不純なほど愛おしい
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私は痴女である。
名前はナマエ・カーティス。ご存じの通り、死霊使いと畏怖されるジェイド・カーティス大佐の妻であり、直属の部下だ。
しかし、私は痴女である。
万が一、そんな話が広まれば、カーティス家の威信は地に落ち、没落の一途を辿るだろう。
そんなことになれば……私には、腹を切って詫びるしか道は残されていない。
──即ち、生命の危機というわけだ。
だから、可及的速やかにこの問題を解決しなければならなかった。大佐に知られることなく、だ。
もし、彼に私の本性を知られてしまったら……。
『まさかあなたが痴女だったとは。……なるほど。それがあなたの本性というわけですか。しおらしいふりをして、私を謀ったのですね。残念ながら、あなたは私に相応しくないようだ』
脳内のイマジナリージェイドに凍てつくような眼差しで刺し貫かれ、血の気が引いた。
(ち、違う……違うの……)
「誤解なのー!!!!」
「うおわぁあっ!?」
魂の叫びと共に庭木の隙間から顔を突き出した先には、偶然にも見知った姿があった。
神様は、こんな私でも見捨てないでいてくれたのだ。
その証明に、こうして彼と出くわしたのだから。
「ガ、ガイッ……!」
地獄で仏とは、正にこの事を言う。
彼からは後光が差して見え、思わず拝んでしまった。
「ナマエ……驚かさないでくれよ。こんな所で一体何をしてるんだ?」
まだ何一つ話していないのに、親交を深める中で鍛え上げられたであろう彼の第六感が冴え渡る。ガイは、庭木から顔を出す私を見て顔を引きつらせた。
一歩後ずさり「なんだか嫌な予感がするな……」と零しながら。
「俺もいるぞ」
「ピオニー陛下!?」
「よっ!」と、ガイの背後からひょっこり顔を出す陛下の姿に、今度は私の顔が引きつる番だ。
ご尊顔を拝見した瞬間、紐パンが頭に浮かぶ。
この国において、誰よりも尊いお方を紐パンと結び付けるだなんて……私は、腹を切る以前に打首獄門かもしれなかった。
「なんだ、深刻そうな顔をして。ジェイドと痴話喧嘩でもしたのか? 俺がまた直々に話を聞いてやってもいいぞ?」
「い、いいえっ! これ以上、陛下のお手を煩わすわけには参りませんので。今回は、お気持ちだけで……ははは、はは」
とてもじゃないが、陛下にこの話題は相談できそうにない。
またしてもおかしな提案をされるのではないかと盛大な不安が脳裏をよぎった。
失礼ながら、陛下とは前回の一件があるし、彼に相談を持ちかけたら拗れる未来しか頭に浮かばないのだ。
それに、今回は離縁の危機が迫っている以上、いかなる理由があろうとも絶対にしくじるわけにはいかない。
ガイに向き直り、声を潜めて話しかける。
「なんで陛下と一緒なの!?」
「城下から戻って来たところなんだ。ナマエは──何だか顔色が悪くないか? 隈も酷いようだし……」
「ああ、うん……。最近ろくに眠れなくて……今日で三日目くらいかなぁ」
三日も満足に眠れていないのだから、先程の庭木から顔を出す奇行は、その最たるものだったろう。
睡眠不足が祟って、思考能力が低下している何よりの証拠だ。
正常な判断ができない私の体はすでに限界なのだ。
眉を下げて困ったふうに笑うと、ガイは驚いて目を見開く。
「三日!? おいおい、そんなことしてたら体調を崩すぞ……大丈夫なのか?」
「あんまり大丈夫じゃない、かな」
私がこの状況から脱するには一縷の望みにかけるしかなかった。
先程ガイを見つけた時、神様と呼んでしまった理由もそこにある。
一縷の望み──あの過剰反応は不意を突かれたからで、たまたま心が不安定だったから起こった現象だった。大佐以外の男性でも同じ反応が起こってしまうのではないか。
もしそうであれば、大佐だけを故意に避け続ける必要はない。
……まあ、私が痴女である事実は変わらないかもしれないが。
この過剰反応が落ち着くまで、何かしら対処法は考えられるはずだ。
「ガイに頼みがあるの!」
「っ、ひ!」
縋るようにガイを見つめながら手を取ると、彼は短い悲鳴を上げて体を強張らせる。
「だ、だからっ、急に触らないでくれって何度も言ってるじゃないか……!」
直接生身で触れているわけでもないのに、手袋越しだったとしても駄目らしい。
彼の女性恐怖症はこれでもマシになった方だと聞くけれど、以前はどんな状況だったのだろう?
