沙羅双樹は青々と!

「なに使ってるの」

 背後からぽつりと奇襲を受けて、サンクレッドは心臓を垂直に跳ねさせた。動揺は表情にも肩にも出なかった。はずだ。
 斥候や諜報を担う身で、迫る気配に気付けなかったのは情けない話であるが、ここが『石の家』であることに加え、振り向いた先にいた相手がかの光の戦士だったのだから、どうか嗤わないでほしい。
 蛮神の喉笛を裂く、唯一無二の刃。魔導兵器アルテマウェポンを破壊し、エオルゼア三国に迫る帝国の危機を退けた女傑────英雄と呼び声高い彼女の、蛇にも似た瞳が、じろりとサンクレッドを見上げていた。
 アウラ族である彼女の頭は、サンクレッドと比べるとずいぶん低い位置にある。だのに、その視線を受けると、遥か高みから見下ろされているような心地さえするから、サンクレッドは彼女に見つめられるのが、ほんの少し苦手だった。悪いことはしていない、はず、なのに、首のあたりがそわそわする。

「……ええと。何の話だ?」

 驚いたことも落ち着かないことも隠すのは容易だ。サンクレッドはいつも通りの笑顔で、ほんのり困った声を上げた。色男の仕草で首を傾げれば、常に不審そうな眼差しをする彼女が、その時ばかりは同じように小首を傾げてきた。それだけのことが、やけに印象深くサンクレッドの脳裏に焼き付いた。

「匂いがするから」
「匂い?」

 彼女との会話は、サンクレッドにとって、ほどほどに困難である。何せ彼女には、相手と会話を楽しむ、という意識がない。彼女にとってことばとは、報告や指示が問題なく通れば良いだけで、どう言えば相手の理解を得られるか、どうしたらお互い心地よく真意を聞き出せるかなんて気にもしない。だから、彼お得意のおしゃべりも上手くいかない。表情を変えることも稀な彼女だから、サンクレッドは与えられる少ない情報を手繰って、彼女の興味がどこにあるのかを考えなければならなかった。
 サンクレッドにとって救いなのは、彼女が自分に対してだけつれないのではなく、万人にそうであることだ。彼女の、冷淡で貫くような言動は、それでいて多くのひとびとの支えになっていることを、経験を通して知っていた。

 あんたがいなくなったらミンフィリアが泣くでしょう。
 めんどくさいから勝手に死ぬな。

 ざらりと霞む意識のなかで、叩き付けられた理不尽をよく覚えている。
 爆ぜて燃え上がり、朽ちゆく魔導城の中。肉体の主導権を取り戻したはいいものの、ぐったりと崩れるサンクレッドを、彼女は小さな体で背負いあげた。必死の形相を火影に隠して、怒ったみたいに言い放ったのだった。
 疲労困憊で震えていた細い足が、力強く踏み締められたときのことを、よく覚えている。

 命の恩人という称号を彼女に付して、なおサンクレッドと光の戦士との距離感は変わらない。何なら、アシエンに体を乗っ取られるようなドジでか弱い男、とまで評価が落ちているだろう。どうにか挽回できないものかと、むずがる自身のうなじを掻いて、ふと手首から香るアンバーに気が付いた。ああ、と納得が声となってこぼれ落ちる。

「香水か」

 最初からその話をしていたが。……なんて言いたげな彼女の仏頂面に、サンクレッドは苦笑いした。
 視覚、聴覚、それから嗅覚。相手に好印象を植え付けるために、持って生まれた容姿はふんだんに利用してきたし、耳に心地よい話し方も学んできた。香りのコントロールもなかなか馬鹿にできないもので、特に喋らせたい女性と会うときには、重厚かつセクシーな甘やかさをまとっていた。それもこれも、つつがなく任務を全うするための手段だった。

「適当に買ったやつさ。今日は外せない用事があってね」
「ふうん」

 気のない相槌だ。その割に、彼女はサンクレッドのまわりをゆったりうろついて、とろりと広がる香りを追っているようだった。瑞々しく真っ白な尻尾が、のんびりと揺れている。
 喰われる前に吟味される獲物になった心地である。彼女に噛みつかれるなら、まあ、仕方ないか、とサンクレッドは思った。

