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「んふふっ」
ベッドの上でゴロリと半回転し、もう何度目とも知れない手紙を読み直しては、表情をだらしなく緩める。
バスルームと部屋を仕切る扉が開いて、シャワーを浴び終えた様子の大佐が部屋へと戻って来た。
大佐は、雫の滴る髪を首に掛けたタオルで拭き取りながら、ベッドの上で転がり回る私を視界に捉える。
「おや、随分と上機嫌ですねぇ。締まりのない顔が、一段落と伸び切っていますよ?」
「悪かったですねー普段から締まりのない顔で。せっかく嬉しい事があったのに、水を差さないでくださいよ」
「手紙、ですか?」
「はい!」
いち早く上機嫌の理由を見つけ出した大佐は、私の手を――正確には握られた手紙を見て「ふむ、」と意味深な反応を示した。
「手紙といえば……こんな話をご存知ですか?」
「な、何ですか?」
神妙な語り口が、やけにリアリティーを帯びている。
こんな時の大佐からは、ろくな話が聞けないと経験則で分かっているはずなのに耳を傾けずにはいられない自分がいる。
「とある人の元へ差出人不明の手紙が届いたそうです。不審に思い中身を確認すれば、そこには近い将来起こるであろう不吉な内容が記されていた。その未来を回避する為には、一定期間内に同じ内容を記した手紙を複数人に出さなければならない。それを無視した者は――」
「も、者は……?」
「手紙の内容通り、悲惨な末路を辿った」
「ひぃ! ……はは、ははは。そんなのは迷信でしょ!? し、信じない……絶対信じない!」
そんな嘘臭い話を一体誰が信じるのか。
しかし、大佐は話し終わった後も、意味深な表情を崩さない。
沈黙が降りて、異様な空気が室内を包み込む。
「……」
「……え、大佐? 嘘、ですよね? ね!?」
いよいよ心配になって、寝そべっていた体を恐る恐る起こし、問いかける。
「はい。勿論、街談巷説のようなものですよ」
「ほ、ほら! やっぱり! 真顔で言うから……もう、脅かさないでくだいよ!」
「いやぁ、すみません。あなたがあまりに良い反応をするので、つい」
安堵したのと同時に、盛大なため息をつく。
そして、遊ばれていたことへの怒りを込めて大佐を睨みつけた。
「残念でした! これは不幸の手紙なんかじゃありませーん」
「そうでしょうね。不幸の手紙をにやけながら読んでいる方が問題ですよ」
彼にとっての謝罪は謝罪にあらず。
またしても人を小馬鹿にしたような態度で軽口を叩く。
「それで? 不幸の手紙でなければ、差出人は一体誰からですか?」
飽きもせず、まだ不幸の手紙を引き合いに出すようだ。
それとも何か?私の元には不幸の手紙か果し状のような物騒な手紙しか届かないとでも思っているのだろうか、この男は。
考えを巡らせる。その可能性を捨てきれない辺りが鬼畜眼鏡と呼ばれる(私が一方的に呼んでいる)所以なのかも知れない。
「これは、この間助けた兵士さんからもらったんです。今日から復帰したみたいで」
「……」
大佐は僅かな沈黙を経て、思い至ったように「ああ……」と、呟いた。
一瞬、視線が研ぎ澄まされたような気がしたが……気のせいだろうか?
