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馬車馬の如く働かされる日々を送る中、第三師団として任務にあたるのは久方ぶりだった。
自分の所属部隊がどこであるのか失念してしまいそうになる程、近頃の私は他師団での任務に駆り出されっぱなしだったのだ。
今回の任務はキムラスカ・ランバルディア王国とマルクト帝国の国境海域付近に構える沿岸拠点警戒。
戦争の兆しこそなくなったが、崩落後の混乱が完全に収束したとは言い難い現状、魔物や盗賊への警戒は今なお必要とされている。
長らく第三師団を離れ、あちらこちらで扱き使われた(大佐のせい)甲斐があってか、突如として私を襲ったポンコツ化現象(これも大佐のせい)も無事回復。
先日、うたた寝から目覚めたら横に大佐が座っていて、驚きのあまりベンチから転げ落ちた(やっぱり大佐のせい)事を除けば、わりと普段通りの日々を送れているように思う。
けれど、心身ともに絶好調!大復活!に至らないのは、あれだけ人を振り回しておいて何食わぬ顔で普段通り接してくる大佐のせいなので、全部ひっくるめて何もかも大佐のせいなのだった。
まぁ……所謂、ただの八つ当たり。
前任の部隊と交代する為に拠点に向かう道中、複数の魔物に遭遇したのだが、今こそ大佐に成長した姿を見せる絶好の機会だとばかりに先陣を切って対処。負傷者に治癒術も施し任務完了。
我ながら第三師団師団長補佐官の名に恥じぬ完璧な仕事ぶりだ。これには流石の大佐も私の認識を改めざるを得ないだろう。
ガイのお陰で剣術も板に付き、魔物相手でも難なく対処出来るまで至った。
これで譜術に割いていた精神力の大半を治癒術に費やせる。治癒師としての役割をしっかりと果たせそうだ。
振るえまでになったのだから技の一つくらい習得したらどうかと提案を持ちかけられたが、技を習得すれば流石に剣術稽古の出所が大佐にバレてしまう。
余計な火種は、後々面倒事に発展すると先のピオニー陛下コスプレ事件で身を持って実感したばかり。
隠し通せるならそれに越したことはない。時間を犠牲にして剣術初心者の私に稽古をつけてくれたガイに、これ以上私情で迷惑をかけるわけにはいかない。
全ては今日この日の為――大佐に一泡吹かせてやる!
認識を改めさせようと息巻いたのも束の間、彼の反応は私の期待を大きく裏切った。
私の仕事ぶりを見ていたであろう大佐へ、胸を張り鼻高々に討伐報告をするが、素っ気なく「はい。ご苦労さまでした」の一言で流されてしまう。
息巻いていただけに、彼の反応には盛大な肩透かしを食って、暫しその場に立ち尽くしてしまった。
別に褒められたかったわけじゃない。
けれど、こうもあっさり流されて終わりだなんて想定外で、ここ数週間の血が滲むような特訓を全て亡き者にされた気分だった。
胸の中に燻り、渦を巻く行き場の無い感情を抱えたまま日中の仕事を全てこなし、今は見張り台にてぼんやりと海を眺めていた。
寄せては返す波の音と、磯の香りを纏った冷えた夜風が、不完全燃焼の私を慰めるように包み込んでくれる。
――一体何が駄目だったの?
「……ちぇっ。頑張ったのになぁ」
無意識に口にした言葉にハッとした。
その一言は無意識だったからこそ重い。他のどんな言葉よりも。
これじゃあまるで、私は大佐の為に一生懸命頭に木刀を落としながら剣術の稽古をしていたみたいじゃないか。
物事の発端は――根っ子の部分は、自分自身の戦闘における不安要素払拭の為だったはずだ。
確かに置いてけぼりをくって苛立ちに任せ、大佐の鼻を明かしてやろうと誓ったけれど。
しかし、それは二の次だ。核心ではない。
それを念頭に置いても今日の私はどうだっただろう?
兎にも角にも大佐に認めてもらう事ばかりに躍起になっていたように思う。
寧ろそれに一点集中だったのでは?
もしかしてもしかしなくても、私の頭の中は大佐の事で一杯……?