「興味があるのか?」

 かの女傑まで引き寄せているとは良い広告塔じゃあないか、なんて面白くなって、つい揶揄う調子で訊ねた。言ってしまってから、本当に噛みつかれて死ぬかもしれない、と軽く覚悟を決めた。
 覚悟を決めた、のだが、サンクレッドの顔を見上げた彼女の瞳は、不思議なほどに丸く穏やかで、その目に似た色の宝石の名を思い出せなくなって、思わず息を止めた。

「うん。いいにおい」

 あまりにも柔らかい彼女の声音に、サンクレッドは時さえ取り落とした。『だろう。ウルダハで一番人気らしいぜ』とか、『お前にも女の子らしいところがあるじゃないか』とか、咄嗟に返すための軽口が浮かんでも結べなくて、から回る唇とは裏腹に、この子はこういう香りが好きなんだろうか、と呑気に考える余裕はあった。
 そういえば彼女からはいつも、何かしら花の匂いがする。
 それが彼女の趣味なのかはまだ分からない。血で血を洗うような激戦を繰り返す英雄が、香りものなんか好んで使用するものだろうか。もともとの体臭が花に似ているだけではないのかと思えるくらいに、彼女は生き物として完成していた。
 大きな目だ。彼の手首めがけて伏せられた睫毛の長さに、感嘆した。

「どこで買えるの」

 まさか彼女から二の句を聞くとは思わなくて、サンクレッドはそこでやっと正常な言語野を取り戻した。彼の顔まで戻ってきていた彼女の視線に笑ってみせて、自身の不自然な沈黙をなかったことにする。

「ウルダハの、ルビーロードから……分かるかな、ちょっと入り組んだところに店があって……」

 まあまあハイソな店構えを思い出しながら、サンクレッドは指を虚空にうろつかせた。彼女の眼差しが律儀にそれを追うのを、何だか気分よく眺めながら、どうも口頭で説明するには難しい場所だなと思案する。
 案内を買って出る? 否。大して仲も深くない男女だ。余計な色気を出して警戒されてもよろしくない。
 買って渡す? 否。もっとよろしくない。贈り物をする口実なんてやまほど思い付く相手だが、男物の香水だなんて意味が深長すぎる。
 どうするのがスマートだろう。会議でもないのに珍しくサンクレッドの応答を待っている彼女の、細い肩が強張らなくて済むようにしたかった。
 そうだ、男物の香水なんだよなあ、とサンクレッドはふと考えた。一瓶まるまる手に入れたところで、彼女の邪魔にならないだろうか。
 湧いた親切心を、そのまま口に出した。

「もし良ければ、俺のを少し分けようか」

 ────彼女の瞳が大きく見開かれたので、サンクレッドは、やらかした、と心のなかで頭を抱えた。
 さっきまで考えてたことは何だったんだ。男が自分の使っている香水を女性に分けるのは意味が深長でないというのか。仮にも愛の吟遊詩人を名乗っていてこの体たらくか。馬鹿野郎め、と激しく自身を責めて、しかし飛び出た言葉は戻せないからせめて『他意はないです』の顔を取り繕う。

「試しで買うには、まあまあ値が張るしな。ちょっとつけてみたい程度なら、妥当だと思うんだが」

 これまでの人生で培ってきた技『言い訳』も、違和感のない程度に決まったのではないだろうか。
 内心で滅茶苦茶に焦りながら、ああ地図に印をつけてやれば良かったんだと今さら思い至って、彼女が首を横に振ったらそうしようと誓った。あるいは、ものすごくイヤな顔をされたら。もしくは噛みつく前の蛇みたいな威嚇をされたら。
 英雄たる女傑にこっぴどく振られる想像ばかりしていたから────彼女がこっくり頷いた仕草に「そうだよな悪かった」と言いかけて「そ、」で危うく踏みとどまった。
 今、彼女は、頷いたのか。
 サンクレッドは、後頭部を殴られたみたいな衝撃を覚えながら、つぶさに彼女を観察した。ああ何て大きな目だ。じいと見入られるとつい背筋が伸びる蛇の眼差しだ。
 首を縦に振った、ということは、彼の提案を受け入れると解釈していいのか?
 彼女の、すらりと伸びた角の先までもがサンクレッドに向いているのを感じながら、慎重に、差し出すように、会話を繋げた。

