02
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たった二年間という短く儚い逃亡生活の末、大佐に居場所を特定され早々に回収されてしまった私は、あの後すぐにダアトを発った。
暗澹たる気分でマルクトの地を踏んだのは陽が傾き始めた夕刻の事であり、ダアトからグランコクマまで優雅な船旅……なんて事も当然なく、マルクトの軍艦に乗せられ強制送還同然の扱いを受けた私にとって、それはまるで地獄の船旅だった。
周囲を大瀑布に覆われたグランコクマ宮殿は、水上の帝都と呼ぶに相応しい外観をしている。
その一室――謁見の間にて、鬱屈とした気分を引き連れ不本意な帰還を果たした私を快活な笑い声が出迎えた。
「はっはっはっは! 久しいなナマエ、やはりジェイドに捕まったか!」
「……ご無沙汰しております、皇帝陛下。ご壮健で何よりです」
ピオニー・ウパラ・マルクト九世皇帝陛下。
褐色の肌に、澄んた青の瞳。肩に掛かる長さまで伸ばされた髪は、目をいるように鮮やかな金色に煌めいている。
眉目秀麗な容姿は二年経とうとも健在で、そればかりか年齢を重ねたことでまた一段と精悍さが増したように感じられた。
「堅苦しい挨拶はよせ。まったく……あれだけ上手くやれと助言してやったろう?」
「しくじりました……」
「まあ、遅かれ早かれこうなるとは思っていたがな」
彼の言葉にもあるように、私をマルクトから逃したのは他でもないピオニー陛下だった。
事の発端であり張本人である陛下は、しかし、こうなる事が初めから分かっていたのだという。
遅かれ早かれ大佐に捕まる運命にあると知りながら、ならば何故、私を逃がすような真似をしたのか甚だ疑問だ。
けれど、それを今ここで問い質したところで私が解放される事は決して無い。
陛下に唆されたのは事実。それに飛びついたのも事実。
お膳立てをされ実行に移したのは他でもない自分自身なのだから、今更それに不服を漏らしたところで自業自得。現状は何も変わらないのだ。
正直、ダアトから連れ戻されて今に至るまで心身共に疲れ果てている状態では反論する気力も湧いて来ないというのが正直なところだった。
「陛下、彼女を唆したのはやはりあなただったのですね」
「唆すなんて随分だな。俺はただ、お前の背を押してやっただけだろう?」
「はぁ……それが余計な世話だと言うのです」
陛下と大佐の間で繰り広げられる婉曲な会話内容を私が理解できるはずも無く、二人の会話に耳を傾ける。
確かに逃亡の話は陛下から持ち掛けられたものだったが、そこに含みがあったとは今初めて知った。
「それで? 今度は何をしでかした?」
「……カーティス大佐から逃げるために、ダアトの露店を吹き飛ばしました」
罰が悪そうに俯きながら早口で一息に話すと、その場にいた側近等は盛大に呆れ果て、陛下はまたしても豪快に笑い飛ばした。「お前は本当に俺を飽きさせんな」と肩を揺らす。
いや、私にしてみれば決して笑い事ではないのだけれど……。
そのせいで私はまた大佐の手足となる下僕生活が始まるのだ。
「まあいい。そこのじーさん達は渋い顔をしているが、俺はお前を歓迎するぞ。よく戻った」
「お心遣い痛み入ります……」
どの面さげて……と、この場にいた全員の頭に過った事だろう。勿論、私もそう思っている。
いっその事、側近の方々には侃侃諤諤と議論して頂きたいものだ。
もしも反対多数となれば、マルクト軍の――ひいては大佐直属の部下復帰の件もおじゃんになるだろう。
複雑な面持ちで言葉を返すと、陛下はニタリと笑んで、傍らに立つ大佐に意味深な視線を向けた。
「ナマエ、明日は朝から忙しくなるだろうからな。今日はゆっくり休むといい」
「あのぉ……忙しくなる、とは?」
陛下を正面に捉えていた視線を、斜め上に滑らせて説明を求める。
大佐と視線が交わったものの、彼は私に一瞥を投げただけで何を語ることも無く再び正面に向き直ってしまった。
可笑しい。ちょっと待って何その反応……違和感しかない!
