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ナマエに避けられている。
ここ数日、彼女の姿を見ていない。
最後に言葉を交わしたのは──彼女の温もりを腕に抱いて眠ったのは、いつだったか。
昨日任務から帰還したらしいが、彼女らしき姿を一瞬見かけただけで、まともに顔すら合わせていなかった。
報告に他の兵士を寄越すとは随分と小賢しい真似をするものだ、と鼻で笑ってしまったのは──ええ。此処だけの話にしておきましょうか。
こうなる事は想定の範囲内であり、さして気にする事でもないのだが、しかしまあ……ああも露骨に避けられ続けると──つい、もっと追い詰めてしまいたくなるではありませんか。
「あっはっはっ! ……そうか、サフィールがお前の結婚話を聞きつけて乗り込んできたか」
「笑い事ではありませんよ、まったく……」
任務報告のついでに、先日のディストの件について言及すると、陛下は豪快に笑い飛ばした。
此方にしてみれば決して笑い事ではない。ああも場を引っ掻き回され、今ではナマエと顔を合わすことも、話をすることすらままならないのだ。こんなにも迷惑な話はない。
──あの時。友人としての情けをかけず処罰しておけばよかったのだ。
陛下の計らいで牢から出したばかりに、こうして迷惑を被った。皺寄せはいつも私にくるのだから。
「一体、監視はどうなっているのです? アレを野放しにしておくなど……正気とは思えません」
「サフィールはお前が大好きだからなぁ。俺もよく邪険にされたもんだ」
陛下はしみじみとした様子で思いを馳せるが、私は嫌悪感が抜けきらずにいた。
「気色の悪いことを仰るのはやめてください。アレが今後馬鹿な行動を取らないよう、きっちり見張っておいて頂かなくては困りますよ」
「そうだな、よく言っておこう。だが、ジェイド……迷惑だというわりに、随分と機嫌が良さそうじゃないか」
「ご冗談を。今にも腸が煮えくり返りそうでなりませんよ」
やれやれと呆れたように肩を竦めると、陛下はディストの事にはこれ以上言及すること無く、ニヤニヤと私を見据えた。
彼の興味はディストではなく、完全に私へと移ったようだ。
嗚呼、面倒だ……。
報告を終えて直ちに執務室を後にすればこんな事にはならなかっただろう。
悔んでも、どうにもならない。
「お言葉ですが──上機嫌だと仰るのなら、それは陛下ではありませんか? 随分と楽しそうでいらっしゃいますね」
「ああ、楽しい。実に愉快だ。お前がネビリム先生以外に執着心を見せるのはナマエが初めてだしな」
──執着。
そうだ、これは執着だ。否定はしない。
けれど私は、いつしかそれ以上の意味をそこに見出してしまったが……。
それを今、口にするつもりはない。
「……まあ、否定はしませんが」
「お! 珍しく素直に認めやがったなジェイド。ここからどうなるか……こりゃ見物だ」
「はぁ……悪趣味な」
確かに以前、こんなふうに陛下とナマエについて話をしたことがあったが、あの時は誤魔化していた。
この感情を確かな言葉で示すことが出来ずに。
どうにも人の死を実感できない自分に、愛を語るなんてことはあまりに難しく、理解しがたい。
けれど、今は。彼女を失うことへの喪失感を一瞬でも覚えてしまったのだ──私は。
「面白がるのは結構ですが、ディストといい、陛下といい……余計な真似はよして頂きたいものですね。これ以上引っ掻き回されては私もお手上げですよ」
「おい、失敬たぞ」
「おや、これは大変失礼いたしました。賢帝、ピオニー皇帝陛下」
「……嫌味な奴め」
「いえいえ、とんでもない」
全く……我ながら、随分と時間がかかったものだ。
──今更、ですがね。
