俺の幸村
「さ、な、だ」
「ああ…すまない」
差し出された手にタオルを渡す。
なぜだろう。この日の雨は俺に古い記憶を呼び覚ました。
小さな公園の東屋に落ち着いた俺たちは、降り頻る雨音を聞きながら暫し灰色の空を見上げた。
他に人はいないようで、打ち付ける雨の音だけが聞こえる静かな場所だ。 足下の紫陽花は雨粒を受けて生き生きとしていた。
思った通り幸村は紫陽花を愛でている。 その横顔を俺が愛でているとは知らないだろう。無論表情には出さぬから気付くはずはないが。
幸村の濡れた毛先から滴が落ちる。 首を傾げると首すじに流れ落ちてワイシャツの襟元に消えていった。
「いい場所を知っていたのだな」
ぶっきらぼうに言って幸村から視線を外した。
「うそばっかり。知ってるくせに」
「10年近くも前だろう。覚えているものか」
「へぇ~10年前かぁ」
まんまとしてやられた。 しかめっ面をして返すが、幸村にからかわれるのは嫌いではない。 俺をからかえば幸村は必ず笑うのだ。
くつくつ笑えば、毛先の滴がまた落ちて、髪を耳にかける幸村の仕草に俺は期待を寄せた。
今の幸村の機嫌は上上だ。 人目がないのも好都合だ。 ほんの一瞬唇を舌で舐めたのは、幸村からの合図と見ていいだろう。
「幸村」
持ち前の渋い低音に更に磨きをかけて呼ぶのは、幸村がこの声に欲情するのを見抜いているからだ。 ぴくりと肩をふるわせた幸村は、膝を抱えてじっとしていた。 目先の紫陽花などもう目に映ってないだろうに。
「いいのだな、幸村」
背後にしゃがんで幸村の背中にぴたりと胸板をくっつけた。 互いの濡れたワイシャツが素肌に冷たい。 腕のなかに包んだ幸村の鼓動を静かに感じて目を閉じる。
「真田ぁ…」
もう少しこのままで居させないか。
冷たいシャツの奥の熱い体温とか、滴が伝ううなじの匂いとか。 俺のボルテージが上がっているのがわかるだろう。
「背中、あつい…」
「当然だ。ならばどうする」
やがて重みに耐えきれず体勢を崩した幸村は、紫陽花を庇うようにして地面に手を着いた。
雨の勢いは未だ衰えない。 東屋を囲う紫陽花の群生が、俺たちの姿をくらましてくれるだろう。