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本日、大佐と私はエンゲーブの治安と流通状況の確認のため、視察に赴いている。
何故、私と大佐だけなのかといえば、大所帯で押しかけては民の本音を拾えないからという理由らしい。
なんでも、抜き打ちでこそ見える村の現状があるのだとか。
私に“師団長補佐官”の肩書がある限り、どんなに気乗りしなくても大佐に付き従わなくてはならない。
残念ながら、それが私の仕事なのだ。
山を登るなら山に。街へ赴くなら街に。海を渡るなら海──は、流石に遠慮したい。だって泳げないもん。
そもそも報告書に上がっているのだから、わざわざ現地に赴かなくてもいいのに──と思ってしまったことは、口に出さないでおく。
しかし、無意識のうちにそれらは言外に滲んでいたらしく、尋ねてもいないのに大佐は視察とは何たるべきかを私に説いた。
「街の空気は報告書では測れませんからね。こうして自ら足を運ぶのが一番確実なのですよ」
「へ?」
「これでよろしいですか?」
不服への返答はこれでよろしいですか?
貼り付けられた笑顔が圧を背負いながら語りかけてくるようで、私は堪らず苦笑いを浮かべる。
「あなたは分かりやすいですから」
「あははは……はーい。よく分かりました」
「それは結構」
心臓に悪いので心を読むのはやめて欲しい。
死霊使いともなれば、読心術のひとつやふたつお手の物なのだろうか?
すぐに見透かされてしまうのなら、余計なことは考えないに限る。
師団長とその補佐官。
今日はその名目でエンゲーブを訪れているものの、心を通わせた私達は未だ“偽装夫婦”のままなのだろうか?
それとも正式な夫婦になってしまったのだろうか?
そこまでは気恥ずかしくて聞けなかったのだけれど、こんな時ばかり大佐は物分かりの悪いフリをして、私の望む言葉は寄越さない。
こうして並んで歩く距離も普段通りだ。
盗み見た視線の先の大佐も普段通り。
──普段通りじゃなくなったのは私だけ?
そんなことをぼんやりと考えていたせいだろうか。
突然、前方からやって来た何かにぶつかってしまう。
「うわっ!」
腕から肩にかけて衝撃を受け、よろける。
その弾みでリンゴが一つ足元へ転がり落ちた。
リンゴから、ぶつかった何かに視線を移すと──そこには年端も行かない男の子の姿がある。
十歳そこらの年齢だろうか?
痩せ細った体躯に、薄汚れた身なり。
けれど、力強い意志を宿した瞳にまるっと意識を奪われる。
その眼差しを、私はよく知っていた。
飢えと恐怖を抱えながら、それでも生き延びようと足掻く者の目。
「あ……ごめんね、大丈──」
「コラー! 待ちやがれー!!」
少年にかけた声は、割り入った怒声に掻き消された。
怒声を辿るように少年の駆けてきた方向へ目を転じる。
「そのガキを捕まえてくれ! 泥棒だ!」と荒げる声にはっとした時には既に、大佐が少年の襟首を容赦なく引っ掴んでいた。
「離せっ! 離せよ! くそロン毛眼鏡ヤロー!」
「ぶっは!」
突然の純度百パーセントの悪意を大佐にぶつける少年の発言に吹き出してしまう。
国境を越え、その名を轟かせる死霊使いに“くそロン毛眼鏡野郎”と暴言を吐けるのはこのオールドラント中できっと彼一人だけだ。
「ふむ……くそロン毛眼鏡野郎ですか。初対面だというのに随分と嫌われたものですねぇ」
「うるせぇ! 顔が胡散臭いんだよオッサン!」
「ん、ふふ……ふはっ……」
胡散臭い顔とオッサンのコンボ技に私はまたしても吹き出す。
良くも悪くも子供は正直であるらしい。
「生憎とこの顔は生まれつきでして。それよりも──その腕の物、現行犯ですよ」
細く骨ばった腕にはリンゴが数個抱えられていた。
痩せた体はみすぼらしく、清潔感の欠けた身形はとても普通の子供には見えない。
考えられる可能性としては……孤児、だろうか?