「彼ですか。あなたが甲斐甲斐しく世話をやいていた」
「甲斐甲斐しくなんて……ただ何度か様子は見に行ったけど、それだけですよ?」
「わざわざあなたの時間を割いたのでしょう? 十分、甲斐甲斐しいと思いますがね」
「あー、はいはい」
(何だか今日はやけにネチネチしてるな……)
近頃、鳴りを潜めていた大佐のネチネチ口撃を久々にこの身に受けて、ああ、そうだ彼はこういう人だったと認識を改める。
「でも、こんな風に誰かから感謝の手紙をもらったの初めてで……。ビックリしました」
視線を手の中の手紙に落とす。
「なんだか認められたような気がして……」と零し、手紙を口元に被せて微笑んだ。
私も此処にいていいのだと、誰かの役に立てているのだと。
漸く居場所を見つけられたようで、胸が陽だまりのような暖かさで満たされていた。
「えへへ……だから、とっても嬉しいんです」
「……」
この時、大佐が何を思い、感じ、何を否としての行動だったのか――私には到底分かるはずもない。
大佐は、無言で此方に手を差し出す。
その視線は手紙に注がれている。
「それを貸してください」
「……え? なんで、ですか?」
真っ直ぐ差し出された手から伝わるそこはかとない圧力に、ほんの一瞬怯んでしまう。
素直に差し出せていれば、まだ、彼の心情を掻き乱す事はなかったのかもしれないけれど。
「……それとも、第三者に見せるには憚られるような内容でしたか?」
「そんなことは、ないですけど……」
わざと此方が拒めない口振りで言う。
それに“第三者”だなんて酷く他人行儀だ。
表情も声音も普段通り。けれど、その言葉の端々に虫の居所の悪さが滲んでいる。
差し出された手紙を受け取ると、静かに目を通す。
数行読んだところで、ほんの僅かに眉が動いた。
大佐は手紙を最後まで読み終え、何事もなかったかのように丁寧に手紙を折り直す。
「……なるほど」
「だから、何も無いって言ったじゃないですか」
「果たしてそうでしょうか? 礼状にしては……少々、熱心過ぎるようにも見えますが」
「んなっ、だから、別にそんなことないですってば!」
大佐の視線は尚、手紙から外れる事はない。
彼の言葉に、少しばかり焦燥を覚える。
認められ、必要とされ、居場所を見つけた――それらを全て否定されたような気がしてならなかったからだ。
負けじと手を差し出す。
早くしろと言わんばかりに、ずいっと何度も主張を強めながら返却を求める。
けれど、大佐はそれを静観するに留め、手紙を返す気配は一向に感じられない。
「もういいでしょう!? それ、早く返してください」
「ええ、勿論返しますよ」
一呼吸置いて、手紙から転じた大佐の赤い瞳が私を射竦める。
「――――後程」
差し貫くような眼差しとは裏腹に、声色は妙に穏やかだ。
そのアンバランスさが一層不穏さに拍車をかけているようでならない。
「い、今! 今返してくださいよ!」
「そんなにこの手紙が大切ですか?」
「大切に決まってるじゃないですか」
きっぱりと迷いなく言い切った私に対し、大佐は、はぁ……と、わざとらしいため息をついた後、声音を一段低くして言う。
「何度、同じことを言わせるおつもりですか? あなたは、私の妻である自覚が足りない」
「……それと手紙と何の関係があるっていうの?」
「ですから――こんなものを容易に受け取るべきではないと言っているんですよ。相手に付け入る隙を与えてどうするんです? ……それとも、誰彼構わずそのような顔を見せるおつもりですか?」
「は、はぁ?」
大佐が何を言いたいのか分からない。
なぜ、手紙をもらっただけで、そこまで指図されなければならないのか。
張りぼての関係でありながら、それでも少しくらい歩み寄れていると思っていた。彼という人間を、きちんと知ろうと思った。
それなのに、その発言はまるで――私の意思なんて必要ないみたいだ。
「……大佐こそ」
俯き、ぽつりと零す。
「大佐こそ、勘違いしないでくださいよ。全然、分かってないです!」
これ以上は駄目だと脳裏に浮かんだけれど、膨れ上がった感情は堰を切って流れ出る。
「確かに私達は偽装です。体裁はそうでも……心まで、あなたのものじゃない!」
「!」
大佐は目を見開く。
一度ゆっくりと瞬きをすると、そのまま視線を落とした。
「……そうですか」
それ以上何も言わず、ただただ静かに私を捉える瞳の奥が冷えていくのが分かった。
凍てついた眼差しと、驚くほど静かな彼の所作に、胸の奥がざわつく。
この瞬間、私は悟ったのだ。
あの一言だけは絶対に口にしてはいけない言葉だったのだと。
けれど、口を衝いて出た言葉は戻らない。
どうして私はいつもこうなってしまうのだろう?
