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宙吊りで映し出される上下逆さの世界はとても新鮮――なわけがない。
“後悔”の二文字が、逆流する血液で圧迫される脳内を駆け巡っていた。
ああ、やってしまった。下手を踏んだ。
深く考えず、魔物の残党を単身で追いかけたばかりにこの有様とは。
二年間の逃亡生活に終止符を打ち、大佐の部下兼妻(偽)となってからというもの、宮殿と基地を往復するだけの代わり映えのない毎日に辟易としていた中、初めての本格的な任務だった。
これまでの半軟禁生活で溜まりに溜まったストレスをここぞとばかりに発散してやろうと張り切ったのは事実。普段よりも周りが見えていなかった事も認める。
全ては自分の軽率な行動が引き起こした結果であると理解しているからこそ、情けなくてやるせない。
任務内容である魔物の群れをエンゲーブ付近で発見し、討伐を試みた――そこまでは良かった。
私の間違いは、魔物の残党が近くの森へ逃げ込む姿を目撃し、一体だけだからと単身で追いかけてしまった事にある。
私達第三師団は分隊を組み、隊ごとに動いていた。
それなのに私は残党を一人で追いかけてしまった。それがこの結果を招いたのだ。
逃げた魔物は仕留めたが思ったよりも森の奥深くまで来てしまっていたらしく、討伐直後に関係のない魔物に気付かれてしまい、トレントのツルで縛り上げられて宙吊りにされてしまったというわけ。
そして、お決まりのように彼はやって来るのだ。まるでこの状況を見透かしたかのように。
草木を分け入り、地面を踏む音が寸分違わず此方に向かってくる。
これで助かる。けれど、こんな無様な姿を見られて一体どんな嫌味を浴びせられるだろうか……。
安堵と憂鬱――対極の感情が入り混じった複雑な心情が胸を占めていた。
「おやおや、大見得を切ったわりにこの様ですか?」
美しい顔に胡散臭い笑顔を貼り付けた我らが第三師団師団長のお出ましだ。
「えっと……これは、その……海より深ーい訳がありまして……ははは」
「海より深ーい訳ですか。それは興味深い」
しかし、待てども大佐はニコリと一笑するだけで一向に手を差し伸べる様子がない。
仮にも魔物と対峙している状況で身構えるわけでもなく、いつもの調子で片手をポケットに入れたまま鷹揚と構えている。
そればかりか、物珍しそうに繁々とツルに絡め取られ逆さ吊りにされた私を眺めるばかりだ。
「それにしてもいい格好ですねぇ」
「はい!?」
逆さ吊りにされたこの状態のどこが?
胸は巻き付いたツルで圧迫されて息苦しいし、それが下肢にまで及んでいるのだ。
謂わば肩から上と足首以外はツルに巻かれ、まるで芋虫のような無様な格好で吊るされている。
喧嘩を売っているのかと食ってかかるところだが、今はその威勢すらない。
「今は言い返す気力もないので早く何とかしてくださいよ……頭に血が昇って気分が……」
大佐はやれやれと肩を竦め、右腕から槍を具現化させた。
これでやっとこの逆さ吊り地獄から解放されると安堵したのも束の間。大佐は槍を手に、ニコリと笑む。
「あのー……大佐?」
「人にものを頼む際は、それなりの礼儀があると思いますが?」
「へ?」
「誠意を見せて頂かなければ」
「はい!?」
ここに来て、この状況でそれを言うのか……ジェイド・カーティス。
「出来の悪い部下を持つと骨が折れますよ。尻拭いをする為にあなたを同行させたわけではないのですが……」
普段ならここで言い返すが、今はそうも言っていられない。
なにしろ色々と限界が近い。
それに、芋虫の私では死霊使いには到底敵わないだろう。
