16
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「ほら、受け止めて終わりじゃないぞ。相手との間合いを読んでどんどん打ち込んでくるんだっ、攻撃は最大の防御って言うだろう?」
「分かった! ふんっ!」
「そうそう、いい感じだ。出来るだけ相手に反撃の隙を与えないように、無駄な動きは入れるなよ? 振りは素早く、大振りはするな」
「は、はいっ!」
マルクト軍基地の裏の空き地には木刀同士がぶつかる乾いた音が響いていた。
ガイに剣術指南を申し出て三日目の今日、実戦を想定した打ち合い稽古の真っ最中だ。
剣の握り方から習い、素振りを経て対人の打ち込み稽古まで漕ぎつけたわけだけれど、剣術習得を軽く見過ぎていたと猛省する。
真剣よりも軽い木刀を振るうだけですぐに息が上がってしまうし、かなり手心を加えてくれているであろうガイの打ち込みを受け止めるだけで手が痺れてくる。
実戦ではこれを真剣に持ち替えて、常に動き回りながら頭では相手の動きを予測しつつ剣を振るわなければならないのだ。過酷すぎる。
私の動きが鈍くなったことに気付いて、ガイは構えを解いた。
「よし、今日はここまでにしておこうか」
「あ、ありがとう……御座いました……」
体力の限界だった私は、木刀を放ってその場に座り込む。
もしもこれが大佐との稽古であったなら、限界であろうが関係なく気絶するまで扱かれそうだ。
……想像するだけで恐ろしい。
やはりあの時、大佐から勧められた槍術の提案を断ったのは英断だったと強く思う。
「やっぱり難しいね……一朝一夕とはいかないかぁ」
弾んだ呼吸を整えながら、まだ痺れている手をじっと見る。
暇さえあれば木刀を振っていたせいか、手には豆ができていた。
「ははは、何事もそうだよ。でも、まだ三日しか経ってないのにここまで動けてるんだから、筋はかなりいいと思うぞ」
「本当!? そう言ってもらえると頑張ったかいがあるよ! これもガイの指導の賜物だね」
「キミが真剣だって事はその手を見れば分かるさ。乗りかかった船だしな。最後まで付き合うよ」
「ありがとう、ガイ。忙しいのに毎日稽古付けてもらって……本当に感謝してる」
次の任務では、前回のような失敗は絶対にしない。
私がただ臍を曲げて留守番していただけではない事を大佐に必ず証明してみせる。
――私はもう、足手まといなんかじゃないんだから。
決意を新たに、豆ができた両手を強く握りしめた。
不意に隣に座るガイに視線を滑らせると、彼の頬に小さな切創がある事に気が付く。
たまらず震える声で名前を呼んで、彼の頬に手を伸ばす。
「ガ、ガイ……!」
「ん? って、ひいっ! 急に距離を詰めないでくれっていつも言ってるだろ!?」
驚愕のあまりわなわなと体を震わせ、跳ね退いたガイにかまわず距離をつめる。
「そんなことよりも……頬にっ、きききっ傷が……! まさかさっきの稽古で!?」
「き、傷? ……ああ、これくらい何ともないから気にしないでくれ」
「何言ってるの! ガイは何も分かってない。あなたの顔面は国宝……ううん、オールドラントの宝なんだから!」
「一体何の話をしてるのかさっぱり分からないんだが……」
光り物に目がない私にとって、これは重大な損失だ。
困惑というよりも呆れたような表情を浮かべる彼にかまわず「動かないで」と短く言って頬に手をかざす。
