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「ひと月だ」
「……はい?」
此処へは任務報告に来たはずだった。
それなのに、この皇帝ときたら傾聴の素振りすら見せず、仏頂面でふんぞり返っている。
仕切り直すように「奏上いたします」と告げると、への字に曲げた口はその度合いを濃くした。
「ジェイド、いつまで意地を張るつもりだ」
「また藪から棒に……。一体何のお話ですか?」
「とぼけるな。俺が言いたい事くらい分かってんだろ?」
──ひと月余り。
その数字が何であるかなど、改めて考えずとも容易に見当がついた。
ナマエがダアトに戻ってからも、執務は滞りなく流れている。
傍が空白になろうとも、夜は更けて朝が来る。そうやって事務的に日々は流れてゆくものだ。
薄情な奴だと後ろ指を差されたところで、実際自分はそういった人間なので別段何とも思わない。
日常に戻った。正確には、“彼女と再会する前の日常”に。
ただ、それだけのことだ。
私があまりに普段通りであるから、気に入らないのだろう。
陛下はそれなりにナマエを気に入っていた事もあって、その嫌悪は尚更なのだ。
「お前は本当にこれで良かったと思っているのか?」
「当然ですよ」
その問いに平然と答える。
いつも通り、上辺だけの薄っぺらい笑みを湛えて陛下の期待をあっさりと裏切った。
「嘘をつけ。だったら、何故まだナマエと離縁した事が公になっていないんだ?」
「……」
負けじと言い返す陛下は痛いところを突いてくる。
私達の関係が偽装であった旨は、陛下とガイしか知らない。
しかし、夫婦として公にしていたからには、当然、後始末もしなければならなかった。
形式上、未だにナマエは長期休養扱いになっている。
離縁の報告も、除隊の処理も、まだ何も手付かずで残ったまま。
(躊躇しているわけではないが……)
目を伏せ、小さく息を吐く。
私は今一度、己の中に熾火のように燻る感情を切り離した。
いっそ、一思いに捨ててしまえればどれほど──。
「物事にはタイミングがあるのですよ。今は多忙ですから、落ち着けばいずれ」
「そうか。なら、探し出して俺が召し上げても構わんな? ナマエはダアトに居るんだろう?」
無意識に眉がピクリと動く。
いくらナマエを気に入り、女好きの陛下であっても、その発言は一国の皇帝といえど余りある。
「陛下、お戯れを」
「冗談なんかじゃない。俺は本気だぞ?」
「であれば、尚更問題です」
「何故だ? 何の未練もないんだろ? だったらナマエを召し上げたってかまわないはずだ。お前も口煩く言っていたじゃないか。跡継ぎの問題をどうにかしろと」
好戦的な目付きと、吊り上げられた口元は、私の真意を炙り出そうとしている。
所詮、はったりだ。試されているのだと頭では理解出来ても、一瞬でも揺らいでしまった事実は変えられない。
「それとこれとは話が別です。彼女には私の“元妻”という肩書が残る。家臣の妻を寝取ったなど、それこそ良くない噂が宮殿中に──ひいては国中に蔓延ってしまいますよ」
この皇帝は一体何を考えているのか。
呆れながら指摘しても、その双眸に宿った意思は揺るがない。
真正面からこちらを射抜いたままだ。
「……それでも陛下が是非と仰るのなら仕方がありません。“私のお下がり”が欲しければどうぞ差し上げますよ」
蒼穹を思わせる青と、焼け爛れるような赤は、何処までも相容れない。
絡まった視線を外さず、互いに瞬き一つしなかった。
もはや、主従の関係を超えた牽制がそこには存在していたように思う。
一国の君主に対して甚だしい不敬だ。普通なら首をはねられてもおかしくない状態だったろう。
陛下は、そんな私の強情さにため息を落として、先ほどよりも鋭い視線を寄越した。
「実につまらん言い草だ」
「ええ、つまらなくて結構。陛下の威信こそが我が国において最重要ですから」
「お前はとんだ阿呆だな」
「……は?」
陛下は、両手を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに身を預けながら再度ふんぞり返る。
今度は何を言い出すのかと思えば、阿呆の一言で片付けられてしまう。
そもそも私は此処へ何をしに来たのだったか……任務報告だったはずだ。
いつまで陛下のお喋りに付き合えばいいのだろうかと、その身も蓋もない物言いは唐突に私を現実に引き戻した。
「分からないなら何度でも言ってやろう。お前は阿呆だ。大馬鹿野郎だ。」
「……」
「聡いくせにナマエの事になると何もわかっちゃいねぇ。確かにあの日、お前の出した指示は結果的にナマエの父親の命を奪った。けどな、それはナマエを突き放す理由にはならない。分かるか? 俺が何を言いたいか」
「……ご存知だったのですか」
「当然だ。俺を誰だと思ってる」
