Another ending
夢を見ていた。
破壊されていく町、逃げ惑う人々、真っ赤に焼け焦げた世界。転がる石板化したカード。そこに佇む赤毛の少年……。
私の前に表れては消えていく光景。それは、彼の人生の物語だ。
モニター越しに見ていた大会の様子は、目まぐるしく移り変わり、私が彼のことを何も知らなかったという事実を突きつけるだけだった。『アポリア』の正体も、彼らの目的も、彼らが『神』と呼ぶ存在についても、私は何一つ知らなかった。
結局、私は彼のことを何も知らなかったのだ。どれだけ愛していても、彼は私に何も教えてはくれない。
人類代表の戦いが終わり、彼が二度と戻らないことを知った私は、最後の思い出が残るこの部屋で眠りについた。このまま、彼のいる場所へと沈んでいけたらいいのに。そんなことを考えながら。
焦土の中を当てもなく彷徨っていると、背後で衣擦れの音がした。金平糖のような、甘くざらざらした声が私の名前を呼ぶ。
「初音」
私は振り返った。声の主の姿を視界に収めるために。それが幻聴ではないことを確かめるために。
そこにあったのは、紛れもなく私が一番会いたいと望んでいた人物の姿だった。白い布をゆらゆらと揺らして佇んでいる。その身体は、数センチだけ浮いていた。
「ルチアーノ……くん……?」
確かめるように尋ねると、彼は笑った。
「泣きそうな顔するなよ。子供じゃないんだからさ」
「だって、もう会えないと思ったから……」
抱き締めようとして手を伸ばすと、指先が細い腰をすり抜けた。勢い余って、地面に倒れ込む。
「実体は無いよ。僕の体は、既にこの世界から消えている」
宙に浮いたまま胡座をかいて、淡々と語る。
「じゃあ、どうして、ここに……」
「ここが、次元の狭間だからさ」
何でもないことのように言う。肉体を失ったことも、永遠の別れが近づいていることも、彼にとってはどうでもいいことのようだった。
「私を、そっちに連れていって。約束、したでしょ」
思わず、口に出していた。叶うことなどないと知っていても、口に出さずにはいられなかった。彼にとって、私が遊び相手でしかなかったことが最後の最後で許せなくなってしまったのだ。
「できないよ。僕はもうこの世界のものではないから」
「嫌だよ。私だけ、ひとりぼっちでこの世界を生きていくなんて嫌だ。私を連れていってよ」
私は泣いていた。子供のように、ぼろぼろと涙を溢して。そんな私を見て、彼はきひひと笑う。
「泣いてるの? 子供みたいだね」
「だって……」
反論しようとするが、震えて声が出ない。
彼は既にこの世からいなくなってしまったのだ。たったひとつの、私の生きる理由だった存在が。そして、彼は既にその事実を受け入れている。
私が泣き続けていると、彼は控えめに口を開いた。
「約束、守れなくて悪かったね」
その声は、とても優しかった。今までの彼とは全く印象が違う。アポリアに成ったことによって、何かが変わってしまったのだろうか。
私の戸惑いが伝わったのか、彼は不機嫌そうに言った。
「なんだよ」
「なんでも、ない」
私は答えた。もう、涙は止まっていた。最後の戦いは、彼に大きな変化をもたらしたのだろう。それが分かっただけで嬉しかった。
「ルチアーノくんは、死ぬのが怖くないの?」
私は尋ねた。アンドロイドとはいえ、彼にも感情があり、生きているのだ。
「怖くないよ。神の元に還るだけだから」
彼は穏やかな表情をしていた。まるで、全ての枷から解き放たれたようだった。
「なら、良かった」
彼が納得しているなら、これは悲しいことではないのだろう。
「初音は、この世界で生きるんだ。生きて、僕たちが存在したことを証明して」
そう語る声には、いつものような不安定な響きは無かった。今の彼は『アポリア』なんだと、直感的に思った。
