01
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喧騒が遠く聞こえる。
行き交う人々で溢れるダアトの街中で全てが雑音に感じられる中、凛と響く声に意識をまるっと攫われてしまった。
いや、凛と響く声――ではなかった。
ゴゴゴゴ……と、それはさながら地獄の門が開くような鈍い音だったのかもしれない。
「おやおや。灯台下暗しとはこの事ですね」
「ぁ……あ、ぅ、ぁ……」
「探しましたよ、ナマエ」
言葉にならない声を漏らしながら口をはくはくとさせる私を前に、彼は約二年前と何ら変わらぬ冷えた笑みをその整った顔に貼り付けていた。
眼鏡の奥の凍てつく深紅の瞳。感情の滲まない、その瞳。
――恐ろしく、憎たらしく、ひどく懐かしい。
その紅は二年の月日が経とうとも私の情緒を乱暴に揺さぶった。
「考えましたね。宗教自治区であるダアトに逃げればマルクトの手は伸びませんから。容易には踏み込めない」
彼は言いながら、一歩、また一歩とこちらに歩み寄り、私との距離を詰める。
地面を踏む音が鳴る度に、ドクンと心臓が大きく打ち鳴らされる。
ああ……やっとこの男から逃げられたのに。 平和な日常を手に入れたと思ったのに。
しかし、彼に目をつけられたが最後、逃げ果せるだなんて事は砂上の楼閣にすぎなかったというわけだ。
楼閣なんて立派なものではないか……彼にしてみれば私の抵抗など、せいぜい子供の砂遊び程度なのだろうし。
「何も言わず、私の前から姿を消して……二年程になりますか。まあ、あなたにしては頑張った方だと思いますよ」
けれど、このまま終わるつもりはない。このまま大人しく捕まる気も更々ない。
又候あんな生活を強いられるくらいなら、残された一縷の望みにかけてとことん抵抗してやる。
ここまで足掻いたのだから、あともう少し足掻きたい。
たとえ無駄な抵抗でも。悪足掻きだと一蹴されたとしても。
「え、ええっとー……どちら様でしょうか?」
窮鼠、猫を噛む。追い詰められた私が放つ渾身の一撃、素っ惚ける。
性別も体格差も経験も、私が彼と正面からやり合うにはあまりに分が悪い。はなから負けが決まった勝負はしない主義だ。
ならば、少しでも私に分がある事柄といえば彼が思いもよらない角度から切り込む作戦一択だ。
滅多な事がなければ表情を崩さない死霊使いジェイド・カーティス大佐をきょとん顔にさせる事に成功した。
その綻びを、突破口を、好機を逃してなるものか。
「すみません、あの……私、実は記憶がなくて……行き倒れていた所を助けられて此処に運ばれたんです」
畳み掛けるように言葉を連ねると、彼は口元に手を添え「ふむ」と、しかつめらしく思案する。
次の手を打たれる前に逃げ出そうとした瞬間、彼は信じられない言葉を口にした。
「それは大変でしたね……突然“見知らぬ男”に声を掛けられてさぞ驚いたことでしょう。ですが、これだけはどうか思い出して頂きたい。私とあなたは“恋人同士”だったのですから」
「はぁん!? ちょ、私と大佐がいつそんな関係になったんですか!? でっち上げないでくだ、さ――あ……」
にっこりと憎たらしい笑みを浮かべる大佐に、またしても私は口をはくはくとさせた。
あまりに聞き捨てならない言葉だったので反応せずにはいられなかった。
私が大佐と恋人関係!?そんなのはあり得ない。
天地がひっくり返ろうと、真夏に雪が降ろうと、そんな事はありはしない。
私が聞き逃がせない絶妙な事柄を的確に突いてくる辺りが、実に大佐らしい。
こうしてその場しのぎの苦しい言い訳は、嘘の皮は、いとも簡単に剥がれてしまったのだった。
今思えば頭脳プレーで大佐を負かすことなど無理な話だ。
頭脳も力も敵わないのなら、このまま大人しく捕まるしか道は残っていないのだろうか?
「そろそろよろしいですか? 生憎、あなたの茶番に付き合っている時間はないのですよ。あんな事をしておいて、何も覚えてないと?」
「……な、ななんっ、何の話です、か」
あんな事――思い当たる事は一つしかない。
彼の元から去った夜。逃げ出したあの日。
最後だからと眠る彼にキスをした。
眠っていたからバレないと思って……今思えば、なんて浅はかな行動だったのだろうと後悔しかない。
大佐は「やれやれ……」と溜め息を吐きながら、指の腹で眼鏡を押し上げる。
閉じられていた瞳がゆっくりと開かれて、今までにない程に私を射竦める。
何があっても逃すものかと告げられたようで、気圧されて息が詰まる。
「連れて帰ります。あなたを探していたと言ったでしょう?」
「……っ、」
そもそも何故、大佐はこうも私に拘るのだろう?
