24
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「いやぁーそれにしても、あなたがカナヅチだったとは」
浮き輪を装着し、万全を期してプールに浮かぶ私に、大佐は揶揄いの眼差しを向けた。
優雅にサンラウンジャーで寛ぐ彼の声音はどこか弾んでいて、まるで目新しい玩具を見つけた子供のようだ、と思った。
「悪いですか?」
「いいえ。あなたにはまだ、私の知らない一面があるのだなと思っただけですよ」
素直な感想だったのだろうが、大佐がその台詞を口にすると何だか弱みを握られてしまったような気がしてならないのは何故だろう?
知らない一面と言えば聞こえはいいが、これはただ単に弱点を把握されただけで、私にとっては百害あって一利なし……なのでは?
いや、一利はあるか……。もしも私が溺れそうな状況に陥った時、カナヅチであることを知っていれば対処してくれるだろう。
まあ、そんな状況に陥らないことが一番なのだけれど……。
「これで分かったでしょ? 海上での任務には私を同行させない方がいいですよ?」
「任務は選んでするものではないですからねぇ。せいぜい海に落ちないことを祈っては?」
「……意地悪ですね。上司なら部下の面倒くらい見てくださいよー」
「確かにあなたは私の補佐官兼妻ですが、任務中に子守まで出来ませんよ」
私はこの時、大佐の子守発言に発狂するよりも、海上任務の際には必ず浮遊具を用意しておこうと静かに決意した。
話題をふったのは私だが、スパに来てまで仕事の話はしたくない。
唇を尖らせ、ふいっと顔を背ける。
じっとりとした視線だけを残し、視界の端に捉えた大佐を睨み付ける。
「だいたい、プールなのに何でバスローブなんですか? 違和感なさ過ぎて一周回って腹立たしいです」
「お褒め頂き光栄です。まあ、“リゾートキング”の称号は伊達ではない――と、言ったところでしょうか?」
(リゾートキング? 称号? 何それ)
聞き慣れない単語に小首を傾げる。
「あなたこそ、陛下が用意した水着が似合わなかったからといって、私に八つ当たりするのはやめて頂きたいですね」
「んなっ! 何で知ってるんですか!?」
あの、やけに面積の少ないおおよそ水着と呼ぶには心許ない布切れ同然の“あれ”の存在を、どうして大佐が知っているのだろう?
あれはもっと出るところが出た選ばれし者が着るべき水着だと思う。
選ばれし者だなんて勇者みたいな言い回しだが、あれを着る勇気がある者はある意味勇者であるからあながち間違いではない。
「以前もそうでしたから」
「以前?」
「ええ。ここへ来るのは初めてではありませんので……まあ、“懐かしい思い出”というやつですよ」
大佐は物憂げな視線でどことも知れない宙を見る。
その表情は懐かしい思い出に浸るにはあまりに静かで寂しげなものだった。
これ以上深掘りすべきではないと、それこそ何となく悟り、それ以上の事を尋ねるのをやめた。
誰にでもあるものだ。無理に語る必要のない記憶の一つや二つくらい。そして、必ずしも近しい間柄だからといってそれらを知る必要はない。
私の場合、偽装の時点で近しくも何ともないので、尚更その資格はないのだろうけれど。
できる限り自然に話題を変える。
それは偽装妻の私から偽装夫である大佐への精一杯の気遣いだった。
「そう言えば、やけに毛並みの良いネフリーって名前のブウサギがいますけど……もしかして妹さんから取ってるんですか?」
「ええ、そうですよ。ブウサギ達にはそれぞれ陛下の馴染みの名前が付けられているんです」
アスランとは言葉を交わしたことがある。まさか名付けの餌食にされているとは思わなかったけれど、マルクトへ連れ帰られて数日後、彼が亡くなっていた事実を知った。
ゲルダは、幼少期の恩師だと陛下から教えてもらった事がある。ルークのことも。ガイは彼の元使用人で、唯一無二の親友だったのだとか。
だから、サフィール――彼の素性だけ未だに知らないままだ。
「陛下らしいですね……あ、サフィールとは誰ですか? 彼だけが不明なんですよねぇ……」
「サフィール? それは、何処の鼻垂れですか? 知らない名前ですね」
尋ねると、大佐は白々しく答えた。
真顔で、まさに“無”と言い表す以外に見当たらない、何も感じ取れない表情だった。
いや、絶対知ってるよね?びっくりするぐらい不自然だったもの。
「陛下は幼少期をケテルブルクで過ごされていましたから。私とネフリーはその時に陛下と知り合ったんです」
「へえー。そうなんです、か……ん?」
陛下は幼少期グランコクマではなくケテルブルクで過ごしていた?