急に触るなと言われても、その都度“触ります”、“近付きます”と言わなければならないのだろうか?それもそれで不便だ。
「わ、分かった! 俺にできることは協力するから、一旦手を離してもらえると……」
「あ、そうだね……ごめん」
慌てて手を離すと、ガイはほっと安堵の息をつく。
そんなに安心しなくてもいいのに。
「それで頼みってのは、何をしたらいいんだ?」
「うん。私の頭を撫でてほしいの」
「…………」
ガイの表情が固まった。本日二度目だ。
それもそのはず、女性恐怖症を抱える彼に頭を撫でろだなんて酷なお願いにも程がある。
「い、いやぁー……それは流石にマズイんじゃないか?」
ガイは引きつった顔のまま苦笑いを浮かべ、私の申し出に難色を示す。
「勿論、一瞬でいいよ! こう、ポンッて感じに、一瞬で!」
「そういう問題じゃなくて……こんな所をジェイドに見られでもしたら、後でどんな目にあわされるか……」
「それなら大丈夫! 大佐は今、執務室にいるはずだから」
それでもガイは乗り気ではないようで、言葉に詰まっている。
「そういうことなら、俺が適任だな」
私達の会話に嬉々として割って入ったのはピオニー陛下だった。あえて空気は読まない主義なのかもしれない。
「へ、陛下……! あの、流石にそれは恐れ多いので……」
「遠慮するなって。それに、これはお前だけじゃなくてジェイドにも関係することのようだしな」
「それは、そうなのですが……」
「だったら、俺が一肌脱がないとな。頭を撫でれば悩みは解決するんだったか?」
「はい……きっと」
ピオニー陛下は「だが、その前に」と前置きをして私に向き直る。
蒼穹を思わせる青の瞳がじっと私を見下ろした。
大佐の赤い瞳とは正反対の色をした陛下の瞳。恐ろしくはないが、自然と背筋が伸びてしまう。
「理由を話してもらおうか」
「え゛!?」
「当然だ。俺はお前に付き合わされるんだからな。理由ぐらい話せ」
付き合ってほしいと陛下に頼んだ覚えはなかった。
いつぞやの色仕掛け作戦での事は忘れてないんだからね!
けれど、検証する為には陛下の協力なしでは不可能だ。
もしかすると、話すことで私が今抱えている大問題の解決方法を見出せるかもしれない。
だとすれば、やはり、陛下とガイの二人には話しておくべきなのだろう。
「うぅ……わ、分かりました。でも、笑わないでもらえますか?」
「善処しよう」
善処すると言った陛下の言葉を信じた私が馬鹿だった。
馬鹿正直に自分の身に起きている現象の仔細を包み隠さず打ち明けたのだ。
一人では全てを受け止めきれなかったことも手伝って、全てを話してしまったのかもしれない。
近頃、ジェイドに触れられると平常心でいられなくなること。もっと欲しいと無意識に思ってしまうこと。結果、導きだされた答えが、私は痴女であるという事実。
だから、痴女であることを大佐に知られることがないように、ここ三日間は徹底して過ごしている。
同じベッドではろくに眠れないから寝不足。書類を渡す時は必ず机を挟み、半径一メートル以上は近付かないし、食堂で食事をする時は斜め向かいの位置に座る。
日常生活で実践できることは全て行なってきた。
「斯々然々で、今、凄く悩んでいます……」
「……」
「……」
全てを話し終えると、二人は対極の反応を示していた。
肩を震わせて笑いを堪えている陛下と、どこか憐憫の色が滲む眼差しで私を見つめるガイ。
「あの、私には死活問題なのですが」
「フハ、ハハッ……ああ、いや、そうだな。悪い悪い。事情は分かった。さて、さっそく撫でてやろう」
陛下は笑いを堪えつつ、私に手を伸ばす。
ポン、と頭に無骨な手が乗せられて、わしゃわしゃと撫でつけられた。
その手付きは彼の気風や性格をそのまま表したかのように豪快だ。けれど、どこか優しく温かい。まるで自分がブウサギにでもなった気分だった。
しかし、大佐に触れられた時のようにはならない。
鼓動は少しも早まらないし、息ができなくなるほど胸が詰まりはしない。
むしろ、大佐に触れられた時の感情の揺れが一層浮き彫りになるようで──やはり、望んで触れてほしいと思えるのは彼だけなのだと改めて思い知らされた。
私達のやり取りを側で見ていたガイは、優しげな声音で言う。
「その様子だと、答えは出たみたいだな」