一抹の不安から大いなる不安へと変化する。
普段の大佐だったなら、ここで含みのある笑みを浮かべたはずだ。
それなのに笑み一つ浮かべないどころか言葉一つ発しないのだから、これを違和感と呼ばずなんと呼べばいいのか……。
「なに、明日になれば分かる。ナマエ、ジェイドを……俺の友を宜しく頼む」
「御意のままに……?」
結局、話の内容は分からず仕舞いで、脳内を“?”が埋め尽くすまま陛下との謁見を終えた私は、大佐と共に謁見の間を退室した。
違和感というのか、心に引っ掛かったままスッキリとしないのは、陛下が大佐の事を“俺の友”と呼んだからだろう。
そこには身分を超た一人の人間として、友としての切に願う彼の思いが込められているようにも感じられた。
側近達はいまいち腹落ちしていなさそうだったが、取り敢えず陛下の口振りからして私は再度マルクト帝国軍へ正式に再入隊を許されたということだ。不本意ながら。
前回のように「しっかり励めよ!」と声を掛けられなかった事を思うと、やはり今回は少し勝手が違うようだけれども……。どうにも釈然としなかった。
謁見の間を後にして長い廊下を大佐と横並びに歩きながら、先程の陛下の言葉について駄目元で尋ねてみる。
「あれは、一体どういう意味でしょうか?」
「さあ、私にもさっぱり」
「……(主に私にとって)ろくな事じゃないですよね?」
「ノーコメントです」
胡散臭さを前面に押し出した満面の笑みを前に、私は口角を引き攣らせる。いや、絶対知ってますよね!?とは当然ながら突っ込めない。
どうせ突っ込んだところで、のらりくらりと交わされて、はぐらかされるのが関の山だ。
とにかく、ピオニー陛下と共謀して何かを隠しているということは確かなようだった。
「それにしても、あなたの脱走の件には陛下が一枚噛んでいたとは」
「あれは、その……陛下からお話があったので、てっきり大佐容認の元だと思ったんです。……とか言って、大佐の事だから薄々勘付いていたんでしょう?」
「確信はなかったですが概ねは。まあ、あなたの仰る通り兵役の期間は満了していましたからね。あなた一人のために軍を動かすわけにもいきませんから」
罷り間違っても、にこやかな笑みで話す事ではなかった。
一個小隊に追われる私とは……一体どんな罪を犯せばそんなことになるのだろう?
大佐十八番のお戯れトークと分かっていても、慄いてしまう。
笑えないジョークは置いておくとして、ならば何故、大佐は私を探しにダアトへ来ていたのだろう?
兵役期間が満了していたなら、多忙を極める彼が私を探し出す理由などないはずだ。
以前のように悪事を働いていたわけでもないのだから、尚更腑に落ちない。
ダアトの露店を吹き飛ばしてしまったばかりに、結果、またしても私には名目が出来てしまったわけだけれども、そうでなければ私が連れ戻されるいわれはない。
陛下と大佐の会話からそこはかとなく感じていた違和感の答えが“そこ”にある様な気がする。
私の預かり知らぬところで――水面下で恐ろしい何かが画策されているような……。
考えると震えが立ちのぼり、ブルリと身を震わせた。
グランコクマ宮殿を出て暫く歩くと懐かしい建物が見えてくる。
グランコクマ軍基地――かつて生活の基盤となったこの場所も二年前と何ら変わりはない。
軍基地に入り、一体何処へ向かうのか行き先も分からないまま取り敢えず大佐の後を追う。
大佐は、兵士の大部屋とは別方向へ迷うことなく歩を進める。
確かこちらは彼の自室がある方角だ。
そして、私の監視目的(当時は兵士から贔屓だ特別待遇だのと陰口を散々叩かれた)の為に用意した部屋も此方の方角だったはずだ。
やはり私の予想は的中し、大佐は自身の執務室の横にある部屋の前で足を止めた。
「こちらの部屋を使ってください。中は以前のままにしてありますので」
「え、そのままって……それって……」
行き先も告げず飛び出した私がいつ帰って来てもいいように残していた……そんな考えは、都合が良すぎるだろうか?