「う、ううううう嘘だ!! そんなわけないそんなわけないそんなわけない……!」
「ぬわあああ」と頭を抱え、唸りながら悶えていると、突然声をかけられる。
「ここでしたか。精が出ますね」
「ぎゃあーー!!」
見張り台を登ってわざわざ私を訪ねてきた大佐に向かっての第一声が悲鳴なのだから、流石の大佐も眉を顰め怪訝そうな顔をする。
「突然何です? 大声を出して」
「す、すみません……全く気配を感じなかったので、驚いて」
まさか悩みの種である当人が訪ねてくるなんて想定外だったが、今はナイスタイミングだとしか言いようがない。
お陰でパンドラの箱を開けずに済んだのだから。危ない危ない……。
大佐はやれやれとため息をついて、私に歩み寄る。
「夜の海風は体を冷やしますよ」と、手に持っていたマントで私を包み込んだ。
肌寒さに耐えながら軍服で過ごしていた身としては、彼の心遣いはとてもありがたい。
「ありがとうございます、大佐」
「あなたに夜警の任を与えた覚えはないのですがねぇ」
「これは、私が勝手にしたことなので……」
本来の見張り役は、昼間の魔物との戦闘で負傷していた兵士だった。
治癒術を施したが、念のため大事を取るようにと見張り役の代わりを申し出たのは私の独断だっただけに、大佐はあまりいい気がしないのかもしれない。
「優しいのですね。それとも、ただのお人好しなのでしょうか?」
「失礼ですね! ……ちょっと一人になりたい気分だったし、丁度良かったんですよ」
「そうですか。少しくらいその優しさとやらを私にも向けて頂きたいものです」
「……いや、大佐がそれを言います?」
大佐は、私の行いをいつものように嫌味混じりに咎める。
優しさを自分にも向けろ?
こう言っては何だけれど、わざわざ潜伏先のダアトから連れ戻され再び彼の手足となるだけでなく偽装夫婦まで演じているのだ。
それだけで十分過ぎる自己犠牲と優しさを差し出していると思う。
露店を破壊したのだって、元を辿れば大佐から逃げる為だったのだから。
「あなたは本来、こんな事までしなくてもいいんですよ? 私の補佐官という立場なのですから」
「私も第三師団の一員でしょう? だいたい、一軍人としての自覚を持てって言ったのは大佐じゃないですか。特別待遇は結構でーす」
「……そうですね。では、私も夫らしく暫しあなたの側にいましょう」
「いや、何で……? そこまで付き合ってくれなくていいんですけど……」
大佐は、お得意の胡散臭い笑顔でニコリと笑む。
マントと軽口の為にわざわざ見張り台を登ってきたわけでもないだろう。
また何か企んでいるのではないかと、つい勘ぐってしまう。
けれど、大佐は宣言通りそれ以上何を言うわけでもなく、ただ私の傍に立って海を眺めていた。
「……ねえ、大佐。この海の先はキムラスカなんですよね?」
「ええ。キムラスカとの緊張状態が解かれても、国境維持は我々軍の仕事ですから」
「戦争の後、復興されずに戻らなかった場所も……あったりするのかな……」
――あの町みたいに。
茫洋たる大海をぼんやりと眺めながら独りごちる。
蒼穹と溶け合っていた海原も、今は頼りない月明かりにかすかに縁取られ、深い闇の底に沈んでいる。
それらが私を感傷的にさせた。
「あるでしょうね。特に小規模な村は戦後に人が戻らないことも珍しくありません」
「そっか……」
「おや、珍しく感傷的ですね?」
「珍しくは余計です。何でもないです」
これ以上詮索するなと言わんばかりに、可愛げなくそっぽを向いて誤魔化した。
きっと、私の可愛げは母親の胎内に忘れてきてしまったのだ。
「では、私からも一つ伺ってもよろしいですか?」
「何ですか?」
この時、私は大佐の様子に違和感を抱いていたにも関わらず、おいそれと彼の申し出に頷いてしまった。
最大の過ちだったと断言できる。
彼が何の用もなく、わざわざマントを持って見張り台を登って私に会いにくるわけがなかったのだ。
「ナマエ、何か私に打ち明けなければならない事があるのでは?」
「へ!? な、何のことやら……」
穏やかな声音とは裏腹に、冷えた双眸が容赦なく此方を射抜いている。
口元にだけ笑みを湛える様は、疑いではなく確信の証だ。
