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「はぁー……」
静寂に包まれた一室には長ったらしいため息が響き渡る。
──否、これは安堵の息だったのかもしれない。
一人きりの閉鎖空間で、私はようやく肩の力を抜くことができた。
埃っぽく、薄闇に沈む書庫など、普段ならば足早に通り過ぎる場所だ。それでも今は──此処がほんの束の間、私を匿ってくれている。
書庫へ資料を探しに行くという名目で執務室を抜け出したが、実際は大佐から逃げる為の口実に過ぎないとは口が裂けても言えない。
お互いの気持ちを確かめ合ってから数日経つが、あの日から男女のあれこれといった接触は未だに無い。
ただ単に忙しい日々を送っているというだけなのだが、それでもちょっとした接触やそれらしい会話は存在するわけで……。
ここ最近、大佐の私への態度は見て取れるほどに変わった。
鈍感が服を着て歩いているような私にも実感できるほどだ。
相変わらずの軽口と皮肉は健在だけれど。
あれは最早、彼のアイデンティティだから切り離す方が難しい。
それでも、向けられる眼差しは柔らかく、声音には僅かに温かみを感じる。
それだけじゃない。静けさの奥に燻る熱を孕んだ双眸も、私に触れる指先も、形のいい唇から紡がれる言葉も。何もかも──あの日を境に変化してしまった。
あれだけの思いを向けられていて、どうして今まで平気でいられたのだろう?
──今では、息をするのもままならない。
大佐のことを考えると胸がきゅうっと締め付けられ、息苦しくなる。
(これじゃ逃げ出して来た意味ないよ……)
少しでもこの感情から逃げたくて此処を訪れているのに。
それでも、こんなにも彼の一挙手一投足に振り回されている事実は否めない。
深呼吸をして、なんとか気持ちを落ち着かせる。
そろそろ執務室に戻らなければ大佐に勘付かれるかもしれない。
執務中に席を外しているのだから、せめて資料探しの名目くらいは果たして戻らなければ、大佐のネチネチお説教が待っている。
新旧様々な本が並べられた棚を物色し、その中から目当ての本を見つけ出して腕を伸ばす。
「ふ、ん……!」
私の身長ではギリギリ届きそうで届かない絶妙な高さの段にその本はしまわれている。
爪先立ちをして目一杯腕を伸ばすが、指先が僅かに本を掠めるだけで、なかなか掴むまでには至らない。
ここで潔く諦めて踏み台の一つでも探せばよかったのに、爪先立ちでは駄目だと分かると今度はピョンピョンとその場で飛び跳ねる。
勿論、そんな事では届かないし、解決もしない。
たとえ本に触れたとしても、本を掴んで棚から抜き出さなければならないのだから。
「ふんぬーっ!!」
そんな無駄な行動を繰り返しているから最悪の事態に陥ってしまうのだ。
諦めの悪い私の末路はいつも“こう”。
目当ての本は私の手に収まることなく、眼前でスッと抜き取られる。
「あ……」
飛び跳ねて、着地と同時に背後に少しよろけてしまったが、それは“何か”によって受け止められた。
本を取ることだけに全ての意識を注いでいたせいで、背後に立つ気配に気付くのが遅れてしまった。
「此方でよろしいですか? ──お探しのものは」
「へ!? え、あ、ええっと……ありがとう、ございます」
振り仰ぐと、大佐は含みのある笑顔を浮かべている。
その笑みを前にして私が出来ることは、苦笑いでやり過ごすぐらいだ。
「どういたしまして。ま、あなたの背丈ではどれだけ意地を張ったところで届かないでしょうから」
「それはどーも! チビで悪かったですね、チビでー」
不貞腐れてそっぽを向けば、大佐は小さく声を漏らして笑う。
「誰もチビとは言っていませんよ。ですが、まあ……必死に飛び跳ねていた様子は可愛らしかったですが」
「え?」
「あまりに必死で」
「はい!? やっぱり喧嘩売ってます!?」
「まさか。思ったままを口にしただけですよ」
やはり一部始終、見られてしまっていたようだ。
彼の場合は観察に近いかもしれないが。
「大佐はどうして此処に? 何か必要な物でも?」
「いえ。あなたの戻りがあまりに遅いので、私から逃げて息抜きをしているのではないか、と思いまして」
「…………ハハハハ。ソンナバカナ」
「あなたは本当に隠し事が向いていませんねぇ」
「やれやれ」と溢して、大佐は私の顔の横に手を突いた。
背中には本棚、正面には大佐。
挟まれてしまい、逃げ出すどころか満足に身動きを取ることすら難しい。
「──まあ、その分……どうして欲しいのか、実に分かりやすい」
(あ……意地悪な顔)
私は、彼の有無を言わせない表情に弱い。
その赤い双眸にじっと見つめられてしまえば、身も心も焼き付けられるようでいて目を逸せなくなる。
無意識に本を抱く腕に力が籠った。
顎に指が添えられ、掬い上げられる。
「っ……た、いさ」
「──名前を」
唇に当てがわれた指がゆっくりと滑り、私の意思を促す。
何も言わず一思いに唇を奪ってしまえばいいのに、彼はいつもそうしない。
わざと私に選ばせるのだ。
「だ、駄目です! 今は、その……執務中、だし……」
恥ずかしさのあまり顔を逸らし、ぎゅうっと目を瞑る。
これが今の私に出来る精一杯の抵抗。
