食色性也『孟子』「告子・上」



「つまり俺は一生童貞でいるんだ?」

「なにっ!一生…そこまで将来を見据えてくれるか」

弦一郎は以前に比べて楽観的になったといえる。
精市の機嫌を無理にとろうとしなくなった。
それは良い事だと思いながら、蓮二は二人の側で鰹出汁の効いたうどんを啜った。
冬は必ずこれを食べる。高校に入ってから昆布より鰹の旨味に気づいた。
具は葱とわかめ、今日は牛蒡の天麩羅を添えた。

「え!将来…?!そういうことになるのかい?」

精市が顔をこちらに向けてきた。何とも表現し難い複雑な表情をしている。
弦一郎には悪いが、良いものを見せてもらった。

(心境としては、嬉しいけれど少し不安がある、怒っているけれど笑ってしまう…矛盾した感情が入り交じって手に負えなくなったな。精市?)

精市の疑問には答えずにうどんを啜った。
いつも以上に美味しいのは、幸せのお裾分けを頂いたからだろうか。
水の入ったコップを取ろうとしたら、精市に遠ざけられた。その膨れっ面は弦一郎に向けてやればいいと思う。
蓮二は微笑した。

「将来を見据えてはっきりさせたらどうだ?もしかすると、弦一郎はおまえの気掛かり(童貞)を喪失するのに協力してくれるかも知れないぞ」

そう耳打ちすると、精市は何か少し考えて落ち着かない様子でコップの水滴を親指で撫でている。
精市が他の誰かとするくらいなら、弦一郎は身体を張るだろうか。
ガツガツした精市もきっと震えるほど綺麗だろうから、それはそれで弦一郎も苦労する…と不健全な想像をしかけた。
その弦一郎は美味そうにカツカレーを食べ進めている。
見ていて気持ちがいいほどの食べっぷりを見る限り、精市の投げ掛けた疑問を全く問題にしていないようだ。

(これなら精市も安心していられるだろう)

「幸村」

「な、なに…」

弦一郎の呼び掛けに、はっとした精市がコップを倒した。弦一郎は料理に付きそうだった精市の袖口を気にかけただけだった。
たったそれだけのやり取りだ。なのに精市の反応からどうしたって読み取ってしまう。

(きっと弦一郎の燃える手で抱きしめられる夜もあるだろう)

こんな風に、これからは二人の日常に潜む感情のひだに触れる機会があるはずだ。
蓮二は倒れたコップの水を拭いた。

(好きだったよ。精市が。心から幸せを祈れるほどにな)


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