非常に不本意ながら、ぼそりと言葉を口にした。
「……………………サ、イ」
「はい?」
「…………タスケテクダサイ」
「はい?」
「助けてください愛しの旦那サマー!!」
「良く出来ました。では、お望み通りに」
捨鉢な気持ちで叫んだ言葉の一体何処に満足したのかしれないが、大佐は槍で一閃するとツルが千切れる。
ツルが体中に巻き付いた芋虫状態の私が受け身を取れるはずもなく、そのまま重力に従ってドスンと地面に落下した。
「うぎゃ! いっ、たたた……ちょっと大佐、何で受け止めてくれないんですか!?」
「おや、これは失礼しました。あなたなら私の助けなど不要かと思いまして。すみません、買いかぶり過ぎましたね」
「はあ!? ふ、不要ですよ! さっきのはたまたまです!」
体に纏わりついたツルをブチブチと千切りながら憤慨する。
その様子に、大佐は口角を上げた。まるで、こうなる事まで予測していたように。
先程の煽るような発言も、私を奮起させる為だったのかもしれない。
「それだけ喚く元気があるなら平気ですね。さあ、もうひと仕事ですよ」
――全ては、この状況を切り抜ける為。
大佐の言葉にはっとして辺りを見渡す。
「な、なんでこんなに魔物が……」
「何故でしょうね? あえて誰のせいとはいいませんよ」
「はいはいはいはい! スミマセンでしたー!!」
自棄糞になって喚いたせいで四方八方どこからとも無くわらわらと湧いて出た魔物が私達を取り囲んでいた。
“ひと仕事”と言われたが、TPが尽きる寸前である現状では本当にひと仕事しか出来そうにない。ざっと中級譜術一回分といったところだ。
あとは、護身用にいつも携帯している短剣のみ。
こんな時、短剣以外の武器の一つでも扱えたならまだ戦力になれたかもしれないのにと悔やまれてならない。
それを知ってか知らずか、大佐は私に声をかけた。
「詠唱時間を稼いでください。一撃で終わらせます」
「言われなくてもそのつもりですよ」
彼の足元に広がる譜陣の色を確認して私も詠唱に入る。
大佐が詠唱を始めると、一斉に魔物が地を蹴った。
詠唱が終わるまで何としてでも彼を守らなければ、この状況から脱する術はない。
惜しみなく残りのTPを全て使用して詠唱に入る。
比較的短時間で詠唱でき、周囲をカバーできる譜術で且つ大佐の譜術と相性の良い音素――。
「スプラッシュ!」
滝のように轟音を立てて水流が叩きつけ、周囲の敵を一掃するが、それでも全ての魔物に対応出来るわけではない。
先程まで私を吊るし上げていたトレントのツルが地中を這って此方に伸びる。
足元まで揺れが迫るとヒビが入り、地面が隆起するのを見て、咄嗟に短剣に手を掛けた。
短剣では到底対抗出来ないだろう。だからと言ってむざむざ殺られるつもりはないし、又候、吊るし上げられることも御免被る。
飛び退こうと片足に体重を掛けた途端、痛みが走った。
先程の落下で足首を痛めてしまったようだ。そのせいで素早く動けない。
ツルが地面を割って出た瞬間、襟首をむんずと掴まれ引き寄せられる。
背に軽い衝撃を受けて仰ぎ見れば、大佐が満足気に笑んでいた。
「あなたにしては上出来です――レイジングミスト!」
大佐の繰り出したイグニートプリズンは、先程私が使用したスプラッシュによって出来た第四音素の円陣でレイジングミストへと変化する。
炎が地を炙り、頭上から瀑布の如く唸る水流が激しく打ち付けながら、周辺の魔物を全て巻き込み消滅させる。
大佐は宣言通り、一撃で終わらせてしまった。
私の譜術とは桁違いの威力を目の前で見せつけられて呆気にとられてしまう。
涼しい顔をして易易と上級譜術を使いこなす……これがジェイド・カーティスなのだ。
「私にしてはって……」