けれど、一呼吸置いて大佐はふっと小さく笑う。そんな抵抗は、抵抗ですらない──そんなふうに。
「……おや、珍しい。あなたの口からそんな言葉が聞けるとは。いつから、そんなにいい子になったのですか?」
「私は、元々いい子です……」
「そうでしたか。これは失礼。……では、いい子にはご褒美をあげましょう」
逸らしていた顔を再び正面に向き直される。
理性と本能が混じり合い、揺らぐ眼差しに囚われてしまっては、名前を呼ばざるを得なくなる。
はく、と小さく開いた唇から声にならない呼吸が一つ零れ落ちた。
「大佐は……いつもズルいで、す……」
真っ赤になって、小さく震えながら最後の抵抗を見せると、大佐は優しげに表情を緩めた。
再び顔が寄せられて、彼の身に付けている香水の香りが鼻を掠め、鼻腔を満たす。
心音がトクリと一際大きく高鳴って、じんわりと痺れる頭は思考も理性も何もかもを放棄した。
「……ジェ、イド──っ、」
名前を呼んだ瞬間、唇に彼のそれがそっと重なる。
一呼吸にも満たない刹那の接触が、リップ音を残してそっと離れる。
それは静寂が支配する部屋にやけに響いて、改めて私は大佐とキスをしたのだと実感させられた。
ただ、触れただけ。それだけでも私は堪らなくなってしまう。
身体中の血液が沸騰したみたいに熱くて堪らないのだ。
「そろそろ慣れて頂きたいものですね。五度目なのですから」
「そんな、無茶言わないでくださいよ……ん? ちょっと待って」
五度目?大佐は今、確かに五度目と言った。
けれど、私の記憶の中では──
記憶を手繰りながら指折りキスの回数を数えてみる。
一度目は二年前、私が逃げ出す時に。二度目はグランコクマに連れ戻された時だった。三度目は先日告白をした時。それから今日──だから、これはやはり四度目だ。
「これは四度目ですよ?」
「いいえ、五度目です」
「は!? う、嘘! だって記憶にありません!!」
大佐は私の主張など歯牙にもかけず、しれっと言う。
「ケテルブルクでのこと、覚えていないのですか?」
「……え?」
──ケテルブルク?
もしかして、もしかしなくても、それはあの新婚旅行もどきで訪れた時の話だろうか?
だとしたら、私達はいつの間にそんなことになっていたのだろう?
私の知らない空白があるとしたら、夜にしこたまワインを飲んで翌朝に昨夜の記憶が全てぶっ飛んでいたあの時しかない。
「あの夜のキスをなかったことにされてしまうとは……傷つきますねぇ」
「んなっ!」
その反応は絶対に傷ついていない。
寧ろ、私が何も覚えていないのを良いことに何か企んでいるに違いない。
「では、もう一度──あの日のキスをやり直しましょうか」
そう言って、大佐は僅かに目を細め、静かに眼鏡を外した。
「……っ、」
今まで彼は一度もキスをする時に眼鏡を外したことはない。
それがどういう意味なのか、頭で考えるより先に体が理解していた。
「やり直すって──っ、ん……」
今度は有無を言わさず、珍しく私を試すことすらせず、言葉ごと飲み込むように深く唇を奪われる。
零れ落ちた大佐の長い髪が被さるように頬を掠め、滑り落ちた。
先程のような軽く触れるものではなく、角度を変えて何度も確かめ、求め合うようなそれは、私たちの確かな関係性を今一度この身に教え込まれているようだと思った。
唇が離れても、呼吸だけが絡むように近くに残る。
奪われた熱が行き場を失ったまま、喉の奥で浅く震えた。
「……今は、此処までにしておきましょう。……これ以上は、私も止められなくなりそうです」
「っ、だから……そういう事──」
唇に指を押し当てられ、制される。
「この続きは、いずれ」
それ以上の言葉なんて、もう必要ない。
唇から彼の指が離れても、熱だけが残っている。
──ああ、私はもう頭の天辺から足の爪先まで。余すことなく彼のものなのだ。
20260412
静寂に包まれた一室には長ったらしいため息が響き渡る。
──否、これは安堵の息だったのかもしれない。
一人きりの閉鎖空間で、私はようやく肩の力を抜くことができた。
埃っぽく、薄闇に沈む書庫など、普段ならば足早に通り過ぎる場所だ。それでも今は──此処がほんの束の間、私を匿ってくれている。
書庫へ資料を探しに行くという名目で執務室を抜け出したが、実際は大佐から逃げる為の口実に過ぎないとは口が裂けても言えない。
お互いの気持ちを確かめ合ってから数日経つが、あの日から男女のあれこれといった接触は未だに無い。
ただ単に忙しい日々を送っているというだけなのだが、それでもちょっとした接触やそれらしい会話は存在するわけで……。
ここ最近、大佐の私への態度は見て取れるほどに変わった。
鈍感が服を着て歩いているような私にも実感できるほどだ。
相変わらずの軽口と皮肉は健在だけれど。
あれは最早、彼のアイデンティティだから切り離す方が難しい。
それでも、向けられる眼差しは柔らかく、声音には僅かに温かみを感じる。
それだけじゃない。静けさの奥に燻る熱を孕んだ双眸も、私に触れる指先も、形のいい唇から紡がれる言葉も。何もかも──あの日を境に変化してしまった。
あれだけの思いを向けられていて、どうして今まで平気でいられたのだろう?
