走馬灯日記

“エモい”とは。

2023/07/10 06:12
雑記
「エモい作品をかきたい」と、時折誰かの野心を目にします。
そんなとき、私は思うんです。
「お年寄りと子どもと愛玩動物を登場させ、死をえがけば良い」と。

実際これがいちばん手っ取り早い手段だと思うんですよね。
時を重ねてきたお年寄りと、時を重ねていく子ども。もう存在自体がエモいですね。
愛玩動物、いるだけで心を揺さぶります。可愛いんだもん。
お年寄りと子どもと愛玩動物が交流してればもうエモですよ。
「カールじいさんの空飛ぶ家」、見てください。
私は最初から最後まで泣きました。あーあ。

そして『死』を取り扱うことは、あえて言葉を選ばないのであれば、手軽にセンセーショナルになります。
善し悪しは問いません。
私の体感でしかありませんが、そうであるとだけ言えるのです。

ただただエモい作品をかきたいのであれば、そもそも感情を揺さぶりやすい登場人物と題材を用意すべきだと考えています。
お手軽なので。
そういうのじゃないんだよな~と首を傾げる方は、いったいどんな表現を望みますか?

ここでふと立ち止まり、“エモい”って何だろうと考えてみます。
エモい。エモーショナルということばから派生している現代語。
エモーショナルとは。感情的に動かされやすい様。
たぶん、あ~感情動いたわ~とか、しみじみ良いわ~みたいな、いとおかしみたいな、つまるところ程度が大きくあとをひくような感動を得た心が“エモい”と表現されるのかと思うんですね。

エモい作品をかきたいということは、ほぼ、ひとを感動させたいってことになるとも思うんですけど。
それって何故?
プロフェッショナルであれば、ひとの心に響く作品を世に送り出す必要がありますが(そういう仕事であり売れなきゃお金をもらえませんからね)
アマチュアで、趣味で書いている人間が、他人を感動させたいと願うのはどうして。
“エモい”という武器でもって他人の心をゆすり、影響力のある自分を錯覚したいだけでは、と考えたりもするのです。
そうではない、自分は違うと主張する方は、では何故“エモい”作品をかきたいと言うのか?
他人から見た評価を気にしないのであれば、作品が仕上がった瞬間にエモいでしょう。
そこで満足できないのは何故?

清廉ぶったエモいものかきたさも、勝手にひとの心を乱そうと躍起になる作り手も、どちらも冗談じゃあない、私の心の平穏とうねりは私が決めるのだと、辟易してしまうのです。
そうして、何故だろうと考えれば考えるほどに、どんなに美しいことばを連ねても、結局かきつづけるのは自分のためでしかないことにも気付く。
欲求に踊らされる己を自覚して、つくづく悲しい生き物だなあと、朝日を眺めながら思います。
今日は良い天気になりそうです。

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