掌に小春日和
サンクレッドが唐突に彼女から手渡されたのは、旅先に持っていけそうな食料だった。スパイスを利かせた干し肉や野菜、湯で溶かして飲む粉末スープなど、長期間の保存が効くものばかり。各地を渡り歩く身を気遣った内容であることも勿論喜ばしく、しかも彼女が手ずから作ったと言うのだからひとしお感じるものがある。
「悪いな」
「良いの。私のついでだから」
英雄たる女傑、アウラ族の女は、そう言ってはにかむように笑った。彼女はそもそも冒険者だ。腕利きの職人でもある。旅に要るもののほとんどを自力で工面してしまうから、そのおこぼれということなのだろうが────改めて内容を見てみると、どうも彼女の好みの味付けではない。いやに丁寧な包装も気にかかれば、彼女に次の行くあてがある話も聞いていない。
サンクレッドがずいと鼻先を寄せれば、彼女がギクリと肩を揺らした。
「…………何か、隠してないか」
そう訊ねれば、ぱちりと瞬いた大きな瞳が、すいっと逸らされる。彼女の表情の分かりづらさに苦心したこともあるが、今ではこんなにも理解できる。後ろめたいことがある証左だ。
「……何にも……」
「……このスパイス、この間俺が美味いと言ったやつだ」
ゆるりと彼女の尾が落ち着かなさげに揺れる。
「スープも。……わざわざ、用意してくれたんだろ?」
いよいよ俯こうとする彼女の顎を捕まえて、無理にこちらへと向けさせた。
「……今更、お前が誤魔化すために物を用意するとは思っちゃいないさ。ただ……」
唇を噛み締めて、断固黙秘の構えをとる彼女に苦笑すると、サンクレッドはその滑らかに伸びた角を指で撫でる。顔を守るような鋭利さは恐ろしげにも見えるが、頬の横でくるりと円を描いている彼女のその形が、可愛らしくて好きだ。
「俺は何か、忘れてないか。記念日だとか、そういう……」
問いかけながら、彼女の様子をつぶさに観察する。歴戦の猛者であり蛮勇の擬人化であるその女は、戦いぶりこそ豪快かつ苛烈だが、一方で美しいものを好む洒落っ気と特別な時間を気にかける几帳面さもあった。これを彼へのプレゼントであると仮定するならば、今日はサンクレッドか、あるいは二人にまつわる何かしらの日付であると考えることが出来た。
彼女の尾がびゅんびゅんと風を切り始めたので、サンクレッドは何気なさを装って小さな肢体を抱き込みながら、彼女の背面の椅子を遠くに退かす。
「もし忘れていたら、悪い、教えて欲しい。不公平だろ、俺ばかり」
彼女からの贈り物を疑わずに受け取れる、そして好意で以て返してやりたいと思える仲であるし、その点に関して遠慮しない女であるのに、どうも様子がおかしい。サンクレッドの誕生日ではないし、もしも記念日だとしたらとっくに烈火のごとく怒り出しているはずで、秘め事みたいに黙することではない。ぽんと彼女の背に触れれば、ひくりと身を竦めるのが分かった。
「……なあ、」
「…………の日……」
呼びかけと、彼女が絞り出すように声をあげたのは同時で、聞き取れなかった部分を補填しようと、抱き締めた体を僅かに離して彼女を覗き込めば────あの英雄が、誰もが憧れ敬う女傑が、不敵の権化が、誰だって一目で分かるくらいに赤面していた。
あまりの光景に面食らって、サンクレッドは言葉を取り落とす。肌を重ねる時だって、そんなに狼狽えることなんて稀だ。飲み込んだ息を一度咀嚼して、飛んでいった思考能力を引き戻す。
「……何の日だって?」
なるべくそっと促したのだが、彼女の唸り声が強くなる。これは一度で聞き取れと怒られるかもしれないと思いながら、根気強く返答を待っていれば、むずりと彼女の唇が揺らいだ。
「…………こ、恋人の、日だって。……聞いたから……」
何とかそれだけを吐き出して、今度こそ彼女は俯いてしまった。
こいびと。サンクレッドの耳朶を撫でていった微かな声が、鼓膜の前で滞って、顔中に熱をもたらす。
恋人。口内で無音のまま繰り返し、彼は緩む口許を抑えた。是とも非ともつかないままで、彼女に甘えたきりの曖昧な関係ではあるが、少なくともこの砂糖みたいな鱗を持つ女は、この男にその地位を与えてくれているわけだ。嗚呼、と彼女が上げる、恥じらったような苛立ったような声さえ甘く聞こえる。
「あ、あてつけるみたいで嫌だから、内緒にしようと思った、のに」
「……そうか」
「もう……もうやだ……どうしてこんな時ばっかり、勘が良いの!」
びしばしと、鞭みたいにしなりながらこの胸を叩く彼女の手は、信じられないほど弱々しくて、再度抱き込めば簡単に封じ込めてしまえた。いつもひんやりと体温の低い彼女だが、今ばかりは火照ったように熱くて、どくどくと血が身体中を廻るけたたましい音が伝ってくる。
「もうやだ、何処へなりとも行っちゃいなさいよ!」
「待て、頼むよ、もう少し浸らせてくれ」
安堵と充足と愛しさで熱いのは、こちらも同じか。もぞもぞと暴れ続ける彼女を、全く縛るつもりのない腕で閉じ込めながら、だらしない唇を艶やかな髪に潜らせた。
この応えきれない想いをどうしたら良いだろう。言葉にするのを先延ばしにするたび、陳腐な単語では、耳障りが良いだけの詩では、何一つ適当でなくなっていく。