「うん……痴女ってことでしょ?」
「ハハハ……そうじゃなくて、それは──いや。なんでもないよ」
「おい、ガイラルディア。もったいぶるな」
「いや、俺は別にもったいぶっているわけでは……」
言葉を交わす二人を眺めながらぼんやり思う。
ガイの手に触れた時も、陛下に頭を撫でられた時も、何ともならなかった。何も感じなかった。
即ち、ジェイドだったから私はあんな風になってしまったのだ。
ジェイドだから。ジェイド、だけ──。
「結論は出たか?」
「た、たぶん……出たと思い、ます」
「なんだ、はっきりしないな」
「よし。なら、これでどうだ?」と言うや否や、陛下は力強く私の腕を引く。
そのまま胸元へ引き寄せられ、腰に逞しい腕が回された。厚い胸板が眼前に迫る。
「うわぁぁあっ! ちょ、なっ、なっ!?」
陛下の行動はあまりに予想外で、突然の出来事に脳内は一瞬で真っ白に染まる。
ただの兵士が、こんなふうに皇帝陛下と触れ合っていいわけがない。
しかも私は既婚者で、そして、ここは宮殿の裏庭だ。
つまり、何処で誰の目に晒されているのかわからない、危うい状況だということだ。
「ま、アイツの事だから何処かで見てるだろうな」
「え゛!?」
愉快だと言わんばかりに陛下は口角をつり上げ、辺りに目配せする。
対照的にガイの表情は動揺の色が滲んでいたように思う。
「ガイラルディア、俺は以前……ジェイドにこれ以上、余計な世話をやいてくれるなと言われた」
「でしたら余計にこの状況はマズイんじゃないですか!?」
「そうだな。ただ、俺はやめろと言われると……ますます首を突っ込みたくなる性分だ!」
「陛下……!」
あっはっはっは!と、豪快な笑い声が耳朶に響く。
遠のく意識の中で、たとえ抱きしめられようとも、それでもやっぱり大佐の時のようにはならないと、しっかり理解できた。
「陛下、そろそろナマエを離してやってください! 泡を吹いてますから……!」
「ん?」
「オ、オ戯レ、ヲ……」
大佐、ごめんなさい。
やっぱり私はあなた限定の痴女でした。
けれど──私の心を攫い、こんなにも堪らなくさせるのは、あなた一人だけなのです。
20260617
名前はナマエ・カーティス。ご存じの通り、死霊使いと畏怖されるジェイド・カーティス大佐の妻であり、直属の部下だ。
しかし、私は痴女である。
万が一、そんな話が広まれば、カーティス家の威信は地に落ち、没落の一途を辿るだろう。
そんなことになれば……私には、腹を切って詫びるしか道は残されていない。
──即ち、生命の危機というわけだ。
だから、可及的速やかにこの問題を解決しなければならなかった。大佐に知られることなく、だ。
もし、彼に私の本性を知られてしまったら……。
『まさかあなたが痴女だったとは。……なるほど。それがあなたの本性というわけですか。しおらしいふりをして、私を謀ったのですね。残念ながら、あなたは私に相応しくないようだ』
脳内のイマジナリージェイドに凍てつくような眼差しで刺し貫かれ、血の気が引いた。
(ち、違う……違うの……)
「誤解なのー!!!!」
「うおわぁあっ!?」
魂の叫びと共に庭木の隙間から顔を突き出した先には、偶然にも見知った姿があった。
神様は、こんな私でも見捨てないでいてくれたのだ。
その証明に、こうして彼と出くわしたのだから。
「ガ、ガイッ……!」
地獄で仏とは、正にこの事を言う。
彼からは後光が差して見え、思わず拝んでしまった。
「ナマエ……驚かさないでくれよ。こんな所で一体何をしてるんだ?」
まだ何一つ話していないのに、親交を深める中で鍛え上げられたであろう彼の第六感が冴え渡る。ガイは、庭木から顔を出す私を見て顔を引きつらせた。
一歩後ずさり「なんだか嫌な予感がするな……」と零しながら。
「俺もいるぞ」
「ピオニー陛下!?」
「よっ!」と、ガイの背後からひょっこり顔を出す陛下の姿に、今度は私の顔が引きつる番だ。
ご尊顔を拝見した瞬間、紐パンが頭に浮かぶ。
この国において、誰よりも尊いお方を紐パンと結び付けるだなんて……私は、腹を切る以前に打首獄門かもしれなかった。
「なんだ、深刻そうな顔をして。ジェイドと痴話喧嘩でもしたのか? 俺がまた直々に話を聞いてやってもいいぞ?」
