思い出はいつも微熱のまま
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「……もう。窓から入って来ないでっていつも言ってるのに」
窓がカタリと小さく鳴って、吹き込む風と共に部屋に降り立つ気配を感じ取る。
一応、私の自室は三階に位置しているのだけれど、ローレライ教団神託の盾騎士団第五師団師団長サマにかかればそんなものは些事であるらしい。
窓辺には確かに大きな木があるが、それをつたうにしたって、常人には軽々とこなせるものでもないので、やはりその身体能力は流石と言わざるを得ないのだろう。
「嫌だね。今更面倒くさいよ。それに、入ってくるなって言うわりにいつもご丁寧に窓が開いてるみたいだけど?」
それを“今更”にしたのも、すっかり窓を開ける習慣がついてしまった事も、一体誰のせいかと言いかけて言葉を飲み込む。
他でもない視界に移りこ込む彼がそうさせたのだ。
「シンク、仮面はどうしたの?」
「……別に。そもそも、アンタはボクの正体を知ってるんだから隠す必要はないだろ」
「それはそうだけど……」
そうは言っても部屋を訪れる彼の顔にはいつも仮面が付けられていたけれど。
そこはかとない違和感を覚えて、心に小波が立つ。
言葉にし難い小さな小さな綻びのようなそれは、一抹の不安を抱かせた。
シンクは、これ以上詮索するなと言わんばかりに私から視線を外してソファーへ腰掛ける。
いつも横になる彼だが、今日は私がソファーに座っているせいで寝そべることは諦めたようだ。
いつもこれといった用もなく、任務帰り、空き時間など好き勝手に此処を訪れては自室のように寛いで、行き先も告げず気まぐれに出て行ってしまう。それが彼にとっての普段通りの過ごし方だった。
「アンタもそういうのに興味あったの?」
「それはまあ、女の子だし? 普段はあまりしないけどね。直ぐ剥げちゃうし」
「へぇ」
シンクは尋ねたわりに、さほど関心を示さない。
可愛いとも似合っているとも言わず、本当にただ単に聞いただけのようだった。
逆に彼の口から素直な言葉が出た方が訝しく思えるので、やはりこれでいいのだ。
窓から入って来る事も、御座なりな会話をする事も。私たちの普段通り。
その“普段通り”もきっと今日で終わりなのだろう。
傍に座る彼を見て、正確にはその身なりに、胸騒ぎがした。
――今日で最後。
そんな言葉が脳裏を過って、筆を持つ手が小さく震える。
「アンタって本当に不器用だよね。性に合わない事するのやめたら?」
「んなっ、余計なお世話!」
シンクは徐に塗り途中の左手を取って、お世辞にも美しいとは呼べない出来のネイルを見て嘲る。
その指摘はもっともであり、その通りである以上、不器用なところも上手く塗れていない事実も認めるけれど、言い方というものがあって……。
人を小馬鹿にしたような物言いをしなくてもいいのにと思う。
けれど、思うだけ。もし反論しようものなら、その倍以上の嫌味と正論が形の良い唇から紡がれて、今度こそ私はコテンパンに言い負かされる。そんな未来しか見えない。
捻くれた物言いはもはや彼のアイデンティティなのだ。そう思えば受け入れられる。
何を思ったのか、シンクは私の右手から筆を取り上げて液に筆先を浸す。余分な液を小瓶の縁で落とす事も忘れずに。
勿論、教えた覚えもなければ、彼の前でマニキュアを塗った覚えもない。
どこで覚えたのかと問いかけずにはいられない程、その手つきは慣れたものだった。
「上手……なんか悔しい」
「別にこんなの見様見真似だよ。まあ、確かにアンタよりは器用かもね」
シンクは鼻で笑い、軽くあしらう。
彼はきっと手先が器用なのだろうと一方的な印象を持っていたが……成程。手先を使う細かな作業は、どうやら彼の性に合っているらしい。
マニキュアを塗り終えた左手の薬指は他の指に比べてムラもなければはみ出してもいない。美しく彩られている。
どうしてこの指を選んだのか尋ねるのは野暮なんだろうか?