そこで大佐やネフリーさんと知り合った?
「ちょ、ちょっと待った! ……え? ということは、ジェイドはケテルブルク出身……なんですか?」
「そうですよ。おや、ご存知なかったですか?」
「ご、ご存知ないですよ!」
そんな話は聞いたことがない。初めて知った。
尋ねなかったではないかと指摘されればそれまでだが、今までだってケテルブルクを話題にした会話は何度かあったのだから教えてくれれば良かったのに。
「まあ、十二の頃くらいでしょうか……私は才を買われてカーティス家の養子になりましたから。それ以降はケテルブルクからは出ていましたので」
そういえば、先程ネフリーさんは“ケテルブルクの知事”と言っていたけれど、てっきり結婚を機にケテルブルクで生活をしているのだとばかり――。
今、これ以上の事を聞けば何かが変わる――そんな、そこはかとない不安の波が押し寄せて、喉元まで迫り上がった言葉を制した。
「そうそう、ブウサギネフリーだけ他の子よりもやけに手入れが行き届いているのは何故ですか? ずっと気になってて」
「ガイから聞いていないのですか? ネフリーは陛下の初恋相手ですからね……妹は預言によって別の男性と結婚をし、陛下は皇帝に。二人はかつて相思相愛でしたが……。その恋を忘れられない陛下は、ブウサギに彼女の名前を付けて存分に可愛がっているんです」
「ま、まさかピオニー陛下とネフリーさんがそんな関係だったなんて……」
――そして、陛下は今も独身を貫いている。
「今となってはそれも昔の話です。陛下はああ見えて一途なんですよ。禊も結構ですが、お世継ぎの問題も考えて頂かなくてはならないのですが……」
「困ったものです」と、息抜きのために訪れたはずの旅行先でさえ陛下の名前を出すと頭を抱えていた。
「えー、でも初恋を大切にされている陛下は素敵だと思います。その話を聞いて、ときめかない女性はいないんじゃないですか?」
「かく言う私も、陛下に負けず劣らず一途だと思いますよ?」
「……」
(え、何? 突然、一体何の話が始まったの?)
大佐も一途?何に対して?そもそも何でそれを私に言ったのか、彼の意図がわからない。
こういう時は何もリアクションを返さず、平静を装い、曖昧に笑ってやり過ごすのが最適解だと知っている。
とくに、大佐と関わりを持つようになってからは。
「ところで、街を散策して何か思い出せた事はありましたか?」
「え?」
問われて、一瞬言葉に詰まる。
脳裏に浮かんだのは雪鳥を治癒した際の出来事だった。
あの時ぼやけた記憶を通じ、心の中で何かが燻ったような気がしたのだ。
「あー……いえ、それが何も」
「そうですか」
眉を下げ、困った風に笑って誤魔化した。
別に伝える程の事ではないし、大佐とは何の関係もない。
それに、大佐は確証が持てない事を公言するのは好きでは無いと言っていた。
ならば、確証のない他人の話なんて、余計に興味がないだろう。
それよりも私は今、別の違和感を覚えていた。
大佐と別れた時の事を思い返してみれば、文脈的には普通『初恋の男の子とは再会出来ましたか?』と尋ねるはずだ。
此処でもまた一つ小さな違和感が、この街に舞う雪華のように私の心へと降り積もってゆく。
この違和感を口に出さない方がいい。
そう感じたのは何の根拠があるわけでもなく、けれど、あえて言葉にするのなら――予感だ。
この話題を掘り下げるのはやめておいた方がいいと言う予感。何かが変わり始める予感。
「あっ!!」
場の空気を変えるように、態とらしく私は声を上げた。
「どうかしましたか?」
「ジェイド! ちょ、こっち! こっちに来てください! 早く!!」
プールサイドに整然と並ぶサンラウンジャーで寛ぐ大佐を呼び寄せる。
早く来いと手招くと、大佐は気怠げに上体を起こす。
