かすかな心裡とあえかな花蕾
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退役し損ねた私は、このひと月を“陛下のお側付き”という曖昧な立場で過ごしていた。
どこの部署にも所属していない現状は、日を追うごとに此処で暮らす意味を見失っていくようで、少しばかり虚しい。
何事においても解決するのは時間だというが、あの日から止まってしまった私の時間は前にも後ろにも進まないまま、何処にも行けない。
『俺が、お前と共に沈んでやると言っている。──直々にな』
止まっているのは時間だけではなく、あの日の言葉の真意すらも宙ぶらりんのままだ。
あれは単に、私を留置く為の出任せだったのかもしれない。
陛下直々に引き止める程の価値が私にあるとは到底思えず、自問自答を繰り返してばかりの毎日だ。
「まったく……近頃ろくに顔を見せないと思ったら、こんな所で土いじりか?」
「陛下……!」
突然、背後から声をかけられる。
振り向いた先には、ここひと月、私の心を掻き乱し続ける張本人の姿があった。
陛下は私の手に握られたスコップを見て、口を曲げる。
「なるほど。俺の側付きよりも、庭の手入れがいいと見えるな」
「け、決してそういうわけでは! ご公務の邪魔をしてはいけないと思いまして。ならばせめて私に出来る事を、と……」
「それで庭木の世話か?」
「はい! 花が好きなので」
手に持ったスコップをぎゅっと握りながら瞳を輝かせると、陛下は双眸を瞬かせた後、ふわりと表情を緩める。
「そうか。覚えておこう」
此方に伸びる指先が頬を滑り、付着した泥を拭いとる。
この人はいつも、こうやって私の心を乱す。
ほんの僅かな心の綻びを悟られることのないように、目の前で咲く紫陽花に指を添えて誤魔化した。
「紫陽花か。そういえば、この花は同じ場所に咲いていながら色が違うな」
「ええ。紫陽花は、土壌に含まれる成分によって色を変えるんです。同じ花なのに、花言葉も色で違うんですよ」
「ほう。それは興味深いな」
指を添えているピンク色の紫陽花を見つめながら呟く。
「ピンクは“強い愛情”」
次いで、少し離れた場所で咲く青い紫陽花に視線を滑らせる。
「青は“辛抱強い愛”。それと……“無情”」
「……随分と極端だな」
同じ花でありながら、意味の違いはまるで人の心のようだと思う。
ふと、手元に被さるような影が落ちた。
振り仰ぐと、此方に身を寄せるようにして陛下が私を覗き込んでいる。
「……っ」
驚きのあまり双眸を見開くと、彼は対照的に目を細めた。
そこに滲む感情とは、一体何だろう?
「お前の心はどちらなんだろうな?」
「え?」
「青か、それともピンクか……其処にはどちらの色の花が咲いている?」
胸元に視線が注がれる。
青い瞳は、何もかも溶かす青の炎のように、ゆらりと揺れた。
「……さ、さあ? どちらでしょうね……正直、自分でも分かりません」
「ははっ! なるほど……上手く逃げたもんだ」
「──っ」
トン、と胸元を指先で示され息を飲む。絡み取られた視線は逸らすことが出来なかった。
湛えられた笑みは、どこまでも意地が悪い。
「まあいい。“土壌”を変えればいいんだったな?」
「へ?」
「俺は、そういった事は存外得意なんだ。お前の此処に一体何色の花が咲くのか楽しみにしておこう」
「じゃあな」と言って離れた陛下は、悠然と歩きながら宮殿に戻って行く。
私はただ呆然とその背中を見送った。
姿が見えなくなると、途端に力が抜けて、その場に膝を折る。
一体、何を考えているのだろう?
──こんなにも、人の心を揺さぶって。
「はぁ……本当にずるい人……」
大丈夫──花はまだ咲いていない。
20260624
どこの部署にも所属していない現状は、日を追うごとに此処で暮らす意味を見失っていくようで、少しばかり虚しい。
何事においても解決するのは時間だというが、あの日から止まってしまった私の時間は前にも後ろにも進まないまま、何処にも行けない。
『俺が、お前と共に沈んでやると言っている。──直々にな』
止まっているのは時間だけではなく、あの日の言葉の真意すらも宙ぶらりんのままだ。
あれは単に、私を留置く為の出任せだったのかもしれない。
陛下直々に引き止める程の価値が私にあるとは到底思えず、自問自答を繰り返してばかりの毎日だ。
「まったく……近頃ろくに顔を見せないと思ったら、こんな所で土いじりか?」
「陛下……!」
突然、背後から声をかけられる。
振り向いた先には、ここひと月、私の心を掻き乱し続ける張本人の姿があった。
陛下は私の手に握られたスコップを見て、口を曲げる。
「なるほど。俺の側付きよりも、庭の手入れがいいと見えるな」
「け、決してそういうわけでは! ご公務の邪魔をしてはいけないと思いまして。ならばせめて私に出来る事を、と……」
「それで庭木の世話か?」
「はい! 花が好きなので」
手に持ったスコップをぎゅっと握りながら瞳を輝かせると、陛下は双眸を瞬かせた後、ふわりと表情を緩める。
「そうか。覚えておこう」
此方に伸びる指先が頬を滑り、付着した泥を拭いとる。
この人はいつも、こうやって私の心を乱す。
ほんの僅かな心の綻びを悟られることのないように、目の前で咲く紫陽花に指を添えて誤魔化した。
「紫陽花か。そういえば、この花は同じ場所に咲いていながら色が違うな」
「ええ。紫陽花は、土壌に含まれる成分によって色を変えるんです。同じ花なのに、花言葉も色で違うんですよ」
「ほう。それは興味深いな」
指を添えているピンク色の紫陽花を見つめながら呟く。
「ピンクは“強い愛情”」
次いで、少し離れた場所で咲く青い紫陽花に視線を滑らせる。
「青は“辛抱強い愛”。それと……“無情”」
「……随分と極端だな」
同じ花でありながら、意味の違いはまるで人の心のようだと思う。
ふと、手元に被さるような影が落ちた。
振り仰ぐと、此方に身を寄せるようにして陛下が私を覗き込んでいる。
「……っ」
驚きのあまり双眸を見開くと、彼は対照的に目を細めた。
そこに滲む感情とは、一体何だろう?
「お前の心はどちらなんだろうな?」
「え?」
「青か、それともピンクか……其処にはどちらの色の花が咲いている?」
胸元に視線が注がれる。
青い瞳は、何もかも溶かす青の炎のように、ゆらりと揺れた。
「……さ、さあ? どちらでしょうね……正直、自分でも分かりません」
「ははっ! なるほど……上手く逃げたもんだ」
「──っ」
トン、と胸元を指先で示され息を飲む。絡み取られた視線は逸らすことが出来なかった。
湛えられた笑みは、どこまでも意地が悪い。
「まあいい。“土壌”を変えればいいんだったな?」
「へ?」
「俺は、そういった事は存外得意なんだ。お前の此処に一体何色の花が咲くのか楽しみにしておこう」
「じゃあな」と言って離れた陛下は、悠然と歩きながら宮殿に戻って行く。
私はただ呆然とその背中を見送った。
姿が見えなくなると、途端に力が抜けて、その場に膝を折る。
一体、何を考えているのだろう?
──こんなにも、人の心を揺さぶって。
「はぁ……本当にずるい人……」
大丈夫──花はまだ咲いていない。
20260624