食色性也『孟子』「告子・上」



『幸村くんは私とこういう事はできないでしょう?』

下着に手をかけた時、幸村は知ったような口を利いた彼女の心憎い計らいに感謝した。
好きな気持ちに嘘はない。相性は良いんだと思う。
一緒にいて楽しいし、外見だけではない心の美しさにも惹かれていた。
優しい彼女は、水色の控え目なレースが使われた下着の胸に自分の手を当てて言った。

『友だちと恋人の違いって結局こういう事だよね』

ともすると涙があふれそうな彼女に、あわてて首を振った。キスから先の関係も、彼女となら自然にできると思っていた。

『謝らないで。こうなって初めてわかる事ってあるよ。よかった…私も、幸村くんも。その代わり幸せにならないと。これだけお願い…私が寝たら帰って?』

彼女は笑顔で手を握ってくれた。思いがけず力強くて勇気をもらった気がした。
約束通り、彼女が寝息をたてるまで傍にいた。
部屋を出る間際になって枕元に引き返した。彼女の頬を伝う涙の跡を心に刻んでおきたかった。


幸村は今、真田のがっしりとした身体を引き付けて離せなかった。
ここが玄関先なのに困ったのだろう。真田が家の中に引き入れてくれた。

「真田は俺とセックスできるかい?」

逞しい肩に顔を埋めて聞いた。
中学までは興味があっても決して口に出せなかった言葉だ。答えを待つ間、寝間着用のTシャツからほど好くにおう真田の皮脂を嗅いでいた。

「考えた試しがないな」

「ぇ…?」

思ったのと違う返事に怯んで、一歩後退して真田を見上げた。

「ずっとおまえを抱く事しか頭にないからだ。おまえはどうだ、幸村。大事な事だ。今ここではっきりさせてもらう。女性が好きなのが普通だとして、且(か)つ、俺との関係を続けたいというのなら俺は今までのようにおまえとは付き合えない」

「友だちをやめるというのかい?」

真田ははっきりとうなずいた。
すでに腹を括(くく)っているような眼差しとぶつかった。

「いやだ…!」

真田の胸にすがりつく。
その勢いで上がり框(がまち)に尻もちをつく格好になった真田の膝の上で、訴えかけた。

「好きだ!真田が好きだ…!彼女との事はちゃんと清算して、だからここに来た。うまく言えないけれど、どちらも俺の気持ちに嘘はないんだ…」

涙があふれて流れ出るのを止められなかった。
今になって真田を失うかも知れない恐怖でいっぱいになる。
彼女が残してくれた愛情に背中を押された。

ーーー幸せにならないと。

「俺は真田と一緒にいたい…また登下校したいしお昼も一緒に食べたいから」

「まったく…俺は傷付いたんだぞ。おまえの興味が他にいってしまった寂しさが、俺にとってどれだけ辛かったか知らんだろう?」

真田の声が所々裏返る。
泣くのを堪えているのだ。

「今さっきわかった…」

「遅いわ!」 

怒鳴りながら、真田は分厚い手の平で頬に流れる涙を拭ってくれた。

「すまない…俺といると苦労かけるね。昔からそう…」

「本当におまえは…俺は身も心も休まらんぞ」

「ひどい。それは言い過ぎだ」

滲む視界に真田を映すと、ニットの袖口で口元を隠して照れ笑いした。
緊張が解けると、真田の膝の上に跨っているのが恥ずかしくなった。退(ど)こうとすると、真田の膝に止められた。

「清算してここに来たんだろう?」

真田の手が、背中から腰の辺りに移動した。

「今一度聞こう。幸村。おまえは俺とセックスができるか?」

幸村はただひと言、

「できる」

それ以外の気の利いた返事は何も思いつかなかった。
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