私自身が戦災孤児として育った身の上のせいか、自分の境遇と重なった彼をとてもじゃないが放っておけなかった。
「ちょ、待ってください大佐……! 相手は子供ですよ!?」
「だから見逃せと? 窃盗は立派な罪です。子供だからといって見過すことは出来ません」
「……じゃあ、私が代金を支払います。それならいいでしょ?」
「ナマエ……あなた、何を?」
理解し難いと言わんばかりに私に問う大佐を横目に、怒りの形相をした店主にお札を差し出す。
「リンゴの代金、これで足りますか?」
「あ、ああ……。代金さえ支払ってくれれば、別に構わんが……」
リンゴ代にしては多めの金額だったが気にせず支払った。
店主が納得し手打ちにした以上、男の子を捕まえる名目がなくなり、大佐はため息をついて少年から手を離す。
晴れて自由の身になった少年も、私に対して訝しげな視線を向けている。
足元に転がったリンゴを拾い上げ、細い腕に抱えられたリンゴの上にそれを乗せた。
「もう盗んだら駄目だよ?」
「……」
少年の頭を撫でて微笑みかけると、一瞬、彼の瞳に星屑を散りばめたような鮮やかな輝きが走る。
先程、大佐に対して大暴れしていた減らず口は鳴りを潜め、何も言わず小さく頷くだけだった。
そして、礼も告げずそのまま走り去ってしまった。
傍らに立つ大佐は、その様を黙って見つめている。何か思う所でもあるかのように含みのある眼差しだ。
それもそうか。なんせ、“くそロン毛眼鏡野郎”呼ばわりだもの。
「それじゃあ、私達もこれで失礼します」
窃盗事件も丸く収まり、一件落着。
視察に戻ろうとした私達を引き留めたのは店主の一言だった。
「ああ。ちょっと待ってくれ」
「え?」
店主は指で店の方を指し、渋い表情を浮かべたまま言葉を続ける。
「あれだけじゃないんだよ。前からちょくちょくやられててな」
「え?」
「せっかく捕まえたってのに、アンタが逃がしちまうもんだから。商売上がったりだよ」
「ええー……」
逃したのだからリンゴ代だけではなく今までの被害額も責任を負ってお前が支払っていけ。男はそう言いたいらしい。
まさか余罪があったとは知らず、けれど、あの少年を逃がしたのは他でもない私だ。
縋るように大佐を仰ぎ見ると、お手上げだといわんばかりに肩を竦めた。
はいはい、私が悪いんでしょ!?私が!!
「毎度あり!」
結局、支払う以外の選択肢はなく、財布の中身を根こそぎ持っていかれてしまった。
お陰で財布の中身はすっからかんだ。
逆さにして振っても塵一つ出てこない。
「う、嘘ぉー……」
「中途半端に首を突っ込むからですよ。足元を見られたのでは?」
「そんなぁ……」
「まあ、これに懲りたら安易に関わりを持たない事です。お人好し過ぎるのも如何なものかと思いますよ」
大佐の言っていることは正しい。
ぐうの音もでないけれど、でも、私は同じ状況に陥ればまた同じことをすると思う。こんな目にあっても、なお。
大佐なら根本的な解決にはならないと切って捨てるのだろうけど。
これはどうにも私の性分のようだし、仕方がない。
「さあ、視察に戻りましょう。予定より時間を取られました」
「大丈夫かなぁ……あの子」
男の子が姿を消した方を心配そうに見つめた。
「今回のことで味を占めて、また繰り返さないとも限りませんしねぇ」
「大佐……! そんな言い方しなくても」
もしかして、くそロン毛眼鏡野郎発言を未だに根に持っているわけでもないだろう。
しかし、先程の発言は子供相手に少々棘のある言い方だと感じられてならない。
大佐もああ見えて子供っぽいところがあるのだと思ったことは口に出さないでおこう。いや、頭からも追い出そう。
またしても読心術を使われたのではかなわない。
「事実ですよ。余罪があったのですから。……生きる為、なのでしょうが。これもまた報告書には上がっていなかった現状です」
「……そうですね」
大佐は以前、こんな事を言っていた。
自分の目で確かめたものでなければ信じられないし、なにより自分が動いたほうが早いので現場に居たいのだ、と。
まさに、それが今というわけだ。
大佐の言葉が痛いほど身に染みるようだった。
先程の子供に限らず、町の様子をこの目で見て確かめることの大切さを身をもって実感したのだから。
***
あれから市場を一通り見て回り、最後にローズ夫人に挨拶を済ませ、本日の視察はこれにて終了。
エンゲーブを後にしようとした時だ。
背後から足音が聞こえ、歩みを止めて振り返る。
此方に駆け寄る足音の持ち主は、先程の少年だった。
何処か気恥ずかしそうにしながらも、手に持っている一輪の花を私に差し出す。
俯きながら、ずいっとぶっきらぼうに差し出す様に、表情が自然と和らいだ。
「このお花、私にくれるの?」
問いかけると、少年は返事の代わりにコクリと小さく頷く。
「一応聞くけど、これって……」
「ぬ、盗んでねぇよ!」
「そ、そうだよね! 疑ってごめん」
私の問いかけに、弾かれたように顔を上げて否定する。
そして、真っ直ぐ私を見つめながらしっかりとした口調で言った。
そこには確固たる意思が見て取れる。
「もう、盗みはやめる」
「うん。約束ね」
今の私にはその言葉が何よりも嬉しかった。
よく見ると、頬に土が付いている。彼の言葉通りその花は盗んだものではないようだ。
優しげな手つきで頬についた土を拭ってやると、少年は頬を染めて再び俯いてしまう。
その様がとても可愛らしく思えて、ふっと口元を緩め微笑んだ。
花を受け取ろうと手を伸ばすと、花に指先が触れる前に制された。
見上げると、大佐は冷めた表情で私を一瞥する。
そして、にべなく少年に告げた。
「すみませんが、それは受け取れませんね。彼女には心に決めた人がいますので」
「ちょ、大佐!?」
今それを言う必要があったのだろうか?
