陣さんからの無能判定とコーヒーメーカー欲しかった……」
そう言って、本番弱点の不名誉なレッテルを貼られた樹はその場に倒れ伏した。
無表情に樹を踏んづけようとする夜陣を慌てて制すミオや柏手たち。
すると黒川が現れた。
踏んづけようとするのを止めはせず、つまらなそうな顔をしている。
「まあ、樹の本番が夜陣並みに強ければすでにプロでデビューしてるねぇ。樹都織は才能があるよ」
と意味深に言い残して去って行った。
ミオは
「黒川先生って樹くん推しよね。でもどんな才能があるって思ってるんだろ?」
と呟いた。
ここまでで龍華のチームが優勝濃厚かと思われたが、応援合戦の結果が届き、夜陣のチームが体育祭総合優勝となった。
夜陣のチームが勝利に沸く中、レーレは夜陣に訊いてみた。
「終わりよければ全て良しじゃねーか? 夜陣よ。ところで、チームプレーすることで、確かめたいことって一体何だったんだ?」
「ん?スポーツマンシップとやらは手段として有効か、確かめていた。分かったことは……」
夜陣は端正な顔を歪めて暗く笑った。
「やっぱスポーツマンシップとかありえんな。計算と個人プレーに限る」
「うわ、こっわ。夜陣らしいな」
レーレは笑って言ったが、そばで会話を聞いていた柏手はカチンときたようだった。
「計算と個人プレーに限る、か。DTM部の考えそうなことだよな」
柏手がちくりと言ってきたので夜陣も言い返した。
「そうか。柏手は体育委員なだけじゃなく、あの部活の部長でもあったな。お前となら体育祭なんて回りくどい手段でなくても本業で直接対決可能だな?」
「夜陣、お前まさか、ウチの部活にイチパーセントでも勝てる見込みがあるとでも考えてるのか? 大物だな」
「はは、いずれ分かることだ」
