04
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『病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、彼を愛し敬い慈しむ事を誓いますか?』
「誰が誓うかぁぁああ!!!!」
べチン!と頭から毟り取ったベールを力任せに床へ叩きつけて叫喚する私程、純白のドレスが似合わない女性は存在しない。
幸福とは真反対に位置する私にとって、この格好は嫌がらせ以外の何ものでもないのだから。
そう言えば、このウェディングドレスという代物には“あなたの色に染まります”だなんて恐ろしい意味が込められているとか、いないとか……。
私が大佐の色に染まるだなんて……そんなのはお断りだ。考えただけで恐ろしい。
「残念ながら誓っちゃいましたねぇ」
「大佐……!」
声につられて振り向くと、そこには遅れて部屋に戻って来た大佐の姿があった。
こんな大事でも相変わらず飄々としている彼は、らしいと言えばこれ以上ない程に彼らしかった。
「あまり大きな声を出さないでください。部屋の外まで聞こえていましたよ?」
「誰のせいだと……」
本当に、誰のせいでこんな事になってしまったと思っているのか。
何故、私達が二人揃ってこんな格好をし、ありもしない永遠の愛を誓う羽目になったのか……。
事の始まりは数時間前――昨晩、大佐に仕返しのキスをぶちかまされたばかりに微睡んだだけで迎えてしまった朝の事。
あっという間にウェディングドレスを着せられたかと思うと、結婚してもらいますと宣言された。
そこで断れば良かったのだが、借金をチャラにしてもらえる特典付きと聞き、迷った末に手を取ってしまったのが運の尽きだったのだ。
まあ、彼の性分を思えばあの時断っていたとしても持てる全てを駆使し、万策を持ってこの婚姻に漕ぎ着けていただろうが……。
「大佐、やっぱり可笑しいですよこんなの……今からでも遅くありません。離婚しましょう!? さあ、早く! 今直ぐに離婚してください私と!!」
「いやです」と、にこやか且つ軽やかに拒否された。分かっていたけれど。
大佐は、我関せずとばかりに素知らぬ顔でソファーに腰掛ける。
彼だって、この婚姻の当事者だというのに。それとも、挙式さえ済んでしまえばどうでもいいのだろうか?
納得の有無は別として、一欠片の愛情すら存在しない婚姻を結んでしまったということは、つまり、今から私の名前はナマエ・カーティスという事になる。
酷く笑えない冗談だった。
大佐は荒れ狂う私を見やり「やれやれ」と呆れながら立ち上がる。
床に叩き付けられたベールを拾い上げると、軽く埃を叩き、私の頭に被せ直した。
「そんなに喜んで頂けるとは思いませんでしたよ」
「どこをどう見れば、これが喜んでいるように見えるんですか!?」
一体どこをどう見れば、我を忘れ阿鼻叫喚する様子が歓喜雀躍する様子に映るのだろう?
荒れているのだ。荒れ狂っている。現状と私達の関係性に。
「まあまあ、落ち着いてくだい。結婚といっても、所詮はフリのようなものじゃないですかぁ」
「“フリのような”じゃなくて、フリです! フ・リ!!」
「そういう事にしておきますよ」
「大、さ――んむ!」
駄々をこねる子供のように喚く私を嗜めるかのように、大佐は人差し指を私の唇に押し当てて制する。
「ナマエ、先程もお伝えしましたが、あまり大きな声をださないでください。この婚姻が“偽装”だと知っているのは私達の他に陛下お一人だけなのですから。まったく……他の者の耳に入ったらどうするつもりです?」
あくまで偽装。形だけの所謂仮面夫婦。
それが唯一の救いであり、心の拠り所だった。
てっきり正式に結婚するのだとばかり思っていたが、式が終わった直後に大佐に聞かされたのはこの婚姻は偽装だということだった。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。形だけとはいえきちんと式は執り行ったし、書面にサインもした。
書面を提出してしまったのなら、偽装云々の前に結婚した事実は変わらないのではないだろうかと。
またしても私は彼の手のひらで踊らされている気がしてならない。
「……分かってますよ。その割にノリノリだったじゃないですか」
「おや、バレましたか?」
「私に嫌がらせする時の大佐はいつも楽しそうですからねー。……陛下もずっと肩を震わせて笑っていましたし」
「それはあなたの顔が愉快だったからではないですか?」