尋ねたところで、どうせ“意味なんてあるわけないだろ”だの“めでたい頭だね”だのとはぐらかされるだけの未来が見える。
「一つ聞くけど、何でこの色なわけ?」
「え?」
「緑。アンタにはあまり似合わない色だと思うけど」
「……そう、かな?」
――緑色。正確には青々とした緑ではなく、少しくすんだ色味の緑だ。
確かに何かを彷彿とさせる色であると自分でも思う。
この場合“何か”ではなく“誰か”と言うべきか……。
近頃、彼が私の部屋を訪れる頻度が減っている事は分かっていた。以前のようにダアトで姿を見かける事も、また。
それだけ事態は逼迫しているのだと。
全ては掲げる思想の為。理想の世界を築き上げる為に。
だから――ほんの少しだけ寂しかった。貴方によく似た色で爪を彩って、自分を慰めようとしてたなんて絶対に言えない。
指先から傍のシンクへ視線を滑らせると、彼もまた私の視線に気付いて顔を上げる。
翠色の瞳に射抜かれて、心臓が跳ねる。咄嗟に手を引こうとしたが、それを拒むように強く手を握られた。
「そんなに分かりやすい反応されると、虐めてやりたくなるんだけど」
「い、虐めないでください……」
「それはそっちの反応次第なんじゃない?」
「意地悪……!」
「光栄だね」
小瓶に立て掛けられていた筆が、カランと音を立ててテーブルに転がる。
筆を握っていた筈の手が静かに私の頬へと添えられ、沈黙が部屋を包む。
きっと、お互いに気付いているはずだ。
似合わない緑色で指先を彩る意味も、事ある毎に部屋を訪れる理由も。
それをあえて言葉にしないのは、それだけで十分だと互いに思っているから。
「シンク……帰ってくる、よね?」
静寂を破り、やっとの思いで絞り出した声は震えていたように思う。
懇願にも似た問い掛けに、シンクは一瞬言葉に詰まる。短い沈黙を経て、いつものように素気無い物言いで答えた。
「……そんな事聞いてどうするのさ」
「分かんない……」
「はは、何それ」
分かってはいたけれど、やはり私の望む言葉はくれなかった。いつもはぐらかされてばかりで。
“帰ってくるよ”なんて言ってくれるわけがないと分かっていたはずなのに、今この瞬間だけはどうしてもその言葉が聞きたいと願っていた。
嘘でも、冗談でも何でもいいからシンクの口から聞きたかった。
「そんな可能性があれば、だけどね」
「なかったら、どうなるの?」
「どうも何も、ただ消えるだけさ。……第七音素で出来た体なんだから何も残らないよ。存在意義のない空っぽなボクにはぴったりな最後だろ」
こんな時でも捻くれた物言いをする彼に、掴まれたままの指先からは段々と熱が引いていくのを感じた。
この感情を絶望と呼ぶのだろうか?
これではまるで、今日此処に来た理由が今生の別れを告げる為みたいじゃないかと、感情的な言葉が喉元まで迫り上がる。
しかし、それすらも彼は分かっていたようで、言葉にする前に唇を塞がれた。
身勝手で独りよがりなキスなのに、抗う気持ちにはどうしてもなれず、気付けば素直に受け入れていた。
きっと、私も望んでいたのだ。ずっとこんなふうに触れて欲しいと。
「…………ファーストキスなんですけど」
「へぇ。じゃあ、餞別にもらっておいてやるよ。ゴチソーサマ」
これが、彼との最初で最後のキスになるなんて思いたくはない。
「シンク、私――」
「お断りだね。アンタが欲しがってる言葉なんて言ってやらないよ」
どうして最後にそんな言葉を残したのか、彼の本心なんて分からない。
ただ確かな事は、どちらであっても私は彼を忘れる事が出来なくなった。私の中に彼と言う存在をしかと刻み込まれた気分だ。
重なる事は決して無いのだと今日まで胸に秘め続けた彼への恋慕の情。
「じゃあね、ナマエ」
一言だけ残して、振り返る事なく窓から出て行ってしまった。
呼び止めようと紡いだ言葉が声になる前に、シンクは私の視界から姿を消した。
こんな時まであっさりとしている様は、実に彼らしい。
ただ、シンクがこんなふうに去り際に言葉を残したのは初めてだったし、確かにそこには惜別の情が垣間見れたのだ。
そして、それは他の誰でもない私だけのもの。
最後の最後まで彼の言葉は皮肉に満ちていたし、愛を囁かないと決めた私達にはお誂え向きな終わり方だとすら感じた。
