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偽装夫婦ごっことやらは呆気なく終わりを迎え、グランコクマから放り出されてひと月余り。
毎日彼を思って泣き明かし、途方に暮れながら日々を過ごしていた──わけがない。
どころか、自分でも驚くほどすんなりと以前の暮らしに戻っていた。
ダアトを離れて数ヶ月間、私はまたこの地に戻ってきた。
以前に比べ、街全体が少しばかり活気付いているように感じる。
教団を立て直すと奮起していたアニス達の努力が其処此処に見て取れるようだった。
今は、何でも屋のような仕事と呼ぶにはあまりにも適当なその日暮らしを送っている。
店番を手伝う日もあれば、護衛任務や怪我をした人の治療をする日もある。
以前のように素材入手の為に探索へ出る事もあるし、案外、食い扶持なんて何とでもなるものだ。
折り目正しく、規律第一。杓子定規な軍での暮らしとは打って変わって、自由気ままなダアトでの暮らしは心地良い。
軍人として生きてきたここ数ヶ月間がまるで嘘のように、少しずつ。けれど確実に、私の中から薄れてゆく。
──私を囲う歪な檻は、もうない。
私は、本当の意味で自由なのだ。
「遅いなぁー……」
生活の拠点も以前お世話になっていた道具屋の店主の元に住まわせてもらっている(と、言っても物置だけど……)。
その店主も昨日からケセドニアの物資を仕入れに行ったきり戻ってこず、その間、私が代わりに店番を引き受けている。
そろそろ戻ってきても良さそうなものだと思っていた矢先、待ちかねていた店主が漸く戻って来た。
「ナマエ、店番ありがとう。助かったよ」
「あ、お帰りなさーい」
店主の荷物を見て二、三度瞬きをする。
荷車から降ろされる荷物の量は普段の半分程度しかない。
「何だか荷物少ないですね」
「ん? ああ、実は前々から考えてたんだが、近々店を畳んでケセドニアへ戻ろうかと思っててな」
「え、どうして?」
荷降ろしを手伝いながら声をかけると、店主は芳しくない顔で事情を話す。
「以前のダアトじゃあ、特別に許可の降りた商人だけが商いをしていたが、最近はダアトも様変わりしたからな。商売の自由化も進んできたし、利益がなぁ……」
「そっかぁ……」
スコアが無くなった世界で、ダアトも人々の自由化が進んできたのだろう。
活気が出て喜ばしい事だろうが、一方で古い習慣に親しんできた人々の中には当然、素直に喜べない者もいる。
それに伴って、私も新しい生活拠点を探さなくてはならないだろう。
雨風が凌げるだけで寝床らしい寝床もない場所ではあるが、長らく住み着いた身としては少なからず愛着がある。
店の事情では仕方がないが、ほんのり寂しさを覚えた。
「ナマエ、よかったら一緒にケセドニアへ来ないか?」
「へ?」
「特に事情がないならどうだ? お前はよく働いてくれるし、腕も立つ。何より元軍人ときた。頼もしいったらないよ。店番以外にも色々と手伝ってもらえると助かるんだがなぁ」
元軍人とはいうが、実際は名ばかりで大した実績もないのだけれど……。
高く買ってくれる店主には申し訳ないが、何の功績も無いただのハリボテだ。
悲しくなるので、あえて口には出さないでおこう。
なら、お前はこの数ヶ月間何をしていたのかと問われれば、鬼畜陰険眼鏡大佐の元で夫婦ごっこをしていただけだ。
──大佐、元気にしているんだろうか……。
今でも脳裏に浮かぶのは、部屋を出ていく冷たい背中だけ。
無意識にぎゅうっと荷袋を掴む。
頭を振って、脳内から彼の事を追い出した。
「まあ、直ぐにってわけじゃない。考えてみてくれ」
「……はい。ありがとう御座います」
***
荷降ろしを手伝った後、私は請け負っていた任務に就いていた。
任務といっても大それたものではなく、日雇いの用心棒のようなもので、巡礼者のダアトからダアト港までの護衛任務だ。
ダアトからダアト港、その逆もまた同じ。
道中は魔物や盗賊が出ると聞く。馬車ではなく、徒歩で移動する巡礼者には用心棒がいれば心強い。
ガイから習った剣術と、治癒術、多少の譜術が使える私にとって、存外この仕事は合っている。
そして何より大きいのは、マルクト帝国軍に籍を置いていたという実績。お陰で引く手数多だ。
ハリボテなんちゃって軍人も、なかなかどうして役に立つ。
「それにしても……ケセドニア、か……」
護衛任務中、店主に言われた言葉を反芻していた。
正直、誘いは嬉しい。彼には長い間世話になったし、それは今も続いている。
私が店主の力になれるなら、そうしたいのは山々だが、安易に頷けないのは場所が他でもないケセドニアだったからだ。
あそこは自治区でこそあるが国境線上にある街の為、キムラスカとマルクトの両軍が常駐している。
もちろん私も第三師団として訪れたことがある。
つまり、ケセドニアに拠点を移せば大佐と顔を合わせる可能性がゼロではないという事。
それを思うとやはり気乗りしなかったし、その場で頷く事が出来なかったのだ。
じゃあ、私は何処へ行けばいい?