「愉快……」
まあ確かに終始半開きの口からは魂が抜け、目は死んだ魚の如く濁っていただろうけれど。
「フリだとしても一応入籍してしまったわけだし……はぁ……これから一体どうしたら」
「ああ、その件なのですが――」
「え? ――あ!」
絶望に浸る私に大佐はひらりと紙切れを一枚、見せびらかすかの如く提示した。
それは紛れもなく、私達の婚姻関係を証明する書面だった。
つまり、それが受理されない限り私達は婚姻関係(仮)の状態と言うわけだ。
確かに今し方ささやかで不本意な式を挙げたばかりだが、しかし、この書面が受理されないかぎり、正式な夫婦とはみなされない。
あの場にいた誰もが――正確には、ピオニー陛下お一人を除く誰もがこの事実を知らない。
ならば、私が取る行動はただ一つ。
「ふんっ!」
「おっと」
不意をついて婚姻証明の紙を大佐の手からふんだくろうと飛び付くが空振りに終わる。伸ばした手は空を切った。
恨めしく大佐を見上げると、まるで私の行動を予測していたかのようにそれを遠ざけて、より一層高く掲げた。
もともと長身の大佐に対し、私は小柄な体躯をしている。
身長差のアドバンテージがあるにも関わらず、さらに高く取り上げられれば私に打つ手はない。
「これを手に入れて、一体どうするおつもりですか?」
「内緒です」
「怪しいですね」
「怪しくないです! ええっと……あ、トイレ。そう、お手洗いに行きたいので、その紙を私にください。万が一トイレットペーパーが切れていたら一大事だと思いませんか?」
「なるほど。あなたの思考が一大事というわけですね」
そもそもそんな物をトイレに流したら詰まってしまい、本当に一大事になってしまう。作戦失敗。
それでも、どうにかして証明書を奪取しようと大佐に食らいつく。
正確には、頭上高くに掲げられた紙切れを取り戻す為に躍起になってぴょんぴょん飛び上がっているだけだが……。
一向に届く気配がなく、意地になって飛び跳ねていると着地の際に足を捻ってしまう。
「うわっ!」
「ナマエ!」
しまった。私は今、花嫁衣装に身を包んでいる。
普段は考えられない高さのヒールを履いているのだった。
その事実を失念し、普段通り振る舞ってしまったばかりに……。
大佐は咄嗟に腕を伸ばし私を支えてくれる。
けれど、完全に受け止めきれず、そのままソファーに倒れ込んだ。
それはまるで、私が大佐を押し倒しているような絵面になってしまっていて――。
「随分と積極的ですねぇ」
「こ、これは違っ! 事故です!」
一体どこまでが計算のうちのなのだろうか?
大佐ほど鍛え抜かれた体幹の持ち主ならば、不慮の事故だったとしても私如きに押し倒されるわけがない。
証拠に、私を見上げる彼の表情はにこやかで、この状況を楽しんでいますと言わんばかりだった。
「助けて頂いた分際で言うのも何ですが…………わざとですよね!? わざと倒れ込みましたね!?」
「さて、なんの事でしょう? まあ、軍人とは言え肉体の全盛期は過ぎているでしょうし。嫌ですねぇ歳を取ると」
大佐は、いつものようにはぐらかす。
そして、肝心な婚姻届といえば、そそくさとジャケットの内ポケットへ仕舞い込んでしまった。
それを取り返すとなると、私が彼のジャケットをひん剥なければならない。
正直、これ以上の接触を避けたい私にとって、その行為は中々にハードルが高い。
「んなっ! 卑怯ですよ!」
「さて、何の話でしょう?」
婚姻届は一旦諦めて、押し倒した大佐の上から起き上がろうと体を持ち上げると、背に回った腕に力が込められた。
そればかりか引き寄せられ、そのまま抱きしめられた。
「う、ぉ、うええ!? ちょ、あ、あのっ……大佐!?」
軽く――否、盛大にパニックを起こしてしまう。
「はい。どうしました?」
「とぼけないでください! あと、からかわないでください! 私はあなたの玩具じゃないんですけど!」
「勿論、分かっていますよ。あなたは私の妻ですから」
「いや、だからフリですってば!」
「ああ、そうです。これを忘れていました。フリといえど一応は」
言って、ジャケットのポケットから何かを取り出し、手際よく私の左手薬指にそれをはめた。
薬指に視線を落とすと、シルバーのリングがキラリと輝いていた。
これは、指輪?――指輪だ。
左手の薬指というだけあって、これは“そういう意味の物”なのだろうが……。
よく見ると指輪には何が宝石の装飾が施されている。
黄緑色の宝石だ。
エメラルドよりは控えめな色味のこの宝石はなんという石なのだろう?