「本当、最後まで自分勝手なんだから……」
窓から差し込む陽光に指をかざす。
彼と過ごした僅かな期間の思い出が確かにそこには滲んでいるようだった。
一体なんの嫌がらせか知らないが、彼がいなくなったこれからの世界で、私は左薬指を見る度に思い出すのだろう。
青く疼くこの感情を。脳裏に際立つ緑を纏う彼の事を。
20250524
窓がカタリと小さく鳴って、吹き込む風と共に部屋に降り立つ気配を感じ取る。
一応、私の自室は三階に位置しているのだけれど、ローレライ教団神託の盾騎士団第五師団師団長サマにかかればそんなものは些事であるらしい。
窓辺には確かに大きな木があるが、それをつたうにしたって、常人には軽々とこなせるものでもないので、やはりその身体能力は流石と言わざるを得ないのだろう。
「嫌だね。今更面倒くさいよ。それに、入ってくるなって言うわりにいつもご丁寧に窓が開いてるみたいだけど?」
それを“今更”にしたのも、すっかり窓を開ける習慣がついてしまった事も、一体誰のせいかと言いかけて言葉を飲み込む。
他でもない視界に移りこ込む彼がそうさせたのだ。
「シンク、仮面はどうしたの?」
「……別に。そもそも、アンタはボクの正体を知ってるんだから隠す必要はないだろ」
「それはそうだけど……」
そうは言っても部屋を訪れる彼の顔にはいつも仮面が付けられていたけれど。
そこはかとない違和感を覚えて、心に小波が立つ。
言葉にし難い小さな小さな綻びのようなそれは、一抹の不安を抱かせた。
シンクは、これ以上詮索するなと言わんばかりに私から視線を外してソファーへ腰掛ける。
いつも横になる彼だが、今日は私がソファーに座っているせいで寝そべることは諦めたようだ。
いつもこれといった用もなく、任務帰り、空き時間など好き勝手に此処を訪れては自室のように寛いで、行き先も告げず気まぐれに出て行ってしまう。それが彼にとっての普段通りの過ごし方だった。
「アンタもそういうのに興味あったの?」
「それはまあ、女の子だし? 普段はあまりしないけどね。直ぐ剥げちゃうし」
「へぇ」
シンクは尋ねたわりに、さほど関心を示さない。
可愛いとも似合っているとも言わず、本当にただ単に聞いただけのようだった。
逆に彼の口から素直な言葉が出た方が訝しく思えるので、やはりこれでいいのだ。
窓から入って来る事も、御座なりな会話をする事も。私たちの普段通り。
その“普段通り”もきっと今日で終わりなのだろう。
傍に座る彼を見て、正確にはその身なりに、胸騒ぎがした。
――今日で最後。
そんな言葉が脳裏を過って、筆を持つ手が小さく震える。
「アンタって本当に不器用だよね。性に合わない事するのやめたら?」
「んなっ、余計なお世話!」
シンクは徐に塗り途中の左手を取って、お世辞にも美しいとは呼べない出来のネイルを見て嘲る。
その指摘はもっともであり、その通りである以上、不器用なところも上手く塗れていない事実も認めるけれど、言い方というものがあって……。
人を小馬鹿にしたような物言いをしなくてもいいのにと思う。
けれど、思うだけ。もし反論しようものなら、その倍以上の嫌味と正論が形の良い唇から紡がれて、今度こそ私はコテンパンに言い負かされる。そんな未来しか見えない。
捻くれた物言いはもはや彼のアイデンティティなのだ。そう思えば受け入れられる。
何を思ったのか、シンクは私の右手から筆を取り上げて液に筆先を浸す。余分な液を小瓶の縁で落とす事も忘れずに。
勿論、教えた覚えもなければ、彼の前でマニキュアを塗った覚えもない。
どこで覚えたのかと問いかけずにはいられない程、その手つきは慣れたものだった。
「上手……なんか悔しい」
「別にこんなの見様見真似だよ。まあ、確かにアンタよりは器用かもね」
シンクは鼻で笑い、軽くあしらう。
彼はきっと手先が器用なのだろうと一方的な印象を持っていたが……成程。手先を使う細かな作業は、どうやら彼の性に合っているらしい。
マニキュアを塗り終えた左手の薬指は他の指に比べてムラもなければはみ出してもいない。美しく彩られている。
どうしてこの指を選んだのか尋ねるのは野暮なんだろうか?