――大切なものほど、失ってから気付くのだ。
20260322
ベッドの上でゴロリと半回転し、もう何度目とも知れない手紙を読み直しては、表情をだらしなく緩める。
バスルームと部屋を仕切る扉が開いて、シャワーを浴び終えた様子の大佐が部屋へと戻って来た。
大佐は、雫の滴る髪を首に掛けたタオルで拭き取りながら、ベッドの上で転がり回る私を視界に捉える。
「おや、随分と上機嫌ですねぇ。締まりのない顔が、一段落と伸び切っていますよ?」
「悪かったですねー普段から締まりのない顔で。せっかく嬉しい事があったのに、水を差さないでくださいよ」
「手紙、ですか?」
「はい!」
いち早く上機嫌の理由を見つけ出した大佐は、私の手を――正確には握られた手紙を見て「ふむ、」と意味深な反応を示した。
「手紙といえば……こんな話をご存知ですか?」
「な、何ですか?」
神妙な語り口が、やけにリアリティーを帯びている。
こんな時の大佐からは、ろくな話が聞けないと経験則で分かっているはずなのに耳を傾けずにはいられない自分がいる。
「とある人の元へ差出人不明の手紙が届いたそうです。不審に思い中身を確認すれば、そこには近い将来起こるであろう不吉な内容が記されていた。その未来を回避する為には、一定期間内に同じ内容を記した手紙を複数人に出さなければならない。それを無視した者は――」
「も、者は……?」
「手紙の内容通り、悲惨な末路を辿った」
「ひぃ! ……はは、ははは。そんなのは迷信でしょ!? し、信じない……絶対信じない!」
そんな嘘臭い話を一体誰が信じるのか。
しかし、大佐は話し終わった後も、意味深な表情を崩さない。
沈黙が降りて、異様な空気が室内を包み込む。
「……」
「……え、大佐? 嘘、ですよね? ね!?」
いよいよ心配になって、寝そべっていた体を恐る恐る起こし、問いかける。
「はい。勿論、街談巷説のようなものですよ」
「ほ、ほら! やっぱり! 真顔で言うから……もう、脅かさないでくだいよ!」
「いやぁ、すみません。あなたがあまりに良い反応をするので、つい」
安堵したのと同時に、盛大なため息をつく。
そして、遊ばれていたことへの怒りを込めて大佐を睨みつけた。
「残念でした! これは不幸の手紙なんかじゃありませーん」
「そうでしょうね。不幸の手紙をにやけながら読んでいる方が問題ですよ」
彼にとっての謝罪は謝罪にあらず。
またしても人を小馬鹿にしたような態度で軽口を叩く。
「それで? 不幸の手紙でなければ、差出人は一体誰からですか?」
飽きもせず、まだ不幸の手紙を引き合いに出すようだ。
それとも何か?私の元には不幸の手紙か果し状のような物騒な手紙しか届かないとでも思っているのだろうか、この男は。
考えを巡らせる。その可能性を捨てきれない辺りが鬼畜眼鏡と呼ばれる(私が一方的に呼んでいる)所以なのかも知れない。
「これは、この間助けた兵士さんからもらったんです。今日から復帰したみたいで」
「……」
大佐は僅かな沈黙を経て、思い至ったように「ああ……」と、呟いた。
一瞬、視線が研ぎ澄まされたような気がしたが……気のせいだろうか?
