錆びない青。
ヒロイン名
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次の日から始まった今年度の選択授業。
音楽、美術、書道、工芸からひとつ選んでクラスを縦割りにし、通年で受けるという今年から始まった試みなのだが、夜陣も龍華もミオもレーレも樹も音楽だった。
選択だから、共通の授業よりはハイレベルになるんだろう、程度に生徒たちは認識していた。
レーレはクラスメートの前では寡黙のキャラを演じているため、心配になったミオは尋ねた。
「レーレちゃん、選択音楽の実技テストは、どう乗り切るの?」
レーレはごくごく小声で返事する。
「実技は口パクだな。ペーパーテストでチート点とるから問題ないのぜ」
「うーん、そんなに甘いのかなぁ?」
不安げなミオにレーレはにやりとする。
「やっぱ音楽はまずかったかな?なんせ、担当の音楽講師はウワサでは……」
その時かつかつというヒールの音が響き、女性が入ってくる。
講師だ。
講師は黒川と言う名で、ばいーんという擬音が付きそうなどこもかしこもふくらませた黒髪ショートの女だった。
校内で見かけることはあっても、夜陣は今まで黒川の授業は受けたことがなかった。
「私が選択音楽担当の、黒川だ。お前たちが難関入試を経て入学を勝ち得、さらに選択音楽を希望した勇気ある精鋭の一年、二年であることは承知している。ま、中には正当に入試を経ず、一芸入試などという甘いもので入学し、あげく授業に付いていくのが精一杯といったつまらん輩も紛れ込んでるらしいが……。
この高校は生きる伝説と呼ばれても足りない程の音楽家も輩出している。私にも誇りを保持する矜持がある。授業の質は何があっても落とすことはしないぞ。覚悟しておけ……」
その言葉にぴくりと反応し、毅然とした眼差しで黒川を見る夜陣を尻目に、レーレは小声でミオに話しかけた。
「ウワサ通りの人物みたいだな、先輩いわく、上澄み主義の黒川! 成績上位者しか目に入らない、というか、上位者しか付いていけない授業だと恐れられてるらしーが……。おい、ミオりん、聞いてるか?」
ミオは赤くなって黒川先生を睨みつけ、こぶしを固く握り込んでいた。
レーレは不思議がる。
「お前はむしろ、上位の部類だろう? もちろん私もだが……。何を熱くなってる……」
レーレはミオの熱くなり具合に疑問を持ったようだが、黒川はそんなミオには目もくれず、いきなり課題を突きつけてきた。
「ではではこの私が作曲した曲を初見で一曲歌ってもらうかな。安心しろ、全員でだ。伴奏は……そうだな。前年度ピアノ一芸入試の龍華優雅にお願いするか」
「はーい」
龍華は迷うことなく、返事をした。
「指揮は……そうだな、生徒会の結束でいいだろう。文化祭で司会などを務めていてみたいだしな」
「はい」
夜陣とミオが優勝した文化祭のミスター・ミスコンで司会をしていた体格の良い生徒が前に進み出た。
続いて立ち上がって譜面を受け取り、ちらとそれを見やるとピアノの前に移動する龍華。
続いてミオたちも同じ譜面を受け取る。
「こ……これって……!」
「声部はもちろん難しそうだけど、それほどやばくはない。ボカロとかには、これより難しい曲もいっぱいあるでしょう。けど、伴奏は……」
他の生徒たちもざわめき出した。
「こんな伴奏誰が弾けるんだよ……」
「人間の弾く曲じゃねー」
「音符びっしりで気持ち悪くなってきた……」
リストの初版レベル。例えいくら練習したって、こんなの不可能に思えるような譜面。
「弾け。龍華」
黒川は楽しそうに囁いた。
黙って譜面を見ていた夜陣が抗議の口を開きかけた。
結束という生徒がそれを制す。
結束は歌うように龍華に問うた。
「弾けるよな? 龍華」
「たりめーだ」
結束は頷くと、
「じゃっ、初見でって言われてるし、さっそく始めよう! さん、しっ」
と、指揮を始めた。
すぐに弾き始める龍華。
音符の量はイントロから既に3連弾でも捌ききれないほどだったが、龍華は淀みなく弾いていく。
ニヤついていた黒川はすぐに動揺し出した。
「ばかな……弾けるわけ……というか不可能なんだ、絶対に腕2本じゃ届かない場所があるように作った……どうやって?!」
生徒は龍華の演奏の凄まじさに皆ポカーンとして、声部に入りそびれている。
夜陣は
「今の発言、明確にピアニスト龍華殺しの曲をわざわざ作ったってことだよな」
