めくるめくテニスをしよう
このまま幸村と疎遠なってしまう可能性さえ疑い始めた真田の弱きな心を救ったのは、
『あの二人、じれったいですねぇ…せっかく機会をあげたのに』
モニター越しに良からぬ事を企むコーチだった。要は暇潰しなのである……
(俺が特訓を乗り越えてきたのは一体なんだったんだ!)
せっかくこうしてまた幸村の前に帰って来ることができたのに、事は意外な方向に展開していて、真田は苛立ち、去り行く幸村の背中を見据えた。
と、歩みを止めた幸村がゆっくりと後退りをするではないか。
心の声が聞こえたに違いないと期待を寄せた真田は、その背中に近づいた。
「幸村…」
ぶつかりそうになる背中をそっと受け止めて、ひとまずほっとした。
久しぶりの幸村の体温と匂いが、やっと自分のものになってうれしかった。
他のメンバーに大きく遅れをとったが、ようやく幸村もこの再会を実感してくれたのだろう。ああ早く、その美しい顔をこちらに向けてはくれないかと待ち望む真田である。
「真田…これからどうしようか」
「これから…」
手と手と取って、誰もいない場所で幸村を独り占めするのもいいし、必要なら遠慮のないテニスをしようか。
「俺…手懐けてみようかな…」
夢見心地な真田に、せっかく振り向いてくれた幸村の顔はなぜかかたくこわばっているし、
「どう思う?真田」
あれ、と幸村が指さす方にいたのは強面の大型犬だった。目を光らせて唸っている。
「なぜ早く言わん!」
「言っただろ!」
犬よりも幸村に睨まれて怯みかけた真田だったが、二人のごたごたに待ちくたびれたらしい犬が飛び出して来たから、
「行くぞ!」
叫んで、幸村の手を強く引いた。
ぐんぐん引っ張る真田の足は速い。特訓の成果がよく出ていた。
どれくらい走っただろう。
足場の悪い獣道を進み、川面の飛び石を渡って、猛禽の襲来から逃れ逃れて、やっと身を潜めた。
何度か遅れをとりながらも、幸村もよく頑張って付いてきたが、とうとうその場に崩折れた。
「幸村!」
呼吸を整える幸村の額の汗を手のひらで拭ってやりながら、真田は心配そうに顔を覗く。
「なんだよ…」
幸村は不服そうに顔を背けた。
立ち上がろうとしても体が言うことを聞かなかったからだ。苦しい呼吸を続けながら思うのは、
(真田の手…あんなに厚かったっけ…)
繋いだ手の違和感が幸村の気持ちを揺さぶっていた。
(それに…)
時間にしてほんの数分後には、立ち上がる真田が恨めしい。
「ぐずぐずしている暇はない。日が暮れる前に行くぞ」
当然のように走り出す。幸村も当たり前に付いてくると思っている真田は、振り向きもしないで、来た道を戻って行く。
(俺、もう走れないよ…真田…)
みるみる小さくなる背中を力なく見つめた。
叫んでしまえば簡単なのに、弱音を吐けないのが幸村だった。
そして思う。どうかこのまま、立ち止まらずに走り続けてほしい。もうこれ以上、真田のテニスを狂わせたくはなかった。
(これからは自分のために…歩みを止めるなよ)