ガイの体が強張った事に気が付いて、すかさず声をかけた。
「大丈夫、触ったりしないから。すぐに終わるからそのまま」
「あ、ああ」
「ファーストエイド」
かざした手から暖かな光が溢れ出ると、ガイの頬にできた切創は塞がり、じきに何もなかったかのように傷は跡形もなく消え失せた。
私はこうして惑星オールドラントの宝を損失の危機から救ったのだった。よし、今日一番の仕事をやり切った。
「すごいな……キミは第七音素が扱えるのか」
「別に大した事じゃないよ。扱えるっていっても簡単な譜術だけだし、あくまで応急処置止まりだもん」
「いや、それでも十分凄い事だよ。第七音素は素養がないと扱えないんだから、十分特別な事じゃないか」
「そ、そう? ありがとう……へへ」
「こちらこそ、傷を治してもらって助かったよ。ありがとう」
嬉しいやら、恥ずかしいやら。
表情がだらしなく緩むのが分かる。
大佐との間では決して生まれない和やな空気がこの場に流れていた。なんて優しい世界だろうかと、ほっこりした気分になる。
「私の死んだお父さん、医者だったんだ。だから、小さい頃お父さんに憧れて真似をして遊んでいたらいつの間にか扱えるようになって、て――」
『――何でおまえみたいな奴に扱えるんだよ』
不意に誰のものとも知れない声が脳裏に響く。
冷淡で、刺し貫くような凍てついた声音だった。
言葉に詰まる私を見て、ガイは不思議そうに問う。
「ナマエ? どうしたんだ?」
「え? あ、いや……今、何か声が聞こえたような気がして……」
「声? そんなもの聞こえなかったけどな」
「ううん。何ていうのかな……幻聴? 頭の中でぼんやりっていうか……懐かしい記憶、みたいな?」
「大丈夫か?」と体調を気遣ってくれるガイに平気だと返して笑顔を向けた。
弾んでいた息もすっかり整っていて、ゆるりと立ち上がるとお尻についた土埃を叩く。
「あ、いけない……そういえば私、陛下に呼ばれてるんだった」
「陛下に? それは早く戻った方がいいんじゃないか?」
「そうする。でも、何だかものすっごく嫌な予感がするんだよね……ろくな事にならない気がして」
「ははは……まあ、否定はできないな」
お互い苦労するもの同士、苦笑いを浮かべた。
ガイと別れ、グランコクマ宮殿を目指す足取りは酷く重たかった。
***
宮殿内に足を踏み入れたまでは良かったのだけど、ここへ来て私は岐路に立たされている。
それはつまり、ピオニー陛下の私室へ向かうのか、執務室へ向かうのかの択を迫られているからだ。
普通であれば迷う事なく執務室へ進むべき状況であっても、相手はあのピオニー陛下。
「……よし、こっち」
脱走癖のある自由奔放な彼の行動を予測して私が目指したのは執務室――ではなくピオニー陛下の私室。
絢爛な装飾が施された煌びやかなドアをノックして「失礼致します」と声をかけると、そこから顔を覗かせたのは陛下ご本人ではなくこの部屋を管理する使用人だった。
陛下へ取次ぎを申し出る私に、使用人は「残念ながらあてがはずれてしまいましたね」とクスクス可愛らしく笑う。
珍しい事もあるものだ。あの陛下がサボらず、脱走せず、きちんと執務にあたるだなんて。
お陰で手間が増えたではないかとため息をつく。
彼の普段の行いを思えば喜ばしい事なのだけれど、釈然としないのは何故だろう?