真相を知り、苦悩した上で最善だと思い下した決断だった。
それを真っ向から否定された上、更に『分かるか?』などと問われても、答えられるはずがない。
「背負えと言ってる」
それは、とてもじゃないが私には導き出せなかった答えだ。
押し黙る事しか出来ない。
「惚れた女なんだろう? だったら、過去も全て引っくるめてお前が背負え。簡単に手放すな。自分勝手でもいいじゃねぇか。賢くあろうとする必要なんてない──それが愛するって事だろう?」
「……」
まるで頭を鈍器で思いきり殴打されたような衝撃だった。
この場に立っているだけで精一杯で、返す言葉などあるはずもなかった。
「意地を張るな。……愛に正しさなんて要らないと俺は思う」
「……そう、かもしれませんね。ですが、陛下……あなたは間違えなかったではないですか」
ネフリーとの件で、あなたは皇帝として正しい選択をした。
だからこそ、その言葉は何よりも残酷に響く。
「ジェイド」
「執務が残っていますので、失礼いたします。任務に関しては詳細を報告書にまとめていますので、お目通し願います」
これ以上は何を話す事もない。
結局、奏上が叶わなかった書類一式を机の上に置いて退室する。
「あ、おい! まだ話は終わってないぞ! ……ったく、俺は幼馴染としてお前の本心が聞きたいってのに……馬鹿野郎」
陛下の最後のお小言を背に受けながら扉を閉めた。
どうしてこうも毎度、彼は私の情緒を掻き乱すような事ばかりしでかすのだろうか……。
時にそれらは、触れられたくない場所を土足で無遠慮に踏み荒らす。
(──この程度、何ということはない)
長い廊下を歩く最中、深く息を吐き、平静を取り戻す。
基地に戻り、執務室のドアノブに手を掛ける頃には、普段通りの何食わぬ顔に戻っていた。
執務室に戻ると、いつも通り書類の整理に取り掛かる。
先程は任務報告に向かっただけだというのに、随分と時間を食ってしまった。
うんざりしそうなほど積み上げられた書類の山に手を伸ばすが、思わずその手を止めた。
──何やら部屋の外が騒がしい。
その騒がしさは段々と大きくなり、やがて執務室の前まで近付いたかと思うと、喧騒はピタリと止んだ。
そして、一瞬の静寂を経て壊れんばかりの勢いで扉が開く。
「ジェイド!!」
「──っ」
飛び込んできた姿に呼吸が止まる。
嗚呼、全く……どうしてあなたは私の言うことが聞けないのか。
小賢しく、愚かしく、意地らしい──私のナマエ。
20260505
「……はい?」
此処へは任務報告に来たはずだった。
それなのに、この皇帝ときたら傾聴の素振りすら見せず、仏頂面でふんぞり返っている。
仕切り直すように「奏上いたします」と告げると、への字に曲げた口はその度合いを濃くした。
「ジェイド、いつまで意地を張るつもりだ」
「また藪から棒に……。一体何のお話ですか?」
「とぼけるな。俺が言いたい事くらい分かってんだろ?」
──ひと月余り。
その数字が何であるかなど、改めて考えずとも容易に見当がついた。
ナマエがダアトに戻ってからも、執務は滞りなく流れている。
傍が空白になろうとも、夜は更けて朝が来る。そうやって事務的に日々は流れてゆくものだ。
薄情な奴だと後ろ指を差されたところで、実際自分はそういった人間なので別段何とも思わない。
日常に戻った。正確には、“彼女と再会する前の日常”に。
ただ、それだけのことだ。
私があまりに普段通りであるから、気に入らないのだろう。
陛下はそれなりにナマエを気に入っていた事もあって、その嫌悪は尚更なのだ。
「お前は本当にこれで良かったと思っているのか?」
「当然ですよ」
その問いに平然と答える。
いつも通り、上辺だけの薄っぺらい笑みを湛えて陛下の期待をあっさりと裏切った。
「嘘をつけ。だったら、何故まだナマエと離縁した事が公になっていないんだ?」
「……」
負けじと言い返す陛下は痛いところを突いてくる。
私達の関係が偽装であった旨は、陛下とガイしか知らない。
しかし、夫婦として公にしていたからには、当然、後始末もしなければならなかった。
形式上、未だにナマエは長期休養扱いになっている。
離縁の報告も、除隊の処理も、まだ何も手付かずで残ったまま。
(躊躇しているわけではないが……)
目を伏せ、小さく息を吐く。
私は今一度、己の中に熾火のように燻る感情を切り離した。
いっそ、一思いに捨ててしまえればどれほど──。
「物事にはタイミングがあるのですよ。今は多忙ですから、落ち着けばいずれ」
「そうか。なら、探し出して俺が召し上げても構わんな? ナマエはダアトに居るんだろう?」
無意識に眉がピクリと動く。
いくらナマエを気に入り、女好きの陛下であっても、その発言は一国の皇帝といえど余りある。
「陛下、お戯れを」
「冗談なんかじゃない。俺は本気だぞ?」