***
このまま避けられ続け、あの日のことを何事もなかったかのように有耶無耶にされたのでは流石に私も浮かばれない。
ナマエのことだ。その可能性は十分にあり得る。
正直、ディストの乱入は想定外で、あのような形で彼女が真実を知ってしまったことは些か性急だったろう。
しかしながら彼女の性格上、あれはあれで良かったのかもしれないとも思う。
却って好都合だったのでは──いや、ディストが一役買ったという事実は何がどう転ぼうと遺憾だったが。
陛下の執務室を後にし、基地に戻る途中だった。
その瞬間は突然訪れる。
──嗚呼、私はやはり運がいい。
まるで見計らったかのようなタイミングで、ナマエがこちらに向かって歩いて来る。
その表情はどこか晴れず、曇っているようだ。
「おや……ナマエ。随分と久し振りですね」
「っ! ……ぁ、た、大佐っ!?」
貼り付けたような笑顔を浮かべながら声を掛けると、ナマエは表情を強張らせ、ぎこちなく口角を引き攣らせながら苦笑いを返した。
ここ最近私から逃げ回っていたせいか、彼女は反射的に半歩後退る。
それを視界の端に捉えて、小さく笑みを零す。
ほんの一瞬でも目を離せば逃走を計るであろうことは容易に想像がついた。
「ちょうど良かった。あなたにお話がありまして──……今日は、逃げないで頂けますね?」
「ええっと……あ、ああー! 私、急用を思い出しましたー! ……では、ご機嫌よう!」
私の言葉も聞かず、棒読みで嘘丸出しの言い訳を並べ、ナマエは一目散に逃げ出す。
とんだ大根役者がいたものだ。彼女は、本当に期待を裏切らない。
彼女を逃してしまったにも関わらず、クツクツと喉を鳴らして笑ってしまう私は、この状況を少なからず楽しんでいるらしい。
「いいでしょう。……そこまで言うのなら」
もう少し泳がせてやってもよかった。
けれど──いい加減、こちらを向いてくれなければ困る。
ナマエが逃げ出した方向を暫く眺めた後、踵を返す。
──私の武器は謀略。いつだったかそんな事を口にしたことを思い出して、口元を緩める。
彼女の行動を予測した上で先回りし、待ち伏せることなど実に容易い。
こんな時、人目を気にするナマエは決まって人通りの少ない廊下を選ぶ。
空き部屋に忍び、息を殺し、足音が近付いて来るのを待った。
背後ばかり気にする彼女は、私が追ってこないのをいいことに「……はぁ、危なかった」などと安堵の息をつく。呑気なことだ。
気が抜けて緩まる歩調と、弾んだ息を調える──その一瞬を逃さず、腕を伸ばす。
「うわっ!?」
細い手首を捕まえて引っぱると、縺れた足では踏ん張りが利かず、軽々と空き部屋へ引きずり込むことができた。
「──さあ、捕まえましたよ」
「っ!?」
後ろ手に鍵を閉める。
施錠する無機質な音が部屋に静かに響いた。
それは、彼女にとって絶望の音だったのかもしれない。
状況を把握したナマエの顔色は見る見る青ざめてゆく。
「少々手荒になってしまいましたが……あなたがあまりにも逃げ回るものですから」
「ちょ、ちょっと待ってください! 話し合いましょう!? ね!?」
施錠したことで完全に逃げ場を失ったナマエは、必死に話し合いの提案を持ちかけてくる。
そんなもの、今更なんの意味もないというのに。
私はもう待たない。逃すこともしないのだと、こうして確固たる意思を示しているのだから。
「ええ、必要ありませんね。話し合う段階は、とっくに過ぎていますので」
「そんな……」
「それに──あなた、話し合う気など最初からなかったでしょう?」
「っ!」
図星をつかれ、絶望に塗れた瞳がぐらりと揺らいだ。
コツ、と一歩踏み出し、床を踏み鳴らす音がやけに冷たく響いた。ゆっくりと、距離を詰める。
「そろそろ、鬼ごっこも終わりにしましょう」
