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旅立ち

翡翠は剣術より魔法の方が得意だった。

中でも草花に関する『翠魔法』が得意だった。
翡翠の魔法によって、リルルは薬草を早く覚えることができた。

翡翠は『空間魔法』がそんなに得意では無かったが、空間魔法に属する移動魔法は、数日で身につけた。
どうやら魔法全般苦手なものは無さそうに思えた。

ハクランは剣術に長けていたが、『魔力なし』なので、アルトゥアは剣術を教えた。
運動能力はずば抜けて高く、剣術の稽古付けてもらうようになってから、あっという間にアルトゥアと互角で剣を交えられる程になった。

朝は薬草を摘んだり、畑の世話をし、午後から勉強と各々魔法や剣術を習得し、夕食前に3人で遊んだ。
ハクラムと翡翠は、夕食を食べお風呂に入ると移動魔法で森へ帰って行った。



寒くて長い氷の季節に向けての準備に、みんな毎日勤しむ季節と移り変わったある日、平穏な日常が突然消え失せた。

その日は特に空気が冷え切った氷の季節の二十と五の日。

迷いの森の家で目覚めたハクランは大きく背伸びをした。
ベッドが少し小さくなったなとぼんやり考えなが身を起こしたのと同時に、部屋のドアをノックする音がして、返事をした。

「入っていいよ」

ハクランの返事を待っていた翡翠は既に寝巻から着替えて、スラリとした手足にピッタリ寄り添う純白のシャツと濃い緑のズボン。
どんな格好をしていても、気品が漂う顔立ちは、ドアを閉める仕草さえ、より美しく見せる。

「おはようございます。今朝は少し冷えるので、暖かい飲み物を用意いたしました」

この季節に合う、入れ立ての薬草茶の芳しい香り。翡翠が部屋に入ると同時に薫ってくる。

「窓を開けて、外の空気が吸いたい」

ハクランはベッドの端に座り直して、翡翠がベッド脇で、ポットからカップに移した薬草茶を受け取りながら、大きな欠伸をした。

翡翠はにっこり笑って云った。

「今朝は冷えるので、先に着替えてからにしましょう。体に良くありません」

翡翠は指を鳴らすと、指先から翠の光る粒が弾けてハクランの体に纏わりついたかと思うと、あっという間に普段着に着替えさせた。
それだけでは無く、洗顔も歯磨きも終わらせていた。
出会った頃はままならなかった生活魔法だったが、今は呼吸をするように使う翡翠はとても優秀だ。

「今日からは袖の長い物にしましたが、それでも寒ければ、こちらをお使いください」

カーテンと窓を開けて、ふんわりとした毛足の長い布をハクランの脇に置いた。

眩しい木漏れ日と共に、森の澄んだ空気が体を巡る。
ハクランは少し身震いをして、布を体に巻きつけた。

「これを飲んだら、出よう。リルル達がもうそろそろ起きる頃だ」

翡翠が移動魔法を習得してから、朝はゆっくり眠ることができた。

それまでは迷いの森を、トルシカの残した地図片手に徒歩で抜けていた為、暗いうちから起きて、2人で朝食を済ませてからアルトゥアの家に向かった。

帰るのも、日が暮れる前にアルトゥアの家を後にして、家に辿り着いてから、グイネアとマルサルが作ってくれた夕食を2人で食べた。

今では、朝食の時間に合わせて移動魔法で移動できるので、6人で食べる暖かい食事の時間が、ハクランと翡翠の楽しみだった。

昨夜、グイネアから頼まれていた回復薬に使う薬草を庭で採って、籠いっぱいに詰めるとマントを羽織って、慣れ親しんだ家を出た。

戸締りをした翡翠は、家のカギをハクランに差し出した。

「今日は、新しい魔法の練習があるので、カギを落とすといけません。ハク様が持っていてくれませんか?」

翡翠がかけた、この家の者しか開けられない鍵は美しい翡翠色。
独占を強いる魔法は、魔法を使う使い手の色が、色濃く出るのだそうで、深く鮮やかな翡翠色のカギ。
持ち手には沢山の宝石が嵌っていて、1箇所だけ穴が開けられており、シルバー色の鎖が通されていた。