言葉では言い表せない複雑な気持ちを抱えながら行き至った執務室にて、ようやくピオニー陛下との面会を果たせたのだった。
「待ちかねたぞ。遅かったじゃないか」
「申し訳ありません、陛下。少々私用がありましたので」
「“私用”ねぇ……」
何が引っ掛かったのか、陛下は意味深に呟く。
一呼吸置いて「まあいい」と興味をなくしたように吐いて捨てた。
「ところで陛下……私に御用というのは何でしょうか?」
「ああ、そうだったな。ジェイド達の第三師団は明日帰還予定だ。良かったな。長い留守番が終わって」
「……はあ、そうですか」
良かったような、そうじゃないような……。
正直、置いてけぼりをくって不貞腐れていたのは実質一日だけで、ガイに剣術の稽古をつけてもらうようになってからは気が紛れ、大佐が不在である事にも慣れてしまっていた。
これはこれで存外快適だ――とは、流石に言えないが。
「何だ、嬉しくないのか? まあ、お前は最近ガイラルディアと何やら面白そうな事もしているようだしな」
「ご存じなのですか?」
「当然だろう? まあ、ジェイドには一言言っておいた方がいいと思うが……。あれは存外面倒くさいぞ?」
「でも、バレなければいいだけの話では?」
陛下は私の返答に目を丸くする。
まさかあいつを出し抜くつもりなのか?彼の驚いた表情からは、そんな言葉が聞こえてくるようだった。
正直隠し切ることは難しいだろう。けれど、大佐の鼻を明かし、認識を改めてもらう為に始めた剣術稽古でもある。
今までの私とは違うのだと見せつけるには、実践で示した方が説得力があるだろう。
「あいつは目ざといからな……精々上手くやることだ」
「肝に銘じます」
「それはそうと、いいのか? 大人しくジェイドの帰りを待っていて」
「へ?」
突拍子のない問いに小首を傾げると、陛下はニヤリと口角を吊り上げた。
嫌な予感しかしない。私は二年ほど前にもこの笑みに拐かされた過去がある。
彼の口から発せられるであろう言葉を待つ間、訝しげな視線を向ける。
「ナマエ、逃げ出すなら今が絶好のチャンスだぞ?」
「はぁ……今回は流石に逃げ出しませんよ。偽装とはいえ大佐と私は一応、夫婦なんですから」
流石に二度も同じ轍を踏む私じゃない。
剣術の稽古がバレる事よりも、こちらの方が厄介だ。後々面倒になることは明白だった。
決して私が大佐の側にいたいからではなく、これはあくまでリスク管理の話だということは断言しておく。
陛下は「そうか。つまらんな」と口にするわりに、どこか満足げに微笑んでいるのは何故だろう?
なんにせよ、大佐が帰ってくるまであと一日。
さて、残り少ない自由時間をどのように過ごそうか……。
どうせなら半休届けを出して街に繰り出すのも悪くない。
「それでは陛下、私はこれで失礼致します」
「待て待て」
とりあえず話も終わったようだし執務室から出ようとすると、陛下はまだ話は終わっていないと私を呼び止める。
その口振りは、まるで本題はここからだと言わんばかりだ。
「何でしょう?」
「ジェイドが戻ってくるのは明日……と、言うわけで俺に付き合え。お前は今日一日この格好で俺の側付きだ」
陛下が突拍子のない事を言いだすのには慣れてしまったが、今回ばかりは理解に苦しむ。
突きつけられたのは、使用人の衣装――よりにもよってメイド服ときた。
こんな物は着用するまでもなく世界で一番私に似合わない部類の服だと断言できる。
「……んなっ、なん、なんですかそれ! なんでよりによってその格好なんですか!?」
「知らんのか? これはな、暇を持て余した貴族の遊びだ」
精悍な顔立ちからはキリッ!と効果音が聞こえてきそうだ。
キメ顔でとんでもない事を口にするこの男は、本当にマルクト帝国の皇帝陛下なのだろうか?
前言撤回。
大佐、早く戻ってきて!一刻も早く!