「何ですか?」と問うその表情は訝しげに曇っている。
水際までやって来た大佐がしゃがみ込んだ瞬間――私は両手一杯に掬い上げた水を、大佐目掛けて思い切りバシャリとひっかけた。
「スプラーッシュ!」
「っ!? ……やってくれましたね」
「あははは! 油断大敵です、よ――うわああっ!」
溜まり上げた鬱憤と憂さ晴らすかのように水をかけ、ここぞとばかりに日頃の仕返しをする。
正面から思い切り水を被った大佐を見て、浮き輪の上で愉快千万とふんぞり返ってケラケラ笑っていると、突然バランスを失って浮き輪がひっくり返る。
浮き輪はカナヅチである私にとって唯一の命綱であるのに。
「やれやれ……。その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
「助けてっ! 泳げない! 私、カナヅチなんですってばー!」
パニックになってバシャバシャと両腕で水面を叩き、水中では必死に足をバタつかせる。
大佐は「全く……仕方がないですね」とため息混じりに言いながらバスローブを脱ぎ捨て、今にも溺れそうな私の元までやってきた。
そして、水面から顔半分だけが覗き、水中に沈みゆく私を勢いよくひっぱり上げた。
「落ち着いてください。足がつきますから」
「し、死ぬかと思っ……――うわあああ!」
命からがら水の恐怖から生還した直後、今度は鍛え上げられた大佐の肉体美が眼前に迫っており、慌てて飛び退く。
慌てふためいたせいで、プールの床に足を取られ、またしてもドボンと水の中に引き摺り込まれてしまう。
バシャバシャと水中でもがく私を、再び大佐の腕が掬い上げた。
「ブハァ! し、死ぬ……」
本来、人体は水に浮く構造であるはずなのに、なんで私はいつも鉛のように沈んでしまうのだろう?
溺れる恐怖から無意識のうちに大佐にしがみついていた。
「いい加減、落ち着きなさい。力むから沈むんですよ。人体は肺に溜まった空気で浮力を得る原理なのですから、浅い呼吸を繰り返していればいつまで経っても浮かびませんよ?」
「そ、そんな事言われても…」
この溺れかけている状況で、そんな倫理的な話をされたところで一ミリも理解できない。
大佐は短時間で何度も溺れかける私を見て、腕を離す事を諦めたらしい。今もなお、胸元には逞しい腕が回ったままだ。
そのせいで普段よりも距離が近い。
それに加え、今は互いの体温を遮るものは何も無く、触れ合っている素肌の感触に心臓が強く打ち鳴らされる。
回された腕を介して私の心音が彼に伝わってしまうのではないかと思うほどに。
それにしても――初めて目にした大佐の体は、無駄のない鍛え抜かれた体躯だった。
どうやら大佐は着痩せするタイプであるらしい。
いつまでも目を逸らせずにいると、大佐はその視線の意図を汲んで一笑して「一応、軍人ですから」と短く答えた。
「な、何も言ってないし!」
「違いましたか?」
違わないけれど。その通りとしか言いようがないけれども。
大佐は水を浴びたせいで水滴が滴る前髪を掻き上げる。
「ン゛ン!?」
「おやおや? 顔が赤いですよ?」
「の、のぼせただけです……」
「おかしいですねぇ、ここはプールですが?」
頬を紅潮させる私の反応を楽しむように、クツクツと喉を鳴らした。
水も滴る良い男とはきっとこの事を言う。
普段とのギャップは凄まじく、髪を掻き上げる仕草一つとっても私の心臓は締め上げられてしまうらしい。
心身共に私の生殺与奪は彼の手中ということだ。
「全く……世話が焼けますねぇ」
「だ、だから泳げないって言ったじゃないですか!」
「ええ、知っています。……だから、こうして目を離さないようにしているんですよ」
「へっ?」
いつもより近い距離だからだろうか?