「結婚指輪です」
「見たまんまですね……偽装なのに随分と高価そうな指輪を……。この石なんて名前ですか?」
「ペリドットですよ。意味は……どうぞご自分で調べてください。後学のためにも」
「後学……」
大佐はいつもの調子で浅学非才な私を小馬鹿にしたように言う。
石の意味なんて絶対調べない。そんな風にけしかけたら余計に調べる気が失せる性分である事を大佐は知らないのだろう。
宝石に変わりないのだから、高価なものだと分かればそれで十分だ。
「取り敢えず可能な限りはめておいてください」
「ありがとう御座います」
「おや、いいのですか? 礼など言って。私はその指輪一つであなたを縛り付けたというのに」
「縛るって……どうせなら、もっと気の利いた台詞の一つや二つふあるでしょう? あ、もしこの関係が解消されても指輪は返しませんからね。そのお礼ですよ」
大佐は「何かですか……ふむ」と、暫くの間逡巡し、何か思い立ったように口にした。
「これであなたは私のもの、ですね」
「ひぃ」
この瞬間、まるで私の首にはがちゃりと首輪がはめられたような感覚に陥った。そこから伸びた鎖は勿論大佐の手の中に。
沈思黙考の末、彼なりの気の利いた言葉であったらしい。
世間では一応ときめく部類の台詞であるはずなのに、こんなにも怖気が走ろうとは。
キュンとゾッは紙一重であるらしい。
「おや、卒倒するほど喜んで頂けるとは。夫冥利につきますねぇ」
「オットジャナイヨォ……」
兎にも角にも、私はこんなにも不毛な関係を他に知らない。
この瞬間、大佐の手元にある婚姻届を一刻も早く回収し、処分し、逃走する事に命をかけようと心の中で静かに決意した。
20251008
「誰が誓うかぁぁああ!!!!」
べチン!と頭から毟り取ったベールを力任せに床へ叩きつけて叫喚する私程、純白のドレスが似合わない女性は存在しない。
幸福とは真反対に位置する私にとって、この格好は嫌がらせ以外の何ものでもないのだから。
そう言えば、このウェディングドレスという代物には“あなたの色に染まります”だなんて恐ろしい意味が込められているとか、いないとか……。
私が大佐の色に染まるだなんて……そんなのはお断りだ。考えただけで恐ろしい。
「残念ながら誓っちゃいましたねぇ」
「大佐……!」
声につられて振り向くと、そこには遅れて部屋に戻って来た大佐の姿があった。
こんな大事でも相変わらず飄々としている彼は、らしいと言えばこれ以上ない程に彼らしかった。
「あまり大きな声を出さないでください。部屋の外まで聞こえていましたよ?」
「誰のせいだと……」
本当に、誰のせいでこんな事になってしまったと思っているのか。
何故、私達が二人揃ってこんな格好をし、ありもしない永遠の愛を誓う羽目になったのか……。
事の始まりは数時間前――昨晩、大佐に仕返しのキスをぶちかまされたばかりに微睡んだだけで迎えてしまった朝の事。
あっという間にウェディングドレスを着せられたかと思うと、結婚してもらいますと宣言された。
そこで断れば良かったのだが、借金をチャラにしてもらえる特典付きと聞き、迷った末に手を取ってしまったのが運の尽きだったのだ。
まあ、彼の性分を思えばあの時断っていたとしても持てる全てを駆使し、万策を持ってこの婚姻に漕ぎ着けていただろうが……。
「大佐、やっぱり可笑しいですよこんなの……今からでも遅くありません。離婚しましょう!? さあ、早く! 今直ぐに離婚してください私と!!」
「いやです」と、にこやか且つ軽やかに拒否された。分かっていたけれど。
大佐は、我関せずとばかりに素知らぬ顔でソファーに腰掛ける。
彼だって、この婚姻の当事者だというのに。それとも、挙式さえ済んでしまえばどうでもいいのだろうか?