「であれば、尚更問題です」
「何故だ? 何の未練もないんだろ? だったらナマエを召し上げたってかまわないはずだ。お前も口煩く言っていたじゃないか。跡継ぎの問題をどうにかしろと」
好戦的な目付きと、吊り上げられた口元は、私の真意を炙り出そうとしている。
所詮、はったりだ。試されているのだと頭では理解出来ても、一瞬でも揺らいでしまった事実は変えられない。
「それとこれとは話が別です。彼女には私の“元妻”という肩書が残る。家臣の妻を寝取ったなど、それこそ良くない噂が宮殿中に──ひいては国中に蔓延ってしまいますよ」
この皇帝は一体何を考えているのか。
呆れながら指摘しても、その双眸に宿った意思は揺るがない。
真正面からこちらを射抜いたままだ。
「……それでも陛下が是非と仰るのなら仕方がありません。“私のお下がり”が欲しければどうぞ差し上げますよ」
蒼穹を思わせる青と、焼け爛れるような赤は、何処までも相容れない。
絡まった視線を外さず、互いに瞬き一つしなかった。
もはや、主従の関係を超えた牽制がそこには存在していたように思う。
一国の君主に対して甚だしい不敬だ。普通なら首をはねられてもおかしくない状態だったろう。
陛下は、そんな私の強情さにため息を落として、先ほどよりも鋭い視線を寄越した。
「実につまらん言い草だ」
「ええ、つまらなくて結構。陛下の威信こそが我が国において最重要ですから」
「お前はとんだ阿呆だな」
「……は?」
陛下は、両手を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに身を預けながら再度ふんぞり返る。
今度は何を言い出すのかと思えば、阿呆の一言で片付けられてしまう。
そもそも私は此処へ何をしに来たのだったか……任務報告だったはずだ。
いつまで陛下のお喋りに付き合えばいいのだろうかと、その身も蓋もない物言いは唐突に私を現実に引き戻した。
「分からないなら何度でも言ってやろう。お前は阿呆だ。大馬鹿野郎だ。」
「……」
「聡いくせにナマエの事になると何もわかっちゃいねぇ。確かにあの日、お前の出した指示は結果的にナマエの父親の命を奪った。けどな、それはナマエを突き放す理由にはならない。分かるか? 俺が何を言いたいか」
「……ご存知だったのですか」
「当然だ。俺を誰だと思ってる」
真相を知り、苦悩した上で最善だと思い下した決断だった。
それを真っ向から否定された上、更に『分かるか?』などと問われても、答えられるはずがない。
「背負えと言ってる」
それは、とてもじゃないが私には導き出せなかった答えだ。
押し黙る事しか出来ない。
「惚れた女なんだろう? だったら、過去も全て引っくるめてお前が背負え。簡単に手放すな。自分勝手でもいいじゃねぇか。賢くあろうとする必要なんてない──それが愛するって事だろう?」
「……」
まるで頭を鈍器で思いきり殴打されたような衝撃だった。
この場に立っているだけで精一杯で、返す言葉などあるはずもなかった。
「意地を張るな。……愛に正しさなんて要らないと俺は思う」
「……そう、かもしれませんね。ですが、陛下……あなたは間違えなかったではないですか」
ネフリーとの件で、あなたは皇帝として正しい選択をした。
だからこそ、その言葉は何よりも残酷に響く。
「ジェイド」
「執務が残っていますので、失礼いたします。任務に関しては詳細を報告書にまとめていますので、お目通し願います」
これ以上は何を話す事もない。
結局、奏上が叶わなかった書類一式を机の上に置いて退室する。
「あ、おい! まだ話は終わってないぞ! ……ったく、俺は幼馴染としてお前の本心が聞きたいってのに……馬鹿野郎」
陛下の最後のお小言を背に受けながら扉を閉めた。
どうしてこうも毎度、彼は私の情緒を掻き乱すような事ばかりしでかすのだろうか……。
時にそれらは、触れられたくない場所を土足で無遠慮に踏み荒らす。
(──この程度、何ということはない)
長い廊下を歩く最中、深く息を吐き、平静を取り戻す。
基地に戻り、執務室のドアノブに手を掛ける頃には、普段通りの何食わぬ顔に戻っていた。
執務室に戻ると、いつも通り書類の整理に取り掛かる。
先程は任務報告に向かっただけだというのに、随分と時間を食ってしまった。
うんざりしそうなほど積み上げられた書類の山に手を伸ばすが、思わずその手を止めた。
──何やら部屋の外が騒がしい。
その騒がしさは段々と大きくなり、やがて執務室の前まで近付いたかと思うと、喧騒はピタリと止んだ。
そして、一瞬の静寂を経て壊れんばかりの勢いで扉が開く。
「ジェイド!!」
「──っ」
飛び込んできた姿に呼吸が止まる。
嗚呼、全く……どうしてあなたは私の言うことが聞けないのか。
小賢しく、愚かしく、意地らしい──私のナマエ。
20260505