「あの日、あなたを残して任務に就いたこと、少し後悔しています。近頃、一段とガイに懐いていますね」
「っ! そ、そんな事は……」
――全て、バレている。
それは気のせいですよと誤魔化す前に、大佐は決定的な言葉を私に突き付けた。
「昼間、魔物との戦闘であなたが振るっていたあの剣術、シグムント流ですね?」
「へええええ!?」
「驚きましたか? これでもガイとはそれなりに長い付き合いでして。共に旅をしていた仲ですから、その流れるような剣捌きには見覚えがありました」
「ははは……御名答、です」
まさか流派まで見事に言い当てられるとは思っておらず、顔が引き攣る。
喉がひくりと鳴って、背中に湧いた汗が滑る。
見張り台は狭い。一歩でも後ずさるともう逃げ場はない。
大佐は私の右手を取り、容赦なく手袋を引き抜く。
手袋の温もりに包まれていた手は冷えた海風に晒され急速に温度が下がっていく。
「私の目を盗んで何やらこそこそしていたようですが――なるほど。私が不在の間、随分と“忙しかった”ようですね」
彼は、確かめるように掌に出来た固くなった豆を指でなぞりながら言葉を続ける。
体が反射的に強張った。
「別に咎めているわけではありませんよ。ただ……」
無意識に手を引き抜こうとするが、大佐はそれを良しとしない。
逃がさないと言わんばかりに、握る手に力が込められた。
そこに冗談めいた色はなく、射抜くような視線だけが真っ直ぐに突き刺さる。
「何かあれば、私に相談する。そう約束したはずですが?」
「う……それは、その……ごめんなさい……」
言い訳も通じない。逃げ出すことも、誤魔化すことも不可能だと悟った私は、静かに謝罪の言葉を口にした。
「はぁ……またしても“海より深い理由”とやらがあるのですか?」
「ち、違――!」
素直に謝罪する私に対し、大佐はため息をついて手を離した。
今までの私なら、解放されたことにただただ安堵したはずだ。
その後はどう誤魔化して、欺いて、大佐から上手く逃げようかとそんなことばかり考えていただろう。
けれど、今は――飽きられてしまったのではないと慌てて言葉を紡いだのだ。
所詮はただの言い訳だと切って捨てられるかもしれないが、そこには私の本心も確かに滲んでいる。
「このままじゃいつまで経っても足手纏いだと思って……! 私だってやれるんだって……お荷物なんかじゃ無いって証明したかったから、だからっ……!」
「あなた……そんなことを思っていたんですか?」
「だってあの時、置いてけぼりにしたじゃないですか……最近もずっと第三師団の任務からは外されっぱなしだし……」
大佐は双眸を見開いた後、再度ため息をついた。それは先程よりも深く長い。
「あれは、先の任務で勝手な行動をとったあなたに灸を据える為だと言ったでしょう? 第三師団の任務からはあえて外していたのです。あなたの復調の為に」
「……本当に、それだけですか?」
「他意などありません。まったく……頭が痛いですよ。急いで戻って来れば、あなたは陛下とお楽しみ中ですし、私の知らないところでガイと剣術の稽古までして――」
大佐は全てを語る前にはたとして、不自然に言葉を切り上げる。
此方に背を向け「失礼。これ以上は、言葉にするべきではありませんね」と言葉を濁した。
燕尾の襟を掴んで引き留めると、振り返った大佐の表情は不意を突かれたように驚きの色を浮かべていた。
手を伸ばしたのは無意識だったのだと思う。
計算でもなく、強請るわけでもなく、ただ単純にその先の言葉が聞きたくて彼を引き留めた。その先を、知りたい。
「おや、随分と積極的ですね?」
「誤魔化さないでください。途中でやめられるのが一番気になります。それとも……逃げるんですか?」
「! ……ふふっ」
「ちょっと、何で笑うんですか!?」
「いえ、すみません。まさかあなたに尋問される日がくるとは思わなかったもので」
大佐は小さく笑って、私の頭を優しげな手付きで撫でた。
まるで駄々をこねる聞き分けの無い子供を宥めるような手付きに感じられてならない。やはり、馬鹿にされている。
私の肩からずれ落ちそうになったマントに手を伸ばし、襟元を整えながら双眸を柔和に細めると、静かに言葉を紡ぐ。