尋ねたところで、どうせ“意味なんてあるわけないだろ”だの“めでたい頭だね”だのとはぐらかされるだけの未来が見える。
「一つ聞くけど、何でこの色なわけ?」
「え?」
「緑。アンタにはあまり似合わない色だと思うけど」
「……そう、かな?」
――緑色。正確には青々とした緑ではなく、少しくすんだ色味の緑だ。
確かに何かを彷彿とさせる色であると自分でも思う。
この場合“何か”ではなく“誰か”と言うべきか……。
近頃、彼が私の部屋を訪れる頻度が減っている事は分かっていた。以前のようにダアトで姿を見かける事も、また。
それだけ事態は逼迫しているのだと。
全ては掲げる思想の為。理想の世界を築き上げる為に。
だから――ほんの少しだけ寂しかった。貴方によく似た色で爪を彩って、自分を慰めようとしてたなんて絶対に言えない。
指先から傍のシンクへ視線を滑らせると、彼もまた私の視線に気付いて顔を上げる。
翠色の瞳に射抜かれて、心臓が跳ねる。咄嗟に手を引こうとしたが、それを拒むように強く手を握られた。
「そんなに分かりやすい反応されると、虐めてやりたくなるんだけど」
「い、虐めないでください……」
「それはそっちの反応次第なんじゃない?」
「意地悪……!」
「光栄だね」
小瓶に立て掛けられていた筆が、カランと音を立ててテーブルに転がる。
筆を握っていた筈の手が静かに私の頬へと添えられ、沈黙が部屋を包む。
きっと、お互いに気付いているはずだ。
似合わない緑色で指先を彩る意味も、事ある毎に部屋を訪れる理由も。
それをあえて言葉にしないのは、それだけで十分だと互いに思っているから。
「シンク……帰ってくる、よね?」
静寂を破り、やっとの思いで絞り出した声は震えていたように思う。
懇願にも似た問い掛けに、シンクは一瞬言葉に詰まる。短い沈黙を経て、いつものように素気無い物言いで答えた。
「……そんな事聞いてどうするのさ」
「分かんない……」
「はは、何それ」
分かってはいたけれど、やはり私の望む言葉はくれなかった。いつもはぐらかされてばかりで。
“帰ってくるよ”なんて言ってくれるわけがないと分かっていたはずなのに、今この瞬間だけはどうしてもその言葉が聞きたいと願っていた。
嘘でも、冗談でも何でもいいからシンクの口から聞きたかった。
「そんな可能性があれば、だけどね」
「なかったら、どうなるの?」
「どうも何も、ただ消えるだけさ。……第七音素で出来た体なんだから何も残らないよ。存在意義のない空っぽなボクにはぴったりな最後だろ」
こんな時でも捻くれた物言いをする彼に、掴まれたままの指先からは段々と熱が引いていくのを感じた。
この感情を絶望と呼ぶのだろうか?
これではまるで、今日此処に来た理由が今生の別れを告げる為みたいじゃないかと、感情的な言葉が喉元まで迫り上がる。
しかし、それすらも彼は分かっていたようで、言葉にする前に唇を塞がれた。
身勝手で独りよがりなキスなのに、抗う気持ちにはどうしてもなれず、気付けば素直に受け入れていた。
きっと、私も望んでいたのだ。ずっとこんなふうに触れて欲しいと。
「…………ファーストキスなんですけど」
「へぇ。じゃあ、餞別にもらっておいてやるよ。ゴチソーサマ」
これが、彼との最初で最後のキスになるなんて思いたくはない。
「シンク、私――」
「お断りだね。アンタが欲しがってる言葉なんて言ってやらないよ」
どうして最後にそんな言葉を残したのか、彼の本心なんて分からない。
ただ確かな事は、どちらであっても私は彼を忘れる事が出来なくなった。私の中に彼と言う存在をしかと刻み込まれた気分だ。
重なる事は決して無いのだと今日まで胸に秘め続けた彼への恋慕の情。
「じゃあね、ナマエ」
一言だけ残して、振り返る事なく窓から出て行ってしまった。
呼び止めようと紡いだ言葉が声になる前に、シンクは私の視界から姿を消した。
こんな時まであっさりとしている様は、実に彼らしい。
ただ、シンクがこんなふうに去り際に言葉を残したのは初めてだったし、確かにそこには惜別の情が垣間見れたのだ。
そして、それは他の誰でもない私だけのもの。
最後の最後まで彼の言葉は皮肉に満ちていたし、愛を囁かないと決めた私達にはお誂え向きな終わり方だとすら感じた。
「本当、最後まで自分勝手なんだから……」
窓から差し込む陽光に指をかざす。
彼と過ごした僅かな期間の思い出が確かにそこには滲んでいるようだった。
一体なんの嫌がらせか知らないが、彼がいなくなったこれからの世界で、私は左薬指を見る度に思い出すのだろう。
青く疼くこの感情を。脳裏に際立つ緑を纏う彼の事を。
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