「……それじゃあ、小瓶にでも入れてくるよ」
「うん」

 今度は分かりやすい応諾だ。サンクレッドは知らず緊張していた肩を、ほっと和ませた。

「次は、いつ居る?」
「明日は来ない。明後日」
「わかった。じゃあ、明後日に……また」
「うん」

 彼女はまた、緩慢な動作でこっくり頷いて、それからまあるい瞳の余韻を残して踵を返した。もたもた揺れる白鱗の尾が離れていくのを見送って、その十秒後、サンクレッドは大きく深く息を吐いて、背で壁にもたれた。
 かつてない疲労感と達成感がある。その場にしゃがみこまなかったのも、高らかに両腕を差し上げなかったのも、まばらとはいえ他人の目があるゆえの意地だった。
 明後日、彼女とまた会わなければならない。
 参ったな、と約束を噛み締めた。香水を分け入れるための小瓶が要る。どこで調達したものかと、サンクレッドは、『石の家』の壁をぼんやり眺めて、もうひとつ息を吐いた。



 それから結局、くだんの香水の店でガラス製のアトマイザーを買った。負担にも嫌味にもならない程度の、上品な細工が施されたものを用意して、そこに少量の香水を注ぎ分けた。
 リボンでもかけるべきか真剣に悩んで、しかし「前に買ったが使わなくなったのでこれごと譲る」ということにするのが良いと考えた。その通り彼女に伝えて、飾りも包装もない無愛想なアトマイザーを手渡した。
 稀代の女傑は手にした香水を、それはそれはじっくり観察した。上から見て、下から見て、横から見て、それからサンクレッドとアトマイザーをよーく見比べて、とろりと波打つ香水を『石の家』の照明に透かして。

「ありがと」

 と、かすかな声で言った。

 しかしそれ以降、彼女がサンクレッドの前にそいつを付けてくる機会はなかった。さりげなくどうだったか聞き出したら、「なんかちがった」などとのたまうので、彼はがっくり肩を落としたのだった。



(そんなことも、あったな)

 サンクレッドは回想に耽りながら、手のひらの上でアトマイザーを転がした。中身は空だ。鼻を近付ければ、アンバーの残り香がほんのりと感じられる。
 とっくに捨てられたものと思っていた。
 「使いたいボディクリームを忘れたから取ってきて」と命じられたので、いたって従順な召使いの気分で寝室に移動したサンクレッドは、鎮座する化粧箱の賑やかさを覗いた。すると、普段は鍵のかかっている引き出しが開け放たれていて、探るまでもなく懐かしの品を発見したというわけだ。
 こうして眺めると、あの頃のつたない自分が思い出されて恥ずかしい。サンクレッドは、あの時あの子がしたように、照明にガラスを透かした。
 格好をつけたつもりが冗長で、何気ない振りをしたつもりが全くの特別扱いで、女慣れした男を気取っておきながら青臭くて、今思えばあの頃からしぶとく懸想していたんだろうなあと納得できてしまうから、もう心が痒くて仕方がない。
 とっくに捨てられたものと、思っていたのだ。
 いかにも大事そうにしまわれていたガラスのアトマイザーが、光を含んでとろりと輝く様子に、サンクレッドが唇を綻ばせたその時。

 風呂場方面からペタペタ走ってきた裸足の音が、勢いよく寝室に飛び込んだ。

 のっぴきならない事情ゆえバスタオルだけひっかぶって出てきました、と主張する裸身だ。サンクレッドは突然の眼福に「うおっ」と声をあげた。
 濡れた髪もよく拭かないまま、大慌てでやってきたのだろう彼の妻────暁の英雄にして光の戦士たる女は、あられもない姿を恥じらうでもなく、呆然とサンクレッドを見つめていた。
 隠すように保管していたアトマイザー。を、手に持つその贈り主。湯船に浸かりながら「あ!」と思い至ってしまった最悪の事態が、まさに現実となっているのだ。稀代の女傑とあっても言葉を失うだろう。
 しばしの沈黙が、ふたりの間に降り積もる。
 彼女の髪の先で、ふっくら水滴が実り、ぽたりと一筋になって肌を流れていった。頬どころか鎖骨まわりまで鮮やかに紅潮させていく彼女を、サンクレッドはただ見つめていた。