──あなたの答えを、聞かせてもらいましょうか。
20260404
ここ数日、彼女の姿を見ていない。
最後に言葉を交わしたのは──彼女の温もりを腕に抱いて眠ったのは、いつだったか。
昨日任務から帰還したらしいが、彼女らしき姿を一瞬見かけただけで、まともに顔すら合わせていなかった。
報告に他の兵士を寄越すとは随分と小賢しい真似をするものだ、と鼻で笑ってしまったのは──ええ。此処だけの話にしておきましょうか。
こうなる事は想定の範囲内であり、さして気にする事でもないのだが、しかしまあ……ああも露骨に避けられ続けると──つい、もっと追い詰めてしまいたくなるではありませんか。
「あっはっはっ! ……そうか、サフィールがお前の結婚話を聞きつけて乗り込んできたか」
「笑い事ではありませんよ、まったく……」
任務報告のついでに、先日のディストの件について言及すると、陛下は豪快に笑い飛ばした。
此方にしてみれば決して笑い事ではない。ああも場を引っ掻き回され、今ではナマエと顔を合わすことも、話をすることすらままならないのだ。こんなにも迷惑な話はない。
──あの時。友人としての情けをかけず処罰しておけばよかったのだ。
陛下の計らいで牢から出したばかりに、こうして迷惑を被った。皺寄せはいつも私にくるのだから。
「一体、監視はどうなっているのです? アレを野放しにしておくなど……正気とは思えません」
「サフィールはお前が大好きだからなぁ。俺もよく邪険にされたもんだ」
陛下はしみじみとした様子で思いを馳せるが、私は嫌悪感が抜けきらずにいた。
「気色の悪いことを仰るのはやめてください。アレが今後馬鹿な行動を取らないよう、きっちり見張っておいて頂かなくては困りますよ」
「そうだな、よく言っておこう。だが、ジェイド……迷惑だというわりに、随分と機嫌が良さそうじゃないか」
「ご冗談を。今にも腸が煮えくり返りそうでなりませんよ」
やれやれと呆れたように肩を竦めると、陛下はディストの事にはこれ以上言及すること無く、ニヤニヤと私を見据えた。
彼の興味はディストではなく、完全に私へと移ったようだ。
嗚呼、面倒だ……。
報告を終えて直ちに執務室を後にすればこんな事にはならなかっただろう。
悔んでも、どうにもならない。
「お言葉ですが──上機嫌だと仰るのなら、それは陛下ではありませんか? 随分と楽しそうでいらっしゃいますね」
「ああ、楽しい。実に愉快だ。お前がネビリム先生以外に執着心を見せるのはナマエが初めてだしな」
──執着。
そうだ、これは執着だ。否定はしない。
けれど私は、いつしかそれ以上の意味をそこに見出してしまったが……。
それを今、口にするつもりはない。
「……まあ、否定はしませんが」
「お! 珍しく素直に認めやがったなジェイド。ここからどうなるか……こりゃ見物だ」
「はぁ……悪趣味な」
確かに以前、こんなふうに陛下とナマエについて話をしたことがあったが、あの時は誤魔化していた。
この感情を確かな言葉で示すことが出来ずに。
どうにも人の死を実感できない自分に、愛を語るなんてことはあまりに難しく、理解しがたい。
けれど、今は。彼女を失うことへの喪失感を一瞬でも覚えてしまったのだ──私は。
「面白がるのは結構ですが、ディストといい、陛下といい……余計な真似はよして頂きたいものですね。これ以上引っ掻き回されては私もお手上げですよ」
「おい、失敬たぞ」
「おや、これは大変失礼いたしました。賢帝、ピオニー皇帝陛下」
「……嫌味な奴め」
「いえいえ、とんでもない」
全く……我ながら、随分と時間がかかったものだ。
──今更、ですがね。
***
このまま避けられ続け、あの日のことを何事もなかったかのように有耶無耶にされたのでは流石に私も浮かばれない。