吸い込まれるような紅い瞳に捕らわれて、すっかり大佐の腕から逃げ出す事を忘れてしまっていた。
20260307
浮き輪を装着し、万全を期してプールに浮かぶ私に、大佐は揶揄いの眼差しを向けた。
優雅にサンラウンジャーで寛ぐ彼の声音はどこか弾んでいて、まるで目新しい玩具を見つけた子供のようだ、と思った。
「悪いですか?」
「いいえ。あなたにはまだ、私の知らない一面があるのだなと思っただけですよ」
素直な感想だったのだろうが、大佐がその台詞を口にすると何だか弱みを握られてしまったような気がしてならないのは何故だろう?
知らない一面と言えば聞こえはいいが、これはただ単に弱点を把握されただけで、私にとっては百害あって一利なし……なのでは?
いや、一利はあるか……。もしも私が溺れそうな状況に陥った時、カナヅチであることを知っていれば対処してくれるだろう。
まあ、そんな状況に陥らないことが一番なのだけれど……。
「これで分かったでしょ? 海上での任務には私を同行させない方がいいですよ?」
「任務は選んでするものではないですからねぇ。せいぜい海に落ちないことを祈っては?」
「……意地悪ですね。上司なら部下の面倒くらい見てくださいよー」
「確かにあなたは私の補佐官兼妻ですが、任務中に子守まで出来ませんよ」
私はこの時、大佐の子守発言に発狂するよりも、海上任務の際には必ず浮遊具を用意しておこうと静かに決意した。
話題をふったのは私だが、スパに来てまで仕事の話はしたくない。
唇を尖らせ、ふいっと顔を背ける。
じっとりとした視線だけを残し、視界の端に捉えた大佐を睨み付ける。
「だいたい、プールなのに何でバスローブなんですか? 違和感なさ過ぎて一周回って腹立たしいです」
「お褒め頂き光栄です。まあ、“リゾートキング”の称号は伊達ではない――と、言ったところでしょうか?」
(リゾートキング? 称号? 何それ)
聞き慣れない単語に小首を傾げる。
「あなたこそ、陛下が用意した水着が似合わなかったからといって、私に八つ当たりするのはやめて頂きたいですね」
「んなっ! 何で知ってるんですか!?」
あの、やけに面積の少ないおおよそ水着と呼ぶには心許ない布切れ同然の“あれ”の存在を、どうして大佐が知っているのだろう?
あれはもっと出るところが出た選ばれし者が着るべき水着だと思う。
選ばれし者だなんて勇者みたいな言い回しだが、あれを着る勇気がある者はある意味勇者であるからあながち間違いではない。
「以前もそうでしたから」
「以前?」
「ええ。ここへ来るのは初めてではありませんので……まあ、“懐かしい思い出”というやつですよ」
大佐は物憂げな視線でどことも知れない宙を見る。
その表情は懐かしい思い出に浸るにはあまりに静かで寂しげなものだった。
これ以上深掘りすべきではないと、それこそ何となく悟り、それ以上の事を尋ねるのをやめた。
誰にでもあるものだ。無理に語る必要のない記憶の一つや二つくらい。そして、必ずしも近しい間柄だからといってそれらを知る必要はない。
私の場合、偽装の時点で近しくも何ともないので、尚更その資格はないのだろうけれど。
できる限り自然に話題を変える。
それは偽装妻の私から偽装夫である大佐への精一杯の気遣いだった。
「そう言えば、やけに毛並みの良いネフリーって名前のブウサギがいますけど……もしかして妹さんから取ってるんですか?」
「ええ、そうですよ。ブウサギ達にはそれぞれ陛下の馴染みの名前が付けられているんです」
アスランとは言葉を交わしたことがある。まさか名付けの餌食にされているとは思わなかったけれど、マルクトへ連れ帰られて数日後、彼が亡くなっていた事実を知った。
ゲルダは、幼少期の恩師だと陛下から教えてもらった事がある。ルークのことも。ガイは彼の元使用人で、唯一無二の親友だったのだとか。
だから、サフィール――彼の素性だけ未だに知らないままだ。
「陛下らしいですね……あ、サフィールとは誰ですか? 彼だけが不明なんですよねぇ……」
「サフィール? それは、何処の鼻垂れですか? 知らない名前ですね」
尋ねると、大佐は白々しく答えた。
真顔で、まさに“無”と言い表す以外に見当たらない、何も感じ取れない表情だった。
いや、絶対知ってるよね?びっくりするぐらい不自然だったもの。
「陛下は幼少期をケテルブルクで過ごされていましたから。私とネフリーはその時に陛下と知り合ったんです」
「へえー。そうなんです、か……ん?」
陛下は幼少期グランコクマではなくケテルブルクで過ごしていた?
