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「ジェイド、話がある。後で執務室まで来い」
陛下直々の呼び出しとあらば軍人である以上、如何なる事情があろうと拒否権はない。
軍議を終え、陛下の待つ執務室を目指す足取りは酷く重たかった。
脱走壁のある陛下がしおらしく職務にあたるとは実に珍しく喜ばしい限りであるのに、私の心は晴れない。
その原因は言うまでもなく昨晩の出来事だった。
『あの日、あなたを助けた少年は私です』
こんな筈ではなかった。全くもって想定外だ。
ナマエを押し倒した挙句、あんな事まで口走ってしまうとは。
――昨日の私は、どうかしていた。
後悔の嵐が吹き荒れる。
我ながらとんだ失態を晒したものだと猛省するが、過ぎた時間が戻ることがないように口をついて出た言葉も戻りはしない。
目も当てられない。悔やんでも悔やみきれなかった。
そして、肝心なその後はと言うと、私が放った一言にナマエはどんな反応を示したのか……端的に言えば笑った。
あのまま雰囲気に呑まれて事におよぶことも無ければ、約二十年越しの愛を語り合うことも無く、あろう事か彼女は声をあげ、腹を抱えて爆笑したのだった。
仮にも男に押し倒された状況で危機感の一つも抱かずに、彼女は私の発言を笑い飛ばした。
そんな事があるものかと呵々大笑した後、目尻に浮かんだ涙を指で掬い『ああ、笑った』と一言溢しておしまい。
『あー、はいはい。嘘を吐くならここまでしろって事ですね。なるほど……確かにさっきの私の嘘とは別次元ですよ大佐の嘘は。だって、大佐が私の初恋相手なわけないし! あははっ、ないない!』
まさか嘘と一蹴されるとは思わず、面食らった。
この時、言葉もなく双眸を瞬かせる事しか出来なかった私の気持ちなど彼女には分かるまい。
誰にも、何にも分かるまい――笑い飛ばされ、亡ものにされたこの感情など。
何だろうか……この何とも言えない複雑な心境は。私が人知れず振られてしまったかのような、この空気は。
甚だ遺憾だ。
けれど、昨晩の出来事ではっきりしたこともある。
現状、私と彼女はそういった関係に発展する可能性はほぼゼロであること。
流石はナマエとったところだ。一筋縄ではいかない。
これでも要所々々分かりやすく態度で示していたつもりだったが、今後はもう少しあからさまにする必要がありそうだと気持ちを新たにしたところで執務室に行き至る。
執務室の扉をノックすると中から「入れ」と声がして、平静を装いながらドアノブに手を掛けた。
何があろうと職務に私情は持ち込まない。
軍人たるもの普段から感情の起伏を表に出さないよう己を律してきたつもりだ。
けれど、こうも後を引き自責の念に駆られてしまうのは、包み隠していた自己を曝け出していたからかもしれない。
あの瞬間、確かに私はマルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐ではなく、肩書きも恥も外聞も何もかもかなぐり捨てた――ただの男だったのだ。
「この任務をお前の隊に命じる」
前口上を述べること無くいきなり本題に入るのは実に陛下らしい。
前置きがあろうと無かろうと陛下に命じられた任務ならば拒否権などあるはずもなく、突き出された書類を当然のように受け取る。
陛下直々に任される程の任務なのだから一体どんな極秘任務かと身構えたが、書面に目を落とすと肩透かしを食った。
「魔物の討伐任務……ですか」
何ということはない。
特別危険が及ぶ内容でも大至急という訳でもなく、陛下直々に呼び出される程重要性の高い任務だとはとても思えなかった。
ならば、わざわざ私を執務室に呼び付けた理由が別にあるのだろう。
「まだ実害は無いが、あの辺りは往来が多い。人も荷もいつ魔物の襲撃を受けるか分からん」
「時間の問題でしょうね」
「ああ。それに、エンゲーブならお前が適任だろうと思ってな」
「ええ、エンゲーブの御夫人とは認識がありますから。拝命致します」
書面から陛下へ目を転じると、何やら言いたげな表情を浮かべている。
側付きの兵士に席を外すように申し伝えた様子を見るに、やはり本題はここからなのだろう。
人払いが済んだ室内には暫く沈黙が流れたが、陛下は「さて、」と呟いて沈黙を破った。
僅かに憂いを帯びた青い瞳が私を捉える。
その眼差しはまるで、ここからは皇帝陛下としてではなく一人の友人として話をする為の線引きのように感じられた。
「どうした? ひどい顔だ」
「そうですか? 連日の激務で寝不足だからでしょう」
「よし、当ててやろう」
「…………」
陛下は私の話を聞いていたのだろうか?