と呟いた。
しかし、夜陣でさえも、声部に入りそびれていることは事実。
それほど、龍華の演奏は凄まじい。
龍華に合わせて脚でリズムを刻みながら、樹が叫んだ。
「龍華さん、指の長さが半端じゃない! あれなら普通は届かない十一度も届く!!」
「そういうことか!!」
「あいつ、背も、高いもんな……!」
結束が龍華を誇らしげに見た。
「龍華はやるといったらやるよ。ピアノに関しちゃな。ほら、皆次のフレーズから入って!」
樹がすぐに入り、すると樹のテノールとピアノの間にぽっかり空いた空間ができたかのようにミオには感じられた。
入りやすい、そう皆も感じたようで、結束の指揮と龍華のピアノに合わせて皆自然に歌えてしまった。
最後の小節のカララン! という高いピアノの音で歌が終わり、誰からともなく笑顔がこぼれる。レーレはすっかり得意げだ。
「できた……! 私ら、こんな難しい曲……!龍華のピアノ、難し過ぎて合わせて歌う方もすごく大変って思ったのに、全然歌えた!」
黒川は悔しそうに呟いた。
「ふん……龍華……自我が強過ぎる……伴奏には向いてないんじゃないか」
龍華はにやりと笑った。
「初めて褒めてくれましたね、そうっす、オレはピアニストなんで。本来伴奏向きじゃなくてオッケーっす。せんせーあざす」
黒川はよりいっそう悔しそうな顔をした。
「お前なんかに感謝されたって響かんな! あいつが、伝説の一騎当千『DTMer』がもしこの場にいれば、この曲だってきっとさらに鬼畜アレンジして弾いてしまっただろう……! ただ譜面通りこなせたからって得意になるなよ……!」
「何だよ、伝説の……? そいつが龍華と何か関係あるのか? てか伝説のなんちゃらって最近どっかで耳にしたような……?」
レーレが訳がわからない、といった様子で呟いた。
龍華はとぼけた。
「あいつって誰すか?」
夜陣は険しい表情で、黙って黒川と龍華を観察していた。
ミオがとりなすように龍華に駆け寄った。
「龍華くん……やっぱりすごい! 龍華くんが弾いてくれると、皆いくらでも歌える気がする!」
黒川が底冷えする声色で言い放った。
「いや、今回の初見合唱が上手くいったのは龍華でなく、上手く歌いながら絶妙に場をコントロールしていた樹都織のおかげだろう」
「?!」
全員の注目を一気に集める樹。
樹はにっこり笑った。
「えっ?オレ、普通に歌ってただけですー」
「とぼけるなよ、結束のリズムの刻み方へのアイコンタクト、難しい箇所ではミックスボイスによる実質ソロで、龍華への注目を軽減し、簡単なところでは裏役に徹して合唱として成り立っているかのように見せかけた……」 黒川は樹をびしっと指さした。
「つまり、今のは龍華ではなく実質、樹によってつくられたまがい物のステージ! 龍華はただ、弾いただけ……。はは、今後の授業が楽しみだよ。今日みたいなノリでいけると思ったら大間違いだからな……!」
そう言って、かつかつ靴音を鳴らし、去って行く黒川。
樹は飄々としたいつもの様子だ。
「いちゃもん付けないと気が済まないみたいですねー。気にせず、今の合唱の成功を喜びましょうー」
レーレが樹を咎めた。
「待てよ、樹」
「レーレさん?」
「実は私もうっすら感じてたんだよ。お前の、底知れぬ深さ。私も、ボーカルだから。分かる。これで……本業、ギタリスト? ギター持たせたら、一体どうなってしまうんだ、お前?」
ミオも樹に詰め寄った。
「樹くん……さっきの合唱……あなたは一体何をしたの? 龍華くんの手が大きいことにもすぐ気付いたみたいだし……」
樹はへらへらした。
「わー、ミオさんがオレに興味持ってくれてるー。そうだな、本気と情熱を見せただけ、だよ」
「このオレが説明しよう!」
そう突然叫び出した夜陣にクラスメートは口々に畳み掛ける。
「そう言えば夜陣いたんだ」
「今日存在感なかったよな」
「つーか、さっき口パクしてなかったか?」
クラスメートに問い詰められる夜陣はヤケ気味に解説を押し通そうとした。
「うるさい! 端的に言って、樹と龍華は手が常人よりだいぶ大きいのだっ。だから、常人がどうあっても弾けぬ曲を弾きこなせる……それだけだっ」
一同はがっくりした。
「そういう、オチね……。でも、私は樹くん、いいと思った!」
「ミオさん?」
「……自分が主役じゃなくて、人を、合唱として輝かせる歌い方なんて、考えたこと、なかったもん、私……」