納得の有無は別として、一欠片の愛情すら存在しない婚姻を結んでしまったということは、つまり、今から私の名前はナマエ・カーティスという事になる。
酷く笑えない冗談だった。
大佐は荒れ狂う私を見やり「やれやれ」と呆れながら立ち上がる。
床に叩き付けられたベールを拾い上げると、軽く埃を叩き、私の頭に被せ直した。
「そんなに喜んで頂けるとは思いませんでしたよ」
「どこをどう見れば、これが喜んでいるように見えるんですか!?」
一体どこをどう見れば、我を忘れ阿鼻叫喚する様子が歓喜雀躍する様子に映るのだろう?
荒れているのだ。荒れ狂っている。現状と私達の関係性に。
「まあまあ、落ち着いてくだい。結婚といっても、所詮はフリのようなものじゃないですかぁ」
「“フリのような”じゃなくて、フリです! フ・リ!!」
「そういう事にしておきますよ」
「大、さ――んむ!」
駄々をこねる子供のように喚く私を嗜めるかのように、大佐は人差し指を私の唇に押し当てて制する。
「ナマエ、先程もお伝えしましたが、あまり大きな声をださないでください。この婚姻が“偽装”だと知っているのは私達の他に陛下お一人だけなのですから。まったく……他の者の耳に入ったらどうするつもりです?」
あくまで偽装。形だけの所謂仮面夫婦。
それが唯一の救いであり、心の拠り所だった。
てっきり正式に結婚するのだとばかり思っていたが、式が終わった直後に大佐に聞かされたのはこの婚姻は偽装だということだった。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。形だけとはいえきちんと式は執り行ったし、書面にサインもした。
書面を提出してしまったのなら、偽装云々の前に結婚した事実は変わらないのではないだろうかと。
またしても私は彼の手のひらで踊らされている気がしてならない。
「……分かってますよ。その割にノリノリだったじゃないですか」
「おや、バレましたか?」
「私に嫌がらせする時の大佐はいつも楽しそうですからねー。……陛下もずっと肩を震わせて笑っていましたし」
「それはあなたの顔が愉快だったからではないですか?」
「愉快……」
まあ確かに終始半開きの口からは魂が抜け、目は死んだ魚の如く濁っていただろうけれど。
「フリだとしても一応入籍してしまったわけだし……はぁ……これから一体どうしたら」
「ああ、その件なのですが――」
「え? ――あ!」
絶望に浸る私に大佐はひらりと紙切れを一枚、見せびらかすかの如く提示した。
それは紛れもなく、私達の婚姻関係を証明する書面だった。
つまり、それが受理されない限り私達は婚姻関係(仮)の状態と言うわけだ。
確かに今し方ささやかで不本意な式を挙げたばかりだが、しかし、この書面が受理されないかぎり、正式な夫婦とはみなされない。
あの場にいた誰もが――正確には、ピオニー陛下お一人を除く誰もがこの事実を知らない。
ならば、私が取る行動はただ一つ。
「ふんっ!」
「おっと」
不意をついて婚姻証明の紙を大佐の手からふんだくろうと飛び付くが空振りに終わる。伸ばした手は空を切った。
恨めしく大佐を見上げると、まるで私の行動を予測していたかのようにそれを遠ざけて、より一層高く掲げた。
もともと長身の大佐に対し、私は小柄な体躯をしている。
身長差のアドバンテージがあるにも関わらず、さらに高く取り上げられれば私に打つ手はない。
「これを手に入れて、一体どうするおつもりですか?」
「内緒です」
「怪しいですね」
「怪しくないです! ええっと……あ、トイレ。そう、お手洗いに行きたいので、その紙を私にください。万が一トイレットペーパーが切れていたら一大事だと思いませんか?」
「なるほど。あなたの思考が一大事というわけですね」
そもそもそんな物をトイレに流したら詰まってしまい、本当に一大事になってしまう。作戦失敗。
それでも、どうにかして証明書を奪取しようと大佐に食らいつく。
正確には、頭上高くに掲げられた紙切れを取り戻す為に躍起になってぴょんぴょん飛び上がっているだけだが……。
一向に届く気配がなく、意地になって飛び跳ねていると着地の際に足を捻ってしまう。
「うわっ!」
「ナマエ!」
しまった。私は今、花嫁衣装に身を包んでいる。
普段は考えられない高さのヒールを履いているのだった。
その事実を失念し、普段通り振る舞ってしまったばかりに……。
大佐は咄嗟に腕を伸ばし私を支えてくれる。
けれど、完全に受け止めきれず、そのままソファーに倒れ込んだ。
それはまるで、私が大佐を押し倒しているような絵面になってしまっていて――。
「随分と積極的ですねぇ」
「こ、これは違っ! 事故です!」
一体どこまでが計算のうちのなのだろうか?