「分かった。あなたのことを忘れない」
人が真の意味で死ぬときは、残されたものの記憶から忘れられる時だという。私が彼を覚えている限り、彼が死ぬことはないのだ。
「ただ生きるだけだと退屈だろうから、課題を出してあげるよ。人はなぜ生き続けるのか、考えてみな。答えが出た頃に、迎えにいってやるからさ」
『ルチアーノ』としての、からかうような声色で彼は言う。こうして、くるくると声色が変わると、どっちの人格が出ているのかなのか分からなくなる。
きっと、どちらの人格も彼のものなのだろう。彼は『アポリア』であって『ルチアーノ』なのだ。
「もし、答えが出なかったら?」
尋ねると彼はいたずらっぽく笑った。
「その時は……不動遊星にでも聞いてみたら?」
簡単に無理難題を押し付けて、きひひと笑う。この笑い声が、ずっと大好きだったのだ。
彼の言葉に共鳴するように、世界が光の粒に包まれた。石板が崩壊し、地面が光に溶けていく。
「還る時間みたいだね」
彼が布を翻しながら立ち上がる。その姿も、光に溶け始めていた。
「本当に、終わりなんだね」
「終わりじゃない。始まるんだ。僕たちの新しい世界が」
そう言って、彼は笑った。狂気を全く感じない、美しい笑顔だった。
それが、私の見た彼の最期だった。
気がつくと、ホテルの一室に戻っていた。窓の外からは朝日が差し込んでいる。
世界は生まれ変わったのだ。彼の望んだものとは違う形で。それなら、彼の分までこの世界を生きなければならない。
私はベッドから身を起こした。身支度を整えると、部屋の彼の残したものを拾い集める。この部屋に残されているのは、ブラシとトリートメントくらいだ。タオルに包んで、服の入っていたボストンバックに詰め込む。
部屋の鍵は既に開いていた。私は彼の形見を抱き締めると、部屋の外に踏み出した。
破壊されていく町、逃げ惑う人々、真っ赤に焼け焦げた世界。転がる石板化したカード。そこに佇む赤毛の少年……。
私の前に表れては消えていく光景。それは、彼の人生の物語だ。
モニター越しに見ていた大会の様子は、目まぐるしく移り変わり、私が彼のことを何も知らなかったという事実を突きつけるだけだった。『アポリア』の正体も、彼らの目的も、彼らが『神』と呼ぶ存在についても、私は何一つ知らなかった。
結局、私は彼のことを何も知らなかったのだ。どれだけ愛していても、彼は私に何も教えてはくれない。
人類代表の戦いが終わり、彼が二度と戻らないことを知った私は、最後の思い出が残るこの部屋で眠りについた。このまま、彼のいる場所へと沈んでいけたらいいのに。そんなことを考えながら。
焦土の中を当てもなく彷徨っていると、背後で衣擦れの音がした。金平糖のような、甘くざらざらした声が私の名前を呼ぶ。
「初音」
私は振り返った。声の主の姿を視界に収めるために。それが幻聴ではないことを確かめるために。
そこにあったのは、紛れもなく私が一番会いたいと望んでいた人物の姿だった。白い布をゆらゆらと揺らして佇んでいる。その身体は、数センチだけ浮いていた。
「ルチアーノ……くん……?」
確かめるように尋ねると、彼は笑った。
「泣きそうな顔するなよ。子供じゃないんだからさ」
「だって、もう会えないと思ったから……」
抱き締めようとして手を伸ばすと、指先が細い腰をすり抜けた。勢い余って、地面に倒れ込む。
「実体は無いよ。僕の体は、既にこの世界から消えている」
宙に浮いたまま胡座をかいて、淡々と語る。
「じゃあ、どうして、ここに……」
「ここが、次元の狭間だからさ」
何でもないことのように言う。肉体を失ったことも、永遠の別れが近づいていることも、彼にとってはどうでもいいことのようだった。
「私を、そっちに連れていって。約束、したでしょ」