樹は軽く赤面した。
「ふふっ、オレはギタリストだからさ。主役はボーカル、でいいんだよね。だから、歌う気はないってのに、歌手デビューとか、遠回しに勧められてるし……」
「そうなんだ。ま、同じ部活だし、今度、ギター、聴かせてよ!」
「うんー、って聴いたことない扱いなわけね。ほんと、ミオさん、おもしろいなぁ」
好調な滑り出しのDTM部。
「始めはコンポーザーのオレひとりだったのに、ミオに、レーレに、ピアニストに、ギタリストか。順調に集まってるな」
「役職で呼ぶな」
すぐさま龍華がつっこむ。
「オレはどう呼ばれても構いません。夜陣さんになら!」
樹はのりのりだ。
ミオが夜陣に訊いた。
「次は誰を部活に引き入れるつもり? 楽器演奏者にこだわるなら、ドラマーとかベーシストとか?」
「それってー、もはやDTM……デスクトップ・ミュージックの域を超えてるよーな……」
レーレが嫌味っぽく言ったが、夜陣は機嫌よく答えた。
「いいじゃねーか、オレはどんな領域も越えていく男だ」
ミオが突っ込んだ。
「ちょ、聞いてる方が恥ずかしくなるセリフ、ちょいちょい挟まないでくれる?」
そうは言いつつも、DTM部の五人が和気あいあいとやっていると、すごい勢いで、部室のドアが開いた。
「龍華優雅はいるかぁー?」
立っていたのは音楽恐縮、黒川だった。
「いまーす」
龍華は普通に返事したが、他の面々は黒川を何となく睨んだ。
「おいおい、睨んでくれるなよ……。せっかく顧問が指導しに来てやったというのに」
「顧問なのか?!」
「夜陣くん、そうなの?!」
「そうだぞ」
けろりとした顔で述べる夜陣。
「じゃあ、自分の部活の部員の龍華にあんな態度だったってわけ? ひどくねーか」
レーレが吐き捨てた。
黒川は聞こえたようだが、気にした様子もなかった。
「用件を言うぞ。龍華優雅は新学期始まって以来、小テストで赤点を連発している。特定の教科というわけでなく、選択音楽以外のほとんどで、だ。申し開きはあるか? 龍華よ」
「アー、ありませン」
「うん、では二週間後の中間考査で、赤点を取った場合、部活停止とするが、よいな?」
「ハイ」
「ハイ、じゃねーだろ、龍華よ」
レーレが慌てて言った。
「一芸入試って、お前のことなんだろ? 授業に着いてくのがきついってのがまじなら、中間考査でも赤点取ってしまうんじゃないのか?」
黒川に取り消してもらうよう、求めそうなレーレに、黒川は不思議そうに言った。
「他人事ではないぞ、出蔵レーレ。中間考査で赤点を取った者は龍華に限らず、部活停止となる。三人以上の部活停止で、廃部だ。他人の心配より、自分の心配をするんだな」
「な……何だそのめちゃくちゃなルール!」
「わはは、私は生徒には平等なのだよ、まさか、龍華にだけ、こんなリスクを背負わせるとでも?」
「……」
「先生。お願いがあります」
「流ミオか。何をごねても条件は覆らないぞ」
「いえ、もし私たちが全員平均以上だったら、先生について教えてください」
「私について?」
「なぜ、たちばなく……DTM部を目の敵にするのか、教えてください」
「やれやれ、こんなに可愛がってやってるというのに。いいだろう。赤点を免れるならともかく、そいつがいる限り全員平均以上は絶望的だしな」
黒川が帰った後、さっそく話し合いが行われる。
夜陣が言う。
「こうなってしまった以上、中間考査で赤点者を出すことはDTM部の存続に関わる。よって部長であるオレが責任を持って全員を良い点へ導きたい。知っての通り、オレは全教科において、常に学年首位だ。オレに勉強を教えられることについて、不満のあるやつはいるか?」
誰も名乗り出ない。
「では今日から中間考査まで部活の半分の時間は勉強会としよう。さっそく始めたいが、まず現状把握をしたい。皆の不得意教科を教えてくれ」
皆は、とは言ったが、明らかに龍華を見ている夜陣。
龍華は黙っている。
ミオがおずおずと言った。
「私は……数学とか、理科とかか苦手かな……。現代文とか、根性や暗記で解けそうなものは頑張れるんだけど」
樹が突っ込んだ。
「いやいやー、根性で正解できるなら、それは分かってるんですよ。現代文苦手な人にとっては公式依存の例外無し理数科目の方が万倍ラクなんです。ねぇ、龍華さん?」
龍華が歯切れ悪く返事した。