ただの寝不足だと伝えた筈だが、私の発言は無かった事にされてしまったようだ。
問いに対して確かな返答をしたのにも関わらず、陛下は顎に手を添えて繁々と私を見る。
まるで、観察でもされているかのようで居心地が悪い。
こういった場合、次に口を開けば大体碌でもない発言をするのがお約束だ。
「ふむ……大方、偽装夫婦を装いナマエを縛り付け傍に置いたにもかかわらず、一向に懐かなくて腐心してる――と、いったところか?」
やはり、お約束だった。期待を裏切らなかった。
一切ブレない様子は一周回って好感すら持てる……わけがない。
ナマエは人の話を聞かない面があるが、彼も大概であり、彼等には通ずるものがあると思っていた。
なるほど、こういう事だったのか。
人の話を聞かず憶測で物を言う。
しかし、厄介なのはただの世迷言ではなく的を射た発言をする節があるからだ。
「図星だろう? まあ、お前は昔から分かりやすいからな」
「おや、心外ですね。これでもよく何を考えているか分からないと言われるのですが」
その通りだった。あっけなく見透かされてしまう。
私はこの部屋に入ってから図星を突かれても尚、顔色一つ変えていない筈だ。
しかし、得意げに笑う陛下相手にはいくら取り繕うと通用しないらしい。
「ジェイド。いい加減ナマエを外へ出してやれ。いつまで囲ったままでいるつもりなんだ?」
その言葉は問いかけているようで、しかし、肯定を促されている。
その通りだと首肯する事を求められている。
「お言葉ですが陛下、私はナマエを囲っているわけではありません。あくまで彼女は私の補佐ですから、結果、執務室へ閉じ込めているように映るのかもしれませんが……」
「そうか? 本人はお前の補佐官では物足りないと言っていたがな」
「それで陛下の側付きを提案されたと?」
「そう怖い顔をするな。俺は良かれと思ってだな……」
「それが余計な世話だと言うのです。……ですから、そう御心を砕いて頂かなくとも私は彼女を手放すつもりは更々ありませんので」
陛下は面食らったかのように双眸を見開く。
そんなに可笑しな事を言っただろうか?むしろ、求められている言葉を告げたつもりだったのだが……。
「お前の口からそんな言葉を聞く日がくるとはな。やっと認めたか」と呟いて、快活に笑った。
認めるも何も初めから私の腹積りはそうと決まっていた。
顔や態度に出ないよう己を律していただけで、腹の底では――今はやめておこう。これ以上は見せられない。
「ようするに、だ。あまり閉じ込めておいたら又候檻を破って逃げ出してしまうぞ? 二年前を忘れたわけじゃないだろう?」
「その檻とやらの鍵を開けた張本人が何を仰いますか」
「それもそうだな」
にこやかな笑みを浮かべて軽くあしらうと、陛下は苦笑する。
その笑みに滲むのは友を案ずる慈悲の心だったように思う。
「……あまり拘泥しすぎるなよ」
「お心遣い感謝申し上げます陛下」
「お前は相変わらず食えんやつだな」
「お褒め頂き光栄です」
とびきりの胡散臭い笑顔を貼り付けた。
それは私を部下ではなく友として自分事のように憂いてくれる相手に向けるものではなかっただろうが、これでいい。これが私なのだ。
任務の話はとうに終わり、気付けば無駄話の方が長くなってしまったように思うが、陛下はこの無駄話をする為に私を態々呼び寄せたのだろう。人払いをしてまで。
そうなればこれ以上の長居は無用だ。脱走癖のある陛下が珍しく宮殿を抜け出さず執務にあたっているのだから。
「難儀な奴め……くだらん意地を張らず、ただ一言“愛している”と言えばいいものを」
「ははは。ご冗談を」
乾いた笑いを浮かべると、陛下は目を伏せ「お前は俺と同じになるな」と呟いた。
その言葉に込められた感情は、きっと、二年前彼女を逃がした事に対する良心の呵責なのかもしれない。
あるいは、お膳立てをしたつもりが拗れに拗れ、捻くれてしまった私と彼女の現状に対する罪滅ぼしか。
俺と同じとは――忘れられないかつての恋人を想い、結婚もせず、ペットに彼女の名前を付ける事だろうか?
