掌に小春日和
何気なさを装って伸ばされた男の手が、ぴしゃりと叩き落とされた。
「いてっ」
「だぁめ!」
まるで飼い犬をしつけるような口ぶりだ。サンクレッドは、少しだって痛まない手をわざとらしくひらひら振りながら、ひっぱたいてきた彼女の指先を見つめた。丸い爪と、真っ白な鱗の、たおやかな女の手である。そこからまた視線を上げれば、おかしくてたまらないなんて顔の妻────光の戦士たるアウラ族の女の笑みが映り込む。
「何枚つまみ食いしたら気が済むの」
「あと一枚だけ。良いだろ?」
「さっきもそう言ってた!」
たまらず笑い声をあげる彼女の様子に、サンクレッドはといえば、眩しそうに目を細めるのだった。
質素なワンルームにぎゅっと詰め込まれているのは、菓子の焼ける甘い香りだ。キッチンには、まだほんのりと湯気をたてているパンプキンクッキーが、溢れかえるほど並べられていた。カボチャ由来の色と形に、パンプキンシードで目を作って、ジャック・オ・ランタンを模している。彼女はそれを一枚つまむと、甲斐甲斐しく夫の口もとに持っていく。そして、この瞬間ばかりは世界で一番幸福な男であるサンクレッドは、妻の指ごとクッキーに食いついて、さくさくほろりとほどけていく食感と、広がる甘味に破顔した。
「うまい」
「そうでしょうとも!」
クッキーたちの顔の上に、ころころと笑い声が転がっていった。
森都グリダニアからそう遠くない位置に設けられた、冒険者居住区“ラベンダーベッド”。そこに聳えるアパルトメントの一室での会話である。
いつもなら、緑豊かな土地独特の青い匂いで包まれているのだが、今日に限って窓から吹き込む秋風は、非常に彩り豊かだった。サンクレッドの嗅覚を刺激するのは、シチューやローストチキンみたいなご馳走から発せられる気配、それからナッツタルトやソーム・アル・オ・マロンのような甘やかな香ばしさだ。
守護天節である。エオルゼア十二神のおわす天界に、聖人たちが招かれ、盛大な宴が催される時期と伝えられている。そのため地上を守護する力が弱まり、魔物が意気揚々と跋扈するとも言われていて、だから人々は魔物に会わぬよう、襲われぬよう、日が暮れるまでに家へと帰り、門戸を堅く閉ざすのが習わしであった。
しかしそれは一昔前の話だ。冒険者────依頼を受けて討伐や護衛を受け持つ者たちが多くなった昨今では、聖人の守りがなくとも退治されていくために、魔物は恐れるに足らぬ存在となっていった。これによって地上でも、神々の宴にあやかって、盛大に秋の実りを祝うことができるようになったのである。
そのため、都市内の夜はいつまでも明るく、人々は笑って舌鼓を打っている。光の戦士である彼女がこうしてたくさんのパンプキンクッキーを焼いているのも、守護天節の催しの一環だった。小分けに包んで、どんぐり公園に集っているこどもたちに手渡すらしい。
期を熟して開け放たれたオーブンから、熱とともに焼菓子の芳香が広がっていく。バターと砂糖の甘い匂いだ。カボチャをふんだんに練り込んだ生地は、ふっくらと焼き上げられて黄金色。
そんな風に魅惑のクッキーが焼き上がっていく様を見守っていたら、サンクレッドという我慢強い男ですら、耐えきれるはずがない。かの光の戦士の夫という立場を利用して、キッチンに張り付く彼女について回り、焼きたてのパンプキンクッキーをつまみ食いする特権を振りかざしているのだった。
そしてそんなサンクレッドに、妻である女傑は甘かった。白刃のようなハンサムが、自分の作るものに対して子どもみたいに目を輝かせて、もう一枚、もう一枚とねだってくるのだから、気分だって良くなろうというもの。形ばかり咎めるだけで、結局請われるがままに、彼の口へとクッキーを放り込んでしまうのだ。
「甘えん坊よね。意外と」
彼女がくすくす肩を揺らすと、サンクレッドは榛色の瞳を瞬かせた。ぺろりと唇を舐めて、付いていたクッキーのかすすら堪能すると、可愛い妻へと鼻先を寄せる。
「意外か?」
「そうよ。だって、強がりと誤魔化しばっかりで」