「これでも褒めているのですよ? ……まあ、一人で残党を追いかけてこんな所まで来たあなたの行動はとても褒められたものではないですが」
「……う゛」
「あなたの事ですから、一人で何とかなると頭で考えるより先に体が動いたのでしょうが、それは過信だったのでは?」
「……う゛ぅ」
「まったく、困ったものですよ。何の為の分隊だと思っているのやら。私が駆け付けなければ今頃あなたはどうなっていたのでしょうね?」
周辺を囲っていた魔物を一掃した後、私を待っていたのは大佐のネチネチお説教だった。
非があると自覚しているので反論出来ず、チクチクと刺さる言葉にただひたすら耐える事しか出来ない。
「大佐なら来てくれるって思ってた、し……」
「はぁ……そう都合よく期待されても困りますよ。こんな時ばかりですね、あなたは」
大佐は指で眼鏡を押し上げながら呆れ交じりに呟く。
それでも満更でもないと言いたげな様子に、漸くお説教タイムの終わりを悟った。
「それでは、戻りましょうか」
「はい――う、うわああああ!」
大佐の言葉に頷いた途端、浮遊感に襲われる。
気付けば私は大佐に抱え上げられていた。
所謂“お姫様抱っこ”というやつだ。
女性憧れのシチュエーション上位に挙げられるであろうお姫様抱っこですら、私にとっては逃れられない檻のように感じられる。
「んなっ、なななな何を……!?」
「その足では満足に歩けないでしょう?」
「平気です! 治癒術で――あ、」
先程の戦闘でなけなしのTPを全て使い果たしたのだと思い出す。
腕の中で絶望する私を、得意げな笑みが見つめていた。
「諦めて大人しく運ばれてください。これ以上仕事を増やされてはたまりませんから」
「………………ハイ」
私のバカ。バカバカバカ。
顔を両手で覆い隠し、大人しく運ばれる姿は悲壮感が漂っていただろう。
森を抜けるこの時間がとてつもなく長く感じられた。
せめて腕は。腕だけは絶対に回すものかと心に決めて腕を組み、断固拒否の姿勢を取る。
「はぁ……やっぱりこれだけじゃ限界があるのかなぁ……」
手に持った短剣を見つめながら不満を零す。
「その短剣、いつも肌身離さず持ち歩いていますね」
「はい。父の形見なので」
「……そうですか」
形見であり、お守りでもある。
だから、出来るだけこの短剣を抜きたくはない。
その為にも何か武器を扱えるようになりたいと思った。
今後、今日のような状況に陥らないとも限らないのだから。
「うーん、今後の事も考えて何か武器を扱えた方がいいと思うんですよねぇ」
「では、槍はいかがですか?」
「槍は……遠慮します。あ、だったら上級譜術を教えてくださいよ」
多勢に無勢である先程の状況を一変させるほどの譜術を使いこなしてみたい。
キラキラと瞳を輝かせながら大佐を見上げると、彼は対象的な顔をしていた。
困ったような――否、これは呆れている表情だ。
ピオニー陛下から無理難題を押し付けられた時と同じ顔。
「簡単に言いますが、一朝一夕で習得出来るようなものではないんですよ?」
「分かってますよー」
「どうしましょうかねぇ」と曖昧な返事をする大佐を、頬を膨らませながら睨めつける。
「勿体ぶらないでくださいよ!」
「勿体ぶるなといいますが、教える方にもそれなりの時間と労力が発生しますから。逡巡するのは当然です」
「それに」と言葉を続ける大佐は、いつも私をからかう時に見せる意地の悪い表情を浮かべていた。
「タダで教えるというのも不公平では? 何か対価を頂かなくては」
「対価、ですか?」
「ええ。そうですね……また花や菓子でも持ってきますか? あの時のように」
「はい?」
彼は一体何の話をしているのだろうか?