返答を求めるように見上げると、彼は眼鏡の奥の紅い瞳を柔らかく細め、戯けるような口調で言った。
「可愛い元部下の為ですよ」
「ははは……ちょっと重いです」
「では、可愛さ余って憎さ百倍とでも言っておきますか」
「怖いです!!」
「やれやれ。相変わらず文句ばかりですねぇ、あなたって人は」
顔を合わせたのも、言葉をかわすのも凡そ二年振り。
それなのに、気付けば二年間の空白などなかったかのように言葉を交わしていた。
それがほんの少しだけ擽ったいなんて思った私が馬鹿だった。
彼が腹黒でドSな死霊使いジェイド・カーティス大佐である事を忘れてはいけない。決してだ。
「念の為伝えておきますが、私の目を盗んで逃げ出そうなどと短慮は起こさないでくださいね。私にあなたを監禁させるような真似をさせないでください」
「ひえ」
ドアノブに手を掛ける私に、大佐は悪魔の笑みを浮かべて見せた。
監禁という二文字に震え上がる。
本気なのか冗談なのか判然としないが、大佐の場合どちらもあり得そうで引き攣った笑みを返す事しか出来ない。
流石はカーティス大佐。牽制する分には多くを語らずともその笑顔の圧力で十分だ。
「ははは……まさか……滅相もない……」
「賢明な判断です。まあ、今回の事はあなたにとって不本意だったでしょうが……」
『もう、あんな生活は真っ平なんです。だから逃げたんですよ。マルクトからも、あなたからも……!』
「……あ」
ダアトの街中で彼に向かって吐き出した言葉を思い出す。
勢いだったとはいえ、あれは少し言い過ぎたかもしれないと思っていた。
「手荒な真似をした事は謝ります。ですが、探していたとお伝えしたのは事実ですよ。これでもあなたの事は気に入っていましたから」
「っ、」
どうして、そんなふうに笑うのか――。
何処か寂しげに見える彼の表情に、ちくりと胸が小さく痛んだ。
これが私の良心だったのか、それともまた別の何かであったのかは分からない。
けれど、小さくともそれは確かな音となって私の胸に突き立てられたのだ。
「そ、それじゃあ……今日は疲れたのでこれで失礼します。おやすみな、さ――ひっ!」
これ以上この話はしたくない。半ば逃げ出すようにドアを開けると、背後から伸びた手が強引に扉を閉じてしまう。
バタン!と乾いた音が廊下に響いて、体が跳ねた。
「おっと、私とした事が忘れるところでした」
「ななっ何を……でしょうか?」
「ご存じの通り、私はやられたらやり返さなければ済まない性分でして」
「へぇー……は、初耳です」
今度は一体何の話が始まったのだろう?
先程、話を半ば強引に切り上げてしまったから気に障ってしまったのだろうか?
何の話をしているのか分からなければ、大佐の性分なんてもっと分からない。いや、知らない。知ったことか。
「た、たいさ……――んぅ!?」
声を震わせ、怯えながら背後を仰ぎ見ると、はらりと一束零れ落ちたブラウンの髪が頬を掠める。
顎を掬い上げられ、そのまま唇に彼のそれが押し当てられた。
ほんの一時。一瞬の触れるだけのキスだったのに、触れた唇が今でも熱を帯びているようだった。
――キスをされた。
認識した途端に一際大きく心臓が高鳴る。
「ななななっ、なにすっ!?」
「何とは? あの日、あなたが私にした事でしょう? 借りは返しました。それでは、おやすみなさいナマエ」
キスとは、本来嫌がらせ目的でするものだったろうか?