ケセドニアとマルクト帝国は除外するとして、残された選択肢であるキムラスカ・ランバルディア王国はどうだろう?
『ナマエさん、何かありましたら遠慮なく仰ってください。わたくしはあなたの味方ですわ』
ナタリア王女の顔が浮かんだけれど、直ぐに頭から追い出す。彼女は駄目だ。
大佐とナタリア王女の仲を鑑みると、大佐と離縁したのだと知れれば面倒な事になりそうだ。
結局、私の居場所はダアト以外には無いと悟る。
それに、ダアトならマルクト軍の干渉は受けない。
あの日のように彼自ら私を探し出そうとしない限りは出会うこともない。
小さくため息を落として、これ以上の思考を切り上げた。
こんなのは無意味だ。私はもう、大佐とは何の関わりもないのだから。
ダアト港まで送り届けた巡礼者を見送り、受け取った賃金をポーチにしまおうとした時だった。
引っ張り出した財布と一緒に何かがまろび出る。
コツンと音を立てて地面を転がるそれは、陽光を受けて鋭く煌めいた。
伸ばした指がそれに触れる瞬間ピクリと強張り、息が詰まる。
それは夜会の時、大佐がくれた口紅だった。
否応にも、あの夜の出来事が脳内に流れ込んでくる。
彼が触れた指先の感触、柔和な眼差し、優しく絡み付く言葉。
「──っ、傍にいろって言ったくせに……!」
発作的に振り上げて地面に叩き捨てようとするが、出来なかった。
振り上げた手が震えている。
唇を噛みしめながら力なくダラリと腕を下ろすと、息苦しいほどの喪失感に胸が締め付けられた。
いくら日が経っても、彼はもう私を探し出し、迎えに来てはくれない。
それが彼の出した答えであり、紛れもない現実なのだ。
良くも悪くも私は“何も変わらない”ままでいるのに。
このひと月余り平気でやって来たけれど、それは所詮“つもり”であって、私の中にはまだ大佐の存在が残ってるのだと思い知る。
仕事で忙しくしている間は考えずに済むが、それでも、ふとした瞬間に彼の事を思い出してしまう。
ツキン、と鋭利な彼という破片が突き刺さった胸は、まだ癒えてなどいない。
例えばあの時、嫌だと泣き喚いて、縋り付いていれば何か変わったのだろうか?
私は今でも彼の隣に立てていた?
