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「……土に、還り……たい」
お願い、誰か今すぐ私を地中に埋めて。
現実とは実に残酷なものだ。
目を逸らしたいものほど、容赦なく突き付け、引きずり戻す。
例えば、初恋の王子様が、今や世界で一番大嫌いな腹黒陰険眼鏡男であったとか。
例えば、自分から求婚に求婚を重ね、迫り倒していただとか。
例えば、その求婚の返事は十年以上持ち越されてなお、効力を有しているだとか。
何が一番耐えられなかったのかと問われれば──自分だけがその事実を知らず、相手は全てを知った上で私を傍に置き、日々反応を楽しんでいたことだ。
つまり私はずっと。二年前からずっとずっと。彼の掌の上で踊り続けていた滑稽なお人形さんだったというわけだ。
踊り果て、足が縺れ、倒れ込んだ時──漸く私はそこが籠の中だったと知る。
幸いにも、目を覆いたくなるような凄惨な暴露事件の翌日から、私は他師団での任務に随伴することになっていた。
おかげで、気まずくてかなわない大佐とはあの日以来、顔を合わせることなくここ数日間を生き延びられている。
任務ばかりと嘆いていた時期もあったが、これほど有難いと思えたことはない。
叶うなら、このままずっと遠征に出ていたいくらいだ。
けれど任務で離れていても頭の片隅には大佐の存在がチラついて、熾火のように燻る感情に胸を焼かれるような日々だった。
ふとした瞬間に大佐の言葉が反芻され、戦況を読む時でさえ彼が出すであろう指示に準えて行動を起こす自分がいる。
目を閉じれば『上出来ですよ』と言って、口元を緩めながら頭を撫でてくれる姿まで浮かんでくる始末。
どれほど離れていていようとも──尽く私を縛り付ける。もう、どうしようもない。
しかし、そんな日々も今日までの話。
本日をもって任務は無事に完了し、グランコクマへの帰還命令が下されてしまったのだ。
当然たった数日で気持ちの整理などつくはずもなく、なんならもっと悪化したようにも感じられて、このまま帰還して大佐と顔を合わせる日々に戻るのだと思うと──うん、無理だ。
顔なんて合わせられない。合わせる顔なんて持ち合わせちゃいない。
鬱屈とした気持ちで支度をしていると、一人の兵士が慌ただしく駆け寄ってくる。
「カーティス大佐の奥様、此方にいらっしゃいましたか……!」
「う゛!」
カ ー テ ィ ス 大 佐 の 奥 様
奥様……奥、様……お、くさま……?
兵士の言葉は寸分違わず急所を貫いた。効果は抜群だ。
「あちらに負傷した兵士が数人おりまして、治療をお願いできないかと」
「あ、ああ……はい、治療ですね、治療……お任せを」
ふらりと立ち上がって、一歩踏み出した時だった──追い討ちをかけるように兵士は言う。
「なにやら顔色が悪いようですが……大丈夫ですか? 奥様」
「うぐぅ!?」
「奥様!!」
兵士の無慈悲な追撃で、呻き声を上げながら胸を押さえ、バタリ!とその場に倒れ込んでしまう。
先日の廊下での時と同様、受け身を取る間もなくまたしても顔から倒れ込んでしまった。
最悪だ。どうしてこの程度のことで、こんなにも動揺しているのだろう……。
呼び方なんて別に今に始まったことじゃない。
“奥様”も“カーティス補佐官”も、とうに聞き飽きた呼称だ。
──だとしたら、今更どうしてこんなにも?