「彼ですか。あなたが甲斐甲斐しく世話をやいていた」
「甲斐甲斐しくなんて……ただ何度か様子は見に行ったけど、それだけですよ?」
「わざわざあなたの時間を割いたのでしょう? 十分、甲斐甲斐しいと思いますがね」
「あー、はいはい」
(何だか今日はやけにネチネチしてるな……)
近頃、鳴りを潜めていた大佐のネチネチ口撃を久々にこの身に受けて、ああ、そうだ彼はこういう人だったと認識を改める。
「でも、こんな風に誰かから感謝の手紙をもらったの初めてで……。ビックリしました」
視線を手の中の手紙に落とす。
「なんだか認められたような気がして……」と零し、手紙を口元に被せて微笑んだ。
私も此処にいていいのだと、誰かの役に立てているのだと。
漸く居場所を見つけられたようで、胸が陽だまりのような暖かさで満たされていた。
「えへへ……だから、とっても嬉しいんです」
「……」
この時、大佐が何を思い、感じ、何を否としての行動だったのか――私には到底分かるはずもない。
大佐は、無言で此方に手を差し出す。
その視線は手紙に注がれている。
「それを貸してください」
「……え? なんで、ですか?」
真っ直ぐ差し出された手から伝わるそこはかとない圧力に、ほんの一瞬怯んでしまう。
素直に差し出せていれば、まだ、彼の心情を掻き乱す事はなかったのかもしれないけれど。
「……それとも、第三者に見せるには憚られるような内容でしたか?」
「そんなことは、ないですけど……」
わざと此方が拒めない口振りで言う。
それに“第三者”だなんて酷く他人行儀だ。
表情も声音も普段通り。けれど、その言葉の端々に虫の居所の悪さが滲んでいる。
差し出された手紙を受け取ると、静かに目を通す。
数行読んだところで、ほんの僅かに眉が動いた。
大佐は手紙を最後まで読み終え、何事もなかったかのように丁寧に手紙を折り直す。
「……なるほど」
「だから、何も無いって言ったじゃないですか」
「果たしてそうでしょうか? 礼状にしては……少々、熱心過ぎるようにも見えますが」
「んなっ、だから、別にそんなことないですってば!」
大佐の視線は尚、手紙から外れる事はない。
彼の言葉に、少しばかり焦燥を覚える。
認められ、必要とされ、居場所を見つけた――それらを全て否定されたような気がしてならなかったからだ。
負けじと手を差し出す。
早くしろと言わんばかりに、ずいっと何度も主張を強めながら返却を求める。
けれど、大佐はそれを静観するに留め、手紙を返す気配は一向に感じられない。
「もういいでしょう!? それ、早く返してください」
「ええ、勿論返しますよ」
一呼吸置いて、手紙から転じた大佐の赤い瞳が私を射竦める。
「――――後程」
差し貫くような眼差しとは裏腹に、声色は妙に穏やかだ。
そのアンバランスさが一層不穏さに拍車をかけているようでならない。
「い、今! 今返してくださいよ!」
「そんなにこの手紙が大切ですか?」
「大切に決まってるじゃないですか」
きっぱりと迷いなく言い切った私に対し、大佐は、はぁ……と、わざとらしいため息をついた後、声音を一段低くして言う。
「何度、同じことを言わせるおつもりですか? あなたは、私の妻である自覚が足りない」
「……それと手紙と何の関係があるっていうの?」
「ですから――こんなものを容易に受け取るべきではないと言っているんですよ。相手に付け入る隙を与えてどうするんです? ……それとも、誰彼構わずそのような顔を見せるおつもりですか?」
「は、はぁ?」
大佐が何を言いたいのか分からない。
なぜ、手紙をもらっただけで、そこまで指図されなければならないのか。
張りぼての関係でありながら、それでも少しくらい歩み寄れていると思っていた。彼という人間を、きちんと知ろうと思った。
それなのに、その発言はまるで――私の意思なんて必要ないみたいだ。
「……大佐こそ」
俯き、ぽつりと零す。
「大佐こそ、勘違いしないでくださいよ。全然、分かってないです!」
これ以上は駄目だと脳裏に浮かんだけれど、膨れ上がった感情は堰を切って流れ出る。
「確かに私達は偽装です。体裁はそうでも……心まで、あなたのものじゃない!」
「!」
大佐は目を見開く。
一度ゆっくりと瞬きをすると、そのまま視線を落とした。
「……そうですか」
それ以上何も言わず、ただただ静かに私を捉える瞳の奥が冷えていくのが分かった。
凍てついた眼差しと、驚くほど静かな彼の所作に、胸の奥がざわつく。
この瞬間、私は悟ったのだ。
あの一言だけは絶対に口にしてはいけない言葉だったのだと。
けれど、口を衝いて出た言葉は戻らない。
どうして私はいつもこうなってしまうのだろう?
――大切なものほど、失ってから気付くのだ。
20260322