無論、そんな末路は御免被る。
これ以上この件について話はないと言いたげに一礼して執務室を後にする。
閉まった扉に向かって吐き出された溜め息は、当然私に届くことはなかった。
『あまり拘泥しすぎるなよ』
執務室から基地へと戻る最中、先程の言葉が頭の中を埋め尽くしていた。
愛と呼ぶには拙いこの感情をなんと呼べばいい?
ただ傍に置いておきたいと望む感情――その本心はただの執着なのだろうか?
普段の私であれば、こんな生産性に欠ける感情は無駄だと真っ先に切って捨てるだろう。
澱のような幼き日々の記憶はこうして今に至るまで心の奥底に残り続けた。
この胸に燻った感情は、二年前ナマエとの予期せぬ再会によって確かな火種となったのだ。
私はその出来事に、再会を果たせた彼女に、幼き日々の思い出に、拘泥しているのだろうか?
鬱屈とした気分を引き連れ中庭に面する廊下を歩いていると、賑やかな声が耳に届く。
つられて声のする方へ顔を向けると、そこにはガイとナマエの姿があった。
正確にはガイとナマエと陛下のペットのブウサギ六匹。
昨日の今日で偽装夫婦の旨は、まだガイに伝えていない。
だが、昨夜釘を刺しておいたので流石のナマエも暫く大人しくしているだろう。
花笑み、はしゃぐナマエの姿は陽光を浴びて燦然と輝いていた。
同時に自然体の彼女を前にドロリとした感情が流れ出るのを感じる。
――嗚呼、私にも存在していたのか。胸を焼くような、こんなにも黒々しい感情が。
私が傍に縛り付けていた彼女は所詮偽物に過ぎないのだと、まざまざと見せつけられた気分だった。
笑顔も所詮は作り物に過ぎないのだと思い知らされる。
そんな事は分かっているとも。辟易するほどに。
気付けば自然と足が二人の元に向かっていた。
「ナマエ」
「うげ! 大佐っ……ご、ごごご機嫌よう」
私の姿を視界に捉えるなり、彼女はあからさまな態度でガイの背に隠れる。
そんなに警戒せずとも……と言いかけて昨晩の己が行いを思い出し、無理もないと納得した。
今思えばあれは彼女なりの配慮だったのかもしれない。あんなお粗末な配慮を受けたのは後にも先にもナマエしかいないが……。
誤魔化して、揶揄って、冗談で終わらせてしまえば後腐れなく今後も接することが出来るだろうという彼女なりの配慮。
とは言え、だ。勢い余って口にしてしまったにしろ自分の気持ちを無かったことにされるのは正直良い気分ではない。
ならばそんな心遣いも忖度もいらない。
「おや、ガイも一緒でしたか」
「ああ。悪いなナマエを借りてて」
「いえいえ、構いませんよ。むしろ連れ出してもらえて助かります。近頃書類整理ばかりで死んだ魚のような目をしていましたから」
「ははは……それは穏やかじゃないな」
「まったく誰のせいですか! ぶーぶー! 書類地獄反対ー!」
「いつまでそうしているつもりですか?」とチクリと言って、ガイを盾に隠れるナマエを呼び寄せる。
珍しくナマエは抵抗すること無く私の元までやって来た。嫌々といった様子ではあったが。
いつもなら、嫌だと自己主張して抵抗しそうなものだが、昨晩の事が結果、彼女に灸を据えたのだとすれば後悔ばかりではないのかもしれない。
それでこそ押し倒した甲斐があったというものだ。
「ナマエ、第三師団に任務が入りました。その件で話がありますので、ブウサギの散歩はその辺りで切り上げてもらいます」
「…………はーい」
「では、私は先に戻っていますので、あなたも早めに切り上げて執務室へ戻って来てください」
「え!?」
「どうしました?」