「……ばっかみたい」
握りしめた口紅の小瓶を荒々しくポーチに押し込んだ。
──あなたを思って、泣いてなどやるものか。
惨めな私の最後の強がりで、せめてもの抵抗だ。
案外あっちは綺麗さっぱり私のことなんて忘れて楽しくやっているのかもしれない。
もしも、結婚をしたなんて報告が風の噂で耳に入るような事があれば、とびきりの言祝ぎをしてやろうじゃないか。
「おーい! ナマエ」
「!」
港からダアトへ戻ろうとした時だった。
私を呼び止める声がする。
グランコクマを離れてひと月余り。その声は酷く懐かしかった。
20260503
毎日彼を思って泣き明かし、途方に暮れながら日々を過ごしていた──わけがない。
どころか、自分でも驚くほどすんなりと以前の暮らしに戻っていた。
ダアトを離れて数ヶ月間、私はまたこの地に戻ってきた。
以前に比べ、街全体が少しばかり活気付いているように感じる。
教団を立て直すと奮起していたアニス達の努力が其処此処に見て取れるようだった。
今は、何でも屋のような仕事と呼ぶにはあまりにも適当なその日暮らしを送っている。
店番を手伝う日もあれば、護衛任務や怪我をした人の治療をする日もある。
以前のように素材入手の為に探索へ出る事もあるし、案外、食い扶持なんて何とでもなるものだ。
折り目正しく、規律第一。杓子定規な軍での暮らしとは打って変わって、自由気ままなダアトでの暮らしは心地良い。
軍人として生きてきたここ数ヶ月間がまるで嘘のように、少しずつ。けれど確実に、私の中から薄れてゆく。
──私を囲う歪な檻は、もうない。
私は、本当の意味で自由なのだ。
「遅いなぁー……」
生活の拠点も以前お世話になっていた道具屋の店主の元に住まわせてもらっている(と、言っても物置だけど……)。
その店主も昨日からケセドニアの物資を仕入れに行ったきり戻ってこず、その間、私が代わりに店番を引き受けている。
そろそろ戻ってきても良さそうなものだと思っていた矢先、待ちかねていた店主が漸く戻って来た。
「ナマエ、店番ありがとう。助かったよ」
「あ、お帰りなさーい」
店主の荷物を見て二、三度瞬きをする。
荷車から降ろされる荷物の量は普段の半分程度しかない。
「何だか荷物少ないですね」
「ん? ああ、実は前々から考えてたんだが、近々店を畳んでケセドニアへ戻ろうかと思っててな」
「え、どうして?」
荷降ろしを手伝いながら声をかけると、店主は芳しくない顔で事情を話す。
「以前のダアトじゃあ、特別に許可の降りた商人だけが商いをしていたが、最近はダアトも様変わりしたからな。商売の自由化も進んできたし、利益がなぁ……」
「そっかぁ……」
スコアが無くなった世界で、ダアトも人々の自由化が進んできたのだろう。
活気が出て喜ばしい事だろうが、一方で古い習慣に親しんできた人々の中には当然、素直に喜べない者もいる。
それに伴って、私も新しい生活拠点を探さなくてはならないだろう。
雨風が凌げるだけで寝床らしい寝床もない場所ではあるが、長らく住み着いた身としては少なからず愛着がある。
店の事情では仕方がないが、ほんのり寂しさを覚えた。
「ナマエ、よかったら一緒にケセドニアへ来ないか?」
「へ?」
「特に事情がないならどうだ? お前はよく働いてくれるし、腕も立つ。何より元軍人ときた。頼もしいったらないよ。店番以外にも色々と手伝ってもらえると助かるんだがなぁ」
元軍人とはいうが、実際は名ばかりで大した実績もないのだけれど……。
高く買ってくれる店主には申し訳ないが、何の功績も無いただのハリボテだ。
悲しくなるので、あえて口には出さないでおこう。
なら、お前はこの数ヶ月間何をしていたのかと問われれば、鬼畜陰険眼鏡大佐の元で夫婦ごっこをしていただけだ。
──大佐、元気にしているんだろうか……。
今でも脳裏に浮かぶのは、部屋を出ていく冷たい背中だけ。
無意識にぎゅうっと荷袋を掴む。
頭を振って、脳内から彼の事を追い出した。
「まあ、直ぐにってわけじゃない。考えてみてくれ」
「……はい。ありがとう御座います」
***
荷降ろしを手伝った後、私は請け負っていた任務に就いていた。
任務といっても大それたものではなく、日雇いの用心棒のようなもので、巡礼者のダアトからダアト港までの護衛任務だ。
ダアトからダアト港、その逆もまた同じ。
道中は魔物や盗賊が出ると聞く。馬車ではなく、徒歩で移動する巡礼者には用心棒がいれば心強い。
ガイから習った剣術と、治癒術、多少の譜術が使える私にとって、存外この仕事は合っている。
そして何より大きいのは、マルクト帝国軍に籍を置いていたという実績。お陰で引く手数多だ。
ハリボテなんちゃって軍人も、なかなかどうして役に立つ。
「それにしても……ケセドニア、か……」
護衛任務中、店主に言われた言葉を反芻していた。
正直、誘いは嬉しい。彼には長い間世話になったし、それは今も続いている。
私が店主の力になれるなら、そうしたいのは山々だが、安易に頷けないのは場所が他でもないケセドニアだったからだ。
あそこは自治区でこそあるが国境線上にある街の為、キムラスカとマルクトの両軍が常駐している。
もちろん私も第三師団として訪れたことがある。
つまり、ケセドニアに拠点を移せば大佐と顔を合わせる可能性がゼロではないという事。
それを思うとやはり気乗りしなかったし、その場で頷く事が出来なかったのだ。
じゃあ、私は何処へ行けばいい?
