サンクレッドで15のお題

 最近のサンクレッドの朝は、可愛い妻と共にコーヒーを飲みながら、情報誌に目を通す事から始まる。『暁の血盟』という組織の中で、諜報活動をも担う身だ。世の中の政治の動きから、些細な噂話、下世話なゴシップまで、知っておくに越したことはない。会話に対する手札を多くしておくことは、彼にとっては重要だった。
 記事を読み解くことは、世界を紐解くことに似ている。第三者の手によって文面となることには、まず事の起こりがあり、発生した現場があり、出来事を伝播させた人間が存在する。取材をもとに形となったそれは、当然のように伝えやすく分かりやすくなっているものだから、過分と判断されたものは削られ、逆に不足は妄想と感想で補われる。手っ取り早い情報源だが、ある程度の背景は知識と経験をもとに予測しなければ全容は読み取れず、起き抜けの脳味噌にとって良い運動になるわけだ。

「もうすぐ出来るからね」
「ああ」

 文字をなぞるサンクレッドの視線が、熱中しているように見えたのだろう。ふとキッチンから届いたのは、彼の愛しい女性の声────救世の英雄にして光の戦士である女傑の、柔らかくてまあるい声音だ。顔を上げたサンクレッドの嗅覚をくすぐるのは、朝食にと拵えられたクリームスープの香りである。彼女の作るそれは、注がれる眼差しと同じに優しい味がして、あんまりに好ましいからすっかり鼻が覚えてしまって、気付くとどうにも腹の虫が浮わついてしまう。
 ではこれだけ読み終えてしまおうと、サンクレッドは残る一ページをさらりと流し見ようとした。流し見ようとして、小見出しから内容までをついじっくりと観察してしまって、可笑しくなって吹き出した。それは彼自身が思うよりも派手な動作になったらしく、不思議そうな顔をした彼女にじいと見つめられる。
 ことり。ふたりで使う質素なテーブルに、ころころとした丸パンを積み上げた皿と、クリームスープをなみなみ注いだマグカップとが置かれていった。

「なあに?」
「いや、」

 綻ぶ口許に拳を添えながら、サンクレッドは彼女にも見えるようそのページを傾けた。英雄たる女傑の睫毛の先が紙の上へと向けられて、訝しげだった瞳はすぐに明るく笑って、くすくすとその肩が震える。
 『エオルゼア中の100人に聞いた! ぐっとくる異性のチャームポイントベスト10』なんて、胡乱な文字列を見ればそうもなるだろう。席についた彼女は眦を和ませながら、少しだけ温いコーヒーに口をつけた。

「平和ねえ」
「本当にな」

 サンクレッドは、丸めるように冊子を畳んでしまうと、改めて上等な朝食へと向き直る。教えてもらった東方風の食事の祈りを、「いただきます」の言葉を粛々と唱えて、眼前に広がる幸福を噛み締めた。
 星を蝕む災厄は終わった。各地に残る傷痕も、癒えるよう人々が歩き出している。目の前にあった危機を乗り越えるため、言い方は悪いが、なし崩しに団結したようなものだから、小競り合いはむしろ増えている。しかしそのどれもが、対話を重ね、法を整えることで決着できるだろう。
 そうやって情勢が安定して、暮らしに安心してくると、日々の生活を楽しむだけの余裕が一匙生まれてくる。色恋沙汰なんてその筆頭、古来から身近でありふれていて、それでいて形は様々で、ロマンティックかつドラマチックな娯楽の代表だ。酒の席で、井戸端で、あるいは保護者から隠れるように秘密基地で、誰もが一家言を持って語るから、読者を獲得したい出版社はこぞってそれを題材にするのである。

「百戦錬磨の色男から見て、どうなの、それ?」
「どうと言われてもな……」

 からかうみたいな調子で投げかけられた彼女の問いに、サンクレッドは苦く笑って肩を竦めると、手で小さく千切ったパンを口に放って咀嚼する。

「……平和だな、の感想以外に思うことはないさ。参考には……なるかもしれないが」
「ふうん?」
「要は、レディたちを褒めて良い気分にさせるための指南書だろ?」

 美しい瞳の上目遣いだの、潤んだ唇がキスを求めて突き出される瞬間だの、使い古しのシチュエーションにそれらしく味付けをしただけのことだ。────少し前までは、半ば諦観のように、確かにそう考えていたのだが。
 スープを一口飲み下したサンクレッドは、パンに小さく噛み付く彼女をまじまじ眺めた。そうしていると親愛をもって返ってくる彼女の眼差しが、にんまりと意地悪そうに笑う。

「じゃあ、褒めてみせてよ。うんと上手にね?」

 頬杖をついて待機状態になった彼女の笑顔に、サンクレッドは愛しさで喉を鳴らした。くく、と響く音が、自分で聞いてもひどく楽しげで、少しばかり照れ臭くなる。そんな心情をとりあえず隠すのは、残念ながら得意だ。

「そうだな……」

 マグカップを置いた手を、そっと彼女に伸ばせば、暁の英雄と名高い女傑が無警戒に顔を寄せてくれる。そのことが、サンクレッドにどれだけ多幸感を運んでくれるか、きっと彼女は知らないままだ。
 武器を握るせいで硬化した指の皮膚で、彼女の瞼をゆっくり撫でた。

「……綺麗な目だ」

 捻りなんて何にもない、心から思うがために飾りようがない、簡素な文句だった。

「まっすぐ明日を見ているところが好きなんだ。その視線を追うと、俺も一緒に未来を見つめられる」

 彼女の睫毛をふさふさと弄っていった指先が、次に鼻先をちょいとつつく。

「可愛い鼻も好きだな。いつも上を向いてる。蒼天や夜に喜んでるみたいで、俺も嬉しくなるんだ」

 それから、サンクレッドの指は彼女の唇に移った。紅を塗る前で淡く血色が浮かぶだけのそこは、彼の温かな体温を感じてほっと綻んだ。

「いろいろなことを教えてくれる、口も。お前の言葉はいつも勇敢で、何でもやれる気になる。それに、」

 男の指が、ふに、と彼女の唇を押す。弾力を確かめるように、何度も。

「……触れると柔らかくて、心地良い」

 サンクレッドの爪の上に、彼女の笑い声が転がり落ちた。
 それから。それから。彼女の頬に手を添えながら、可愛いと思うところを、愛しいと感じるところを探しては────探すまでもなく散りばめられた魅力にいちいち目移りしてしまって、どこから語ったものか分からなくなる。
 多くを守ってきたその手も、長きを歩いてきた足も、凛と伸びた背筋も、首も。血潮の巡り、鼓動する心臓にさえ、強く愛着を感じるのに。
 しばらくそうやって、沈黙のままに言うべきことを吟味していれば、徐々に赤面した彼女が恥じらった笑い声を上げた。

「もう、良い、よく分かったよ!」
「もう満足したのか?」

 今度はサンクレッドが、意地の悪い笑みを浮かべる番だった。彼が歪めた唇めがけて、彼女は一口の大きさに千切ったパンを押し当てる。

「大満足よ、この手の話じゃ、敵わないわ」

 救世の大英雄なんて呼ばれた面影はどこへやら、真っ赤に染まった頬をだらしなく緩ませて、彼女は喜色を滲ませた悪態を吐いた。

「ずるい男!」

 サンクレッドは小さく肩を震わせると、彼女の指ごとパンを食んだ。当然みたいに差し出される、優しい手も可愛いなあなんて思いながら。
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