ナマエは驚きのあまり声を上げ、目を見張る。
すぐに見開いた双眸を細め、じっとりとした目で此方を見やる。
目は口ほどに物を言う。彼女の視線からは猜疑心が滲み出ていた。
「いや……てっきり強制的に引きずって連れて行かれるのかと思って」
「おや、そちらの方がお好みですか? 仕方ありませんねぇ。そういうことであれば期待にお応えしますよ」
「滅相もない!! 新手の嫌がらせかと思って疑っちゃいました……ははは」
「心外ですねぇ。そんなの愛に決まっているじゃないですか」
「なるほど、愛ですか……そっか、愛か――愛!?」
「そんなに驚くことですか?」
「やっぱり嫌がらせだ!」
今までの――昨日までの私ならば十中八九首根っこを掴んで連れ戻しただろうが、今は不思議とそういった気にはならなかった。
もしかすると、先程のガイと過ごすナマエの姿を目にしたからかもしれない。
彼女の性格上、縛り付けるだけでは駄目な事ぐらい考えるまでもなく分かっていた筈なのに、いつの間にか失念してしまっていた。
いや、失念ではない。
もう二度と、二年前と同じ轍を踏むわけにはいかないとそればかりに気を取られ、大切なものを蔑ろにしていたのだ。
それが焦燥となり、拘泥し、自然体の彼女を造花か何かのような姿にしてしまっていたのかもしれない。
「二人は相変わらず仲がいいな」
「そうでしょう?」
「どこが!? ちょっと大佐、平気で大嘘つかないでください!」
「さて、何のことでしょう?」
「とぼけないでくださいよ!」
いつもの調子でとぼけると、ナマエもいつもの調子で噛みついてくる。
まるで猫が毛を逆立てたようなその様は、ある意味私でなければ見ることの出来ない彼女の姿なのかもしれない。
「そろそろ戻りますか。もう十分楽しんだでしょう?」
「誰かさんのお陰で台無しです、よ…………へ?」
にこやかな笑みで手を掴むと、此方を仰いだナマエの表情は見る見るうちに色を無くし、やがて真っ青になった。
手を繋ぐのではなく手首を掴んだのは、私なりの分かり辛い気遣いだったのだが、きっと彼女は気付かないだろう。
「ちょっと! 結局連れて行くんじゃないですか!」
「あなたがそう望んだのでしょう? 私は期待に応えただけですよ」
「望んでな――うわっ、ちょ、大佐……!」
喚くナマエを宥めるようにくしゃくしゃと髪を撫でると、不貞腐れたように頬を膨らませた。
それでも、私の手を撥ね退けようとはしない様子に自然と口元が緩んだ。
何故、昨晩あのような行動を取ったのか分からなかったが、今ならその答えが分かるような気がした。
私はただ、その瞳に自分を映して欲しかったのだ。
こんなふうに私だけを。
20251211
陛下直々の呼び出しとあらば軍人である以上、如何なる事情があろうと拒否権はない。
軍議を終え、陛下の待つ執務室を目指す足取りは酷く重たかった。
脱走壁のある陛下がしおらしく職務にあたるとは実に珍しく喜ばしい限りであるのに、私の心は晴れない。
その原因は言うまでもなく昨晩の出来事だった。
『あの日、あなたを助けた少年は私です』
こんな筈ではなかった。全くもって想定外だ。
ナマエを押し倒した挙句、あんな事まで口走ってしまうとは。
――昨日の私は、どうかしていた。
後悔の嵐が吹き荒れる。
我ながらとんだ失態を晒したものだと猛省するが、過ぎた時間が戻ることがないように口をついて出た言葉も戻りはしない。
目も当てられない。悔やんでも悔やみきれなかった。
そして、肝心なその後はと言うと、私が放った一言にナマエはどんな反応を示したのか……端的に言えば笑った。