だとすれば、あまりに大人気ない。
大佐と少年は暫く見つめ合っている。
──否、よく見ればこれは牽制し合っているようだ。
大佐は少年を見下ろし、少年は大佐に食ってかからんとばかりに睨み付けているのだから穏やかでない。
やがて少年が大佐に気圧され、目を逸らし、そのまま走り去ってしまった。
「あ……行っちゃった……。ちょっと大佐! 子供相手になんてことするんですか!?」
「なにとは? 私は当然の事をしたまでですよ」
「別に花ぐらい……だって、あれは感謝の気持ちでしょ?」
彼の気持ちぐらい受け取っても罰はあたらない。
私の主張に対し、大佐はわざとらしくため息をついた。
あなたは何も分かっていない──そんなふうに。
彼の態度はまるで、私が浅はかであると言わんばかりだ。
「感謝に花を、ね。珍しい花でしたね。確か高所にしか咲かない花ですよ、あれは」
「え?」
「わざわざ危険を冒してまで手折る理由など──感謝だけで済むでしょうか?」
私達の間に沈黙が流れる。
遠回しに大佐の言わんとしていることが理解出来てしまったばかりに、却って思考が追いつかない。
「……はぁ? いやいやいや、ないないない! 相手は子供ですよ!?」
身振り手振りを加え大袈裟に笑い飛ばすけれど、大佐は鋭い視線を私から外さない。
「それはどうでしょうか? 先程もあなたは子供だからと甘いことを言っていましたが、あの年齢なら分別も付く年頃ですよ」
「はあ、」
大佐は眼鏡を指先で押し上げると、嫌味ったらしく言った。
「それに、世の中には助けられただけで求婚する奇矯な人間もいますしね」
「んなっ、そーですね! その求婚を十年以上覚えている風変わりな人間もいますしねー」
それが誰だとは言わないが。
「ま、そういう事です。子供の成長は早いですから、あと数年もすれば分かったものではないですよ」
「なーんだ。大佐、そんな事気にしてたんですか?」
「当然でしょう?」
一旦言葉を切って、大佐は私との身長差を埋めるように身を屈める。
そして、一段声音を下げ、耳元で囁いた。
「あなたはもう……公私共に私のものではありませんか」
「──っ、」
耳朶に響く甘い囁きに、堪らず手で耳を覆い隠す。
態と羞恥心を煽るような言い方だ。
そう仕向けていると頭で理解していても頬が色付き、心臓は早鐘を打つ。
不意を突かれて動揺する私を見て、大佐は満足気に微笑む。
耳を覆い隠していた手に大佐の指が絡む。
優しく解かれた手は、手袋越しであるのに彼の温もりが伝わってくるようだった。
彼に触れられることそのものが、私を堪らなくさせる。
「さて、戻りましょう。こんな場所では──あなたに触れることすら、満足に叶いませんから」
「んなっ! そ、そそそ外でっ、そういうこと言うのやめてくださいよ! 誰かに聞かれたら……」
「ああ、これは失礼。あなたがあまりにも可愛らしい反応をするので、つい」
大佐はクツクツと笑いながら軽口を叩くが、その視線に絡む熱からはとても逃げられそうになかった。
20260409
何故、私と大佐だけなのかといえば、大所帯で押しかけては民の本音を拾えないからという理由らしい。
なんでも、抜き打ちでこそ見える村の現状があるのだとか。
私に“師団長補佐官”の肩書がある限り、どんなに気乗りしなくても大佐に付き従わなくてはならない。
残念ながら、それが私の仕事なのだ。
山を登るなら山に。街へ赴くなら街に。海を渡るなら海──は、流石に遠慮したい。だって泳げないもん。
そもそも報告書に上がっているのだから、わざわざ現地に赴かなくてもいいのに──と思ってしまったことは、口に出さないでおく。
しかし、無意識のうちにそれらは言外に滲んでいたらしく、尋ねてもいないのに大佐は視察とは何たるべきかを私に説いた。
「街の空気は報告書では測れませんからね。こうして自ら足を運ぶのが一番確実なのですよ」
「へ?」
「これでよろしいですか?」
不服への返答はこれでよろしいですか?