彼は来るもの拒まず、去るもの追わずなタイプだと思っていただけに困惑してしまう。
「戻りません……」
「ナマエ」
「戻らないって言ってるじゃないですか。大佐に立て替えてもらった金額分は兵役でお返ししましたよね? ……もう、あんな生活は真っ平なんです。だから逃げたんですよ。マルクトからも、あなたからも……!」
捨鉢な気持ちで声を荒げる私の足元には緑色の譜陣が浮かび上がる。
「そういうわけなので、さようなら! タービュランス!」
「っ、まだ抗いますか……! 相変わらずのじゃじゃ馬ですねぇ。飼い慣らしがいがありますよ」
疾風が辺りの物を巻き上げて天高く吹き上がる。
風属性である第三音素の譜陣を見て、どんな譜術が発動するか予測するまでもない。
私の手の内を知る大佐に通用するとは思ってはいないが、時間稼ぎと目くらましくらいにはなるだろう。
土埃に紛れて脱兎の如くこの場から――大佐から逃げ出す。
捕まったら鬼役の交代で終わる子供の遊びとは違うのだ。捕まったら人生が終わる……恐ろしいデスゲームを私は今繰り広げている。
「ナマエ、そんなに慌ててどうしたの?」
街中を疾走する中、見知った顔が目に留まる。
横を駆け抜けそうになるのを急ブレーキをかけて踏み止まり、上がった息を整える間もなく口早に告げる。
「アニス……! 良いところに! これ、頼まれてたグミの元なんだけど、道具屋のご主人に渡して貰える?」
「別にいいけど……って、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「だ、大丈夫! これは身体的じゃなくて精神的なもだから……とにかく、頼んだからね。私は暫く身を隠すか、ら――うぶっ!」
道具屋の店主に頼まれていた物をアニスに託し、再び駆け出した瞬間、勢いよく顔面を“何か”に打ち付けた。
人にぶつかってしまったらしい。鼻を擦りながら謝罪を口にする最中、耳に入ったアニスの言葉に血の気が引いた。
「あれー? お久しぶりです大佐! 珍しいですね、大佐がダアトに来てるなんて。今日はどうしたんですかぁ?」
「おや、お元気そうですねアニス。ちょっとした私用がありましてね」
「私用?」
「ええ……少し探し物を」
二人が知り合いだった事には驚きだが、今はそれどろこではない。
話をしているうちに逃げ出してしまおうと抜き足差し足でこの場を去ろうとするが、勿論しっかりと阻止された。
襟首をむんずと掴まれてしまう。
「うぐぅ! は、放せ放せ放せー! 鬼畜眼鏡! 悪魔ー!」
「えっ、ナマエ!? てゆーか、二人は知り合いなんですかぁ?」
「はい。知己の中でして」
「何が知己ですか! 知人でしょう!?」
すかさず反論する私には目もくれず、大佐は片手をポケットに入れたまま余裕の佇まいでアニスと会話を続ける。
私の相手など片手で十分とでもいうように。
「さあ、捕まえましたよナマエ。鬼ごっこはここまでです」
「ふんっ! 私はまだ諦めてなんて――」
不意に、こそりと耳打ちをされる。
囁かれた言葉に衝撃を受ける。雷が落ちたみたいに脳天から爪先に突き抜けるショッキングな事実に一切の抵抗を忘れてその場にへたり込んだ。
『先程の譜術であなたが吹き飛ばした露天の弁償代は全て立て替えて差し上げましたので』
どうやら私は同じ轍を踏んでしまったらしい。
あれだけ、その場の感情に身を任せてはいけないと学んだはずなのに。またしても私は自分の身を滅ぼした。
悠々自適な逃亡生活は二年そこらで幕を降ろすこととなり、同時に幕を開けてしまった忌々しい日々。
「よろしいですね? ナマエ」
「は、はひ……カーティス大佐……」
「いやぁ、年甲斐もなくはしゃしでしまいましたよ」
胡散臭い笑顔の下で、腹では何を考えているのか……やはり何年経とうと理解できなかった。
さようなら私の楽園、さようなら宗教自治区ダアト。
ただいま水上の帝都グランコクマ。ただいまマルクト帝国軍第三師団。
私の人生はここで一変する事になる。
いうまでもなく、全てはジェイド・カーティス彼のせいで。
20250923
行き交う人々で溢れるダアトの街中で全てが雑音に感じられる中、凛と響く声に意識をまるっと攫われてしまった。
いや、凛と響く声――ではなかった。