小首を傾げると、大佐は表情を緩め小さく笑った。
その笑みがどこか寂しげに映ったのは気のせいじゃない。
「まあ、期待せずにお待ちしてますよ」
「はぁ、」
分かったような、分からないような。
まるで過去に私が大佐に花や菓子を贈った事があるかのような口振りだった。
彼は、私の知らない何かを知っている。
それは、私の知らない私自身。
気付けば木々が鬱蒼と生い茂った森からは抜け出していたのだけれど、私の胸にはモヤモヤとした感情が残り、どこか晴れないままでいた。
20251231
“後悔”の二文字が、逆流する血液で圧迫される脳内を駆け巡っていた。
ああ、やってしまった。下手を踏んだ。
深く考えず、魔物の残党を単身で追いかけたばかりにこの有様とは。
二年間の逃亡生活に終止符を打ち、大佐の部下兼妻(偽)となってからというもの、宮殿と基地を往復するだけの代わり映えのない毎日に辟易としていた中、初めての本格的な任務だった。
これまでの半軟禁生活で溜まりに溜まったストレスをここぞとばかりに発散してやろうと張り切ったのは事実。普段よりも周りが見えていなかった事も認める。
全ては自分の軽率な行動が引き起こした結果であると理解しているからこそ、情けなくてやるせない。
任務内容である魔物の群れをエンゲーブ付近で発見し、討伐を試みた――そこまでは良かった。
私の間違いは、魔物の残党が近くの森へ逃げ込む姿を目撃し、一体だけだからと単身で追いかけてしまった事にある。
私達第三師団は分隊を組み、隊ごとに動いていた。
それなのに私は残党を一人で追いかけてしまった。それがこの結果を招いたのだ。
逃げた魔物は仕留めたが思ったよりも森の奥深くまで来てしまっていたらしく、討伐直後に関係のない魔物に気付かれてしまい、トレントのツルで縛り上げられて宙吊りにされてしまったというわけ。
そして、お決まりのように彼はやって来るのだ。まるでこの状況を見透かしたかのように。
草木を分け入り、地面を踏む音が寸分違わず此方に向かってくる。
これで助かる。けれど、こんな無様な姿を見られて一体どんな嫌味を浴びせられるだろうか……。
安堵と憂鬱――対極の感情が入り混じった複雑な心情が胸を占めていた。
「おやおや、大見得を切ったわりにこの様ですか?」
美しい顔に胡散臭い笑顔を貼り付けた我らが第三師団師団長のお出ましだ。
「えっと……これは、その……海より深ーい訳がありまして……ははは」
「海より深ーい訳ですか。それは興味深い」
しかし、待てども大佐はニコリと一笑するだけで一向に手を差し伸べる様子がない。
仮にも魔物と対峙している状況で身構えるわけでもなく、いつもの調子で片手をポケットに入れたまま鷹揚と構えている。
そればかりか、物珍しそうに繁々とツルに絡め取られ逆さ吊りにされた私を眺めるばかりだ。
「それにしてもいい格好ですねぇ」
「はい!?」
逆さ吊りにされたこの状態のどこが?
胸は巻き付いたツルで圧迫されて息苦しいし、それが下肢にまで及んでいるのだ。
謂わば肩から上と足首以外はツルに巻かれ、まるで芋虫のような無様な格好で吊るされている。
喧嘩を売っているのかと食ってかかるところだが、今はその威勢すらない。
「今は言い返す気力もないので早く何とかしてくださいよ……頭に血が昇って気分が……」
大佐はやれやれと肩を竦め、右腕から槍を具現化させた。
これでやっとこの逆さ吊り地獄から解放されると安堵したのも束の間。大佐は槍を手に、ニコリと笑む。
「あのー……大佐?」
「人にものを頼む際は、それなりの礼儀があると思いますが?」
「へ?」
「誠意を見せて頂かなければ」
「はい!?」
ここに来て、この状況でそれを言うのか……ジェイド・カーティス。
「出来の悪い部下を持つと骨が折れますよ。尻拭いをする為にあなたを同行させたわけではないのですが……」
普段ならここで言い返すが、今はそうも言っていられない。
なにしろ色々と限界が近い。
それに、芋虫の私では死霊使いには到底敵わないだろう。