騒ぎに気付いた数人の兵士がわらわらと集まってくる。
そして、倒れ込んだ私を目撃した彼等は一斉に顔を青くして戦慄すると、声を震わせた。
「なにがあったんだ? 誰か倒れて──ヒィ!」
「あ、あああ……た、大変だ……奥様に万が一のことがあったら、我々全員カーティス大佐からどんな仕打ちを受けるか……!」
「しっかりしてください! お気を確かに、カーティス補佐官!」
「う゛ぅぅ……」
(やめて、その呼び方……ち、違うの……違うんだよ本当はさぁ……)
本当の私は、奥様でもカーティスでもないのに。
顔から転んだ身体的ダメージに加え、呼称による精神的ダメージを何倍もの威力でまともに食らった私のライフは、もうゼロだった。
生きながらの地獄とは、まさにこのことを言う。
まあ、本当の地獄はグランコクマに帰還してからなのだろうけれど。
***
何かの手違いで、遠征があとひと月……いや、一週間延びる──なんて都合のいい展開には至らず、予定通りグランコクマへと帰還した。
街を覆う大瀑布を見て、いっそ身を投げてしまおうかと考える私のメンタルは崩壊寸前だ。
だって、此処には大佐がいる。私の帰りを待っているであろう、大佐が。
そう思うと、踏み出す足が鉛のように重く感じられた。
帰還後はいつも決まって大佐の元まで直々に任務報告へ出向いていたけれど、今回はとてもじゃないが報告など出来るはずもない。
任務中、私が所属した部隊の兵士にその役目を任せることにして、大佐との遭遇確率を少しでも減らすように基地とは逆方向へ足を向ける。
この後の行動も抜かりなくシミュレーション済みだ。
夕食は時間帯をずらし、シャワーは基地の備え付けの施設を利用。今夜の寝床も以前使っていた部屋──もとい、物置部屋で眠れば問題ない。
明日以降の事は──まあ、その時に考えることにしよう。
今夜はこれでやり過ごせるのだから問題ない。
こんな時でもダアトでの生活で染み付いたその日暮らし精神が活かされているようだった。踏まれて強くなる雑草精神は、実に図太く逞しい。
少しだけ気分が上向いたのも束の間、遠目に見知った姿を見つけ、呼吸が止まる。
「……っ、」
この時間帯は執務室にいるとばかり思っていただけに、まさかこんな所で顔を見るとは思わない。
不意を突かれたのはいうまでもないが、それを踏まえても私の体は過剰に反応を示した。
三、四日顔を合わせていなかっただけ。
あれだけ嫌悪していたはずの大佐の姿を一目見ただけで、脳は思考を放棄した。
甘い痺れは全身を駆け抜け、内側を侵食するようにじんわりと広がってゆく。
やがてそれは心臓に至り、淡い音を立てながら嫌でもその感情に名前をつけさせんと仕向けてくるようだった。
いよいよ話し声が耳に届く距離まで近付いた時、漸く体が動き、慌ててこの場から逃げ出した。
ほんの一瞬、目が合ったような気もするが、足を止めることは出来ない。
止めてしまったら、きっと私は──。
何処を目指していたのか分からない。何処でもかまわないから、とにかくあの場から一刻も早く、少しでも遠くへ逃げたかった。
ただただひたすらに走って、足を止めた時には宮殿の裏庭の辺りに辿り着いていた。
──こんな姿、誰にも見られたくない。
気持ちの整理もつかないまま庭木の影にしゃがみ込む。
身を小さくして膝を抱え、顔を埋めた。
心臓が煩い。脈が早い。体が火照る。──走ったからではない。
そんなことは分かっているのに、どうしようもない。
嫌と言うほど見慣れた姿だ。何も変わってない。
それなのに、その姿を一目見ると平静でいられなくなっている。
こんなにも苦しくて、逃げ出したくて、堪らなくなってしまう。
(……違う。こんなの、違う。こんなの、私じゃない)
「うぅー……違う、のに……なんでぇ?」
膝を抱えて蹲っていると、足元に気配を感じた。
「ブヒブヒ」と可愛らしい鳴き声が聞こえた後、顔を上げると一拍置いて庭木を掻き分ける音がする。
「ジェイドー、そろそろ戻る時間だぞ──ん? ナマエじゃないか!」
「……ガ、イ?」