大佐は、いつものように片手をポケットに入れ、何事もなかったかのように颯爽と靴を鳴らしながらこの場を後にする。
広い背中を見つめながら、その場にへたり込んで暫く動けなかった。
嫌な予感も相俟って、当然その日は眠気など襲ってくるわけもなく、目の下に隈をつくりながら申し訳ない程度の眠りについたのは日付が変わり東の空が白み始めた頃だった。
20250928
暗澹たる気分でマルクトの地を踏んだのは陽が傾き始めた夕刻の事であり、ダアトからグランコクマまで優雅な船旅……なんて事も当然なく、マルクトの軍艦に乗せられ強制送還同然の扱いを受けた私にとって、それはまるで地獄の船旅だった。
周囲を大瀑布に覆われたグランコクマ宮殿は、水上の帝都と呼ぶに相応しい外観をしている。
その一室――謁見の間にて、鬱屈とした気分を引き連れ不本意な帰還を果たした私を快活な笑い声が出迎えた。
「はっはっはっは! 久しいなナマエ、やはりジェイドに捕まったか!」
「……ご無沙汰しております、皇帝陛下。ご壮健で何よりです」
ピオニー・ウパラ・マルクト九世皇帝陛下。
褐色の肌に、澄んた青の瞳。肩に掛かる長さまで伸ばされた髪は、目をいるように鮮やかな金色に煌めいている。
眉目秀麗な容姿は二年経とうとも健在で、そればかりか年齢を重ねたことでまた一段と精悍さが増したように感じられた。
「堅苦しい挨拶はよせ。まったく……あれだけ上手くやれと助言してやったろう?」
「しくじりました……」
「まあ、遅かれ早かれこうなるとは思っていたがな」
彼の言葉にもあるように、私をマルクトから逃したのは他でもないピオニー陛下だった。
事の発端であり張本人である陛下は、しかし、こうなる事が初めから分かっていたのだという。
遅かれ早かれ大佐に捕まる運命にあると知りながら、ならば何故、私を逃がすような真似をしたのか甚だ疑問だ。
けれど、それを今ここで問い質したところで私が解放される事は決して無い。
陛下に唆されたのは事実。それに飛びついたのも事実。
お膳立てをされ実行に移したのは他でもない自分自身なのだから、今更それに不服を漏らしたところで自業自得。現状は何も変わらないのだ。
正直、ダアトから連れ戻されて今に至るまで心身共に疲れ果てている状態では反論する気力も湧いて来ないというのが正直なところだった。
「陛下、彼女を唆したのはやはりあなただったのですね」
「唆すなんて随分だな。俺はただ、お前の背を押してやっただけだろう?」
「はぁ……それが余計な世話だと言うのです」
陛下と大佐の間で繰り広げられる婉曲な会話内容を私が理解できるはずも無く、二人の会話に耳を傾ける。
確かに逃亡の話は陛下から持ち掛けられたものだったが、そこに含みがあったとは今初めて知った。
「それで? 今度は何をしでかした?」
「……カーティス大佐から逃げるために、ダアトの露店を吹き飛ばしました」
罰が悪そうに俯きながら早口で一息に話すと、その場にいた側近等は盛大に呆れ果て、陛下はまたしても豪快に笑い飛ばした。「お前は本当に俺を飽きさせんな」と肩を揺らす。
いや、私にしてみれば決して笑い事ではないのだけれど……。
そのせいで私はまた大佐の手足となる下僕生活が始まるのだ。
「まあいい。そこのじーさん達は渋い顔をしているが、俺はお前を歓迎するぞ。よく戻った」
「お心遣い痛み入ります……」
どの面さげて……と、この場にいた全員の頭に過った事だろう。勿論、私もそう思っている。
いっその事、側近の方々には侃侃諤諤と議論して頂きたいものだ。
もしも反対多数となれば、マルクト軍の――ひいては大佐直属の部下復帰の件もおじゃんになるだろう。
複雑な面持ちで言葉を返すと、陛下はニタリと笑んで、傍らに立つ大佐に意味深な視線を向けた。
「ナマエ、明日は朝から忙しくなるだろうからな。今日はゆっくり休むといい」
「あのぉ……忙しくなる、とは?」
陛下を正面に捉えていた視線を、斜め上に滑らせて説明を求める。
大佐と視線が交わったものの、彼は私に一瞥を投げただけで何を語ることも無く再び正面に向き直ってしまった。
可笑しい。ちょっと待って何その反応……違和感しかない!