そこで大佐やネフリーさんと知り合った?
「ちょ、ちょっと待った! ……え? ということは、ジェイドはケテルブルク出身……なんですか?」
「そうですよ。おや、ご存知なかったですか?」
「ご、ご存知ないですよ!」
そんな話は聞いたことがない。初めて知った。
尋ねなかったではないかと指摘されればそれまでだが、今までだってケテルブルクを話題にした会話は何度かあったのだから教えてくれれば良かったのに。
「まあ、十二の頃くらいでしょうか……私は才を買われてカーティス家の養子になりましたから。それ以降はケテルブルクからは出ていましたので」
そういえば、先程ネフリーさんは“ケテルブルクの知事”と言っていたけれど、てっきり結婚を機にケテルブルクで生活をしているのだとばかり――。
今、これ以上の事を聞けば何かが変わる――そんな、そこはかとない不安の波が押し寄せて、喉元まで迫り上がった言葉を制した。
「そうそう、ブウサギネフリーだけ他の子よりもやけに手入れが行き届いているのは何故ですか? ずっと気になってて」
「ガイから聞いていないのですか? ネフリーは陛下の初恋相手ですからね……妹は預言によって別の男性と結婚をし、陛下は皇帝に。二人はかつて相思相愛でしたが……。その恋を忘れられない陛下は、ブウサギに彼女の名前を付けて存分に可愛がっているんです」
「ま、まさかピオニー陛下とネフリーさんがそんな関係だったなんて……」
――そして、陛下は今も独身を貫いている。
「今となってはそれも昔の話です。陛下はああ見えて一途なんですよ。禊も結構ですが、お世継ぎの問題も考えて頂かなくてはならないのですが……」
「困ったものです」と、息抜きのために訪れたはずの旅行先でさえ陛下の名前を出すと頭を抱えていた。
「えー、でも初恋を大切にされている陛下は素敵だと思います。その話を聞いて、ときめかない女性はいないんじゃないですか?」
「かく言う私も、陛下に負けず劣らず一途だと思いますよ?」
「……」
(え、何? 突然、一体何の話が始まったの?)
大佐も一途?何に対して?そもそも何でそれを私に言ったのか、彼の意図がわからない。
こういう時は何もリアクションを返さず、平静を装い、曖昧に笑ってやり過ごすのが最適解だと知っている。
とくに、大佐と関わりを持つようになってからは。
「ところで、街を散策して何か思い出せた事はありましたか?」
「え?」
問われて、一瞬言葉に詰まる。
脳裏に浮かんだのは雪鳥を治癒した際の出来事だった。
あの時ぼやけた記憶を通じ、心の中で何かが燻ったような気がしたのだ。
「あー……いえ、それが何も」
「そうですか」
眉を下げ、困った風に笑って誤魔化した。
別に伝える程の事ではないし、大佐とは何の関係もない。
それに、大佐は確証が持てない事を公言するのは好きでは無いと言っていた。
ならば、確証のない他人の話なんて、余計に興味がないだろう。
それよりも私は今、別の違和感を覚えていた。
大佐と別れた時の事を思い返してみれば、文脈的には普通『初恋の男の子とは再会出来ましたか?』と尋ねるはずだ。
此処でもまた一つ小さな違和感が、この街に舞う雪華のように私の心へと降り積もってゆく。
この違和感を口に出さない方がいい。
そう感じたのは何の根拠があるわけでもなく、けれど、あえて言葉にするのなら――予感だ。
この話題を掘り下げるのはやめておいた方がいいと言う予感。何かが変わり始める予感。
「あっ!!」
場の空気を変えるように、態とらしく私は声を上げた。
「どうかしましたか?」
「ジェイド! ちょ、こっち! こっちに来てください! 早く!!」
プールサイドに整然と並ぶサンラウンジャーで寛ぐ大佐を呼び寄せる。
早く来いと手招くと、大佐は気怠げに上体を起こす。
「何ですか?」と問うその表情は訝しげに曇っている。