「知りませんよそんな遊び! それより仕事してください仕事!」
「さあ、これを着ろ。皇帝命令だ」
「職権濫用ですよ!」
此処マルクトの地において、しょせん私はただの兵士。
兵士たるもの皇帝陛下の命とあらばどんなに抵抗の意思を見せたところで拒否権などないのだ。
皇帝陛下の命令は絶対。皇帝陛下万歳。
逆らうことも逃げることもかなわず、嫌々メイド服に袖を通した。
「お、なかなか似合ってるぞ。じゃあさっそく“お呼びでしょうか? ピオニー様”と言ってみろ」
「…………オヨビデショウカ? ピオニーサマ」
指示された台詞を棒読みする私は、とっくに思考を放棄していた。
顔から色が消え失せ、目が死に、声には抑揚も覇気もない。
「おいおい、そうも棒読みだと折角のメイド服が台無しだろう? もっとこう、愛想よく言ってみろ」
「お呼びでしょうか? ピオニー様」
「違う違う、もっと可愛らしく小首を傾げて男心を擽る小動物のようにだなぁ……」
ああもう、こうなれば自棄だ。
幸いこの部屋には陛下と私しか居ない。
ここまできたら、きっと陛下の望む通りに出来るまで永遠に解放されないだろう。
何度もこの小っ恥ずかしい言動を命令され続けるくらいなら、いっそのこと恥などかなぐり捨てて彼の要求に完璧に答えた方が早く片付くのではないだろうか?
覚悟を決めて大きく息を吸い込む。
ええい、後は野となれ山となれ!
「お呼びでしょうかぁ? ピオニー様っ!」
語尾にハートマークが付きそうな猫撫で声と、上目遣い。こてんと可愛らしく小首を傾げた刹那、最悪な瞬間は訪れる。
コンコン、とノック音の後に「失礼致します」と声がして執務室の扉が開いた。
「!」
「っ!?」
そこには先程、明日帰還すると聞かされたばかりの大佐の姿がある。
見間違いではない。
想定外の光景にあの大佐が微動だにしない。確かに視線は交わっているのに。
固まる私達を取り残して「だーはっはっはっは!」と腹を抱えて悶える、ピオニー陛下の豪快な笑い声だけが虚しく部屋に響き渡っていた。
この光景を地獄絵図と呼ばず何と呼ぶのか私は知らない。
全身から血の気が引いて、ブワッと汗が吹き出る。
その瞬間、私の脳裏には出発前に大佐から釘をさされた言葉が流れ込む。
『くれぐれも面倒事など起こさず大人しく留守番していてください』
――ああ、なんという事でしょう。
20260131
「分かった! ふんっ!」
「そうそう、いい感じだ。出来るだけ相手に反撃の隙を与えないように、無駄な動きは入れるなよ? 振りは素早く、大振りはするな」
「は、はいっ!」
マルクト軍基地の裏の空き地には木刀同士がぶつかる乾いた音が響いていた。
ガイに剣術指南を申し出て三日目の今日、実戦を想定した打ち合い稽古の真っ最中だ。
剣の握り方から習い、素振りを経て対人の打ち込み稽古まで漕ぎつけたわけだけれど、剣術習得を軽く見過ぎていたと猛省する。
真剣よりも軽い木刀を振るうだけですぐに息が上がってしまうし、かなり手心を加えてくれているであろうガイの打ち込みを受け止めるだけで手が痺れてくる。
実戦ではこれを真剣に持ち替えて、常に動き回りながら頭では相手の動きを予測しつつ剣を振るわなければならないのだ。過酷すぎる。
私の動きが鈍くなったことに気付いて、ガイは構えを解いた。
「よし、今日はここまでにしておこうか」
「あ、ありがとう……御座いました……」
体力の限界だった私は、木刀を放ってその場に座り込む。
もしもこれが大佐との稽古であったなら、限界であろうが関係なく気絶するまで扱かれそうだ。
……想像するだけで恐ろしい。
やはりあの時、大佐から勧められた槍術の提案を断ったのは英断だったと強く思う。
「やっぱり難しいね……一朝一夕とはいかないかぁ」
弾んだ呼吸を整えながら、まだ痺れている手をじっと見る。
暇さえあれば木刀を振っていたせいか、手には豆ができていた。
「ははは、何事もそうだよ。でも、まだ三日しか経ってないのにここまで動けてるんだから、筋はかなりいいと思うぞ」
「本当!? そう言ってもらえると頑張ったかいがあるよ! これもガイの指導の賜物だね」
「キミが真剣だって事はその手を見れば分かるさ。乗りかかった船だしな。最後まで付き合うよ」
「ありがとう、ガイ。忙しいのに毎日稽古付けてもらって……本当に感謝してる」
次の任務では、前回のような失敗は絶対にしない。