大佐ほど鍛え抜かれた体幹の持ち主ならば、不慮の事故だったとしても私如きに押し倒されるわけがない。
証拠に、私を見上げる彼の表情はにこやかで、この状況を楽しんでいますと言わんばかりだった。
「助けて頂いた分際で言うのも何ですが…………わざとですよね!? わざと倒れ込みましたね!?」
「さて、なんの事でしょう? まあ、軍人とは言え肉体の全盛期は過ぎているでしょうし。嫌ですねぇ歳を取ると」
大佐は、いつものようにはぐらかす。
そして、肝心な婚姻届といえば、そそくさとジャケットの内ポケットへ仕舞い込んでしまった。
それを取り返すとなると、私が彼のジャケットをひん剥なければならない。
正直、これ以上の接触を避けたい私にとって、その行為は中々にハードルが高い。
「んなっ! 卑怯ですよ!」
「さて、何の話でしょう?」
婚姻届は一旦諦めて、押し倒した大佐の上から起き上がろうと体を持ち上げると、背に回った腕に力が込められた。
そればかりか引き寄せられ、そのまま抱きしめられた。
「う、ぉ、うええ!? ちょ、あ、あのっ……大佐!?」
軽く――否、盛大にパニックを起こしてしまう。
「はい。どうしました?」
「とぼけないでください! あと、からかわないでください! 私はあなたの玩具じゃないんですけど!」
「勿論、分かっていますよ。あなたは私の妻ですから」
「いや、だからフリですってば!」
「ああ、そうです。これを忘れていました。フリといえど一応は」
言って、ジャケットのポケットから何かを取り出し、手際よく私の左手薬指にそれをはめた。
薬指に視線を落とすと、シルバーのリングがキラリと輝いていた。
これは、指輪?――指輪だ。
左手の薬指というだけあって、これは“そういう意味の物”なのだろうが……。
よく見ると指輪には何が宝石の装飾が施されている。
黄緑色の宝石だ。
エメラルドよりは控えめな色味のこの宝石はなんという石なのだろう?
「結婚指輪です」
「見たまんまですね……偽装なのに随分と高価そうな指輪を……。この石なんて名前ですか?」
「ペリドットですよ。意味は……どうぞご自分で調べてください。後学のためにも」
「後学……」
大佐はいつもの調子で浅学非才な私を小馬鹿にしたように言う。
石の意味なんて絶対調べない。そんな風にけしかけたら余計に調べる気が失せる性分である事を大佐は知らないのだろう。
宝石に変わりないのだから、高価なものだと分かればそれで十分だ。
「取り敢えず可能な限りはめておいてください」
「ありがとう御座います」
「おや、いいのですか? 礼など言って。私はその指輪一つであなたを縛り付けたというのに」
「縛るって……どうせなら、もっと気の利いた台詞の一つや二つふあるでしょう? あ、もしこの関係が解消されても指輪は返しませんからね。そのお礼ですよ」
大佐は「何かですか……ふむ」と、暫くの間逡巡し、何か思い立ったように口にした。
「これであなたは私のもの、ですね」
「ひぃ」
この瞬間、まるで私の首にはがちゃりと首輪がはめられたような感覚に陥った。そこから伸びた鎖は勿論大佐の手の中に。
沈思黙考の末、彼なりの気の利いた言葉であったらしい。
世間では一応ときめく部類の台詞であるはずなのに、こんなにも怖気が走ろうとは。
キュンとゾッは紙一重であるらしい。
「おや、卒倒するほど喜んで頂けるとは。夫冥利につきますねぇ」
「オットジャナイヨォ……」
兎にも角にも、私はこんなにも不毛な関係を他に知らない。
この瞬間、大佐の手元にある婚姻届を一刻も早く回収し、処分し、逃走する事に命をかけようと心の中で静かに決意した。
20251008