その通った鼻筋を撫でて、光の戦士たる女は笑う。愛の吟遊詩人なんて名乗っていた頃から、隠すこと、堪え忍ぶことが上手かった。そんなサンクレッドが、剥き出しの心で妻にねだるのだ。
「こんなに素直になっちゃって」
彼女がこぼす優しい笑みを前に、サンクレッドもまた笑った。こうして話しながらも、せっせとクッキーを袋詰めにしていく彼女の背後に回って、薄い腹に腕を回した。
このパンプキンクッキーを食べられる子どもたちは、幸せだと思っている。今の彼自身と、同じくらいに。
「お前が教えたからだよ」
囁きを彼女の髪に含ませれば、機嫌の良い尻尾の先が、くるりと彼の足に巻き付く。アウラの女である彼女は特に小柄で、サンクレッドの身体ですっぽり覆うことができた。
望めば望んだだけ無条件に与えられるという経験は、サンクレッドにとって新鮮なものだった。彼の人生は搾取されることから始まって、盗人にまで至った。それから突然に拾い上げられて、愛情を含んだ厳しさの中で、知識と技術を学んだ。
サンクレッドは常に使いやすい道具であって、またそう在ることができるよう努力してきた。可愛い誰かのためになるようにと尽力してきた。だのに彼女から注がれる慈愛は、何を成さずとも何を差し出さずとも与えられる葡萄酒のようで、戸惑いながらも受け取れば、その甘美さにすっかりと浸ってしまえたのだ。
彼女が教えたのだ。ただ甘受し、喜び、酔いしれる贅沢を。怯えずに躊躇わずに手を伸ばせば、手のひらにそっとパンプキンクッキーが乗せられる、その何気ない幸せを。
「さすが、凄腕の冒険者だな」
サンクレッドは称賛と冗談を交えて、彼女の頭頂にキスをした。魔物だって、恐れだって、彼女はなんでもやっつけてしまう。そして、いつか飢えていた少年の腹さえ、満たして。
光の戦士たる女傑は、角の先を上向けてサンクレッドを見ると、輝くばかりの強気な笑顔で彼を射抜いた。
「任せなさい」
それからまた一枚、クッキーが彼の口に運ばれる。さくさくと咀嚼をしながら、サンクレッドは、女のかたちをした豊穣を抱き締めるのであった。
「いてっ」
「だぁめ!」
まるで飼い犬をしつけるような口ぶりだ。サンクレッドは、少しだって痛まない手をわざとらしくひらひら振りながら、ひっぱたいてきた彼女の指先を見つめた。丸い爪と、真っ白な鱗の、たおやかな女の手である。そこからまた視線を上げれば、おかしくてたまらないなんて顔の妻────光の戦士たるアウラ族の女の笑みが映り込む。
「何枚つまみ食いしたら気が済むの」
「あと一枚だけ。良いだろ?」
「さっきもそう言ってた!」
たまらず笑い声をあげる彼女の様子に、サンクレッドはといえば、眩しそうに目を細めるのだった。
質素なワンルームにぎゅっと詰め込まれているのは、菓子の焼ける甘い香りだ。キッチンには、まだほんのりと湯気をたてているパンプキンクッキーが、溢れかえるほど並べられていた。カボチャ由来の色と形に、パンプキンシードで目を作って、ジャック・オ・ランタンを模している。彼女はそれを一枚つまむと、甲斐甲斐しく夫の口もとに持っていく。そして、この瞬間ばかりは世界で一番幸福な男であるサンクレッドは、妻の指ごとクッキーに食いついて、さくさくほろりとほどけていく食感と、広がる甘味に破顔した。
「うまい」
「そうでしょうとも!」
クッキーたちの顔の上に、ころころと笑い声が転がっていった。
森都グリダニアからそう遠くない位置に設けられた、冒険者居住区“ラベンダーベッド”。そこに聳えるアパルトメントの一室での会話である。
いつもなら、緑豊かな土地独特の青い匂いで包まれているのだが、今日に限って窓から吹き込む秋風は、非常に彩り豊かだった。サンクレッドの嗅覚を刺激するのは、シチューやローストチキンみたいなご馳走から発せられる気配、それからナッツタルトやソーム・アル・オ・マロンのような甘やかな香ばしさだ。
守護天節である。エオルゼア十二神のおわす天界に、聖人たちが招かれ、盛大な宴が催される時期と伝えられている。そのため地上を守護する力が弱まり、魔物が意気揚々と跋扈するとも言われていて、だから人々は魔物に会わぬよう、襲われぬよう、日が暮れるまでに家へと帰り、門戸を堅く閉ざすのが習わしであった。