私がただ臍を曲げて留守番していただけではない事を大佐に必ず証明してみせる。
――私はもう、足手まといなんかじゃないんだから。
決意を新たに、豆ができた両手を強く握りしめた。
不意に隣に座るガイに視線を滑らせると、彼の頬に小さな切創がある事に気が付く。
たまらず震える声で名前を呼んで、彼の頬に手を伸ばす。
「ガ、ガイ……!」
「ん? って、ひいっ! 急に距離を詰めないでくれっていつも言ってるだろ!?」
驚愕のあまりわなわなと体を震わせ、跳ね退いたガイにかまわず距離をつめる。
「そんなことよりも……頬にっ、きききっ傷が……! まさかさっきの稽古で!?」
「き、傷? ……ああ、これくらい何ともないから気にしないでくれ」
「何言ってるの! ガイは何も分かってない。あなたの顔面は国宝……ううん、オールドラントの宝なんだから!」
「一体何の話をしてるのかさっぱり分からないんだが……」
光り物に目がない私にとって、これは重大な損失だ。
困惑というよりも呆れたような表情を浮かべる彼にかまわず「動かないで」と短く言って頬に手をかざす。
ガイの体が強張った事に気が付いて、すかさず声をかけた。
「大丈夫、触ったりしないから。すぐに終わるからそのまま」
「あ、ああ」
「ファーストエイド」
かざした手から暖かな光が溢れ出ると、ガイの頬にできた切創は塞がり、じきに何もなかったかのように傷は跡形もなく消え失せた。
私はこうして惑星オールドラントの宝を損失の危機から救ったのだった。よし、今日一番の仕事をやり切った。
「すごいな……キミは第七音素が扱えるのか」
「別に大した事じゃないよ。扱えるっていっても簡単な譜術だけだし、あくまで応急処置止まりだもん」
「いや、それでも十分凄い事だよ。第七音素は素養がないと扱えないんだから、十分特別な事じゃないか」
「そ、そう? ありがとう……へへ」
「こちらこそ、傷を治してもらって助かったよ。ありがとう」
嬉しいやら、恥ずかしいやら。
表情がだらしなく緩むのが分かる。
大佐との間では決して生まれない和やな空気がこの場に流れていた。なんて優しい世界だろうかと、ほっこりした気分になる。
「私の死んだお父さん、医者だったんだ。だから、小さい頃お父さんに憧れて真似をして遊んでいたらいつの間にか扱えるようになって、て――」
『――何でおまえみたいな奴に扱えるんだよ』
不意に誰のものとも知れない声が脳裏に響く。
冷淡で、刺し貫くような凍てついた声音だった。
言葉に詰まる私を見て、ガイは不思議そうに問う。
「ナマエ? どうしたんだ?」
「え? あ、いや……今、何か声が聞こえたような気がして……」
「声? そんなもの聞こえなかったけどな」
「ううん。何ていうのかな……幻聴? 頭の中でぼんやりっていうか……懐かしい記憶、みたいな?」
「大丈夫か?」と体調を気遣ってくれるガイに平気だと返して笑顔を向けた。
弾んでいた息もすっかり整っていて、ゆるりと立ち上がるとお尻についた土埃を叩く。
「あ、いけない……そういえば私、陛下に呼ばれてるんだった」
「陛下に? それは早く戻った方がいいんじゃないか?」
「そうする。でも、何だかものすっごく嫌な予感がするんだよね……ろくな事にならない気がして」
「ははは……まあ、否定はできないな」
お互い苦労するもの同士、苦笑いを浮かべた。
ガイと別れ、グランコクマ宮殿を目指す足取りは酷く重たかった。
***
宮殿内に足を踏み入れたまでは良かったのだけど、ここへ来て私は岐路に立たされている。
それはつまり、ピオニー陛下の私室へ向かうのか、執務室へ向かうのかの択を迫られているからだ。
普通であれば迷う事なく執務室へ進むべき状況であっても、相手はあのピオニー陛下。
「……よし、こっち」
脱走癖のある自由奔放な彼の行動を予測して私が目指したのは執務室――ではなくピオニー陛下の私室。
絢爛な装飾が施された煌びやかなドアをノックして「失礼致します」と声をかけると、そこから顔を覗かせたのは陛下ご本人ではなくこの部屋を管理する使用人だった。
陛下へ取次ぎを申し出る私に、使用人は「残念ながらあてがはずれてしまいましたね」とクスクス可愛らしく笑う。
珍しい事もあるものだ。あの陛下がサボらず、脱走せず、きちんと執務にあたるだなんて。
お陰で手間が増えたではないかとため息をつく。
彼の普段の行いを思えば喜ばしい事なのだけれど、釈然としないのは何故だろう?