「わかった」

ハクランは翡翠からカギを受け取ると、首からかけた。

カギを掛けると同時に見えなくなっていく自分たちの家。これも翡翠の空間魔法で鍵を掛けると森に隠れるようにされている。
この術式はトルシカから伝授したものだった。


午前中はいつものように過ぎた。
昼食を取って、学習の為書籍を取りに二階へあがった時、窓の外を見て翡翠がポツリと呟いた。

「・・・・そだ」

「翡翠?なに?」

翡翠の声は聞こえたが、なんと言っているかわからなかったハクランは、翡翠の方へ近づいた。

後少しで窓の外が見えそうという瞬間、翡翠が振り返り、ハクランの両肩を掴んで押しのけて叫んだ。

「アルトゥア!アルトゥア!竜騎士だ!」

その叫びにハクランは、体が一瞬硬直したのを感じ、我に返った。
次の瞬間にはリルルの手を引いて、2階から転げ落ちるように台所を目指して走った。

途中、アルトゥアとすれ違った時、アルトゥアがハクランの肩に手を置いて「リルを頼んだよ」と云って、次にリルルを抱きしめた。

この光景見たハクランは、一番最悪な事態が起きたのだと直感した。

リルルに何かを囁き、額に唇を落とすと、アルトゥアはそのまま玄関を出て行った。
玄関に続く暖炉の部屋では、マルサルが久しぶりに杖を持ち、魔法がいつでも放てる準備をして、ハクランに手を振った。

「早く行きなさい!」

訳が分からないが、非常な事が起きていると感じたリルルは目に涙を溜めてアルトゥアとマーサの名前を呼んだ。

「アル!マーサ!」

ハクランは、そんな悲痛な叫びを繰り返すリルルを引きずり台所は辿り着いた。
食器棚を移動させ終えたグイネアが「早く!」と叫ぶ。

食器棚の下に敷かれた絨毯を持ち上げ、床下の隠し扉を開けたグイネアは、ハクランを抱きしめた。
「貴方だけが頼りなの。だからお願い。何があってもリルルを守って」
そういうと、ハクランに予め用意していたマントを羽織らせ、マントの留め金にグイネア色のブローチを付けた。
「これがいつでもハクを守ってくれるわ」
そう云って両手で頬を覆い、額に唇を落とした。

ハクランは深く頷き、先に地下へ続く階段に足をかけ、体半分の所まで降りて見上げると、目から涙をこぼすリルルを力一杯抱きしめるグイネアが
見えた。

「愛しているわ。どんな未来が待っていても、ここに貴方を愛した人がいる事を忘れてはダメよ?」

「っ・・やだ。ネアァ」

「必ず、必ず生きて。約束よ」

そう云って、リルルの首に美しい装飾のネックレスをかけると、手早く鞄を背負わせマントを羽織らせ階段下へと押し込んだ。

手を引っ張っても降りて来ないリルルにハクランは腰を掴む。
手を伸ばして泣きじゃくるリルルにネアは頬に唇を寄せて何かを囁いた。

それと同時に力が抜けたリルルの隙をついて一気に引っ張り下ろしたハクランに合わせ、グイネアは扉を閉めた。

閉める瞬間の隙間から、翡翠が台所の入り口に見えた。

「ハク様!暫くのお別れです。どうかご無事で」

隙間から見えた翡翠の顔は微笑んでいたが、ハクランの知らない勇ましい戦士の顔だ。

扉の閉まる音と共に、外の音は全く聞こえなくなり、暗闇の中、腕の中で泣きじゃくるリルルの声だけが響いていた。





リルルの涙が落ち着くまで、用意していた明かりに火を灯し、グイネアに貰ったブローチ見つめた。
『魔法を掛けたものが生を全うすると、魔法は解ける』
「リル見て。ネアのくれたブローチ。魔法は消えていない。きっとみんな無事だ」

少し呼吸が落ち着いてきたリルルに、手を差し出した。
けれどリルルはその手を取らず、よろよろと立ち上がって1人で歩いた。
その足取りは力無く、今にも絡まりそうだった。

ハクランは差し出した手を暫く見つめたあと、力一杯拳を作った。
振り返って早足にリルルに追いつくと、彼女の手を無理やり取った。

嫌がるリルルと押し問答の末、力の強いハクランが、そのまま手を引いて、長い回廊を歩いた。

2人が歩くすぐ後ろから、どんどん閉じられる空間魔法。
ハクラムンの持つランプが合図となるよう翡翠が作った回廊は、昔、トルシカが作った物を再利用されていた。
その為、出口は迷いの森ド真ん中となっていた。
ここなら、例え追っ手が来てもその先には進めない。






ハクランの家に着くまで、2人はずっと無言だった。
リルルの虚な瞳は、一点を見つめたままで何度も木の根に足を取られて転びそうになる。
それを必死に支えるハクランの手を、払い除けたり突き飛ばしたり。

それでも、彼女の望むものを与えてあげられない事に、下唇噛む。

何故自分には魔法が使えないのか?
何度も自問自答してきた日々は、アルトゥアに剣術を習う内、忘れていた感情だった筈。
今更になって、嵐のように押し寄せる感情を、リルルと繋がれた手に持って行った。