「い、いいえっ! これ以上、陛下のお手を煩わすわけには参りませんので。今回は、お気持ちだけで……ははは、はは」
とてもじゃないが、陛下にこの話題は相談できそうにない。
またしてもおかしな提案をされるのではないかと盛大な不安が脳裏をよぎった。
失礼ながら、陛下とは前回の一件があるし、彼に相談を持ちかけたら拗れる未来しか頭に浮かばないのだ。
それに、今回は離縁の危機が迫っている以上、いかなる理由があろうとも絶対にしくじるわけにはいかない。
ガイに向き直り、声を潜めて話しかける。
「なんで陛下と一緒なの!?」
「城下から戻って来たところなんだ。ナマエは──何だか顔色が悪くないか? 隈も酷いようだし……」
「ああ、うん……。最近ろくに眠れなくて……今日で三日目くらいかなぁ」
三日も満足に眠れていないのだから、先程の庭木から顔を出す奇行は、その最たるものだったろう。
睡眠不足が祟って、思考能力が低下している何よりの証拠だ。
正常な判断ができない私の体はすでに限界なのだ。
眉を下げて困ったふうに笑うと、ガイは驚いて目を見開く。
「三日!? おいおい、そんなことしてたら体調を崩すぞ……大丈夫なのか?」
「あんまり大丈夫じゃない、かな」
私がこの状況から脱するには一縷の望みにかけるしかなかった。
先程ガイを見つけた時、神様と呼んでしまった理由もそこにある。
一縷の望み──あの過剰反応は不意を突かれたからで、たまたま心が不安定だったから起こった現象だった。大佐以外の男性でも同じ反応が起こってしまうのではないか。
もしそうであれば、大佐だけを故意に避け続ける必要はない。
……まあ、私が痴女である事実は変わらないかもしれないが。
この過剰反応が落ち着くまで、何かしら対処法は考えられるはずだ。
「ガイに頼みがあるの!」
「っ、ひ!」
縋るようにガイを見つめながら手を取ると、彼は短い悲鳴を上げて体を強張らせる。
「だ、だからっ、急に触らないでくれって何度も言ってるじゃないか……!」
直接生身で触れているわけでもないのに、手袋越しだったとしても駄目らしい。
彼の女性恐怖症はこれでもマシになった方だと聞くけれど、以前はどんな状況だったのだろう?
急に触るなと言われても、その都度“触ります”、“近付きます”と言わなければならないのだろうか?それもそれで不便だ。
「わ、分かった! 俺にできることは協力するから、一旦手を離してもらえると……」
「あ、そうだね……ごめん」
慌てて手を離すと、ガイはほっと安堵の息をつく。
そんなに安心しなくてもいいのに。
「それで頼みってのは、何をしたらいいんだ?」
「うん。私の頭を撫でてほしいの」
「…………」
ガイの表情が固まった。本日二度目だ。
それもそのはず、女性恐怖症を抱える彼に頭を撫でろだなんて酷なお願いにも程がある。
「い、いやぁー……それは流石にマズイんじゃないか?」
ガイは引きつった顔のまま苦笑いを浮かべ、私の申し出に難色を示す。
「勿論、一瞬でいいよ! こう、ポンッて感じに、一瞬で!」
「そういう問題じゃなくて……こんな所をジェイドに見られでもしたら、後でどんな目にあわされるか……」
「それなら大丈夫! 大佐は今、執務室にいるはずだから」
それでもガイは乗り気ではないようで、言葉に詰まっている。
「そういうことなら、俺が適任だな」
私達の会話に嬉々として割って入ったのはピオニー陛下だった。あえて空気は読まない主義なのかもしれない。
「へ、陛下……! あの、流石にそれは恐れ多いので……」
「遠慮するなって。それに、これはお前だけじゃなくてジェイドにも関係することのようだしな」
「それは、そうなのですが……」
「だったら、俺が一肌脱がないとな。頭を撫でれば悩みは解決するんだったか?」
「はい……きっと」
ピオニー陛下は「だが、その前に」と前置きをして私に向き直る。
蒼穹を思わせる青の瞳がじっと私を見下ろした。
大佐の赤い瞳とは正反対の色をした陛下の瞳。恐ろしくはないが、自然と背筋が伸びてしまう。
「理由を話してもらおうか」
「え゛!?」
「当然だ。俺はお前に付き合わされるんだからな。理由ぐらい話せ」
付き合ってほしいと陛下に頼んだ覚えはなかった。
いつぞやの色仕掛け作戦での事は忘れてないんだからね!