言葉では言い表せない複雑な気持ちを抱えながら行き至った執務室にて、ようやくピオニー陛下との面会を果たせたのだった。
「待ちかねたぞ。遅かったじゃないか」
「申し訳ありません、陛下。少々私用がありましたので」
「“私用”ねぇ……」
何が引っ掛かったのか、陛下は意味深に呟く。
一呼吸置いて「まあいい」と興味をなくしたように吐いて捨てた。
「ところで陛下……私に御用というのは何でしょうか?」
「ああ、そうだったな。ジェイド達の第三師団は明日帰還予定だ。良かったな。長い留守番が終わって」
「……はあ、そうですか」
良かったような、そうじゃないような……。
正直、置いてけぼりをくって不貞腐れていたのは実質一日だけで、ガイに剣術の稽古をつけてもらうようになってからは気が紛れ、大佐が不在である事にも慣れてしまっていた。
これはこれで存外快適だ――とは、流石に言えないが。
「何だ、嬉しくないのか? まあ、お前は最近ガイラルディアと何やら面白そうな事もしているようだしな」
「ご存じなのですか?」
「当然だろう? まあ、ジェイドには一言言っておいた方がいいと思うが……。あれは存外面倒くさいぞ?」
「でも、バレなければいいだけの話では?」
陛下は私の返答に目を丸くする。
まさかあいつを出し抜くつもりなのか?彼の驚いた表情からは、そんな言葉が聞こえてくるようだった。
正直隠し切ることは難しいだろう。けれど、大佐の鼻を明かし、認識を改めてもらう為に始めた剣術稽古でもある。
今までの私とは違うのだと見せつけるには、実践で示した方が説得力があるだろう。
「あいつは目ざといからな……精々上手くやることだ」
「肝に銘じます」
「それはそうと、いいのか? 大人しくジェイドの帰りを待っていて」
「へ?」
突拍子のない問いに小首を傾げると、陛下はニヤリと口角を吊り上げた。
嫌な予感しかしない。私は二年ほど前にもこの笑みに拐かされた過去がある。
彼の口から発せられるであろう言葉を待つ間、訝しげな視線を向ける。
「ナマエ、逃げ出すなら今が絶好のチャンスだぞ?」
「はぁ……今回は流石に逃げ出しませんよ。偽装とはいえ大佐と私は一応、夫婦なんですから」
流石に二度も同じ轍を踏む私じゃない。
剣術の稽古がバレる事よりも、こちらの方が厄介だ。後々面倒になることは明白だった。
決して私が大佐の側にいたいからではなく、これはあくまでリスク管理の話だということは断言しておく。
陛下は「そうか。つまらんな」と口にするわりに、どこか満足げに微笑んでいるのは何故だろう?