「そうだな……覚える公式が数個程度の理数科目よりは端から端まで暗記しなきゃならない文系科目の方が難しいな……。オレは時間がないし……」
言い訳めく龍華を夜陣はばっさり切り捨てた。
「ふむ。理数、文系といっているが、いずれにせよ暗記事項を応用して解いていくものだから、土台となる暗記ができないのは全てにおいて論外と言えるな」
「何だと?!」
「いや、だからそうなのだろう? ほとんどの教科で赤点らしいじゃねーか」
「く……」
龍華は反論できず、黒川の前とはうって変わっておとなしくなって夜陣の続きを聞く。
「暗記のプロセスとはこうだ。暗記するものを見る。理解し、頭に入れる。隠して思い出せるか試す。思い出せる。暗記の完了だ」
「……」
「こんなことは龍華とて分かっているとは思うが、お前はどの段階でつまづいているのだ?」
「頭に入れる、だ。入らねーよ」
「一度で入らなかった場合は、上記のプロセスの反復となる。手で書いたり、読み上げることで効率アップだ」
「簡単に言うな。お前に聞きたくはないが、もっと時間を短縮して大量に覚えられる方法はねーのか?」
「ある」
「あるのかよ!!」
「まだ歌詞のついていない新曲のデモとか持っているか?」
「持ってるが……今お前に渡せばいいのか?」
「そうだ」
夜陣は不審そうな目を向ける龍華からデモ音源を受け取ると、一周聴き、二周目にサラサラとペンで歌詞らしきものを付けた。
「ミオ、歌ってくれ」
歌詞が書かれた紙を受け取ったミオは驚いた様子だ。
「さすがにいきなりは歌えんか?」
「大丈夫よ、ちょっとびっくりしただけ」 ミオは淀みなく歌い出した。
「シュメールアッカドウルバビアム〜。
ヒッタカミタンニアラフェニヘ〜」
樹が突っ込んだ。
「魔術の儀式ですか?」
龍華はぽかんとしている。
ミオは少し恥ずかしそうだ。
唯一夜陣の他になるほど! といった顔をしていたレーレが解説しだした。
「これはおそらく世界史の今回の範囲である古代エジプト王朝の変遷を表している。シュメール王国、アッカド王国、ウル第三王朝、バビロニア成立、アムール人の建国。ヒッタイト強襲、ミタンニ王国、フェニキア成立までを一節に強引に落とし込んだわけだ」
「ええー夜陣くんもう今回の世界史の範囲完璧なの?!」
「今回の範囲というか、オレは世界史検定準一級だが」
「さすが夜陣さんですね!
オレは一年なんで、範囲違くて気付けませんでした!」
「どうだ、龍華よ。自分で作った曲の歌詞としてなら、すぐ覚えられるだろ?」
「よくもオレの曲にへんちくりんな歌詞を乗せてくれたな……」
夜陣はむ?という顔をした。
龍華はにかっと笑った。
そして言った。
「何て、もんくは言うものかよ! 感謝するぜ、夜陣」
夜陣も笑った。
そして試験当日。
「くれぐれも、本番中に歌い出すんじゃないぞ。また揚げ足取られるぞ」
「分かってンよ」
初めの教科の問題が配られ、チャイムで一斉にスタートする。
生徒たちは皆驚いた。いつもの定期考査を基本とするなら、応用といえる問題ばかりだったからだ。
ほとんどの生徒が混乱する中、DTM部の面々は冷静だった。
だが、心配だったミオは休み時間にすぐ龍華のクラスを訪ねた。
「どうだった? 龍華くん」
「端的に言ってできタ。夜陣がもしものこともある、って言って教科書外の応用的な事項まで歌詞に落とし込んだおかげだナ」
「よかった!」
結果、DTM部から赤点者は出ず、一番ぎりぎりだったのは二年の範囲を無駄に覚えていた一年生の樹だった。
それでも全員が平均以上ということが確定した。
もちろん、夜陣は学年首位であった。
黒川はハンカチを噛んで悔しがった。
夜陣が堂々と言った。
「難しくしたことがアダになりましたね。DTM部の顧問を引き受けながらも、DTM部を廃部に追い込もうとする、その心理を教えてください。それから、伝説の『DTMer』について知ってることも」
「……一芸などどいう不当な手段で合格したやつがいるからだっ!私は『DTMer』の名を汚されたくないのに!」
「名前って学校の名前ってことですか?」
「違う!サイガのだっ!」
「?! なぜその名が先生の口から出るのですか?!」
顔色を変える夜陣に、黒川はしまったという表情をした。
「く! つい口を滑らせてしまった!」
そういうと黒川はすごい勢いで去って行った。
「待ってくれ! 先生!」
