掌に小春日和

 窓から射し込む陽光に瞼を刺されて、サンクレッドは目を覚ました。僅か気だるい身体は、自身が久方ぶりに深く眠っていたことを示していて、その理由である人物も、彼の腕の中で未だ夢の中だ。
 その人物────暁の英雄と、こうして共寝をするようになってからしばらく経つ。普段はお互いに忙しくしている身だが、たまにふたりで酒を酌み交わしては、近況を話し合って、指を絡める。夜通し楽しくお喋りしていることもあれば、昨晩のように、泥を掻き混ぜるみたいな、無為で濃密な男女の時間を過ごすこともあった。
 サンクレッドが狭いシングルベッドから起き出してスラックスを身に付けている間も、彼女が起き出す気配はない。歴戦の女傑ともなると気配に敏感で、たまに上手く眠れないことがあるなんて苦笑していた。それが今は体を伸ばして熟睡しているのだから、この男に安心して頼りきっているようで、庇護欲と優越感が俄に湧き上がる。彼女の米神に口付けると、サンクレッドは上半身を晒したままキッチンに向かった。

 彼女が借り受けるアパルトメントの一室には、奇天烈な道具が多く鎮座している。ヤ・シュトラに使い魔の作り方を習って応用した半自動コーヒーミルだとか、ガーロンド・アイアンワークスが戯れに作ったトースターとか、ガラクタ同然だった箱を改良したアイスシャード式冷蔵庫だとか。それらは毎日の生活を丁寧に支えるためのものばかりで、平和な内に私生活を堪能したいという彼女の望みの表れでもあった。
 主人と同じく眠っているらしいコーヒーミルの、蓋を開けるとコーヒービーンを流し込んで、コンコンと指でノックする。すると起き出したミルが、鼻歌のような軽快さで豆を挽いてくれる仕組みだ。からから回るハンドルの音を聞きながら、二口の焜炉で湯を沸かし、スキレットに油と火を入れた。
 サンクレッドは特に料理が得意というわけではないが、教養として、あるいは必要最低限として、目玉焼きくらいは作ることが出来た。冷蔵庫からたった二つの卵をとって、右と左、片手ずつでスキレットへと割り入れた。じわじわと熱い油の上で、二つ並んだ卵が震えるのを見守りながら、挽き終わったコーヒービーンの粉をフィルターへ移す。仕事を果たしたミルが褒めろと跳ねるから、ハンドルを撫でてやれば落ち着いてまた眠り始めた。怠惰なところは主人に似ないな、と思わず笑って、サンクレッドは沸いた湯でコーヒーを濾す。

「いい匂い」

 彼の睫毛にささやかな女声が触れた。キッチンから聞こえる生活音と、部屋を満たすコーヒーの香りが彼女を目覚めさせたのだろう。英雄たる女傑は、ほんのり眠たそうな目を擦りながら、シャツを一枚羽織ってベッドから出てきたところだった。
 サンクレッドはその姿を確認すると、あまりに緩んだ彼女の様子に微笑む。

「今日もこいつが仕事をしてくれたよ。……ああ、卵、使ったぞ」
「良いよ。午後からちょっと家をあけるの、今のうちに消費しとかないと」

 ミルを顎で指すサンクレッドに、英雄は頷いた。彼の広い背の肌に額を懐かせて、それから並んでキッチンに立つと、ラノシアレタスを千切り始めた。瑞々しく繊維の裂ける音がする。

「忙しいな」

 そうなると、こうして一緒に朝を迎えるのはまたしばらく後のことになりそうだ。サンクレッドはよりこの時間を噛み締めながら、パンを二切れ、トースターに放り込む。

「お互いにね」

 彼女は応じるように笑いながら、次はルビートマトを八つにくし切りにして、うち五つをサンクレッドの皿に乗せた。身体が大きいからよく食べるだろうなんて理由で多く寄越すが、かの英雄が自身の好きなものを人に勧めがちなことを知っているから、彼は甘んじて彼女の好物を貰い受けていた。
 絞ったレモンにオリーブオイル、バルサミコビネガー、粗く引いた岩塩とブラックペッパー、バジルも合わせてドレッシングにする。
 焼けたトーストを一緒に乗せて、じっくり火を入れた目玉焼きも上に被せてやれば、モーニングプレートの完成である。

「持ってくよ」
「ああ。コーヒーもすぐだ」

 小さな机と不揃いの椅子。本来ひとりで暮らす部屋には、いつの間にかふたり分の痕跡で溢れていて、その最もたるはこうして並ぶ皿とカップだ。
 そういえば、とサンクレッドは首を伸ばすと、愛しき英雄の髪に唇で触れた。

「おはよう、シュガー。よく寝てたな」
「朝から笑わさないでよ。おはよう、ハニー?」

 質素で上等な朝食の上に、笑い声が転がった。
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