「ままならないものだな……と、思っただけですよ」
「うん? ……はぁ、なるほど?」
「では、私はこれで戻ります。くれぐれも居眠りはしないでください」
「んなっ! 寝ませんよ!」
背を向けた大佐の足音が、階段を降りる度に遠ざかっていく。
それなのに、胸の奥で何かが静かに鳴り続けていた。
見上げた夜空には美しい月がぽっかりと浮かんでいる。
燻る感情をどうかこのまま照らし出さないでいて欲しいと切に願った。
20260215
自分の所属部隊がどこであるのか失念してしまいそうになる程、近頃の私は他師団での任務に駆り出されっぱなしだったのだ。
今回の任務はキムラスカ・ランバルディア王国とマルクト帝国の国境海域付近に構える沿岸拠点警戒。
戦争の兆しこそなくなったが、崩落後の混乱が完全に収束したとは言い難い現状、魔物や盗賊への警戒は今なお必要とされている。
長らく第三師団を離れ、あちらこちらで扱き使われた(大佐のせい)甲斐があってか、突如として私を襲ったポンコツ化現象(これも大佐のせい)も無事回復。
先日、うたた寝から目覚めたら横に大佐が座っていて、驚きのあまりベンチから転げ落ちた(やっぱり大佐のせい)事を除けば、わりと普段通りの日々を送れているように思う。
けれど、心身ともに絶好調!大復活!に至らないのは、あれだけ人を振り回しておいて何食わぬ顔で普段通り接してくる大佐のせいなので、全部ひっくるめて何もかも大佐のせいなのだった。
まぁ……所謂、ただの八つ当たり。
前任の部隊と交代する為に拠点に向かう道中、複数の魔物に遭遇したのだが、今こそ大佐に成長した姿を見せる絶好の機会だとばかりに先陣を切って対処。負傷者に治癒術も施し任務完了。
我ながら第三師団師団長補佐官の名に恥じぬ完璧な仕事ぶりだ。これには流石の大佐も私の認識を改めざるを得ないだろう。
ガイのお陰で剣術も板に付き、魔物相手でも難なく対処出来るまで至った。
これで譜術に割いていた精神力の大半を治癒術に費やせる。治癒師としての役割をしっかりと果たせそうだ。
振るえまでになったのだから技の一つくらい習得したらどうかと提案を持ちかけられたが、技を習得すれば流石に剣術稽古の出所が大佐にバレてしまう。
余計な火種は、後々面倒事に発展すると先のピオニー陛下コスプレ事件で身を持って実感したばかり。
隠し通せるならそれに越したことはない。時間を犠牲にして剣術初心者の私に稽古をつけてくれたガイに、これ以上私情で迷惑をかけるわけにはいかない。
全ては今日この日の為――大佐に一泡吹かせてやる!
認識を改めさせようと息巻いたのも束の間、彼の反応は私の期待を大きく裏切った。
私の仕事ぶりを見ていたであろう大佐へ、胸を張り鼻高々に討伐報告をするが、素っ気なく「はい。ご苦労さまでした」の一言で流されてしまう。
息巻いていただけに、彼の反応には盛大な肩透かしを食って、暫しその場に立ち尽くしてしまった。
別に褒められたかったわけじゃない。
けれど、こうもあっさり流されて終わりだなんて想定外で、ここ数週間の血が滲むような特訓を全て亡き者にされた気分だった。
胸の中に燻り、渦を巻く行き場の無い感情を抱えたまま日中の仕事を全てこなし、今は見張り台にてぼんやりと海を眺めていた。
寄せては返す波の音と、磯の香りを纏った冷えた夜風が、不完全燃焼の私を慰めるように包み込んでくれる。
――一体何が駄目だったの?
「……ちぇっ。頑張ったのになぁ」
無意識に口にした言葉にハッとした。
その一言は無意識だったからこそ重い。他のどんな言葉よりも。
これじゃあまるで、私は大佐の為に一生懸命頭に木刀を落としながら剣術の稽古をしていたみたいじゃないか。
物事の発端は――根っ子の部分は、自分自身の戦闘における不安要素払拭の為だったはずだ。
確かに置いてけぼりをくって苛立ちに任せ、大佐の鼻を明かしてやろうと誓ったけれど。
しかし、それは二の次だ。核心ではない。
それを念頭に置いても今日の私はどうだっただろう?
兎にも角にも大佐に認めてもらう事ばかりに躍起になっていたように思う。
寧ろそれに一点集中だったのでは?
もしかしてもしかしなくても、私の頭の中は大佐の事で一杯……?