「どうしたんだ? こんなところで、膝なんて抱えて」
「……っ、う、あ……ガイイイイイ!!」
「うわぅおあー! ちょ、だからっ、急に近づかないでくれっていつも言っているじゃないかっ、こ、心づもりが必要なんだよ!」
ビービー泣き喚いて、顔から出るもの全てを垂れ流しながら縋り付く私に、ガイは体を震わせる。
それでも無理に引き剥がさず、突き飛ばすこともせず、額に汗を浮かべながらも堪えてくれているのは、彼の最大限の優しさなのだろう。
「わ、分かった……分かったから! 一旦離れて、話を聞かせてくれないかっ、一体何があったんだ!?」
「こんなのっ、私じゃないいい……」
「え?」
分かっている。彼からも、自分の気持ちからも、逃げているだけだということも。
──でも、まだこの気持ちに名前をつける覚悟が私には足りないのだ。
20260401
お願い、誰か今すぐ私を地中に埋めて。
現実とは実に残酷なものだ。
目を逸らしたいものほど、容赦なく突き付け、引きずり戻す。
例えば、初恋の王子様が、今や世界で一番大嫌いな腹黒陰険眼鏡男であったとか。
例えば、自分から求婚に求婚を重ね、迫り倒していただとか。
例えば、その求婚の返事は十年以上持ち越されてなお、効力を有しているだとか。
何が一番耐えられなかったのかと問われれば──自分だけがその事実を知らず、相手は全てを知った上で私を傍に置き、日々反応を楽しんでいたことだ。
つまり私はずっと。二年前からずっとずっと。彼の掌の上で踊り続けていた滑稽なお人形さんだったというわけだ。
踊り果て、足が縺れ、倒れ込んだ時──漸く私はそこが籠の中だったと知る。
幸いにも、目を覆いたくなるような凄惨な暴露事件の翌日から、私は他師団での任務に随伴することになっていた。
おかげで、気まずくてかなわない大佐とはあの日以来、顔を合わせることなくここ数日間を生き延びられている。
任務ばかりと嘆いていた時期もあったが、これほど有難いと思えたことはない。
叶うなら、このままずっと遠征に出ていたいくらいだ。
けれど任務で離れていても頭の片隅には大佐の存在がチラついて、熾火のように燻る感情に胸を焼かれるような日々だった。
ふとした瞬間に大佐の言葉が反芻され、戦況を読む時でさえ彼が出すであろう指示に準えて行動を起こす自分がいる。
目を閉じれば『上出来ですよ』と言って、口元を緩めながら頭を撫でてくれる姿まで浮かんでくる始末。
どれほど離れていていようとも──尽く私を縛り付ける。もう、どうしようもない。
しかし、そんな日々も今日までの話。
本日をもって任務は無事に完了し、グランコクマへの帰還命令が下されてしまったのだ。
当然たった数日で気持ちの整理などつくはずもなく、なんならもっと悪化したようにも感じられて、このまま帰還して大佐と顔を合わせる日々に戻るのだと思うと──うん、無理だ。
顔なんて合わせられない。合わせる顔なんて持ち合わせちゃいない。
鬱屈とした気持ちで支度をしていると、一人の兵士が慌ただしく駆け寄ってくる。
「カーティス大佐の奥様、此方にいらっしゃいましたか……!」
「う゛!」
カ ー テ ィ ス 大 佐 の 奥 様
奥様……奥、様……お、くさま……?
兵士の言葉は寸分違わず急所を貫いた。効果は抜群だ。
「あちらに負傷した兵士が数人おりまして、治療をお願いできないかと」
「あ、ああ……はい、治療ですね、治療……お任せを」
ふらりと立ち上がって、一歩踏み出した時だった──追い討ちをかけるように兵士は言う。
「なにやら顔色が悪いようですが……大丈夫ですか? 奥様」
「うぐぅ!?」
「奥様!!」
兵士の無慈悲な追撃で、呻き声を上げながら胸を押さえ、バタリ!とその場に倒れ込んでしまう。
先日の廊下での時と同様、受け身を取る間もなくまたしても顔から倒れ込んでしまった。
最悪だ。どうしてこの程度のことで、こんなにも動揺しているのだろう……。
呼び方なんて別に今に始まったことじゃない。
“奥様”も“カーティス補佐官”も、とうに聞き飽きた呼称だ。
──だとしたら、今更どうしてこんなにも?