夜陣が引き止めたが、無駄だった。
ミオがぽつりと呟いた。
「黒川先生……闇が深そう……」
音楽、美術、書道、工芸からひとつ選んでクラスを縦割りにし、通年で受けるという今年から始まった試みなのだが、夜陣も龍華もミオもレーレも樹も音楽だった。
選択だから、共通の授業よりはハイレベルになるんだろう、程度に生徒たちは認識していた。
レーレはクラスメートの前では寡黙のキャラを演じているため、心配になったミオは尋ねた。
「レーレちゃん、選択音楽の実技テストは、どう乗り切るの?」
レーレはごくごく小声で返事する。
「実技は口パクだな。ペーパーテストでチート点とるから問題ないのぜ」
「うーん、そんなに甘いのかなぁ?」
不安げなミオにレーレはにやりとする。
「やっぱ音楽はまずかったかな?なんせ、担当の音楽講師はウワサでは……」
その時かつかつというヒールの音が響き、女性が入ってくる。
講師だ。
講師は黒川と言う名で、ばいーんという擬音が付きそうなどこもかしこもふくらませた黒髪ショートの女だった。
校内で見かけることはあっても、夜陣は今まで黒川の授業は受けたことがなかった。
「私が選択音楽担当の、黒川だ。お前たちが難関入試を経て入学を勝ち得、さらに選択音楽を希望した勇気ある精鋭の一年、二年であることは承知している。ま、中には正当に入試を経ず、一芸入試などという甘いもので入学し、あげく授業に付いていくのが精一杯といったつまらん輩も紛れ込んでるらしいが……。
この高校は生きる伝説と呼ばれても足りない程の音楽家も輩出している。私にも誇りを保持する矜持がある。授業の質は何があっても落とすことはしないぞ。覚悟しておけ……」
その言葉にぴくりと反応し、毅然とした眼差しで黒川を見る夜陣を尻目に、レーレは小声でミオに話しかけた。
「ウワサ通りの人物みたいだな、先輩いわく、上澄み主義の黒川! 成績上位者しか目に入らない、というか、上位者しか付いていけない授業だと恐れられてるらしーが……。おい、ミオりん、聞いてるか?」
ミオは赤くなって黒川先生を睨みつけ、こぶしを固く握り込んでいた。
レーレは不思議がる。
「お前はむしろ、上位の部類だろう? もちろん私もだが……。何を熱くなってる……」
レーレはミオの熱くなり具合に疑問を持ったようだが、黒川はそんなミオには目もくれず、いきなり課題を突きつけてきた。
「ではではこの私が作曲した曲を初見で一曲歌ってもらうかな。安心しろ、全員でだ。伴奏は……そうだな。前年度ピアノ一芸入試の龍華優雅にお願いするか」
「はーい」
龍華は迷うことなく、返事をした。
「指揮は……そうだな、生徒会の結束でいいだろう。文化祭で司会などを務めていてみたいだしな」
「はい」
夜陣とミオが優勝した文化祭のミスター・ミスコンで司会をしていた体格の良い生徒が前に進み出た。
続いて立ち上がって譜面を受け取り、ちらとそれを見やるとピアノの前に移動する龍華。
続いてミオたちも同じ譜面を受け取る。
「こ……これって……!」
「声部はもちろん難しそうだけど、それほどやばくはない。ボカロとかには、これより難しい曲もいっぱいあるでしょう。けど、伴奏は……」
他の生徒たちもざわめき出した。
「こんな伴奏誰が弾けるんだよ……」
「人間の弾く曲じゃねー」
「音符びっしりで気持ち悪くなってきた……」
リストの初版レベル。例えいくら練習したって、こんなの不可能に思えるような譜面。
「弾け。龍華」
黒川は楽しそうに囁いた。
黙って譜面を見ていた夜陣が抗議の口を開きかけた。
結束という生徒がそれを制す。
結束は歌うように龍華に問うた。
「弾けるよな? 龍華」
「たりめーだ」
結束は頷くと、
「じゃっ、初見でって言われてるし、さっそく始めよう! さん、しっ」
と、指揮を始めた。
すぐに弾き始める龍華。
音符の量はイントロから既に3連弾でも捌ききれないほどだったが、龍華は淀みなく弾いていく。
ニヤついていた黒川はすぐに動揺し出した。
「ばかな……弾けるわけ……というか不可能なんだ、絶対に腕2本じゃ届かない場所があるように作った……どうやって?!」
生徒は龍華の演奏の凄まじさに皆ポカーンとして、声部に入りそびれている。
夜陣は
「今の発言、明確にピアニスト龍華殺しの曲をわざわざ作ったってことだよな」
と呟いた。
しかし、夜陣でさえも、声部に入りそびれていることは事実。