あのまま雰囲気に呑まれて事におよぶことも無ければ、約二十年越しの愛を語り合うことも無く、あろう事か彼女は声をあげ、腹を抱えて爆笑したのだった。
仮にも男に押し倒された状況で危機感の一つも抱かずに、彼女は私の発言を笑い飛ばした。
そんな事があるものかと呵々大笑した後、目尻に浮かんだ涙を指で掬い『ああ、笑った』と一言溢しておしまい。
『あー、はいはい。嘘を吐くならここまでしろって事ですね。なるほど……確かにさっきの私の嘘とは別次元ですよ大佐の嘘は。だって、大佐が私の初恋相手なわけないし! あははっ、ないない!』
まさか嘘と一蹴されるとは思わず、面食らった。
この時、言葉もなく双眸を瞬かせる事しか出来なかった私の気持ちなど彼女には分かるまい。
誰にも、何にも分かるまい――笑い飛ばされ、亡ものにされたこの感情など。
何だろうか……この何とも言えない複雑な心境は。私が人知れず振られてしまったかのような、この空気は。
甚だ遺憾だ。
けれど、昨晩の出来事ではっきりしたこともある。
現状、私と彼女はそういった関係に発展する可能性はほぼゼロであること。
流石はナマエとったところだ。一筋縄ではいかない。
これでも要所々々分かりやすく態度で示していたつもりだったが、今後はもう少しあからさまにする必要がありそうだと気持ちを新たにしたところで執務室に行き至る。
執務室の扉をノックすると中から「入れ」と声がして、平静を装いながらドアノブに手を掛けた。
何があろうと職務に私情は持ち込まない。
軍人たるもの普段から感情の起伏を表に出さないよう己を律してきたつもりだ。
けれど、こうも後を引き自責の念に駆られてしまうのは、包み隠していた自己を曝け出していたからかもしれない。
あの瞬間、確かに私はマルクト帝国軍第三師団師団長ジェイド・カーティス大佐ではなく、肩書きも恥も外聞も何もかもかなぐり捨てた――ただの男だったのだ。
「この任務をお前の隊に命じる」
前口上を述べること無くいきなり本題に入るのは実に陛下らしい。
前置きがあろうと無かろうと陛下に命じられた任務ならば拒否権などあるはずもなく、突き出された書類を当然のように受け取る。
陛下直々に任される程の任務なのだから一体どんな極秘任務かと身構えたが、書面に目を落とすと肩透かしを食った。
「魔物の討伐任務……ですか」
何ということはない。
特別危険が及ぶ内容でも大至急という訳でもなく、陛下直々に呼び出される程重要性の高い任務だとはとても思えなかった。
ならば、わざわざ私を執務室に呼び付けた理由が別にあるのだろう。
「まだ実害は無いが、あの辺りは往来が多い。人も荷もいつ魔物の襲撃を受けるか分からん」
「時間の問題でしょうね」
「ああ。それに、エンゲーブならお前が適任だろうと思ってな」
「ええ、エンゲーブの御夫人とは認識がありますから。拝命致します」
書面から陛下へ目を転じると、何やら言いたげな表情を浮かべている。
側付きの兵士に席を外すように申し伝えた様子を見るに、やはり本題はここからなのだろう。
人払いが済んだ室内には暫く沈黙が流れたが、陛下は「さて、」と呟いて沈黙を破った。
僅かに憂いを帯びた青い瞳が私を捉える。
その眼差しはまるで、ここからは皇帝陛下としてではなく一人の友人として話をする為の線引きのように感じられた。
「どうした? ひどい顔だ」
「そうですか? 連日の激務で寝不足だからでしょう」
「よし、当ててやろう」
「…………」
陛下は私の話を聞いていたのだろうか?
