キングと神の子


さて、遅ればせながらデートをしようと突拍子もないことを言い出したのは跡部だ。 驚き呆れてぼんやりする幸村は、その場の雰囲気に引きずられるようにして車外に出た。
跡部の手によってきれいに身支度を整えられている間に車を走らせて辿り着いたのは、昨日試合をしたテニススタジアムだ。

夜間照明が煌びやかなコートに二人は立った。 着せられたのがテニスウェアであったから、薄々デートの内容は心得ていた幸村もこのコートは感慨深い。

「樺地」

跡部の一声でやって来た樺地にラケットを手渡された幸村は、

「いいラケットだね」

新品の値が張りそうなそれを照明に透かして見た。

「お前に捧げるぜ。親愛なる幸村精市にな」

得意満面な跡部に対して、

「ありがとう。でも気持ちだけ受けとるよ」

「アーン?」

一瞬で不服そうな顔になる跡部だ。

「そうだな…じゃあ、君が俺と試合した時に使ったラケットを代わりに譲り受けてもいいかな」

「…樺地!」

ラケットを受けとる。 これも照明にかざして目を細めた。

「変わったやつだぜ」

やむを得ず新品のラケットを手に取った跡部は反対コートに回って、下からの緩いサーブを幸村に送る。 幸村もゆったりしたボールを返した。
静かなスタジアムにボールの音が心地よく響く。 一定のリズムでもってしばらくラリーを続けた。 やがて跡部がひときわ高いロブを上げて、ラリーの終わりを知らしめる。

ベンチに腰を下ろした跡部に倣って、幸村も迷うことなく隣に並んだ。 あの試合の最中では別々のベンチに座った距離が今はこんなにも近い。

「跡部、このラケットは預かることに決めた。それでいつか俺がこのラケットで君と試合する。君が俺に勝ったらこのラケットを返す」

名案だとばかりに笑いかける幸村が眩しいが、今一つわからない跡部は首をかしげた。

「このラケットには跡部の努力がつまってる。俺がこのラケットを操ればきっと負けなしだ。俺と跡部の魂が宿ったこのラケットに君が勝つところが見てみたい」

おもしろいだろう?と、ころころ笑いながら幸村が続ける。

「跡部だって、俺の想いがのった最強のラケットを取り返したいだろう?神の子とキングの曰く付きのラケットだ。その日が来るまで、大切に使わせてもらうよ」

ガットの歪みを指先で直す幸村の眼差しは慈しみであふれていて、跡部の汗と手垢で汚れたグリップに幸村の手指が巻き付いている。 それはさながら、ラケットを通して跡部に色情を呼び起こさせたりした。

使い古した負け試合のラケットなんてどうでもいいと思っていたのに、幸村に言語化し体現されると心境が変わってきた。
ぐいと肩をつかんで、ラケットに注がれていた視線を自分に向けさせた跡部は、

「確かに魅力的なラケットになりそうだぜ」

素早くキスをした。

「…うん。つまり…だから、これからも俺を覚えておいてほしいってことだ」

「俺の全身でお前を感じた二日間だ。言われなくても忘れられねぇよ」

恥ずかしさのあまりやっと言えた幸村の言葉を、ボールの跳ね際を叩く返球のように瞬時に返答した跡部だった。
結局は、ラケットは跡部との繋がりを断ち切らないために幸村がかこつけた作り話なのだ。

「もう……好きだよ」

ガットに額をくっつけて、負けを認めたみたいな幸村は確実にそう呟いた。
外で車のクラクションが鳴る。 榊がそろそろ戻ってこいと催促しているらしい。

「お前の感性のままぶつかってきな。いつでも相手してやる」

幸村の手をしっかり繋いでスタジアムを後にした。


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