「わああ……!」

 悲鳴とも呻きともつかない激情で静寂を破った彼女は、もたもたおろおろとサンクレッドに突進した。あまりにも優しい追突では、盾役の体を揺るがすこともできない。

「かえしてぇ!」
「悪かった、悪かったよ」

 べちべちサンクレッドの胸板を叩く彼女に、サンクレッドは素直に謝りながら、細い指にアトマイザーを触れさせてやる。
 宝箱を開けっぱなしにした彼女が悪いのではない。宝を見つけたサンクレッドが悪いのだ。この意識こそが夫婦円満の秘訣であると、妻帯者どもに教えてやりたい。
 奪い返したアトマイザーを、彼女は薬指の指輪ごと両手で握り込んで、じっと俯いて動かなくなった。そのいじらしさがたまらなくて、ただでさえ小柄な体がもっと小さくなったように感じて、サンクレッドは彼女のバスタオルを肩に広くかけ直す。そうしてその上からふんわり抱き締めて、しっとり湿った髪を唇で撫でれば、彼女愛用の薔薇の香りが鼻腔をふんわり刺激した。
 この子がいつも良い匂いなのは努力の賜物であることを、こんな無礼が許されるようになってから知った。
 夫の腕に拘束された彼女は長く長く遺憾の意を唸り、それでも額でぐりぐりとサンクレッドに懐いた。いつか彼からもらった香りの名残を、きつく手の奥に閉じ込めるまま。

「はずかしい……」

 ず、と彼女が鼻をすするのが聞こえた。冷えたのだろうかと、サンクレッドは妻の丸まった背中に触れて、まだ湯の熱が続いているのを感じとる。
 それなら、羞恥のあまり泣き出しているのか。ぼん、ぽん、とゆったりしたリズムを伝えてやりながら、サンクレッドは、それを渡した時の俺の方が恥ずかしい奴だったよ、なんて心中でひとりごちた。そんなことを口に出すのは格好が悪すぎるので、いっそ墓まで持っていこうと思った。
 サンクレッドは小さな妻の体を軽々横抱きにすると、ベッドに腰かけ、その膝に彼女を座らせた。ぽろぽろ落ちる雫がサンクレッドに振りかかる程度なら、特に気にしない。熱で柔らかくなっている尻尾まで丁寧に迎えてやって、髪を拭いてやり、しっかりと体温を分け与えられる体勢をとる。

「まだ、持っててくれたんだな」

 まるで祈るかのような彼女の拳を、サンクレッドは片手でそっと包んだ。火照ったまなじりに真珠を浮かべる彼女が、むずがって身動ぎするので、彼女の肩を支える方の指であやした。
 本来なら、こんなことで落ち着いてくれる生き物ではない。
 英雄なんて猛々しい異名の女傑は、サンクレッドよりずっと強靭で凶悪で、どの女より気が強くて気難しくて、綺麗だ。こんな情けない男の腕に収まる存在ではない。
 そのはずなのに、彼女はこうしてサンクレッドの腕の中で丸まっている。
 あれから、彼女がアウラ族の中でも特に小柄なことを知った。海賊連中に「生臭い鱗女」とからかわれ、腹を立てて全員桟橋から突き落として、それから香りものを嗜むようになったことも知った。
 その時そばにいてやりたかったよ、全員豚の餌にしてやったのに。と吐き捨てたサンクレッドに、彼女は何だか嬉しそうに笑ってくれた。
 彼女の秘されたいとけなさに触れて、確かにあった痛みに触れて、無防備な肌を、剥き出しの心をなぞって、のうのうと赦されている。
 無様に転んだ慕情が、こんなふうに掬われるなんて思っていなかったのだ。報われたいとさえ、思っていなかった。
 こんなにも美しい生き物が、こわがらず甘えてくれることが誇らしかった。