思わず、口に出していた。叶うことなどないと知っていても、口に出さずにはいられなかった。彼にとって、私が遊び相手でしかなかったことが最後の最後で許せなくなってしまったのだ。
「できないよ。僕はもうこの世界のものではないから」
「嫌だよ。私だけ、ひとりぼっちでこの世界を生きていくなんて嫌だ。私を連れていってよ」
私は泣いていた。子供のように、ぼろぼろと涙を溢して。そんな私を見て、彼はきひひと笑う。
「泣いてるの? 子供みたいだね」
「だって……」
反論しようとするが、震えて声が出ない。
彼は既にこの世からいなくなってしまったのだ。たったひとつの、私の生きる理由だった存在が。そして、彼は既にその事実を受け入れている。
私が泣き続けていると、彼は控えめに口を開いた。
「約束、守れなくて悪かったね」
その声は、とても優しかった。今までの彼とは全く印象が違う。アポリアに成ったことによって、何かが変わってしまったのだろうか。
私の戸惑いが伝わったのか、彼は不機嫌そうに言った。
「なんだよ」
「なんでも、ない」
私は答えた。もう、涙は止まっていた。最後の戦いは、彼に大きな変化をもたらしたのだろう。それが分かっただけで嬉しかった。
「ルチアーノくんは、死ぬのが怖くないの?」
私は尋ねた。アンドロイドとはいえ、彼にも感情があり、生きているのだ。
「怖くないよ。神の元に還るだけだから」
彼は穏やかな表情をしていた。まるで、全ての枷から解き放たれたようだった。
「なら、良かった」
彼が納得しているなら、これは悲しいことではないのだろう。
「初音は、この世界で生きるんだ。生きて、僕たちが存在したことを証明して」
そう語る声には、いつものような不安定な響きは無かった。今の彼は『アポリア』なんだと、直感的に思った。
「分かった。あなたのことを忘れない」
人が真の意味で死ぬときは、残されたものの記憶から忘れられる時だという。私が彼を覚えている限り、彼が死ぬことはないのだ。
「ただ生きるだけだと退屈だろうから、課題を出してあげるよ。人はなぜ生き続けるのか、考えてみな。答えが出た頃に、迎えにいってやるからさ」
『ルチアーノ』としての、からかうような声色で彼は言う。こうして、くるくると声色が変わると、どっちの人格が出ているのかなのか分からなくなる。
きっと、どちらの人格も彼のものなのだろう。彼は『アポリア』であって『ルチアーノ』なのだ。
「もし、答えが出なかったら?」
尋ねると彼はいたずらっぽく笑った。
「その時は……不動遊星にでも聞いてみたら?」
簡単に無理難題を押し付けて、きひひと笑う。この笑い声が、ずっと大好きだったのだ。
彼の言葉に共鳴するように、世界が光の粒に包まれた。石板が崩壊し、地面が光に溶けていく。
「還る時間みたいだね」
彼が布を翻しながら立ち上がる。その姿も、光に溶け始めていた。
「本当に、終わりなんだね」
「終わりじゃない。始まるんだ。僕たちの新しい世界が」
そう言って、彼は笑った。狂気を全く感じない、美しい笑顔だった。
それが、私の見た彼の最期だった。
気がつくと、ホテルの一室に戻っていた。窓の外からは朝日が差し込んでいる。
世界は生まれ変わったのだ。彼の望んだものとは違う形で。それなら、彼の分までこの世界を生きなければならない。
私はベッドから身を起こした。身支度を整えると、部屋の彼の残したものを拾い集める。この部屋に残されているのは、ブラシとトリートメントくらいだ。タオルに包んで、服の入っていたボストンバックに詰め込む。
部屋の鍵は既に開いていた。私は彼の形見を抱き締めると、部屋の外に踏み出した。
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