騒ぎに気付いた数人の兵士がわらわらと集まってくる。
そして、倒れ込んだ私を目撃した彼等は一斉に顔を青くして戦慄すると、声を震わせた。
「なにがあったんだ? 誰か倒れて──ヒィ!」
「あ、あああ……た、大変だ……奥様に万が一のことがあったら、我々全員カーティス大佐からどんな仕打ちを受けるか……!」
「しっかりしてください! お気を確かに、カーティス補佐官!」
「う゛ぅぅ……」
(やめて、その呼び方……ち、違うの……違うんだよ本当はさぁ……)
本当の私は、奥様でもカーティスでもないのに。
顔から転んだ身体的ダメージに加え、呼称による精神的ダメージを何倍もの威力でまともに食らった私のライフは、もうゼロだった。
生きながらの地獄とは、まさにこのことを言う。
まあ、本当の地獄はグランコクマに帰還してからなのだろうけれど。
***
何かの手違いで、遠征があとひと月……いや、一週間延びる──なんて都合のいい展開には至らず、予定通りグランコクマへと帰還した。
街を覆う大瀑布を見て、いっそ身を投げてしまおうかと考える私のメンタルは崩壊寸前だ。
だって、此処には大佐がいる。私の帰りを待っているであろう、大佐が。
そう思うと、踏み出す足が鉛のように重く感じられた。
帰還後はいつも決まって大佐の元まで直々に任務報告へ出向いていたけれど、今回はとてもじゃないが報告など出来るはずもない。
任務中、私が所属した部隊の兵士にその役目を任せることにして、大佐との遭遇確率を少しでも減らすように基地とは逆方向へ足を向ける。
この後の行動も抜かりなくシミュレーション済みだ。
夕食は時間帯をずらし、シャワーは基地の備え付けの施設を利用。今夜の寝床も以前使っていた部屋──もとい、物置部屋で眠れば問題ない。
明日以降の事は──まあ、その時に考えることにしよう。
今夜はこれでやり過ごせるのだから問題ない。
こんな時でもダアトでの生活で染み付いたその日暮らし精神が活かされているようだった。踏まれて強くなる雑草精神は、実に図太く逞しい。
少しだけ気分が上向いたのも束の間、遠目に見知った姿を見つけ、呼吸が止まる。
「……っ、」
この時間帯は執務室にいるとばかり思っていただけに、まさかこんな所で顔を見るとは思わない。
不意を突かれたのはいうまでもないが、それを踏まえても私の体は過剰に反応を示した。
三、四日顔を合わせていなかっただけ。
あれだけ嫌悪していたはずの大佐の姿を一目見ただけで、脳は思考を放棄した。
甘い痺れは全身を駆け抜け、内側を侵食するようにじんわりと広がってゆく。
やがてそれは心臓に至り、淡い音を立てながら嫌でもその感情に名前をつけさせんと仕向けてくるようだった。
いよいよ話し声が耳に届く距離まで近付いた時、漸く体が動き、慌ててこの場から逃げ出した。
ほんの一瞬、目が合ったような気もするが、足を止めることは出来ない。
止めてしまったら、きっと私は──。
何処を目指していたのか分からない。何処でもかまわないから、とにかくあの場から一刻も早く、少しでも遠くへ逃げたかった。
ただただひたすらに走って、足を止めた時には宮殿の裏庭の辺りに辿り着いていた。
──こんな姿、誰にも見られたくない。
気持ちの整理もつかないまま庭木の影にしゃがみ込む。
身を小さくして膝を抱え、顔を埋めた。
心臓が煩い。脈が早い。体が火照る。──走ったからではない。
そんなことは分かっているのに、どうしようもない。
嫌と言うほど見慣れた姿だ。何も変わってない。
それなのに、その姿を一目見ると平静でいられなくなっている。
こんなにも苦しくて、逃げ出したくて、堪らなくなってしまう。
(……違う。こんなの、違う。こんなの、私じゃない)
「うぅー……違う、のに……なんでぇ?」
膝を抱えて蹲っていると、足元に気配を感じた。
「ブヒブヒ」と可愛らしい鳴き声が聞こえた後、顔を上げると一拍置いて庭木を掻き分ける音がする。
「ジェイドー、そろそろ戻る時間だぞ──ん? ナマエじゃないか!」
「……ガ、イ?」
「どうしたんだ? こんなところで、膝なんて抱えて」
「……っ、う、あ……ガイイイイイ!!」
「うわぅおあー! ちょ、だからっ、急に近づかないでくれっていつも言っているじゃないかっ、こ、心づもりが必要なんだよ!」
ビービー泣き喚いて、顔から出るもの全てを垂れ流しながら縋り付く私に、ガイは体を震わせる。
それでも無理に引き剥がさず、突き飛ばすこともせず、額に汗を浮かべながらも堪えてくれているのは、彼の最大限の優しさなのだろう。
「わ、分かった……分かったから! 一旦離れて、話を聞かせてくれないかっ、一体何があったんだ!?」
「こんなのっ、私じゃないいい……」
「え?」
分かっている。彼からも、自分の気持ちからも、逃げているだけだということも。
──でも、まだこの気持ちに名前をつける覚悟が私には足りないのだ。
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