「う、うれしかった、もん」

 ずびずび鼻を啜る彼女が、やっとそれだけ絞り出したので、サンクレッドは「うん」と相槌を打って顔を覗き込んだ。大きな目だ。金箔を閉じ込めた飴みたいな瞳が、ぽってりと涙で潤んでいる。

「あんたは、別に、」
「うん」
「なんでも……何でも、なかったんだろう、けど」

 サンクレッドは彼女の言いぐさに片眉を跳ね上げた。何でもないはずがない。狼狽えて空回った覚えしかない笑い話だ。
 彼女には、そうは見えなかったのだろうか。

「優しいから、あんた。……私が、使いきれないと、困るだろうなって、それで、分けてくれたでしょ」

 それは見透かされていたのか。気恥ずかしくて返事に迷っていたが、彼女はそれを良しとしたようだった。遠慮がちな唇が、もぞもぞと言葉を続けていく。

「だから。……おとこのひとからもらったものが、はじめて、嬉しかったの」

 ────彼女の睫毛の先が、彼女の拳に触れるサンクレッドの手を撫でるから、頭を垂れて寄り添った。
 語るのも躊躇ためらわれるほど、不恰好なアプローチだった。それが彼女にとっては、信じられないほどに威力があったらしい。
 良かったんだか、悪かったんだか。

「そいつは、良かった」

 サンクレッドは、噛み締めるように囁いた。彼女が良いなら、それで良い。

「量もちょうどよかったみたいだしな。あんまり気に入らなかったんだろ?」

 彼女の手を柔くこねれば、はにかんだ指が綻ぶみたいに開いて、アトマイザーを見せてくれた。かつて満ちていた香水は、「なんかちがった」と言われたわりに使い切られて、微かにラストノートがこびりついている。
 真っ白な尾が、もたりとひとつ跳ねた。これはまだ隠し事があるな、とサンクレッドは鼻同士を近付けて、彼女の瞳が照れて笑うのを見つめた。
 堪えきれない彼女が、ふふ、と漏らした吐息が、サンクレッドの頬を撫でた。

「自分に、つけるのは。だから、……ハンカチ、とかに。つけて、持ってたの」

 それから内緒の話をするみたいに、彼女はもっと体を小さく丸めて、サンクレッドに肌を寄せた。

「あんたがつけてるから、いいにおいだったのかも」

 耳朶に注がれる殺し文句に、サンクレッドは声も出ず、息も出来ずにたっぷり十秒停止して、彼女ごとばったりシーツに倒れた。果実のような裸身を上に招き、花束のような軽さを抱き締める。
 神話の怪物かと思っていた生き物は、可愛らしい甘えん坊で、そう油断していたら小悪魔だった。
 笑うしかない。サンクレッドは、快活に大笑いした。なんて愛しい女だろう!

「お前の方が、よっぽど愛の吟遊詩人らしいな」
「ほかのひとには言わないよ」
「待て待て、我慢ならなくなるから」

 夫婦なのだからこのまま我慢ならなくなったって良いのだが、それではあまりに負けが込む。せめて彼女があの時思い込んでくれた通りの、色男ぶりを失わずにいたい。
 サンクレッドは妻の額に口付けて、首の鱗をたっぷり撫でた。心地良さそうに細められる瞳に、精一杯気取った愛を注ぐ。

「明日は久しぶりにつけるよ。デートしよう、シュガー」
「うん!」

 分かりやすい応諾だ。サンクレッドは、晴れた笑顔で頷く彼女を、腹に乗せたまま軽快に起き上がった。キャア、と転げる黄色い声。

「それじゃ、体を温め直そう。クリームは?」
「あれ」
「よし」

 片手で小柄な妻を抱きかかえ、もう片方の手で本来の任務を達成したサンクレッドは、余裕たっぷりといった風情で風呂場に向かう。しきりにこめかみを擦ってくる角の愛着と、じゃれてくる腕の誘惑に耐えながら。

「お風呂でする?」
「しない。分かってるだろ?」
「ふふふ」

 まったく幸せな男に成り上がったものだ。
 サンクレッドは、楽園に咲く薔薇の香りで鼻腔が満ちるのを感じながら、勇者の威厳で行進した。
6/6ページ