一抹の不安から大いなる不安へと変化する。
普段の大佐だったなら、ここで含みのある笑みを浮かべたはずだ。
それなのに笑み一つ浮かべないどころか言葉一つ発しないのだから、これを違和感と呼ばずなんと呼べばいいのか……。
「なに、明日になれば分かる。ナマエ、ジェイドを……俺の友を宜しく頼む」
「御意のままに……?」
結局、話の内容は分からず仕舞いで、脳内を“?”が埋め尽くすまま陛下との謁見を終えた私は、大佐と共に謁見の間を退室した。
違和感というのか、心に引っ掛かったままスッキリとしないのは、陛下が大佐の事を“俺の友”と呼んだからだろう。
そこには身分を超た一人の人間として、友としての切に願う彼の思いが込められているようにも感じられた。
側近達はいまいち腹落ちしていなさそうだったが、取り敢えず陛下の口振りからして私は再度マルクト帝国軍へ正式に再入隊を許されたということだ。不本意ながら。
前回のように「しっかり励めよ!」と声を掛けられなかった事を思うと、やはり今回は少し勝手が違うようだけれども……。どうにも釈然としなかった。
謁見の間を後にして長い廊下を大佐と横並びに歩きながら、先程の陛下の言葉について駄目元で尋ねてみる。
「あれは、一体どういう意味でしょうか?」
「さあ、私にもさっぱり」
「……(主に私にとって)ろくな事じゃないですよね?」
「ノーコメントです」
胡散臭さを前面に押し出した満面の笑みを前に、私は口角を引き攣らせる。いや、絶対知ってますよね!?とは当然ながら突っ込めない。
どうせ突っ込んだところで、のらりくらりと交わされて、はぐらかされるのが関の山だ。
とにかく、ピオニー陛下と共謀して何かを隠しているということは確かなようだった。
「それにしても、あなたの脱走の件には陛下が一枚噛んでいたとは」
「あれは、その……陛下からお話があったので、てっきり大佐容認の元だと思ったんです。……とか言って、大佐の事だから薄々勘付いていたんでしょう?」
「確信はなかったですが概ねは。まあ、あなたの仰る通り兵役の期間は満了していましたからね。あなた一人のために軍を動かすわけにもいきませんから」
罷り間違っても、にこやかな笑みで話す事ではなかった。
一個小隊に追われる私とは……一体どんな罪を犯せばそんなことになるのだろう?
大佐十八番のお戯れトークと分かっていても、慄いてしまう。
笑えないジョークは置いておくとして、ならば何故、大佐は私を探しにダアトへ来ていたのだろう?
兵役期間が満了していたなら、多忙を極める彼が私を探し出す理由などないはずだ。
以前のように悪事を働いていたわけでもないのだから、尚更腑に落ちない。
ダアトの露店を吹き飛ばしてしまったばかりに、結果、またしても私には名目が出来てしまったわけだけれども、そうでなければ私が連れ戻されるいわれはない。
陛下と大佐の会話からそこはかとなく感じていた違和感の答えが“そこ”にある様な気がする。
私の預かり知らぬところで――水面下で恐ろしい何かが画策されているような……。
考えると震えが立ちのぼり、ブルリと身を震わせた。
グランコクマ宮殿を出て暫く歩くと懐かしい建物が見えてくる。
グランコクマ軍基地――かつて生活の基盤となったこの場所も二年前と何ら変わりはない。
軍基地に入り、一体何処へ向かうのか行き先も分からないまま取り敢えず大佐の後を追う。
大佐は、兵士の大部屋とは別方向へ迷うことなく歩を進める。
確かこちらは彼の自室がある方角だ。
そして、私の監視目的(当時は兵士から贔屓だ特別待遇だのと陰口を散々叩かれた)の為に用意した部屋も此方の方角だったはずだ。
やはり私の予想は的中し、大佐は自身の執務室の横にある部屋の前で足を止めた。
「こちらの部屋を使ってください。中は以前のままにしてありますので」
「え、そのままって……それって……」
行き先も告げず飛び出した私がいつ帰って来てもいいように残していた……そんな考えは、都合が良すぎるだろうか?