けれど、検証する為には陛下の協力なしでは不可能だ。
もしかすると、話すことで私が今抱えている大問題の解決方法を見出せるかもしれない。
だとすれば、やはり、陛下とガイの二人には話しておくべきなのだろう。
「うぅ……わ、分かりました。でも、笑わないでもらえますか?」
「善処しよう」
善処すると言った陛下の言葉を信じた私が馬鹿だった。
馬鹿正直に自分の身に起きている現象の仔細を包み隠さず打ち明けたのだ。
一人では全てを受け止めきれなかったことも手伝って、全てを話してしまったのかもしれない。
近頃、ジェイドに触れられると平常心でいられなくなること。もっと欲しいと無意識に思ってしまうこと。結果、導きだされた答えが、私は痴女であるという事実。
だから、痴女であることを大佐に知られることがないように、ここ三日間は徹底して過ごしている。
同じベッドではろくに眠れないから寝不足。書類を渡す時は必ず机を挟み、半径一メートル以上は近付かないし、食堂で食事をする時は斜め向かいの位置に座る。
日常生活で実践できることは全て行なってきた。
「斯々然々で、今、凄く悩んでいます……」
「……」
「……」
全てを話し終えると、二人は対極の反応を示していた。
肩を震わせて笑いを堪えている陛下と、どこか憐憫の色が滲む眼差しで私を見つめるガイ。
「あの、私には死活問題なのですが」
「フハ、ハハッ……ああ、いや、そうだな。悪い悪い。事情は分かった。さて、さっそく撫でてやろう」
陛下は笑いを堪えつつ、私に手を伸ばす。
ポン、と頭に無骨な手が乗せられて、わしゃわしゃと撫でつけられた。
その手付きは彼の気風や性格をそのまま表したかのように豪快だ。けれど、どこか優しく温かい。まるで自分がブウサギにでもなった気分だった。
しかし、大佐に触れられた時のようにはならない。
鼓動は少しも早まらないし、息ができなくなるほど胸が詰まりはしない。
むしろ、大佐に触れられた時の感情の揺れが一層浮き彫りになるようで──やはり、望んで触れてほしいと思えるのは彼だけなのだと改めて思い知らされた。
私達のやり取りを側で見ていたガイは、優しげな声音で言う。
「その様子だと、答えは出たみたいだな」
「うん……痴女ってことでしょ?」
「ハハハ……そうじゃなくて、それは──いや。なんでもないよ」
「おい、ガイラルディア。もったいぶるな」
「いや、俺は別にもったいぶっているわけでは……」
言葉を交わす二人を眺めながらぼんやり思う。
ガイの手に触れた時も、陛下に頭を撫でられた時も、何ともならなかった。何も感じなかった。
即ち、ジェイドだったから私はあんな風になってしまったのだ。
ジェイドだから。ジェイド、だけ──。
「結論は出たか?」
「た、たぶん……出たと思い、ます」
「なんだ、はっきりしないな」
「よし。なら、これでどうだ?」と言うや否や、陛下は力強く私の腕を引く。
そのまま胸元へ引き寄せられ、腰に逞しい腕が回された。厚い胸板が眼前に迫る。
「うわぁぁあっ! ちょ、なっ、なっ!?」
陛下の行動はあまりに予想外で、突然の出来事に脳内は一瞬で真っ白に染まる。
ただの兵士が、こんなふうに皇帝陛下と触れ合っていいわけがない。
しかも私は既婚者で、そして、ここは宮殿の裏庭だ。
つまり、何処で誰の目に晒されているのかわからない、危うい状況だということだ。
「ま、アイツの事だから何処かで見てるだろうな」
「え゛!?」
愉快だと言わんばかりに陛下は口角をつり上げ、辺りに目配せする。
対照的にガイの表情は動揺の色が滲んでいたように思う。
「ガイラルディア、俺は以前……ジェイドにこれ以上、余計な世話をやいてくれるなと言われた」
「でしたら余計にこの状況はマズイんじゃないですか!?」
「そうだな。ただ、俺はやめろと言われると……ますます首を突っ込みたくなる性分だ!」
「陛下……!」
あっはっはっは!と、豪快な笑い声が耳朶に響く。
遠のく意識の中で、たとえ抱きしめられようとも、それでもやっぱり大佐の時のようにはならないと、しっかり理解できた。
「陛下、そろそろナマエを離してやってください! 泡を吹いてますから……!」
「ん?」
「オ、オ戯レ、ヲ……」
大佐、ごめんなさい。
やっぱり私はあなた限定の痴女でした。
けれど──私の心を攫い、こんなにも堪らなくさせるのは、あなた一人だけなのです。
20260617