──今では、息をするのもままならない。
大佐のことを考えると胸がきゅうっと締め付けられ、息苦しくなる。
(これじゃ逃げ出して来た意味ないよ……)
少しでもこの感情から逃げたくて此処を訪れているのに。
それでも、こんなにも彼の一挙手一投足に振り回されている事実は否めない。
深呼吸をして、なんとか気持ちを落ち着かせる。
そろそろ執務室に戻らなければ大佐に勘付かれるかもしれない。
執務中に席を外しているのだから、せめて資料探しの名目くらいは果たして戻らなければ、大佐のネチネチお説教が待っている。
新旧様々な本が並べられた棚を物色し、その中から目当ての本を見つけ出して腕を伸ばす。
「ふ、ん……!」
私の身長ではギリギリ届きそうで届かない絶妙な高さの段にその本はしまわれている。
爪先立ちをして目一杯腕を伸ばすが、指先が僅かに本を掠めるだけで、なかなか掴むまでには至らない。
ここで潔く諦めて踏み台の一つでも探せばよかったのに、爪先立ちでは駄目だと分かると今度はピョンピョンとその場で飛び跳ねる。
勿論、そんな事では届かないし、解決もしない。
たとえ本に触れたとしても、本を掴んで棚から抜き出さなければならないのだから。
「ふんぬーっ!!」
そんな無駄な行動を繰り返しているから最悪の事態に陥ってしまうのだ。
諦めの悪い私の末路はいつも“こう”。
目当ての本は私の手に収まることなく、眼前でスッと抜き取られる。
「あ……」
飛び跳ねて、着地と同時に背後に少しよろけてしまったが、それは“何か”によって受け止められた。
本を取ることだけに全ての意識を注いでいたせいで、背後に立つ気配に気付くのが遅れてしまった。
「此方でよろしいですか? ──お探しのものは」
「へ!? え、あ、ええっと……ありがとう、ございます」
振り仰ぐと、大佐は含みのある笑顔を浮かべている。
その笑みを前にして私が出来ることは、苦笑いでやり過ごすぐらいだ。
「どういたしまして。ま、あなたの背丈ではどれだけ意地を張ったところで届かないでしょうから」
「それはどーも! チビで悪かったですね、チビでー」
不貞腐れてそっぽを向けば、大佐は小さく声を漏らして笑う。
「誰もチビとは言っていませんよ。ですが、まあ……必死に飛び跳ねていた様子は可愛らしかったですが」
「え?」
「あまりに必死で」
「はい!? やっぱり喧嘩売ってます!?」
「まさか。思ったままを口にしただけですよ」
やはり一部始終、見られてしまっていたようだ。
彼の場合は観察に近いかもしれないが。
「大佐はどうして此処に? 何か必要な物でも?」
「いえ。あなたの戻りがあまりに遅いので、私から逃げて息抜きをしているのではないか、と思いまして」
「…………ハハハハ。ソンナバカナ」
「あなたは本当に隠し事が向いていませんねぇ」
「やれやれ」と溢して、大佐は私の顔の横に手を突いた。
背中には本棚、正面には大佐。
挟まれてしまい、逃げ出すどころか満足に身動きを取ることすら難しい。
「──まあ、その分……どうして欲しいのか、実に分かりやすい」
(あ……意地悪な顔)
私は、彼の有無を言わせない表情に弱い。
その赤い双眸にじっと見つめられてしまえば、身も心も焼き付けられるようでいて目を逸せなくなる。
無意識に本を抱く腕に力が籠った。
顎に指が添えられ、掬い上げられる。
「っ……た、いさ」
「──名前を」
唇に当てがわれた指がゆっくりと滑り、私の意思を促す。
何も言わず一思いに唇を奪ってしまえばいいのに、彼はいつもそうしない。
わざと私に選ばせるのだ。
「だ、駄目です! 今は、その……執務中、だし……」
恥ずかしさのあまり顔を逸らし、ぎゅうっと目を瞑る。
これが今の私に出来る精一杯の抵抗。
けれど、一呼吸置いて大佐はふっと小さく笑う。そんな抵抗は、抵抗ですらない──そんなふうに。