返答を求めるように見上げると、彼は眼鏡の奥の紅い瞳を柔らかく細め、戯けるような口調で言った。
「可愛い元部下の為ですよ」
「ははは……ちょっと重いです」
「では、可愛さ余って憎さ百倍とでも言っておきますか」
「怖いです!!」
「やれやれ。相変わらず文句ばかりですねぇ、あなたって人は」
顔を合わせたのも、言葉をかわすのも凡そ二年振り。
それなのに、気付けば二年間の空白などなかったかのように言葉を交わしていた。
それがほんの少しだけ擽ったいなんて思った私が馬鹿だった。
彼が腹黒でドSな死霊使いジェイド・カーティス大佐である事を忘れてはいけない。決してだ。
「念の為伝えておきますが、私の目を盗んで逃げ出そうなどと短慮は起こさないでくださいね。私にあなたを監禁させるような真似をさせないでください」
「ひえ」
ドアノブに手を掛ける私に、大佐は悪魔の笑みを浮かべて見せた。
監禁という二文字に震え上がる。
本気なのか冗談なのか判然としないが、大佐の場合どちらもあり得そうで引き攣った笑みを返す事しか出来ない。
流石はカーティス大佐。牽制する分には多くを語らずともその笑顔の圧力で十分だ。
「ははは……まさか……滅相もない……」
「賢明な判断です。まあ、今回の事はあなたにとって不本意だったでしょうが……」
『もう、あんな生活は真っ平なんです。だから逃げたんですよ。マルクトからも、あなたからも……!』
「……あ」
ダアトの街中で彼に向かって吐き出した言葉を思い出す。
勢いだったとはいえ、あれは少し言い過ぎたかもしれないと思っていた。
「手荒な真似をした事は謝ります。ですが、探していたとお伝えしたのは事実ですよ。これでもあなたの事は気に入っていましたから」
「っ、」
どうして、そんなふうに笑うのか――。
何処か寂しげに見える彼の表情に、ちくりと胸が小さく痛んだ。
これが私の良心だったのか、それともまた別の何かであったのかは分からない。
けれど、小さくともそれは確かな音となって私の胸に突き立てられたのだ。
「そ、それじゃあ……今日は疲れたのでこれで失礼します。おやすみな、さ――ひっ!」
これ以上この話はしたくない。半ば逃げ出すようにドアを開けると、背後から伸びた手が強引に扉を閉じてしまう。
バタン!と乾いた音が廊下に響いて、体が跳ねた。
「おっと、私とした事が忘れるところでした」
「ななっ何を……でしょうか?」
「ご存じの通り、私はやられたらやり返さなければ済まない性分でして」
「へぇー……は、初耳です」
今度は一体何の話が始まったのだろう?
先程、話を半ば強引に切り上げてしまったから気に障ってしまったのだろうか?
何の話をしているのか分からなければ、大佐の性分なんてもっと分からない。いや、知らない。知ったことか。
「た、たいさ……――んぅ!?」
声を震わせ、怯えながら背後を仰ぎ見ると、はらりと一束零れ落ちたブラウンの髪が頬を掠める。
顎を掬い上げられ、そのまま唇に彼のそれが押し当てられた。
ほんの一時。一瞬の触れるだけのキスだったのに、触れた唇が今でも熱を帯びているようだった。
――キスをされた。
認識した途端に一際大きく心臓が高鳴る。
「ななななっ、なにすっ!?」
「何とは? あの日、あなたが私にした事でしょう? 借りは返しました。それでは、おやすみなさいナマエ」
キスとは、本来嫌がらせ目的でするものだったろうか?
大佐は、いつものように片手をポケットに入れ、何事もなかったかのように颯爽と靴を鳴らしながらこの場を後にする。
広い背中を見つめながら、その場にへたり込んで暫く動けなかった。
嫌な予感も相俟って、当然その日は眠気など襲ってくるわけもなく、目の下に隈をつくりながら申し訳ない程度の眠りについたのは日付が変わり東の空が白み始めた頃だった。
20250928