非常に不本意ながら、ぼそりと言葉を口にした。
「……………………サ、イ」
「はい?」
「…………タスケテクダサイ」
「はい?」
「助けてください愛しの旦那サマー!!」
「良く出来ました。では、お望み通りに」
捨鉢な気持ちで叫んだ言葉の一体何処に満足したのかしれないが、大佐は槍で一閃するとツルが千切れる。
ツルが体中に巻き付いた芋虫状態の私が受け身を取れるはずもなく、そのまま重力に従ってドスンと地面に落下した。
「うぎゃ! いっ、たたた……ちょっと大佐、何で受け止めてくれないんですか!?」
「おや、これは失礼しました。あなたなら私の助けなど不要かと思いまして。すみません、買いかぶり過ぎましたね」
「はあ!? ふ、不要ですよ! さっきのはたまたまです!」
体に纏わりついたツルをブチブチと千切りながら憤慨する。
その様子に、大佐は口角を上げた。まるで、こうなる事まで予測していたように。
先程の煽るような発言も、私を奮起させる為だったのかもしれない。
「それだけ喚く元気があるなら平気ですね。さあ、もうひと仕事ですよ」
――全ては、この状況を切り抜ける為。
大佐の言葉にはっとして辺りを見渡す。
「な、なんでこんなに魔物が……」
「何故でしょうね? あえて誰のせいとはいいませんよ」
「はいはいはいはい! スミマセンでしたー!!」
自棄糞になって喚いたせいで四方八方どこからとも無くわらわらと湧いて出た魔物が私達を取り囲んでいた。
“ひと仕事”と言われたが、TPが尽きる寸前である現状では本当にひと仕事しか出来そうにない。ざっと中級譜術一回分といったところだ。
あとは、護身用にいつも携帯している短剣のみ。
こんな時、短剣以外の武器の一つでも扱えたならまだ戦力になれたかもしれないのにと悔やまれてならない。
それを知ってか知らずか、大佐は私に声をかけた。
「詠唱時間を稼いでください。一撃で終わらせます」
「言われなくてもそのつもりですよ」
彼の足元に広がる譜陣の色を確認して私も詠唱に入る。
大佐が詠唱を始めると、一斉に魔物が地を蹴った。
詠唱が終わるまで何としてでも彼を守らなければ、この状況から脱する術はない。
惜しみなく残りのTPを全て使用して詠唱に入る。
比較的短時間で詠唱でき、周囲をカバーできる譜術で且つ大佐の譜術と相性の良い音素――。
「スプラッシュ!」
滝のように轟音を立てて水流が叩きつけ、周囲の敵を一掃するが、それでも全ての魔物に対応出来るわけではない。
先程まで私を吊るし上げていたトレントのツルが地中を這って此方に伸びる。
足元まで揺れが迫るとヒビが入り、地面が隆起するのを見て、咄嗟に短剣に手を掛けた。
短剣では到底対抗出来ないだろう。だからと言ってむざむざ殺られるつもりはないし、又候、吊るし上げられることも御免被る。
飛び退こうと片足に体重を掛けた途端、痛みが走った。
先程の落下で足首を痛めてしまったようだ。そのせいで素早く動けない。
ツルが地面を割って出た瞬間、襟首をむんずと掴まれ引き寄せられる。
背に軽い衝撃を受けて仰ぎ見れば、大佐が満足気に笑んでいた。
「あなたにしては上出来です――レイジングミスト!」
大佐の繰り出したイグニートプリズンは、先程私が使用したスプラッシュによって出来た第四音素の円陣でレイジングミストへと変化する。
炎が地を炙り、頭上から瀑布の如く唸る水流が激しく打ち付けながら、周辺の魔物を全て巻き込み消滅させる。
大佐は宣言通り、一撃で終わらせてしまった。
私の譜術とは桁違いの威力を目の前で見せつけられて呆気にとられてしまう。
涼しい顔をして易易と上級譜術を使いこなす……これがジェイド・カーティスなのだ。
「私にしてはって……」
「これでも褒めているのですよ? ……まあ、一人で残党を追いかけてこんな所まで来たあなたの行動はとても褒められたものではないですが」
「……う゛」
「あなたの事ですから、一人で何とかなると頭で考えるより先に体が動いたのでしょうが、それは過信だったのでは?」