それほど、龍華の演奏は凄まじい。
龍華に合わせて脚でリズムを刻みながら、樹が叫んだ。
「龍華さん、指の長さが半端じゃない! あれなら普通は届かない十一度も届く!!」
「そういうことか!!」
「あいつ、背も、高いもんな……!」
結束が龍華を誇らしげに見た。
「龍華はやるといったらやるよ。ピアノに関しちゃな。ほら、皆次のフレーズから入って!」
樹がすぐに入り、すると樹のテノールとピアノの間にぽっかり空いた空間ができたかのようにミオには感じられた。
入りやすい、そう皆も感じたようで、結束の指揮と龍華のピアノに合わせて皆自然に歌えてしまった。
最後の小節のカララン! という高いピアノの音で歌が終わり、誰からともなく笑顔がこぼれる。レーレはすっかり得意げだ。
「できた……! 私ら、こんな難しい曲……!龍華のピアノ、難し過ぎて合わせて歌う方もすごく大変って思ったのに、全然歌えた!」
黒川は悔しそうに呟いた。
「ふん……龍華……自我が強過ぎる……伴奏には向いてないんじゃないか」
龍華はにやりと笑った。
「初めて褒めてくれましたね、そうっす、オレはピアニストなんで。本来伴奏向きじゃなくてオッケーっす。せんせーあざす」
黒川はよりいっそう悔しそうな顔をした。
「お前なんかに感謝されたって響かんな! あいつが、伝説の一騎当千『DTMer』がもしこの場にいれば、この曲だってきっとさらに鬼畜アレンジして弾いてしまっただろう……! ただ譜面通りこなせたからって得意になるなよ……!」
「何だよ、伝説の……? そいつが龍華と何か関係あるのか? てか伝説のなんちゃらって最近どっかで耳にしたような……?」
レーレが訳がわからない、といった様子で呟いた。
龍華はとぼけた。
「あいつって誰すか?」
夜陣は険しい表情で、黙って黒川と龍華を観察していた。
ミオがとりなすように龍華に駆け寄った。
「龍華くん……やっぱりすごい! 龍華くんが弾いてくれると、皆いくらでも歌える気がする!」
黒川が底冷えする声色で言い放った。
「いや、今回の初見合唱が上手くいったのは龍華でなく、上手く歌いながら絶妙に場をコントロールしていた樹都織のおかげだろう」
「?!」
全員の注目を一気に集める樹。
樹はにっこり笑った。
「えっ?オレ、普通に歌ってただけですー」
「とぼけるなよ、結束のリズムの刻み方へのアイコンタクト、難しい箇所ではミックスボイスによる実質ソロで、龍華への注目を軽減し、簡単なところでは裏役に徹して合唱として成り立っているかのように見せかけた……」 黒川は樹をびしっと指さした。
「つまり、今のは龍華ではなく実質、樹によってつくられたまがい物のステージ! 龍華はただ、弾いただけ……。はは、今後の授業が楽しみだよ。今日みたいなノリでいけると思ったら大間違いだからな……!」
そう言って、かつかつ靴音を鳴らし、去って行く黒川。
樹は飄々としたいつもの様子だ。
「いちゃもん付けないと気が済まないみたいですねー。気にせず、今の合唱の成功を喜びましょうー」
レーレが樹を咎めた。
「待てよ、樹」
「レーレさん?」
「実は私もうっすら感じてたんだよ。お前の、底知れぬ深さ。私も、ボーカルだから。分かる。これで……本業、ギタリスト? ギター持たせたら、一体どうなってしまうんだ、お前?」
ミオも樹に詰め寄った。
「樹くん……さっきの合唱……あなたは一体何をしたの? 龍華くんの手が大きいことにもすぐ気付いたみたいだし……」
樹はへらへらした。
「わー、ミオさんがオレに興味持ってくれてるー。そうだな、本気と情熱を見せただけ、だよ」
「このオレが説明しよう!」
そう突然叫び出した夜陣にクラスメートは口々に畳み掛ける。
「そう言えば夜陣いたんだ」
「今日存在感なかったよな」
「つーか、さっき口パクしてなかったか?」
クラスメートに問い詰められる夜陣はヤケ気味に解説を押し通そうとした。
「うるさい! 端的に言って、樹と龍華は手が常人よりだいぶ大きいのだっ。だから、常人がどうあっても弾けぬ曲を弾きこなせる……それだけだっ」
一同はがっくりした。
「そういう、オチね……。でも、私は樹くん、いいと思った!」
「ミオさん?」
「……自分が主役じゃなくて、人を、合唱として輝かせる歌い方なんて、考えたこと、なかったもん、私……」
樹は軽く赤面した。