「う、ううううう嘘だ!! そんなわけないそんなわけないそんなわけない……!」
「ぬわあああ」と頭を抱え、唸りながら悶えていると、突然声をかけられる。
「ここでしたか。精が出ますね」
「ぎゃあーー!!」
見張り台を登ってわざわざ私を訪ねてきた大佐に向かっての第一声が悲鳴なのだから、流石の大佐も眉を顰め怪訝そうな顔をする。
「突然何です? 大声を出して」
「す、すみません……全く気配を感じなかったので、驚いて」
まさか悩みの種である当人が訪ねてくるなんて想定外だったが、今はナイスタイミングだとしか言いようがない。
お陰でパンドラの箱を開けずに済んだのだから。危ない危ない……。
大佐はやれやれとため息をついて、私に歩み寄る。
「夜の海風は体を冷やしますよ」と、手に持っていたマントで私を包み込んだ。
肌寒さに耐えながら軍服で過ごしていた身としては、彼の心遣いはとてもありがたい。
「ありがとうございます、大佐」
「あなたに夜警の任を与えた覚えはないのですがねぇ」
「これは、私が勝手にしたことなので……」
本来の見張り役は、昼間の魔物との戦闘で負傷していた兵士だった。
治癒術を施したが、念のため大事を取るようにと見張り役の代わりを申し出たのは私の独断だっただけに、大佐はあまりいい気がしないのかもしれない。
「優しいのですね。それとも、ただのお人好しなのでしょうか?」
「失礼ですね! ……ちょっと一人になりたい気分だったし、丁度良かったんですよ」
「そうですか。少しくらいその優しさとやらを私にも向けて頂きたいものです」
「……いや、大佐がそれを言います?」
大佐は、私の行いをいつものように嫌味混じりに咎める。
優しさを自分にも向けろ?
こう言っては何だけれど、わざわざ潜伏先のダアトから連れ戻され再び彼の手足となるだけでなく偽装夫婦まで演じているのだ。
それだけで十分過ぎる自己犠牲と優しさを差し出していると思う。
露店を破壊したのだって、元を辿れば大佐から逃げる為だったのだから。
「あなたは本来、こんな事までしなくてもいいんですよ? 私の補佐官という立場なのですから」
「私も第三師団の一員でしょう? だいたい、一軍人としての自覚を持てって言ったのは大佐じゃないですか。特別待遇は結構でーす」
「……そうですね。では、私も夫らしく暫しあなたの側にいましょう」
「いや、何で……? そこまで付き合ってくれなくていいんですけど……」
大佐は、お得意の胡散臭い笑顔でニコリと笑む。
マントと軽口の為にわざわざ見張り台を登ってきたわけでもないだろう。
また何か企んでいるのではないかと、つい勘ぐってしまう。
けれど、大佐は宣言通りそれ以上何を言うわけでもなく、ただ私の傍に立って海を眺めていた。
「……ねえ、大佐。この海の先はキムラスカなんですよね?」
「ええ。キムラスカとの緊張状態が解かれても、国境維持は我々軍の仕事ですから」
「戦争の後、復興されずに戻らなかった場所も……あったりするのかな……」
――あの町みたいに。
茫洋たる大海をぼんやりと眺めながら独りごちる。
蒼穹と溶け合っていた海原も、今は頼りない月明かりにかすかに縁取られ、深い闇の底に沈んでいる。
それらが私を感傷的にさせた。
「あるでしょうね。特に小規模な村は戦後に人が戻らないことも珍しくありません」
「そっか……」
「おや、珍しく感傷的ですね?」
「珍しくは余計です。何でもないです」
これ以上詮索するなと言わんばかりに、可愛げなくそっぽを向いて誤魔化した。
きっと、私の可愛げは母親の胎内に忘れてきてしまったのだ。
「では、私からも一つ伺ってもよろしいですか?」
「何ですか?」
この時、私は大佐の様子に違和感を抱いていたにも関わらず、おいそれと彼の申し出に頷いてしまった。
最大の過ちだったと断言できる。
彼が何の用もなく、わざわざマントを持って見張り台を登って私に会いにくるわけがなかったのだ。
「ナマエ、何か私に打ち明けなければならない事があるのでは?」
「へ!? な、何のことやら……」
穏やかな声音とは裏腹に、冷えた双眸が容赦なく此方を射抜いている。
口元にだけ笑みを湛える様は、疑いではなく確信の証だ。
「あの日、あなたを残して任務に就いたこと、少し後悔しています。近頃、一段とガイに懐いていますね」
「っ! そ、そんな事は……」
――全て、バレている。
それは気のせいですよと誤魔化す前に、大佐は決定的な言葉を私に突き付けた。