この愛を何と伝えれば彼女に釣り合うのか。
行き場がないから鳩尾の奥で渦巻くしかない心を、少しでも楽にしたくて、サンクレッドは深く深く息を吐くばかりだった。
「悪いな」
「良いの。私のついでだから」
英雄たる女傑、アウラ族の女は、そう言ってはにかむように笑った。彼女はそもそも冒険者だ。腕利きの職人でもある。旅に要るもののほとんどを自力で工面してしまうから、そのおこぼれということなのだろうが────改めて内容を見てみると、どうも彼女の好みの味付けではない。いやに丁寧な包装も気にかかれば、彼女に次の行くあてがある話も聞いていない。
サンクレッドがずいと鼻先を寄せれば、彼女がギクリと肩を揺らした。
「…………何か、隠してないか」
そう訊ねれば、ぱちりと瞬いた大きな瞳が、すいっと逸らされる。彼女の表情の分かりづらさに苦心したこともあるが、今ではこんなにも理解できる。後ろめたいことがある証左だ。
「……何にも……」
「……このスパイス、この間俺が美味いと言ったやつだ」
ゆるりと彼女の尾が落ち着かなさげに揺れる。
「スープも。……わざわざ、用意してくれたんだろ?」
いよいよ俯こうとする彼女の顎を捕まえて、無理にこちらへと向けさせた。
「……今更、お前が誤魔化すために物を用意するとは思っちゃいないさ。ただ……」
唇を噛み締めて、断固黙秘の構えをとる彼女に苦笑すると、サンクレッドはその滑らかに伸びた角を指で撫でる。顔を守るような鋭利さは恐ろしげにも見えるが、頬の横でくるりと円を描いている彼女のその形が、可愛らしくて好きだ。
「俺は何か、忘れてないか。記念日だとか、そういう……」
問いかけながら、彼女の様子をつぶさに観察する。歴戦の猛者であり蛮勇の擬人化であるその女は、戦いぶりこそ豪快かつ苛烈だが、一方で美しいものを好む洒落っ気と特別な時間を気にかける几帳面さもあった。これを彼へのプレゼントであると仮定するならば、今日はサンクレッドか、あるいは二人にまつわる何かしらの日付であると考えることが出来た。
彼女の尾がびゅんびゅんと風を切り始めたので、サンクレッドは何気なさを装って小さな肢体を抱き込みながら、彼女の背面の椅子を遠くに退かす。
「もし忘れていたら、悪い、教えて欲しい。不公平だろ、俺ばかり」
彼女からの贈り物を疑わずに受け取れる、そして好意で以て返してやりたいと思える仲であるし、その点に関して遠慮しない女であるのに、どうも様子がおかしい。サンクレッドの誕生日ではないし、もしも記念日だとしたらとっくに烈火のごとく怒り出しているはずで、秘め事みたいに黙することではない。ぽんと彼女の背に触れれば、ひくりと身を竦めるのが分かった。
「……なあ、」
「…………の日……」
呼びかけと、彼女が絞り出すように声をあげたのは同時で、聞き取れなかった部分を補填しようと、抱き締めた体を僅かに離して彼女を覗き込めば────あの英雄が、誰もが憧れ敬う女傑が、不敵の権化が、誰だって一目で分かるくらいに赤面していた。
あまりの光景に面食らって、サンクレッドは言葉を取り落とす。肌を重ねる時だって、そんなに狼狽えることなんて稀だ。飲み込んだ息を一度咀嚼して、飛んでいった思考能力を引き戻す。
「……何の日だって?」
なるべくそっと促したのだが、彼女の唸り声が強くなる。これは一度で聞き取れと怒られるかもしれないと思いながら、根気強く返答を待っていれば、むずりと彼女の唇が揺らいだ。
「…………こ、恋人の、日だって。……聞いたから……」
何とかそれだけを吐き出して、今度こそ彼女は俯いてしまった。
こいびと。サンクレッドの耳朶を撫でていった微かな声が、鼓膜の前で滞って、顔中に熱をもたらす。
恋人。口内で無音のまま繰り返し、彼は緩む口許を抑えた。是とも非ともつかないままで、彼女に甘えたきりの曖昧な関係ではあるが、少なくともこの砂糖みたいな鱗を持つ女は、この男にその地位を与えてくれているわけだ。嗚呼、と彼女が上げる、恥じらったような苛立ったような声さえ甘く聞こえる。
「あ、あてつけるみたいで嫌だから、内緒にしようと思った、のに」
「……そうか」
「もう……もうやだ……どうしてこんな時ばっかり、勘が良いの!」
びしばしと、鞭みたいにしなりながらこの胸を叩く彼女の手は、信じられないほど弱々しくて、再度抱き込めば簡単に封じ込めてしまえた。いつもひんやりと体温の低い彼女だが、今ばかりは火照ったように熱くて、どくどくと血が身体中を廻るけたたましい音が伝ってくる。
「もうやだ、何処へなりとも行っちゃいなさいよ!」
「待て、頼むよ、もう少し浸らせてくれ」
安堵と充足と愛しさで熱いのは、こちらも同じか。もぞもぞと暴れ続ける彼女を、全く縛るつもりのない腕で閉じ込めながら、だらしない唇を艶やかな髪に潜らせた。
この応えきれない想いをどうしたら良いだろう。言葉にするのを先延ばしにするたび、陳腐な単語では、耳障りが良いだけの詩では、何一つ適当でなくなっていく。
この愛を何と伝えれば彼女に釣り合うのか。
行き場がないから鳩尾の奥で渦巻くしかない心を、少しでも楽にしたくて、サンクレッドは深く深く息を吐くばかりだった。
7/14ページ