「ふふっ、オレはギタリストだからさ。主役はボーカル、でいいんだよね。だから、歌う気はないってのに、歌手デビューとか、遠回しに勧められてるし……」
「そうなんだ。ま、同じ部活だし、今度、ギター、聴かせてよ!」
「うんー、って聴いたことない扱いなわけね。ほんと、ミオさん、おもしろいなぁ」
好調な滑り出しのDTM部。
「始めはコンポーザーのオレひとりだったのに、ミオに、レーレに、ピアニストに、ギタリストか。順調に集まってるな」
「役職で呼ぶな」
すぐさま龍華がつっこむ。
「オレはどう呼ばれても構いません。夜陣さんになら!」
樹はのりのりだ。
ミオが夜陣に訊いた。
「次は誰を部活に引き入れるつもり? 楽器演奏者にこだわるなら、ドラマーとかベーシストとか?」
「それってー、もはやDTM……デスクトップ・ミュージックの域を超えてるよーな……」
レーレが嫌味っぽく言ったが、夜陣は機嫌よく答えた。
「いいじゃねーか、オレはどんな領域も越えていく男だ」
ミオが突っ込んだ。
「ちょ、聞いてる方が恥ずかしくなるセリフ、ちょいちょい挟まないでくれる?」
そうは言いつつも、DTM部の五人が和気あいあいとやっていると、すごい勢いで、部室のドアが開いた。
「龍華優雅はいるかぁー?」
立っていたのは音楽恐縮、黒川だった。
「いまーす」
龍華は普通に返事したが、他の面々は黒川を何となく睨んだ。
「おいおい、睨んでくれるなよ……。せっかく顧問が指導しに来てやったというのに」
「顧問なのか?!」
「夜陣くん、そうなの?!」
「そうだぞ」
けろりとした顔で述べる夜陣。
「じゃあ、自分の部活の部員の龍華にあんな態度だったってわけ? ひどくねーか」
レーレが吐き捨てた。
黒川は聞こえたようだが、気にした様子もなかった。
「用件を言うぞ。龍華優雅は新学期始まって以来、小テストで赤点を連発している。特定の教科というわけでなく、選択音楽以外のほとんどで、だ。申し開きはあるか? 龍華よ」
「アー、ありませン」
「うん、では二週間後の中間考査で、赤点を取った場合、部活停止とするが、よいな?」
「ハイ」
「ハイ、じゃねーだろ、龍華よ」
レーレが慌てて言った。
「一芸入試って、お前のことなんだろ? 授業に着いてくのがきついってのがまじなら、中間考査でも赤点取ってしまうんじゃないのか?」
黒川に取り消してもらうよう、求めそうなレーレに、黒川は不思議そうに言った。
「他人事ではないぞ、出蔵レーレ。中間考査で赤点を取った者は龍華に限らず、部活停止となる。三人以上の部活停止で、廃部だ。他人の心配より、自分の心配をするんだな」
「な……何だそのめちゃくちゃなルール!」
「わはは、私は生徒には平等なのだよ、まさか、龍華にだけ、こんなリスクを背負わせるとでも?」
「……」
「先生。お願いがあります」
「流ミオか。何をごねても条件は覆らないぞ」
「いえ、もし私たちが全員平均以上だったら、先生について教えてください」
「私について?」
「なぜ、たちばなく……DTM部を目の敵にするのか、教えてください」
「やれやれ、こんなに可愛がってやってるというのに。いいだろう。赤点を免れるならともかく、そいつがいる限り全員平均以上は絶望的だしな」
黒川が帰った後、さっそく話し合いが行われる。
夜陣が言う。
「こうなってしまった以上、中間考査で赤点者を出すことはDTM部の存続に関わる。よって部長であるオレが責任を持って全員を良い点へ導きたい。知っての通り、オレは全教科において、常に学年首位だ。オレに勉強を教えられることについて、不満のあるやつはいるか?」
誰も名乗り出ない。
「では今日から中間考査まで部活の半分の時間は勉強会としよう。さっそく始めたいが、まず現状把握をしたい。皆の不得意教科を教えてくれ」
皆は、とは言ったが、明らかに龍華を見ている夜陣。
龍華は黙っている。
ミオがおずおずと言った。
「私は……数学とか、理科とかか苦手かな……。現代文とか、根性や暗記で解けそうなものは頑張れるんだけど」
樹が突っ込んだ。
「いやいやー、根性で正解できるなら、それは分かってるんですよ。現代文苦手な人にとっては公式依存の例外無し理数科目の方が万倍ラクなんです。ねぇ、龍華さん?」
龍華が歯切れ悪く返事した。
「そうだな……覚える公式が数個程度の理数科目よりは端から端まで暗記しなきゃならない文系科目の方が難しいな……。オレは時間がないし……」