ナマエのことだ。その可能性は十分にあり得る。
正直、ディストの乱入は想定外で、あのような形で彼女が真実を知ってしまったことは些か性急だったろう。
しかしながら彼女の性格上、あれはあれで良かったのかもしれないとも思う。
却って好都合だったのでは──いや、ディストが一役買ったという事実は何がどう転ぼうと遺憾だったが。
陛下の執務室を後にし、基地に戻る途中だった。
その瞬間は突然訪れる。
──嗚呼、私はやはり運がいい。
まるで見計らったかのようなタイミングで、ナマエがこちらに向かって歩いて来る。
その表情はどこか晴れず、曇っているようだ。
「おや……ナマエ。随分と久し振りですね」
「っ! ……ぁ、た、大佐っ!?」
貼り付けたような笑顔を浮かべながら声を掛けると、ナマエは表情を強張らせ、ぎこちなく口角を引き攣らせながら苦笑いを返した。
ここ最近私から逃げ回っていたせいか、彼女は反射的に半歩後退る。
それを視界の端に捉えて、小さく笑みを零す。
ほんの一瞬でも目を離せば逃走を計るであろうことは容易に想像がついた。
「ちょうど良かった。あなたにお話がありまして──……今日は、逃げないで頂けますね?」
「ええっと……あ、ああー! 私、急用を思い出しましたー! ……では、ご機嫌よう!」
私の言葉も聞かず、棒読みで嘘丸出しの言い訳を並べ、ナマエは一目散に逃げ出す。
とんだ大根役者がいたものだ。彼女は、本当に期待を裏切らない。
彼女を逃してしまったにも関わらず、クツクツと喉を鳴らして笑ってしまう私は、この状況を少なからず楽しんでいるらしい。
「いいでしょう。……そこまで言うのなら」
もう少し泳がせてやってもよかった。
けれど──いい加減、こちらを向いてくれなければ困る。
ナマエが逃げ出した方向を暫く眺めた後、踵を返す。
──私の武器は謀略。いつだったかそんな事を口にしたことを思い出して、口元を緩める。
彼女の行動を予測した上で先回りし、待ち伏せることなど実に容易い。
こんな時、人目を気にするナマエは決まって人通りの少ない廊下を選ぶ。
空き部屋に忍び、息を殺し、足音が近付いて来るのを待った。
背後ばかり気にする彼女は、私が追ってこないのをいいことに「……はぁ、危なかった」などと安堵の息をつく。呑気なことだ。
気が抜けて緩まる歩調と、弾んだ息を調える──その一瞬を逃さず、腕を伸ばす。
「うわっ!?」
細い手首を捕まえて引っぱると、縺れた足では踏ん張りが利かず、軽々と空き部屋へ引きずり込むことができた。
「──さあ、捕まえましたよ」
「っ!?」
後ろ手に鍵を閉める。
施錠する無機質な音が部屋に静かに響いた。
それは、彼女にとって絶望の音だったのかもしれない。
状況を把握したナマエの顔色は見る見る青ざめてゆく。
「少々手荒になってしまいましたが……あなたがあまりにも逃げ回るものですから」
「ちょ、ちょっと待ってください! 話し合いましょう!? ね!?」
施錠したことで完全に逃げ場を失ったナマエは、必死に話し合いの提案を持ちかけてくる。
そんなもの、今更なんの意味もないというのに。
私はもう待たない。逃すこともしないのだと、こうして確固たる意思を示しているのだから。
「ええ、必要ありませんね。話し合う段階は、とっくに過ぎていますので」
「そんな……」
「それに──あなた、話し合う気など最初からなかったでしょう?」
「っ!」
図星をつかれ、絶望に塗れた瞳がぐらりと揺らいだ。
コツ、と一歩踏み出し、床を踏み鳴らす音がやけに冷たく響いた。ゆっくりと、距離を詰める。
「そろそろ、鬼ごっこも終わりにしましょう」
──あなたの答えを、聞かせてもらいましょうか。
20260404