「昼間、魔物との戦闘であなたが振るっていたあの剣術、シグムント流ですね?」
「へええええ!?」
「驚きましたか? これでもガイとはそれなりに長い付き合いでして。共に旅をしていた仲ですから、その流れるような剣捌きには見覚えがありました」
「ははは……御名答、です」
まさか流派まで見事に言い当てられるとは思っておらず、顔が引き攣る。
喉がひくりと鳴って、背中に湧いた汗が滑る。
見張り台は狭い。一歩でも後ずさるともう逃げ場はない。
大佐は私の右手を取り、容赦なく手袋を引き抜く。
手袋の温もりに包まれていた手は冷えた海風に晒され急速に温度が下がっていく。
「私の目を盗んで何やらこそこそしていたようですが――なるほど。私が不在の間、随分と“忙しかった”ようですね」
彼は、確かめるように掌に出来た固くなった豆を指でなぞりながら言葉を続ける。
体が反射的に強張った。
「別に咎めているわけではありませんよ。ただ……」
無意識に手を引き抜こうとするが、大佐はそれを良しとしない。
逃がさないと言わんばかりに、握る手に力が込められた。
そこに冗談めいた色はなく、射抜くような視線だけが真っ直ぐに突き刺さる。
「何かあれば、私に相談する。そう約束したはずですが?」
「う……それは、その……ごめんなさい……」
言い訳も通じない。逃げ出すことも、誤魔化すことも不可能だと悟った私は、静かに謝罪の言葉を口にした。
「はぁ……またしても“海より深い理由”とやらがあるのですか?」
「ち、違――!」
素直に謝罪する私に対し、大佐はため息をついて手を離した。
今までの私なら、解放されたことにただただ安堵したはずだ。
その後はどう誤魔化して、欺いて、大佐から上手く逃げようかとそんなことばかり考えていただろう。
けれど、今は――飽きられてしまったのではないと慌てて言葉を紡いだのだ。
所詮はただの言い訳だと切って捨てられるかもしれないが、そこには私の本心も確かに滲んでいる。
「このままじゃいつまで経っても足手纏いだと思って……! 私だってやれるんだって……お荷物なんかじゃ無いって証明したかったから、だからっ……!」
「あなた……そんなことを思っていたんですか?」
「だってあの時、置いてけぼりにしたじゃないですか……最近もずっと第三師団の任務からは外されっぱなしだし……」
大佐は双眸を見開いた後、再度ため息をついた。それは先程よりも深く長い。
「あれは、先の任務で勝手な行動をとったあなたに灸を据える為だと言ったでしょう? 第三師団の任務からはあえて外していたのです。あなたの復調の為に」
「……本当に、それだけですか?」
「他意などありません。まったく……頭が痛いですよ。急いで戻って来れば、あなたは陛下とお楽しみ中ですし、私の知らないところでガイと剣術の稽古までして――」
大佐は全てを語る前にはたとして、不自然に言葉を切り上げる。
此方に背を向け「失礼。これ以上は、言葉にするべきではありませんね」と言葉を濁した。
燕尾の襟を掴んで引き留めると、振り返った大佐の表情は不意を突かれたように驚きの色を浮かべていた。
手を伸ばしたのは無意識だったのだと思う。
計算でもなく、強請るわけでもなく、ただ単純にその先の言葉が聞きたくて彼を引き留めた。その先を、知りたい。
「おや、随分と積極的ですね?」
「誤魔化さないでください。途中でやめられるのが一番気になります。それとも……逃げるんですか?」
「! ……ふふっ」
「ちょっと、何で笑うんですか!?」
「いえ、すみません。まさかあなたに尋問される日がくるとは思わなかったもので」
大佐は小さく笑って、私の頭を優しげな手付きで撫でた。
まるで駄々をこねる聞き分けの無い子供を宥めるような手付きに感じられてならない。やはり、馬鹿にされている。
私の肩からずれ落ちそうになったマントに手を伸ばし、襟元を整えながら双眸を柔和に細めると、静かに言葉を紡ぐ。
「ままならないものだな……と、思っただけですよ」
「うん? ……はぁ、なるほど?」
「では、私はこれで戻ります。くれぐれも居眠りはしないでください」
「んなっ! 寝ませんよ!」
背を向けた大佐の足音が、階段を降りる度に遠ざかっていく。
それなのに、胸の奥で何かが静かに鳴り続けていた。
見上げた夜空には美しい月がぽっかりと浮かんでいる。
燻る感情をどうかこのまま照らし出さないでいて欲しいと切に願った。
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