言い訳めく龍華を夜陣はばっさり切り捨てた。
「ふむ。理数、文系といっているが、いずれにせよ暗記事項を応用して解いていくものだから、土台となる暗記ができないのは全てにおいて論外と言えるな」
「何だと?!」
「いや、だからそうなのだろう? ほとんどの教科で赤点らしいじゃねーか」
「く……」
龍華は反論できず、黒川の前とはうって変わっておとなしくなって夜陣の続きを聞く。
「暗記のプロセスとはこうだ。暗記するものを見る。理解し、頭に入れる。隠して思い出せるか試す。思い出せる。暗記の完了だ」
「……」
「こんなことは龍華とて分かっているとは思うが、お前はどの段階でつまづいているのだ?」
「頭に入れる、だ。入らねーよ」
「一度で入らなかった場合は、上記のプロセスの反復となる。手で書いたり、読み上げることで効率アップだ」
「簡単に言うな。お前に聞きたくはないが、もっと時間を短縮して大量に覚えられる方法はねーのか?」
「ある」
「あるのかよ!!」
「まだ歌詞のついていない新曲のデモとか持っているか?」
「持ってるが……今お前に渡せばいいのか?」
「そうだ」
夜陣は不審そうな目を向ける龍華からデモ音源を受け取ると、一周聴き、二周目にサラサラとペンで歌詞らしきものを付けた。
「ミオ、歌ってくれ」
歌詞が書かれた紙を受け取ったミオは驚いた様子だ。
「さすがにいきなりは歌えんか?」
「大丈夫よ、ちょっとびっくりしただけ」 ミオは淀みなく歌い出した。
「シュメールアッカドウルバビアム〜。
ヒッタカミタンニアラフェニヘ〜」
樹が突っ込んだ。
「魔術の儀式ですか?」
龍華はぽかんとしている。
ミオは少し恥ずかしそうだ。
唯一夜陣の他になるほど! といった顔をしていたレーレが解説しだした。
「これはおそらく世界史の今回の範囲である古代エジプト王朝の変遷を表している。シュメール王国、アッカド王国、ウル第三王朝、バビロニア成立、アムール人の建国。ヒッタイト強襲、ミタンニ王国、フェニキア成立までを一節に強引に落とし込んだわけだ」
「ええー夜陣くんもう今回の世界史の範囲完璧なの?!」
「今回の範囲というか、オレは世界史検定準一級だが」
「さすが夜陣さんですね!
オレは一年なんで、範囲違くて気付けませんでした!」
「どうだ、龍華よ。自分で作った曲の歌詞としてなら、すぐ覚えられるだろ?」
「よくもオレの曲にへんちくりんな歌詞を乗せてくれたな……」
夜陣はむ?という顔をした。
龍華はにかっと笑った。
そして言った。
「何て、もんくは言うものかよ! 感謝するぜ、夜陣」
夜陣も笑った。
そして試験当日。
「くれぐれも、本番中に歌い出すんじゃないぞ。また揚げ足取られるぞ」
「分かってンよ」
初めの教科の問題が配られ、チャイムで一斉にスタートする。
生徒たちは皆驚いた。いつもの定期考査を基本とするなら、応用といえる問題ばかりだったからだ。
ほとんどの生徒が混乱する中、DTM部の面々は冷静だった。
だが、心配だったミオは休み時間にすぐ龍華のクラスを訪ねた。
「どうだった? 龍華くん」
「端的に言ってできタ。夜陣がもしものこともある、って言って教科書外の応用的な事項まで歌詞に落とし込んだおかげだナ」
「よかった!」
結果、DTM部から赤点者は出ず、一番ぎりぎりだったのは二年の範囲を無駄に覚えていた一年生の樹だった。
それでも全員が平均以上ということが確定した。
もちろん、夜陣は学年首位であった。
黒川はハンカチを噛んで悔しがった。
夜陣が堂々と言った。
「難しくしたことがアダになりましたね。DTM部の顧問を引き受けながらも、DTM部を廃部に追い込もうとする、その心理を教えてください。それから、伝説の『DTMer』について知ってることも」
「……一芸などどいう不当な手段で合格したやつがいるからだっ!私は『DTMer』の名を汚されたくないのに!」
「名前って学校の名前ってことですか?」
「違う!サイガのだっ!」
「?! なぜその名が先生の口から出るのですか?!」
顔色を変える夜陣に、黒川はしまったという表情をした。
「く! つい口を滑らせてしまった!」
そういうと黒川はすごい勢いで去って行った。
「待ってくれ! 先生!」
夜陣が引き止めたが、無駄だった。
ミオがぽつりと呟いた。
「黒川先生……闇が深そう……」