ただの寝不足だと伝えた筈だが、私の発言は無かった事にされてしまったようだ。
問いに対して確かな返答をしたのにも関わらず、陛下は顎に手を添えて繁々と私を見る。
まるで、観察でもされているかのようで居心地が悪い。
こういった場合、次に口を開けば大体碌でもない発言をするのがお約束だ。
「ふむ……大方、偽装夫婦を装いナマエを縛り付け傍に置いたにもかかわらず、一向に懐かなくて腐心してる――と、いったところか?」
やはり、お約束だった。期待を裏切らなかった。
一切ブレない様子は一周回って好感すら持てる……わけがない。
ナマエは人の話を聞かない面があるが、彼も大概であり、彼等には通ずるものがあると思っていた。
なるほど、こういう事だったのか。
人の話を聞かず憶測で物を言う。
しかし、厄介なのはただの世迷言ではなく的を射た発言をする節があるからだ。
「図星だろう? まあ、お前は昔から分かりやすいからな」
「おや、心外ですね。これでもよく何を考えているか分からないと言われるのですが」
その通りだった。あっけなく見透かされてしまう。
私はこの部屋に入ってから図星を突かれても尚、顔色一つ変えていない筈だ。
しかし、得意げに笑う陛下相手にはいくら取り繕うと通用しないらしい。
「ジェイド。いい加減ナマエを外へ出してやれ。いつまで囲ったままでいるつもりなんだ?」
その言葉は問いかけているようで、しかし、肯定を促されている。
その通りだと首肯する事を求められている。
「お言葉ですが陛下、私はナマエを囲っているわけではありません。あくまで彼女は私の補佐ですから、結果、執務室へ閉じ込めているように映るのかもしれませんが……」
「そうか? 本人はお前の補佐官では物足りないと言っていたがな」
「それで陛下の側付きを提案されたと?」
「そう怖い顔をするな。俺は良かれと思ってだな……」
「それが余計な世話だと言うのです。……ですから、そう御心を砕いて頂かなくとも私は彼女を手放すつもりは更々ありませんので」
陛下は面食らったかのように双眸を見開く。
そんなに可笑しな事を言っただろうか?むしろ、求められている言葉を告げたつもりだったのだが……。
「お前の口からそんな言葉を聞く日がくるとはな。やっと認めたか」と呟いて、快活に笑った。
認めるも何も初めから私の腹積りはそうと決まっていた。
顔や態度に出ないよう己を律していただけで、腹の底では――今はやめておこう。これ以上は見せられない。
「ようするに、だ。あまり閉じ込めておいたら又候檻を破って逃げ出してしまうぞ? 二年前を忘れたわけじゃないだろう?」
「その檻とやらの鍵を開けた張本人が何を仰いますか」
「それもそうだな」
にこやかな笑みを浮かべて軽くあしらうと、陛下は苦笑する。
その笑みに滲むのは友を案ずる慈悲の心だったように思う。
「……あまり拘泥しすぎるなよ」
「お心遣い感謝申し上げます陛下」
「お前は相変わらず食えんやつだな」
「お褒め頂き光栄です」
とびきりの胡散臭い笑顔を貼り付けた。
それは私を部下ではなく友として自分事のように憂いてくれる相手に向けるものではなかっただろうが、これでいい。これが私なのだ。
任務の話はとうに終わり、気付けば無駄話の方が長くなってしまったように思うが、陛下はこの無駄話をする為に私を態々呼び寄せたのだろう。人払いをしてまで。
そうなればこれ以上の長居は無用だ。脱走癖のある陛下が珍しく宮殿を抜け出さず執務にあたっているのだから。
「難儀な奴め……くだらん意地を張らず、ただ一言“愛している”と言えばいいものを」
「ははは。ご冗談を」
乾いた笑いを浮かべると、陛下は目を伏せ「お前は俺と同じになるな」と呟いた。
その言葉に込められた感情は、きっと、二年前彼女を逃がした事に対する良心の呵責なのかもしれない。
あるいは、お膳立てをしたつもりが拗れに拗れ、捻くれてしまった私と彼女の現状に対する罪滅ぼしか。
俺と同じとは――忘れられないかつての恋人を想い、結婚もせず、ペットに彼女の名前を付ける事だろうか?