ケセドニアとマルクト帝国は除外するとして、残された選択肢であるキムラスカ・ランバルディア王国はどうだろう?
『ナマエさん、何かありましたら遠慮なく仰ってください。わたくしはあなたの味方ですわ』
ナタリア王女の顔が浮かんだけれど、直ぐに頭から追い出す。彼女は駄目だ。
大佐とナタリア王女の仲を鑑みると、大佐と離縁したのだと知れれば面倒な事になりそうだ。
結局、私の居場所はダアト以外には無いと悟る。
それに、ダアトならマルクト軍の干渉は受けない。
あの日のように彼自ら私を探し出そうとしない限りは出会うこともない。
小さくため息を落として、これ以上の思考を切り上げた。
こんなのは無意味だ。私はもう、大佐とは何の関わりもないのだから。
ダアト港まで送り届けた巡礼者を見送り、受け取った賃金をポーチにしまおうとした時だった。
引っ張り出した財布と一緒に何かがまろび出る。
コツンと音を立てて地面を転がるそれは、陽光を受けて鋭く煌めいた。
伸ばした指がそれに触れる瞬間ピクリと強張り、息が詰まる。
それは夜会の時、大佐がくれた口紅だった。
否応にも、あの夜の出来事が脳内に流れ込んでくる。
彼が触れた指先の感触、柔和な眼差し、優しく絡み付く言葉。
「──っ、傍にいろって言ったくせに……!」
発作的に振り上げて地面に叩き捨てようとするが、出来なかった。
振り上げた手が震えている。
唇を噛みしめながら力なくダラリと腕を下ろすと、息苦しいほどの喪失感に胸が締め付けられた。
いくら日が経っても、彼はもう私を探し出し、迎えに来てはくれない。
それが彼の出した答えであり、紛れもない現実なのだ。
良くも悪くも私は“何も変わらない”ままでいるのに。
このひと月余り平気でやって来たけれど、それは所詮“つもり”であって、私の中にはまだ大佐の存在が残ってるのだと思い知る。
仕事で忙しくしている間は考えずに済むが、それでも、ふとした瞬間に彼の事を思い出してしまう。
ツキン、と鋭利な彼という破片が突き刺さった胸は、まだ癒えてなどいない。
例えばあの時、嫌だと泣き喚いて、縋り付いていれば何か変わったのだろうか?
私は今でも彼の隣に立てていた?
「……ばっかみたい」
握りしめた口紅の小瓶を荒々しくポーチに押し込んだ。
──あなたを思って、泣いてなどやるものか。
惨めな私の最後の強がりで、せめてもの抵抗だ。
案外あっちは綺麗さっぱり私のことなんて忘れて楽しくやっているのかもしれない。
もしも、結婚をしたなんて報告が風の噂で耳に入るような事があれば、とびきりの言祝ぎをしてやろうじゃないか。
「おーい! ナマエ」
「!」
港からダアトへ戻ろうとした時だった。
私を呼び止める声がする。
グランコクマを離れてひと月余り。その声は酷く懐かしかった。
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