ゴゴゴゴ……と、それはさながら地獄の門が開くような鈍い音だったのかもしれない。
「おやおや。灯台下暗しとはこの事ですね」
「ぁ……あ、ぅ、ぁ……」
「探しましたよ、ナマエ」
言葉にならない声を漏らしながら口をはくはくとさせる私を前に、彼は約二年前と何ら変わらぬ冷えた笑みをその整った顔に貼り付けていた。
眼鏡の奥の凍てつく深紅の瞳。感情の滲まない、その瞳。
――恐ろしく、憎たらしく、ひどく懐かしい。
その紅は二年の月日が経とうとも私の情緒を乱暴に揺さぶった。
「考えましたね。宗教自治区であるダアトに逃げればマルクトの手は伸びませんから。容易には踏み込めない」
彼は言いながら、一歩、また一歩とこちらに歩み寄り、私との距離を詰める。
地面を踏む音が鳴る度に、ドクンと心臓が大きく打ち鳴らされる。
ああ……やっとこの男から逃げられたのに。 平和な日常を手に入れたと思ったのに。
しかし、彼に目をつけられたが最後、逃げ果せるだなんて事は砂上の楼閣にすぎなかったというわけだ。
楼閣なんて立派なものではないか……彼にしてみれば私の抵抗など、せいぜい子供の砂遊び程度なのだろうし。
「何も言わず、私の前から姿を消して……二年程になりますか。まあ、あなたにしては頑張った方だと思いますよ」
けれど、このまま終わるつもりはない。このまま大人しく捕まる気も更々ない。
又候あんな生活を強いられるくらいなら、残された一縷の望みにかけてとことん抵抗してやる。
ここまで足掻いたのだから、あともう少し足掻きたい。
たとえ無駄な抵抗でも。悪足掻きだと一蹴されたとしても。
「え、ええっとー……どちら様でしょうか?」
窮鼠、猫を噛む。追い詰められた私が放つ渾身の一撃、素っ惚ける。
性別も体格差も経験も、私が彼と正面からやり合うにはあまりに分が悪い。はなから負けが決まった勝負はしない主義だ。
ならば、少しでも私に分がある事柄といえば彼が思いもよらない角度から切り込む作戦一択だ。
滅多な事がなければ表情を崩さない死霊使いジェイド・カーティス大佐をきょとん顔にさせる事に成功した。
その綻びを、突破口を、好機を逃してなるものか。
「すみません、あの……私、実は記憶がなくて……行き倒れていた所を助けられて此処に運ばれたんです」
畳み掛けるように言葉を連ねると、彼は口元に手を添え「ふむ」と、しかつめらしく思案する。
次の手を打たれる前に逃げ出そうとした瞬間、彼は信じられない言葉を口にした。
「それは大変でしたね……突然“見知らぬ男”に声を掛けられてさぞ驚いたことでしょう。ですが、これだけはどうか思い出して頂きたい。私とあなたは“恋人同士”だったのですから」
「はぁん!? ちょ、私と大佐がいつそんな関係になったんですか!? でっち上げないでくだ、さ――あ……」
にっこりと憎たらしい笑みを浮かべる大佐に、またしても私は口をはくはくとさせた。
あまりに聞き捨てならない言葉だったので反応せずにはいられなかった。
私が大佐と恋人関係!?そんなのはあり得ない。
天地がひっくり返ろうと、真夏に雪が降ろうと、そんな事はありはしない。
私が聞き逃がせない絶妙な事柄を的確に突いてくる辺りが、実に大佐らしい。
こうしてその場しのぎの苦しい言い訳は、嘘の皮は、いとも簡単に剥がれてしまったのだった。
今思えば頭脳プレーで大佐を負かすことなど無理な話だ。
頭脳も力も敵わないのなら、このまま大人しく捕まるしか道は残っていないのだろうか?
「そろそろよろしいですか? 生憎、あなたの茶番に付き合っている時間はないのですよ。あんな事をしておいて、何も覚えてないと?」
「……な、ななんっ、何の話です、か」
あんな事――思い当たる事は一つしかない。
彼の元から去った夜。逃げ出したあの日。
最後だからと眠る彼にキスをした。
眠っていたからバレないと思って……今思えば、なんて浅はかな行動だったのだろうと後悔しかない。
大佐は「やれやれ……」と溜め息を吐きながら、指の腹で眼鏡を押し上げる。
閉じられていた瞳がゆっくりと開かれて、今までにない程に私を射竦める。
何があっても逃すものかと告げられたようで、気圧されて息が詰まる。
「連れて帰ります。あなたを探していたと言ったでしょう?」
「……っ、」
そもそも何故、大佐はこうも私に拘るのだろう?