無論、そんな末路は御免被る。
これ以上この件について話はないと言いたげに一礼して執務室を後にする。
閉まった扉に向かって吐き出された溜め息は、当然私に届くことはなかった。
『あまり拘泥しすぎるなよ』
執務室から基地へと戻る最中、先程の言葉が頭の中を埋め尽くしていた。
愛と呼ぶには拙いこの感情をなんと呼べばいい?
ただ傍に置いておきたいと望む感情――その本心はただの執着なのだろうか?
普段の私であれば、こんな生産性に欠ける感情は無駄だと真っ先に切って捨てるだろう。
澱のような幼き日々の記憶はこうして今に至るまで心の奥底に残り続けた。
この胸に燻った感情は、二年前ナマエとの予期せぬ再会によって確かな火種となったのだ。
私はその出来事に、再会を果たせた彼女に、幼き日々の思い出に、拘泥しているのだろうか?
鬱屈とした気分を引き連れ中庭に面する廊下を歩いていると、賑やかな声が耳に届く。
つられて声のする方へ顔を向けると、そこにはガイとナマエの姿があった。
正確にはガイとナマエと陛下のペットのブウサギ六匹。
昨日の今日で偽装夫婦の旨は、まだガイに伝えていない。
だが、昨夜釘を刺しておいたので流石のナマエも暫く大人しくしているだろう。
花笑み、はしゃぐナマエの姿は陽光を浴びて燦然と輝いていた。
同時に自然体の彼女を前にドロリとした感情が流れ出るのを感じる。
――嗚呼、私にも存在していたのか。胸を焼くような、こんなにも黒々しい感情が。
私が傍に縛り付けていた彼女は所詮偽物に過ぎないのだと、まざまざと見せつけられた気分だった。
笑顔も所詮は作り物に過ぎないのだと思い知らされる。
そんな事は分かっているとも。辟易するほどに。
気付けば自然と足が二人の元に向かっていた。
「ナマエ」
「うげ! 大佐っ……ご、ごごご機嫌よう」
私の姿を視界に捉えるなり、彼女はあからさまな態度でガイの背に隠れる。
そんなに警戒せずとも……と言いかけて昨晩の己が行いを思い出し、無理もないと納得した。
今思えばあれは彼女なりの配慮だったのかもしれない。あんなお粗末な配慮を受けたのは後にも先にもナマエしかいないが……。
誤魔化して、揶揄って、冗談で終わらせてしまえば後腐れなく今後も接することが出来るだろうという彼女なりの配慮。
とは言え、だ。勢い余って口にしてしまったにしろ自分の気持ちを無かったことにされるのは正直良い気分ではない。
ならばそんな心遣いも忖度もいらない。
「おや、ガイも一緒でしたか」
「ああ。悪いなナマエを借りてて」
「いえいえ、構いませんよ。むしろ連れ出してもらえて助かります。近頃書類整理ばかりで死んだ魚のような目をしていましたから」
「ははは……それは穏やかじゃないな」
「まったく誰のせいですか! ぶーぶー! 書類地獄反対ー!」
「いつまでそうしているつもりですか?」とチクリと言って、ガイを盾に隠れるナマエを呼び寄せる。
珍しくナマエは抵抗すること無く私の元までやって来た。嫌々といった様子ではあったが。
いつもなら、嫌だと自己主張して抵抗しそうなものだが、昨晩の事が結果、彼女に灸を据えたのだとすれば後悔ばかりではないのかもしれない。