「……おや、珍しい。あなたの口からそんな言葉が聞けるとは。いつから、そんなにいい子になったのですか?」
「私は、元々いい子です……」
「そうでしたか。これは失礼。……では、いい子にはご褒美をあげましょう」
逸らしていた顔を再び正面に向き直される。
理性と本能が混じり合い、揺らぐ眼差しに囚われてしまっては、名前を呼ばざるを得なくなる。
はく、と小さく開いた唇から声にならない呼吸が一つ零れ落ちた。
「大佐は……いつもズルいで、す……」
真っ赤になって、小さく震えながら最後の抵抗を見せると、大佐は優しげに表情を緩めた。
再び顔が寄せられて、彼の身に付けている香水の香りが鼻を掠め、鼻腔を満たす。
心音がトクリと一際大きく高鳴って、じんわりと痺れる頭は思考も理性も何もかもを放棄した。
「……ジェ、イド──っ、」
名前を呼んだ瞬間、唇に彼のそれがそっと重なる。
一呼吸にも満たない刹那の接触が、リップ音を残してそっと離れる。
それは静寂が支配する部屋にやけに響いて、改めて私は大佐とキスをしたのだと実感させられた。
ただ、触れただけ。それだけでも私は堪らなくなってしまう。
身体中の血液が沸騰したみたいに熱くて堪らないのだ。
「そろそろ慣れて頂きたいものですね。五度目なのですから」
「そんな、無茶言わないでくださいよ……ん? ちょっと待って」
五度目?大佐は今、確かに五度目と言った。
けれど、私の記憶の中では──
記憶を手繰りながら指折りキスの回数を数えてみる。
一度目は二年前、私が逃げ出す時に。二度目はグランコクマに連れ戻された時だった。三度目は先日告白をした時。それから今日──だから、これはやはり四度目だ。
「これは四度目ですよ?」
「いいえ、五度目です」
「は!? う、嘘! だって記憶にありません!!」
大佐は私の主張など歯牙にもかけず、しれっと言う。
「ケテルブルクでのこと、覚えていないのですか?」
「……え?」
──ケテルブルク?
もしかして、もしかしなくても、それはあの新婚旅行もどきで訪れた時の話だろうか?
だとしたら、私達はいつの間にそんなことになっていたのだろう?
私の知らない空白があるとしたら、夜にしこたまワインを飲んで翌朝に昨夜の記憶が全てぶっ飛んでいたあの時しかない。
「あの夜のキスをなかったことにされてしまうとは……傷つきますねぇ」
「んなっ!」
その反応は絶対に傷ついていない。
寧ろ、私が何も覚えていないのを良いことに何か企んでいるに違いない。
「では、もう一度──あの日のキスをやり直しましょうか」
そう言って、大佐は僅かに目を細め、静かに眼鏡を外した。
「……っ、」
今まで彼は一度もキスをする時に眼鏡を外したことはない。
それがどういう意味なのか、頭で考えるより先に体が理解していた。
「やり直すって──っ、ん……」
今度は有無を言わさず、珍しく私を試すことすらせず、言葉ごと飲み込むように深く唇を奪われる。
零れ落ちた大佐の長い髪が被さるように頬を掠め、滑り落ちた。
先程のような軽く触れるものではなく、角度を変えて何度も確かめ、求め合うようなそれは、私たちの確かな関係性を今一度この身に教え込まれているようだと思った。
唇が離れても、呼吸だけが絡むように近くに残る。
奪われた熱が行き場を失ったまま、喉の奥で浅く震えた。
「……今は、此処までにしておきましょう。……これ以上は、私も止められなくなりそうです」
「っ、だから……そういう事──」
唇に指を押し当てられ、制される。
「この続きは、いずれ」
それ以上の言葉なんて、もう必要ない。
唇から彼の指が離れても、熱だけが残っている。
──ああ、私はもう頭の天辺から足の爪先まで。余すことなく彼のものなのだ。
20260412