貼り付けられた笑顔が圧を背負いながら語りかけてくるようで、私は堪らず苦笑いを浮かべる。
「あなたは分かりやすいですから」
「あははは……はーい。よく分かりました」
「それは結構」
心臓に悪いので心を読むのはやめて欲しい。
死霊使いともなれば、読心術のひとつやふたつお手の物なのだろうか?
すぐに見透かされてしまうのなら、余計なことは考えないに限る。
師団長とその補佐官。
今日はその名目でエンゲーブを訪れているものの、心を通わせた私達は未だ“偽装夫婦”のままなのだろうか?
それとも正式な夫婦になってしまったのだろうか?
そこまでは気恥ずかしくて聞けなかったのだけれど、こんな時ばかり大佐は物分かりの悪いフリをして、私の望む言葉は寄越さない。
こうして並んで歩く距離も普段通りだ。
盗み見た視線の先の大佐も普段通り。
──普段通りじゃなくなったのは私だけ?
そんなことをぼんやりと考えていたせいだろうか。
突然、前方からやって来た何かにぶつかってしまう。
「うわっ!」
腕から肩にかけて衝撃を受け、よろける。
その弾みでリンゴが一つ足元へ転がり落ちた。
リンゴから、ぶつかった何かに視線を移すと──そこには年端も行かない男の子の姿がある。
十歳そこらの年齢だろうか?
痩せ細った体躯に、薄汚れた身なり。
けれど、力強い意志を宿した瞳にまるっと意識を奪われる。
その眼差しを、私はよく知っていた。
飢えと恐怖を抱えながら、それでも生き延びようと足掻く者の目。
「あ……ごめんね、大丈──」
「コラー! 待ちやがれー!!」
少年にかけた声は、割り入った怒声に掻き消された。
怒声を辿るように少年の駆けてきた方向へ目を転じる。
「そのガキを捕まえてくれ! 泥棒だ!」と荒げる声にはっとした時には既に、大佐が少年の襟首を容赦なく引っ掴んでいた。
「離せっ! 離せよ! くそロン毛眼鏡ヤロー!」
「ぶっは!」
突然の純度百パーセントの悪意を大佐にぶつける少年の発言に吹き出してしまう。
国境を越え、その名を轟かせる死霊使いに“くそロン毛眼鏡野郎”と暴言を吐けるのはこのオールドラント中できっと彼一人だけだ。
「ふむ……くそロン毛眼鏡野郎ですか。初対面だというのに随分と嫌われたものですねぇ」
「うるせぇ! 顔が胡散臭いんだよオッサン!」
「ん、ふふ……ふはっ……」
胡散臭い顔とオッサンのコンボ技に私はまたしても吹き出す。
良くも悪くも子供は正直であるらしい。
「生憎とこの顔は生まれつきでして。それよりも──その腕の物、現行犯ですよ」
細く骨ばった腕にはリンゴが数個抱えられていた。
痩せた体はみすぼらしく、清潔感の欠けた身形はとても普通の子供には見えない。
考えられる可能性としては……孤児、だろうか?