それでこそ押し倒した甲斐があったというものだ。
「ナマエ、第三師団に任務が入りました。その件で話がありますので、ブウサギの散歩はその辺りで切り上げてもらいます」
「…………はーい」
「では、私は先に戻っていますので、あなたも早めに切り上げて執務室へ戻って来てください」
「え!?」
「どうしました?」
ナマエは驚きのあまり声を上げ、目を見張る。
すぐに見開いた双眸を細め、じっとりとした目で此方を見やる。
目は口ほどに物を言う。彼女の視線からは猜疑心が滲み出ていた。
「いや……てっきり強制的に引きずって連れて行かれるのかと思って」
「おや、そちらの方がお好みですか? 仕方ありませんねぇ。そういうことであれば期待にお応えしますよ」
「滅相もない!! 新手の嫌がらせかと思って疑っちゃいました……ははは」
「心外ですねぇ。そんなの愛に決まっているじゃないですか」
「なるほど、愛ですか……そっか、愛か――愛!?」
「そんなに驚くことですか?」
「やっぱり嫌がらせだ!」
今までの――昨日までの私ならば十中八九首根っこを掴んで連れ戻しただろうが、今は不思議とそういった気にはならなかった。
もしかすると、先程のガイと過ごすナマエの姿を目にしたからかもしれない。
彼女の性格上、縛り付けるだけでは駄目な事ぐらい考えるまでもなく分かっていた筈なのに、いつの間にか失念してしまっていた。
いや、失念ではない。
もう二度と、二年前と同じ轍を踏むわけにはいかないとそればかりに気を取られ、大切なものを蔑ろにしていたのだ。
それが焦燥となり、拘泥し、自然体の彼女を造花か何かのような姿にしてしまっていたのかもしれない。
「二人は相変わらず仲がいいな」
「そうでしょう?」
「どこが!? ちょっと大佐、平気で大嘘つかないでください!」
「さて、何のことでしょう?」
「とぼけないでくださいよ!」
いつもの調子でとぼけると、ナマエもいつもの調子で噛みついてくる。
まるで猫が毛を逆立てたようなその様は、ある意味私でなければ見ることの出来ない彼女の姿なのかもしれない。
「そろそろ戻りますか。もう十分楽しんだでしょう?」
「誰かさんのお陰で台無しです、よ…………へ?」
にこやかな笑みで手を掴むと、此方を仰いだナマエの表情は見る見るうちに色を無くし、やがて真っ青になった。
手を繋ぐのではなく手首を掴んだのは、私なりの分かり辛い気遣いだったのだが、きっと彼女は気付かないだろう。
「ちょっと! 結局連れて行くんじゃないですか!」
「あなたがそう望んだのでしょう? 私は期待に応えただけですよ」
「望んでな――うわっ、ちょ、大佐……!」
喚くナマエを宥めるようにくしゃくしゃと髪を撫でると、不貞腐れたように頬を膨らませた。
それでも、私の手を撥ね退けようとはしない様子に自然と口元が緩んだ。
何故、昨晩あのような行動を取ったのか分からなかったが、今ならその答えが分かるような気がした。
私はただ、その瞳に自分を映して欲しかったのだ。
こんなふうに私だけを。
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