「……う゛ぅ」
「まったく、困ったものですよ。何の為の分隊だと思っているのやら。私が駆け付けなければ今頃あなたはどうなっていたのでしょうね?」
周辺を囲っていた魔物を一掃した後、私を待っていたのは大佐のネチネチお説教だった。
非があると自覚しているので反論出来ず、チクチクと刺さる言葉にただひたすら耐える事しか出来ない。
「大佐なら来てくれるって思ってた、し……」
「はぁ……そう都合よく期待されても困りますよ。こんな時ばかりですね、あなたは」
大佐は指で眼鏡を押し上げながら呆れ交じりに呟く。
それでも満更でもないと言いたげな様子に、漸くお説教タイムの終わりを悟った。
「それでは、戻りましょうか」
「はい――う、うわああああ!」
大佐の言葉に頷いた途端、浮遊感に襲われる。
気付けば私は大佐に抱え上げられていた。
所謂“お姫様抱っこ”というやつだ。
女性憧れのシチュエーション上位に挙げられるであろうお姫様抱っこですら、私にとっては逃れられない檻のように感じられる。
「んなっ、なななな何を……!?」
「その足では満足に歩けないでしょう?」
「平気です! 治癒術で――あ、」
先程の戦闘でなけなしのTPを全て使い果たしたのだと思い出す。
腕の中で絶望する私を、得意げな笑みが見つめていた。
「諦めて大人しく運ばれてください。これ以上仕事を増やされてはたまりませんから」
「………………ハイ」
私のバカ。バカバカバカ。
顔を両手で覆い隠し、大人しく運ばれる姿は悲壮感が漂っていただろう。
森を抜けるこの時間がとてつもなく長く感じられた。
せめて腕は。腕だけは絶対に回すものかと心に決めて腕を組み、断固拒否の姿勢を取る。
「はぁ……やっぱりこれだけじゃ限界があるのかなぁ……」
手に持った短剣を見つめながら不満を零す。
「その短剣、いつも肌身離さず持ち歩いていますね」
「はい。父の形見なので」
「……そうですか」
形見であり、お守りでもある。
だから、出来るだけこの短剣を抜きたくはない。
その為にも何か武器を扱えるようになりたいと思った。
今後、今日のような状況に陥らないとも限らないのだから。
「うーん、今後の事も考えて何か武器を扱えた方がいいと思うんですよねぇ」
「では、槍はいかがですか?」
「槍は……遠慮します。あ、だったら上級譜術を教えてくださいよ」
多勢に無勢である先程の状況を一変させるほどの譜術を使いこなしてみたい。
キラキラと瞳を輝かせながら大佐を見上げると、彼は対象的な顔をしていた。
困ったような――否、これは呆れている表情だ。
ピオニー陛下から無理難題を押し付けられた時と同じ顔。
「簡単に言いますが、一朝一夕で習得出来るようなものではないんですよ?」
「分かってますよー」
「どうしましょうかねぇ」と曖昧な返事をする大佐を、頬を膨らませながら睨めつける。
「勿体ぶらないでくださいよ!」
「勿体ぶるなといいますが、教える方にもそれなりの時間と労力が発生しますから。逡巡するのは当然です」
「それに」と言葉を続ける大佐は、いつも私をからかう時に見せる意地の悪い表情を浮かべていた。
「タダで教えるというのも不公平では? 何か対価を頂かなくては」
「対価、ですか?」
「ええ。そうですね……また花や菓子でも持ってきますか? あの時のように」
「はい?」
彼は一体何の話をしているのだろうか?
小首を傾げると、大佐は表情を緩め小さく笑った。
その笑みがどこか寂しげに映ったのは気のせいじゃない。
「まあ、期待せずにお待ちしてますよ」
「はぁ、」
分かったような、分からないような。
まるで過去に私が大佐に花や菓子を贈った事があるかのような口振りだった。
彼は、私の知らない何かを知っている。
それは、私の知らない私自身。
気付けば木々が鬱蒼と生い茂った森からは抜け出していたのだけれど、私の胸にはモヤモヤとした感情が残り、どこか晴れないままでいた。
20251231