しかしそれは一昔前の話だ。冒険者────依頼を受けて討伐や護衛を受け持つ者たちが多くなった昨今では、聖人の守りがなくとも退治されていくために、魔物は恐れるに足らぬ存在となっていった。これによって地上でも、神々の宴にあやかって、盛大に秋の実りを祝うことができるようになったのである。
そのため、都市内の夜はいつまでも明るく、人々は笑って舌鼓を打っている。光の戦士である彼女がこうしてたくさんのパンプキンクッキーを焼いているのも、守護天節の催しの一環だった。小分けに包んで、どんぐり公園に集っているこどもたちに手渡すらしい。
期を熟して開け放たれたオーブンから、熱とともに焼菓子の芳香が広がっていく。バターと砂糖の甘い匂いだ。カボチャをふんだんに練り込んだ生地は、ふっくらと焼き上げられて黄金色。
そんな風に魅惑のクッキーが焼き上がっていく様を見守っていたら、サンクレッドという我慢強い男ですら、耐えきれるはずがない。かの光の戦士の夫という立場を利用して、キッチンに張り付く彼女について回り、焼きたてのパンプキンクッキーをつまみ食いする特権を振りかざしているのだった。
そしてそんなサンクレッドに、妻である女傑は甘かった。白刃のようなハンサムが、自分の作るものに対して子どもみたいに目を輝かせて、もう一枚、もう一枚とねだってくるのだから、気分だって良くなろうというもの。形ばかり咎めるだけで、結局請われるがままに、彼の口へとクッキーを放り込んでしまうのだ。
「甘えん坊よね。意外と」
彼女がくすくす肩を揺らすと、サンクレッドは榛色の瞳を瞬かせた。ぺろりと唇を舐めて、付いていたクッキーのかすすら堪能すると、可愛い妻へと鼻先を寄せる。
「意外か?」
「そうよ。だって、強がりと誤魔化しばっかりで」
その通った鼻筋を撫でて、光の戦士たる女は笑う。愛の吟遊詩人なんて名乗っていた頃から、隠すこと、堪え忍ぶことが上手かった。そんなサンクレッドが、剥き出しの心で妻にねだるのだ。
「こんなに素直になっちゃって」
彼女がこぼす優しい笑みを前に、サンクレッドもまた笑った。こうして話しながらも、せっせとクッキーを袋詰めにしていく彼女の背後に回って、薄い腹に腕を回した。
このパンプキンクッキーを食べられる子どもたちは、幸せだと思っている。今の彼自身と、同じくらいに。
「お前が教えたからだよ」
囁きを彼女の髪に含ませれば、機嫌の良い尻尾の先が、くるりと彼の足に巻き付く。アウラの女である彼女は特に小柄で、サンクレッドの身体ですっぽり覆うことができた。
望めば望んだだけ無条件に与えられるという経験は、サンクレッドにとって新鮮なものだった。彼の人生は搾取されることから始まって、盗人にまで至った。それから突然に拾い上げられて、愛情を含んだ厳しさの中で、知識と技術を学んだ。
サンクレッドは常に使いやすい道具であって、またそう在ることができるよう努力してきた。可愛い誰かのためになるようにと尽力してきた。だのに彼女から注がれる慈愛は、何を成さずとも何を差し出さずとも与えられる葡萄酒のようで、戸惑いながらも受け取れば、その甘美さにすっかりと浸ってしまえたのだ。
彼女が教えたのだ。ただ甘受し、喜び、酔いしれる贅沢を。怯えずに躊躇わずに手を伸ばせば、手のひらにそっとパンプキンクッキーが乗せられる、その何気ない幸せを。
「さすが、凄腕の冒険者だな」
サンクレッドは称賛と冗談を交えて、彼女の頭頂にキスをした。魔物だって、恐れだって、彼女はなんでもやっつけてしまう。そして、いつか飢えていた少年の腹さえ、満たして。
光の戦士たる女傑は、角の先を上向けてサンクレッドを見ると、輝くばかりの強気な笑顔で彼を射抜いた。
「任せなさい」
それからまた一枚、クッキーが彼の口に運ばれる。さくさくと咀嚼をしながら、サンクレッドは、女のかたちをした豊穣を抱き締めるのであった。
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