水際までやって来た大佐がしゃがみ込んだ瞬間――私は両手一杯に掬い上げた水を、大佐目掛けて思い切りバシャリとひっかけた。
「スプラーッシュ!」
「っ!? ……やってくれましたね」
「あははは! 油断大敵です、よ――うわああっ!」
溜まり上げた鬱憤と憂さ晴らすかのように水をかけ、ここぞとばかりに日頃の仕返しをする。
正面から思い切り水を被った大佐を見て、浮き輪の上で愉快千万とふんぞり返ってケラケラ笑っていると、突然バランスを失って浮き輪がひっくり返る。
浮き輪はカナヅチである私にとって唯一の命綱であるのに。
「やれやれ……。その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
「助けてっ! 泳げない! 私、カナヅチなんですってばー!」
パニックになってバシャバシャと両腕で水面を叩き、水中では必死に足をバタつかせる。
大佐は「全く……仕方がないですね」とため息混じりに言いながらバスローブを脱ぎ捨て、今にも溺れそうな私の元までやってきた。
そして、水面から顔半分だけが覗き、水中に沈みゆく私を勢いよくひっぱり上げた。
「落ち着いてください。足がつきますから」
「し、死ぬかと思っ……――うわあああ!」
命からがら水の恐怖から生還した直後、今度は鍛え上げられた大佐の肉体美が眼前に迫っており、慌てて飛び退く。
慌てふためいたせいで、プールの床に足を取られ、またしてもドボンと水の中に引き摺り込まれてしまう。
バシャバシャと水中でもがく私を、再び大佐の腕が掬い上げた。
「ブハァ! し、死ぬ……」
本来、人体は水に浮く構造であるはずなのに、なんで私はいつも鉛のように沈んでしまうのだろう?
溺れる恐怖から無意識のうちに大佐にしがみついていた。
「いい加減、落ち着きなさい。力むから沈むんですよ。人体は肺に溜まった空気で浮力を得る原理なのですから、浅い呼吸を繰り返していればいつまで経っても浮かびませんよ?」
「そ、そんな事言われても…」
この溺れかけている状況で、そんな倫理的な話をされたところで一ミリも理解できない。
大佐は短時間で何度も溺れかける私を見て、腕を離す事を諦めたらしい。今もなお、胸元には逞しい腕が回ったままだ。
そのせいで普段よりも距離が近い。
それに加え、今は互いの体温を遮るものは何も無く、触れ合っている素肌の感触に心臓が強く打ち鳴らされる。
回された腕を介して私の心音が彼に伝わってしまうのではないかと思うほどに。
それにしても――初めて目にした大佐の体は、無駄のない鍛え抜かれた体躯だった。
どうやら大佐は着痩せするタイプであるらしい。
いつまでも目を逸らせずにいると、大佐はその視線の意図を汲んで一笑して「一応、軍人ですから」と短く答えた。
「な、何も言ってないし!」
「違いましたか?」
違わないけれど。その通りとしか言いようがないけれども。
大佐は水を浴びたせいで水滴が滴る前髪を掻き上げる。
「ン゛ン!?」
「おやおや? 顔が赤いですよ?」
「の、のぼせただけです……」
「おかしいですねぇ、ここはプールですが?」
頬を紅潮させる私の反応を楽しむように、クツクツと喉を鳴らした。
水も滴る良い男とはきっとこの事を言う。
普段とのギャップは凄まじく、髪を掻き上げる仕草一つとっても私の心臓は締め上げられてしまうらしい。
心身共に私の生殺与奪は彼の手中ということだ。
「全く……世話が焼けますねぇ」
「だ、だから泳げないって言ったじゃないですか!」
「ええ、知っています。……だから、こうして目を離さないようにしているんですよ」
「へっ?」
いつもより近い距離だからだろうか?
吸い込まれるような紅い瞳に捕らわれて、すっかり大佐の腕から逃げ出す事を忘れてしまっていた。
20260307