出会い
あの人は、何者だったのだろう。
逢魔時の、誰もいないはずの廃ビルの屋上に一人で佇んでいた、明らかに人ではない存在。
私は、いったい何に恋をしてしまったのだろうか。
あの日以来、回り道をするようになった。毎日のように廃ビルに通い、人影がないかを探していた。
しかし、1週間経っても、2週間経っても、ビルの屋上に人の姿を見つけることはなかった。あれは、精神異常が見せた白昼夢だったんじゃないかと思うようになっていた。
そうして、1ヶ月近く経った頃に、再びその人は現れた。
いつものように見上げた景色に、妙な違和感を感じた。普段はない何者かの気配を感じたのだ。地上からでは確信は持てなかったが、反射的に体が動いていた。
非常階段を1段飛ばしで駆け抜ける。何度も足を止め、呼吸を整えながら、全速力で屋上へと向かった。
鍵のかかっていない扉を、勢いよく押し開ける。古くなった扉が耳障りな音を立てた。
その人は、前と同じように柵越しに地上の様子を眺めていた。扉の音に気づいて、くるりとこちらを振り返る。白い布が翻り、ペリドットの瞳が真っ直ぐに私を見つめた。
その姿は、まるで天使のようだった。
その人は私を捉えると、にやりと口元を歪めた。
「死ぬの、やめたんじゃなかったの」
笑みを含んだ声でからかうように言う。
「ちがうの。死ぬために来たわけじゃなくて……」
息を整えながら、必死に言葉を紡ぐ。胸の鼓動が早いのは、運動してきたせいだろうか。それとも、相手に対する感情のせいだろうか。
「あなたに、会えると思ったから」
やっとの思いで告げると、相手は面白いものを見たように笑った。
「僕に会うために、わざわざ屋上まで登ってきたの?」
「そう。ずっと、あなたを探してたの」
「自分を殺そうとした相手に会いたいだなんて、あんた本当に変なやつだね」
楽しそうにその人は言う。
この人が好きだ。理屈ではないところで、この謎の人物に魅了されている。心の底からそう思った。
不意に笑い声が止んだ。
「秘密を守るって約束するなら、願いを叶えて上げてもいいよ」
音も立てずに私の前に歩み寄る。ペリドットの瞳に射貫かれ、心臓がうるさいくらいに高鳴った。
「願い……って?」
「これからも、僕に会いたいんだろ?」
からかうような声音で言う。
「会いたいよ。できるなら、この先もずっと」
「僕と関わったことを口外しないと約束して。そうしたら、願いを叶えてあげる」
「約束する」
勢いで答えていた。その人が何者なのかも、何を目的に自分に取り引きを持ちかけているのかも、何も考えられなかった。
「僕はルチアーノ。君は?」
その人が名乗った。どうやら、男の子のようだ。
「初音。松風初音」
私が答えると、彼はにやりと笑った。
「名前は貰ったよ。約束を破ったら、どうなってもしらないからな」
彼は笑う。ふと、異形のものに名前を知らせることは、契約を意味するという民間伝承を思い出した。私は、なにか恐ろしいものと契約してしまったのかもしれない。
「これからよろしくね。初音」
彼が言った。その人に呼ばれただけで、自分の名前がどこまでも甘いもののように思えた。
これからどうなるのかは分からない。それでも、この子に会える限りは生きていようと思った。
逢魔時の、誰もいないはずの廃ビルの屋上に一人で佇んでいた、明らかに人ではない存在。
私は、いったい何に恋をしてしまったのだろうか。
あの日以来、回り道をするようになった。毎日のように廃ビルに通い、人影がないかを探していた。
しかし、1週間経っても、2週間経っても、ビルの屋上に人の姿を見つけることはなかった。あれは、精神異常が見せた白昼夢だったんじゃないかと思うようになっていた。
そうして、1ヶ月近く経った頃に、再びその人は現れた。
いつものように見上げた景色に、妙な違和感を感じた。普段はない何者かの気配を感じたのだ。地上からでは確信は持てなかったが、反射的に体が動いていた。
非常階段を1段飛ばしで駆け抜ける。何度も足を止め、呼吸を整えながら、全速力で屋上へと向かった。
鍵のかかっていない扉を、勢いよく押し開ける。古くなった扉が耳障りな音を立てた。
その人は、前と同じように柵越しに地上の様子を眺めていた。扉の音に気づいて、くるりとこちらを振り返る。白い布が翻り、ペリドットの瞳が真っ直ぐに私を見つめた。
その姿は、まるで天使のようだった。
その人は私を捉えると、にやりと口元を歪めた。
「死ぬの、やめたんじゃなかったの」
笑みを含んだ声でからかうように言う。
「ちがうの。死ぬために来たわけじゃなくて……」
息を整えながら、必死に言葉を紡ぐ。胸の鼓動が早いのは、運動してきたせいだろうか。それとも、相手に対する感情のせいだろうか。
「あなたに、会えると思ったから」
やっとの思いで告げると、相手は面白いものを見たように笑った。
「僕に会うために、わざわざ屋上まで登ってきたの?」
「そう。ずっと、あなたを探してたの」
「自分を殺そうとした相手に会いたいだなんて、あんた本当に変なやつだね」
楽しそうにその人は言う。
この人が好きだ。理屈ではないところで、この謎の人物に魅了されている。心の底からそう思った。
不意に笑い声が止んだ。
「秘密を守るって約束するなら、願いを叶えて上げてもいいよ」
音も立てずに私の前に歩み寄る。ペリドットの瞳に射貫かれ、心臓がうるさいくらいに高鳴った。
「願い……って?」
「これからも、僕に会いたいんだろ?」
からかうような声音で言う。
「会いたいよ。できるなら、この先もずっと」
「僕と関わったことを口外しないと約束して。そうしたら、願いを叶えてあげる」
「約束する」
勢いで答えていた。その人が何者なのかも、何を目的に自分に取り引きを持ちかけているのかも、何も考えられなかった。
「僕はルチアーノ。君は?」
その人が名乗った。どうやら、男の子のようだ。
「初音。松風初音」
私が答えると、彼はにやりと笑った。
「名前は貰ったよ。約束を破ったら、どうなってもしらないからな」
彼は笑う。ふと、異形のものに名前を知らせることは、契約を意味するという民間伝承を思い出した。私は、なにか恐ろしいものと契約してしまったのかもしれない。
「これからよろしくね。初音」
彼が言った。その人に呼ばれただけで、自分の名前がどこまでも甘いもののように思えた。
これからどうなるのかは分からない。それでも、この子に会える限りは生きていようと思った。