彼は来るもの拒まず、去るもの追わずなタイプだと思っていただけに困惑してしまう。
「戻りません……」
「ナマエ」
「戻らないって言ってるじゃないですか。大佐に立て替えてもらった金額分は兵役でお返ししましたよね? ……もう、あんな生活は真っ平なんです。だから逃げたんですよ。マルクトからも、あなたからも……!」
捨鉢な気持ちで声を荒げる私の足元には緑色の譜陣が浮かび上がる。
「そういうわけなので、さようなら! タービュランス!」
「っ、まだ抗いますか……! 相変わらずのじゃじゃ馬ですねぇ。飼い慣らしがいがありますよ」
疾風が辺りの物を巻き上げて天高く吹き上がる。
風属性である第三音素の譜陣を見て、どんな譜術が発動するか予測するまでもない。
私の手の内を知る大佐に通用するとは思ってはいないが、時間稼ぎと目くらましくらいにはなるだろう。
土埃に紛れて脱兎の如くこの場から――大佐から逃げ出す。
捕まったら鬼役の交代で終わる子供の遊びとは違うのだ。捕まったら人生が終わる……恐ろしいデスゲームを私は今繰り広げている。
「ナマエ、そんなに慌ててどうしたの?」
街中を疾走する中、見知った顔が目に留まる。
横を駆け抜けそうになるのを急ブレーキをかけて踏み止まり、上がった息を整える間もなく口早に告げる。
「アニス……! 良いところに! これ、頼まれてたグミの元なんだけど、道具屋のご主人に渡して貰える?」
「別にいいけど……って、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「だ、大丈夫! これは身体的じゃなくて精神的なもだから……とにかく、頼んだからね。私は暫く身を隠すか、ら――うぶっ!」
道具屋の店主に頼まれていた物をアニスに託し、再び駆け出した瞬間、勢いよく顔面を“何か”に打ち付けた。
人にぶつかってしまったらしい。鼻を擦りながら謝罪を口にする最中、耳に入ったアニスの言葉に血の気が引いた。
「あれー? お久しぶりです大佐! 珍しいですね、大佐がダアトに来てるなんて。今日はどうしたんですかぁ?」
「おや、お元気そうですねアニス。ちょっとした私用がありましてね」
「私用?」
「ええ……少し探し物を」
二人が知り合いだった事には驚きだが、今はそれどろこではない。
話をしているうちに逃げ出してしまおうと抜き足差し足でこの場を去ろうとするが、勿論しっかりと阻止された。
襟首をむんずと掴まれてしまう。
「うぐぅ! は、放せ放せ放せー! 鬼畜眼鏡! 悪魔ー!」
「えっ、ナマエ!? てゆーか、二人は知り合いなんですかぁ?」
「はい。知己の中でして」
「何が知己ですか! 知人でしょう!?」
すかさず反論する私には目もくれず、大佐は片手をポケットに入れたまま余裕の佇まいでアニスと会話を続ける。
私の相手など片手で十分とでもいうように。
「さあ、捕まえましたよナマエ。鬼ごっこはここまでです」
「ふんっ! 私はまだ諦めてなんて――」
不意に、こそりと耳打ちをされる。
囁かれた言葉に衝撃を受ける。雷が落ちたみたいに脳天から爪先に突き抜けるショッキングな事実に一切の抵抗を忘れてその場にへたり込んだ。
『先程の譜術であなたが吹き飛ばした露天の弁償代は全て立て替えて差し上げましたので』
どうやら私は同じ轍を踏んでしまったらしい。
あれだけ、その場の感情に身を任せてはいけないと学んだはずなのに。またしても私は自分の身を滅ぼした。
悠々自適な逃亡生活は二年そこらで幕を降ろすこととなり、同時に幕を開けてしまった忌々しい日々。
「よろしいですね? ナマエ」
「は、はひ……カーティス大佐……」
「いやぁ、年甲斐もなくはしゃしでしまいましたよ」
胡散臭い笑顔の下で、腹では何を考えているのか……やはり何年経とうと理解できなかった。
さようなら私の楽園、さようなら宗教自治区ダアト。
ただいま水上の帝都グランコクマ。ただいまマルクト帝国軍第三師団。
私の人生はここで一変する事になる。
いうまでもなく、全てはジェイド・カーティス彼のせいで。
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