なんにせよ、大佐が帰ってくるまであと一日。
さて、残り少ない自由時間をどのように過ごそうか……。
どうせなら半休届けを出して街に繰り出すのも悪くない。
「それでは陛下、私はこれで失礼致します」
「待て待て」
とりあえず話も終わったようだし執務室から出ようとすると、陛下はまだ話は終わっていないと私を呼び止める。
その口振りは、まるで本題はここからだと言わんばかりだ。
「何でしょう?」
「ジェイドが戻ってくるのは明日……と、言うわけで俺に付き合え。お前は今日一日この格好で俺の側付きだ」
陛下が突拍子のない事を言いだすのには慣れてしまったが、今回ばかりは理解に苦しむ。
突きつけられたのは、使用人の衣装――よりにもよってメイド服ときた。
こんな物は着用するまでもなく世界で一番私に似合わない部類の服だと断言できる。
「……んなっ、なん、なんですかそれ! なんでよりによってその格好なんですか!?」
「知らんのか? これはな、暇を持て余した貴族の遊びだ」
精悍な顔立ちからはキリッ!と効果音が聞こえてきそうだ。
キメ顔でとんでもない事を口にするこの男は、本当にマルクト帝国の皇帝陛下なのだろうか?
前言撤回。
大佐、早く戻ってきて!一刻も早く!
「知りませんよそんな遊び! それより仕事してください仕事!」
「さあ、これを着ろ。皇帝命令だ」
「職権濫用ですよ!」
此処マルクトの地において、しょせん私はただの兵士。
兵士たるもの皇帝陛下の命とあらばどんなに抵抗の意思を見せたところで拒否権などないのだ。
皇帝陛下の命令は絶対。皇帝陛下万歳。
逆らうことも逃げることもかなわず、嫌々メイド服に袖を通した。
「お、なかなか似合ってるぞ。じゃあさっそく“お呼びでしょうか? ピオニー様”と言ってみろ」
「…………オヨビデショウカ? ピオニーサマ」
指示された台詞を棒読みする私は、とっくに思考を放棄していた。
顔から色が消え失せ、目が死に、声には抑揚も覇気もない。
「おいおい、そうも棒読みだと折角のメイド服が台無しだろう? もっとこう、愛想よく言ってみろ」
「お呼びでしょうか? ピオニー様」
「違う違う、もっと可愛らしく小首を傾げて男心を擽る小動物のようにだなぁ……」
ああもう、こうなれば自棄だ。
幸いこの部屋には陛下と私しか居ない。
ここまできたら、きっと陛下の望む通りに出来るまで永遠に解放されないだろう。
何度もこの小っ恥ずかしい言動を命令され続けるくらいなら、いっそのこと恥などかなぐり捨てて彼の要求に完璧に答えた方が早く片付くのではないだろうか?
覚悟を決めて大きく息を吸い込む。
ええい、後は野となれ山となれ!
「お呼びでしょうかぁ? ピオニー様っ!」
語尾にハートマークが付きそうな猫撫で声と、上目遣い。こてんと可愛らしく小首を傾げた刹那、最悪な瞬間は訪れる。
コンコン、とノック音の後に「失礼致します」と声がして執務室の扉が開いた。
「!」
「っ!?」
そこには先程、明日帰還すると聞かされたばかりの大佐の姿がある。
見間違いではない。
想定外の光景にあの大佐が微動だにしない。確かに視線は交わっているのに。
固まる私達を取り残して「だーはっはっはっは!」と腹を抱えて悶える、ピオニー陛下の豪快な笑い声だけが虚しく部屋に響き渡っていた。
この光景を地獄絵図と呼ばず何と呼ぶのか私は知らない。
全身から血の気が引いて、ブワッと汗が吹き出る。
その瞬間、私の脳裏には出発前に大佐から釘をさされた言葉が流れ込む。
『くれぐれも面倒事など起こさず大人しく留守番していてください』
――ああ、なんという事でしょう。
20260131