私自身が戦災孤児として育った身の上のせいか、自分の境遇と重なった彼をとてもじゃないが放っておけなかった。
「ちょ、待ってください大佐……! 相手は子供ですよ!?」
「だから見逃せと? 窃盗は立派な罪です。子供だからといって見過すことは出来ません」
「……じゃあ、私が代金を支払います。それならいいでしょ?」
「ナマエ……あなた、何を?」
理解し難いと言わんばかりに私に問う大佐を横目に、怒りの形相をした店主にお札を差し出す。
「リンゴの代金、これで足りますか?」
「あ、ああ……。代金さえ支払ってくれれば、別に構わんが……」
リンゴ代にしては多めの金額だったが気にせず支払った。
店主が納得し手打ちにした以上、男の子を捕まえる名目がなくなり、大佐はため息をついて少年から手を離す。
晴れて自由の身になった少年も、私に対して訝しげな視線を向けている。
足元に転がったリンゴを拾い上げ、細い腕に抱えられたリンゴの上にそれを乗せた。
「もう盗んだら駄目だよ?」
「……」
少年の頭を撫でて微笑みかけると、一瞬、彼の瞳に星屑を散りばめたような鮮やかな輝きが走る。
先程、大佐に対して大暴れしていた減らず口は鳴りを潜め、何も言わず小さく頷くだけだった。
そして、礼も告げずそのまま走り去ってしまった。
傍らに立つ大佐は、その様を黙って見つめている。何か思う所でもあるかのように含みのある眼差しだ。
それもそうか。なんせ、“くそロン毛眼鏡野郎”呼ばわりだもの。
「それじゃあ、私達もこれで失礼します」
窃盗事件も丸く収まり、一件落着。
視察に戻ろうとした私達を引き留めたのは店主の一言だった。
「ああ。ちょっと待ってくれ」
「え?」
店主は指で店の方を指し、渋い表情を浮かべたまま言葉を続ける。
「あれだけじゃないんだよ。前からちょくちょくやられててな」
「え?」
「せっかく捕まえたってのに、アンタが逃がしちまうもんだから。商売上がったりだよ」
「ええー……」
逃したのだからリンゴ代だけではなく今までの被害額も責任を負ってお前が支払っていけ。男はそう言いたいらしい。
まさか余罪があったとは知らず、けれど、あの少年を逃がしたのは他でもない私だ。
縋るように大佐を仰ぎ見ると、お手上げだといわんばかりに肩を竦めた。
はいはい、私が悪いんでしょ!?私が!!
「毎度あり!」
結局、支払う以外の選択肢はなく、財布の中身を根こそぎ持っていかれてしまった。
お陰で財布の中身はすっからかんだ。
逆さにして振っても塵一つ出てこない。
「う、嘘ぉー……」
「中途半端に首を突っ込むからですよ。足元を見られたのでは?」
「そんなぁ……」
「まあ、これに懲りたら安易に関わりを持たない事です。お人好し過ぎるのも如何なものかと思いますよ」
大佐の言っていることは正しい。
ぐうの音もでないけれど、でも、私は同じ状況に陥ればまた同じことをすると思う。こんな目にあっても、なお。
大佐なら根本的な解決にはならないと切って捨てるのだろうけど。
これはどうにも私の性分のようだし、仕方がない。
「さあ、視察に戻りましょう。予定より時間を取られました」
「大丈夫かなぁ……あの子」
男の子が姿を消した方を心配そうに見つめた。
「今回のことで味を占めて、また繰り返さないとも限りませんしねぇ」
「大佐……! そんな言い方しなくても」
もしかして、くそロン毛眼鏡野郎発言を未だに根に持っているわけでもないだろう。
しかし、先程の発言は子供相手に少々棘のある言い方だと感じられてならない。
大佐もああ見えて子供っぽいところがあるのだと思ったことは口に出さないでおこう。いや、頭からも追い出そう。
またしても読心術を使われたのではかなわない。
「事実ですよ。余罪があったのですから。……生きる為、なのでしょうが。これもまた報告書には上がっていなかった現状です」
「……そうですね」
大佐は以前、こんな事を言っていた。
自分の目で確かめたものでなければ信じられないし、なにより自分が動いたほうが早いので現場に居たいのだ、と。
まさに、それが今というわけだ。
大佐の言葉が痛いほど身に染みるようだった。
先程の子供に限らず、町の様子をこの目で見て確かめることの大切さを身をもって実感したのだから。
***
あれから市場を一通り見て回り、最後にローズ夫人に挨拶を済ませ、本日の視察はこれにて終了。
エンゲーブを後にしようとした時だ。
背後から足音が聞こえ、歩みを止めて振り返る。
此方に駆け寄る足音の持ち主は、先程の少年だった。
何処か気恥ずかしそうにしながらも、手に持っている一輪の花を私に差し出す。
俯きながら、ずいっとぶっきらぼうに差し出す様に、表情が自然と和らいだ。
「このお花、私にくれるの?」
問いかけると、少年は返事の代わりにコクリと小さく頷く。
「一応聞くけど、これって……」
「ぬ、盗んでねぇよ!」
「そ、そうだよね! 疑ってごめん」
私の問いかけに、弾かれたように顔を上げて否定する。
そして、真っ直ぐ私を見つめながらしっかりとした口調で言った。
そこには確固たる意思が見て取れる。
「もう、盗みはやめる」
「うん。約束ね」
今の私にはその言葉が何よりも嬉しかった。
よく見ると、頬に土が付いている。彼の言葉通りその花は盗んだものではないようだ。
優しげな手つきで頬についた土を拭ってやると、少年は頬を染めて再び俯いてしまう。
その様がとても可愛らしく思えて、ふっと口元を緩め微笑んだ。
花を受け取ろうと手を伸ばすと、花に指先が触れる前に制された。
見上げると、大佐は冷めた表情で私を一瞥する。
そして、にべなく少年に告げた。
「すみませんが、それは受け取れませんね。彼女には心に決めた人がいますので」
「ちょ、大佐!?」
今それを言う必要があったのだろうか?