移動魔法で行き来していた森。
久しぶりに歩く森は、どこか懐かしく、切なくもなった。
これがきっと、最後の歩み。





家に着いたのは、日が落ちる前だった。
家が見えた時の喜びを、誰にも伝える事ができないため、拳を握った。

翡翠は生きている。

翡翠のかけた魔法は解けていない。
グイネアが付けてくれたブローチも、色の変化がない。
魔法が使えないハクランは、「魔法探知」が出来ない為、リルルの封印が解けているかさえ分からなかった。
翡翠は勿論、グイネアもマーサも、そんなハクラムの為に沢山の魔道具を作った。
魔道具は作り手の生死に左右されない。
このブローチもその一つ。
「魔法探知」ができる。
家を隠している魔法と、家の鍵だけが、翡翠の安否を確認できる方法。
家はいつも通り隠されていたし、鍵も、ちゃんと機能した。
それだけでハクランはどうしようもなく嬉しかった。


けれど部屋に入って気づいたのはすっかり日が落ちた頃。
一部の部屋が開かなかった。
この部屋にはトルシカが趣味で集めてきた武器がある。
『この部屋の鍵が開かなくなっても、心配しないでください。攻撃魔法を封印されると鍵が掛かるようになっています。ネアさんにも確認もしてもらったので完璧です』

翡翠は捕まって封印魔法をかけられた。それでも生きている。
それだけで充分。

今朝、翡翠が開けたカーテンを閉め、小さなランプに火を灯し、以前から準備していた鞄に沢山の干し肉と、みんなで撮った「フリグラフ」を押し込んで
玄関に向かうと、
ソファへ座らせたリルルは、いつの間にか眠っていた。

今しがた押し込んだ「フリグラフ」を取り出す。

ペンダント型の「フリグラフ」を開くと、楽しそうな声と笛の音が小さく漏れ出す。
アルトゥアはソファでお酒を飲み、グイネアが笛を吹いて、マーサと翡翠とリルルは笑顔いっぱいに踊っている。

魔道具を使って記録した、いつもの晩餐。

その時を記録して残しておく事ができる魔道具「フリグラフ」は、アルトゥアと翡翠の3人で街へ出た時見つけたものだった。

閉じると楽しそうな声も笛の音も聞こえなくなり、再び夜の静けさが戻った。

ハクランはリルルの眠るソファに跪き、グイネアがリルルの首にかけたペンダントをそっと取り出すと、「フリグラフ」も一緒に付けた。
リルルのマントを脱がせ、近くにあった毛布を掛けてあげた。

「もう少し眠ってて」

そう云って立ち上がり、炊事場に置いてあったパンを頬張り、マントを締め直して家を出た。





よく知る迷いの森、今日は一つ月の日。
目の前は薄暗く、一寸先は闇が深い。ハクランにはそれで十分な視界だった。

毎日通ったトルシカの墓前。
今日が最後となる。
そろそろトルシカは転生を始めるころだろう。
この声を届けられるのも今日で最後。

聖国ルナの民にとって、『本当の別れ』はこれから。
それを証拠に、トルシカは少しづつハクランのことを忘れ始めていた。
この星で、生を全うした後、魂はその肉体での記憶を「忘れ」再び生まれ変わる。
「忘れる」までは、言葉を交わす事ができる。

けれど、ここの所、声に返してくれる事が少なくなった。
返してくれるか分からないトルシカの墓前に話しかける。

「じーさん。遂に竜騎士が来たよ」

「リリーを持ってきてやれるのもこれが最後になりそうなんだ』

すっかり冷たくなった夜風が舞い上がり、手にしていたリリーの花びらも舞い上がった。
けれど墓前は静かなものだった。

『マルサルもアルトゥアもグイネアも翡翠もみんな捕まった。アルトゥアと約束した通り、この地を立つよ」

『・・・・』

「・・・じーさん」

最後にもう一度声が聞きたい。その言葉を飲み込み、リリーを備えて立ち去ろうとした時。

『・・・ハク・・ぁん』

その声にハクランは駆け寄り膝を落として墓石にしがみついた。

『少し・・・見ないうちに大きなった』

掠れ掠れ聞こえる声は間違いなくトルシカの声。
ここ最近は殆ど声が聞こえなかったが、トルシカの声に間違いはない。
声を聞いて張り詰めていた何かがぷつりと切れ、
今日の出来事が次々脳裏に浮かび、最後に見た4人の姿が鮮明に甦る。

気づくと頬に熱い物が伝っていた。

『・・・なんだ・・・まだまだ子どもじゃな』
そう云って笑うトルシカの声は昔のままだった。

『たくさん泣けばいい。・・・・今だけは』
そんな事できる筈もないが、昔のようにトルシカがハクランの背中をさすってくれているように感じると、声を漏れだしていた。

『たくさん泣いたら行きなさい・・・魔法なんかなくとも大丈夫じゃ・・・いつかこの日が来ると、その為に厳しく育てたんじゃ。なんの心配もいらんさ』

「じーさんっ」

嗚咽が出るほど泣いている内、ふと気づくと、
その言葉を最後にトルシカの声は聞こえなくなっていた。








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