だとすれば、あまりに大人気ない。
大佐と少年は暫く見つめ合っている。
──否、よく見ればこれは牽制し合っているようだ。
大佐は少年を見下ろし、少年は大佐に食ってかからんとばかりに睨み付けているのだから穏やかでない。
やがて少年が大佐に気圧され、目を逸らし、そのまま走り去ってしまった。
「あ……行っちゃった……。ちょっと大佐! 子供相手になんてことするんですか!?」
「なにとは? 私は当然の事をしたまでですよ」
「別に花ぐらい……だって、あれは感謝の気持ちでしょ?」
彼の気持ちぐらい受け取っても罰はあたらない。
私の主張に対し、大佐はわざとらしくため息をついた。
あなたは何も分かっていない──そんなふうに。
彼の態度はまるで、私が浅はかであると言わんばかりだ。
「感謝に花を、ね。珍しい花でしたね。確か高所にしか咲かない花ですよ、あれは」
「え?」
「わざわざ危険を冒してまで手折る理由など──感謝だけで済むでしょうか?」
私達の間に沈黙が流れる。
遠回しに大佐の言わんとしていることが理解出来てしまったばかりに、却って思考が追いつかない。
「……はぁ? いやいやいや、ないないない! 相手は子供ですよ!?」
身振り手振りを加え大袈裟に笑い飛ばすけれど、大佐は鋭い視線を私から外さない。
「それはどうでしょうか? 先程もあなたは子供だからと甘いことを言っていましたが、あの年齢なら分別も付く年頃ですよ」
「はあ、」
大佐は眼鏡を指先で押し上げると、嫌味ったらしく言った。
「それに、世の中には助けられただけで求婚する奇矯な人間もいますしね」
「んなっ、そーですね! その求婚を十年以上覚えている風変わりな人間もいますしねー」
それが誰だとは言わないが。
「ま、そういう事です。子供の成長は早いですから、あと数年もすれば分かったものではないですよ」
「なーんだ。大佐、そんな事気にしてたんですか?」
「当然でしょう?」
一旦言葉を切って、大佐は私との身長差を埋めるように身を屈める。
そして、一段声音を下げ、耳元で囁いた。
「あなたはもう……公私共に私のものではありませんか」
「──っ、」
耳朶に響く甘い囁きに、堪らず手で耳を覆い隠す。
態と羞恥心を煽るような言い方だ。
そう仕向けていると頭で理解していても頬が色付き、心臓は早鐘を打つ。
不意を突かれて動揺する私を見て、大佐は満足気に微笑む。
耳を覆い隠していた手に大佐の指が絡む。
優しく解かれた手は、手袋越しであるのに彼の温もりが伝わってくるようだった。
彼に触れられることそのものが、私を堪らなくさせる。
「さて、戻りましょう。こんな場所では──あなたに触れることすら、満足に叶いませんから」
「んなっ! そ、そそそ外でっ、そういうこと言うのやめてくださいよ! 誰かに聞かれたら……」
「ああ、これは失礼。あなたがあまりにも可愛らしい反応をするので、つい」
大佐はクツクツと笑いながら軽口を叩くが、その視線に絡む熱からはとても逃げられそうになかった。
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