食色性也『孟子』「告子・上」
真田は幸村がずっと好きだった。
周りは先入観から色事に疎い男と見ているようだがとんでもない。恋愛とか男女関係に関心がないだけで、興味があるのはずっと幸村だけだった。
ただし、十八にもなれば幸村の表面だけでは不足してきた。これまで通り黙って並んでいるだけにはいかなくなってきた。
(これが欲しいという感覚か)
中学までは幸村に従う事で欲求を満たしていた。
好かれたい一心だったように思う。
それが最近は、幸村を相手にいつか成功する自分を夢想する事が多くなっていた。
その日は夜遅くまでそれが続いて、気持ちよく寝入った頃には日付が変わっていた。滅多に無い寝坊を家族に咎められて幾分機嫌も悪かった。
ーーー珍しい。寝不足かい?
イチョウ並木が朝日で黄金色に染まる通学路、後ろから肩を叩いて来た幸村に顔を覗かれた。
前夜の幸村が記憶に新しいから、ばつが悪くて眩しさを装って顔を背けた。
ーーー俺だって眠れない夜くらいある。
ーーーへえ…そう。
悪戯をした後のようににっこりする幸村が、この時は憎らしくもあった。
ーーー男ならあるはずだ。他人事みたいにするな。
ーーー何だよそれ。寝不足だからってイライラをぶつけるなよ。
この日は感情のまま苛立った。大好きな幸村に八つ当たりして怒らせた。
こんな事は初めてだった。
思い返せば、この翌日から一緒に登下校できていない。
理由もなく昼食さえ一緒にとらなくなった幸村の手に、上品でお洒落な紙袋を提げているを何度か見かけた。
行き過ぎようとした幸村の腕を捕まえた。
ーーーこそこそするのはよせ。俺の気に入らない事があるなら口で言え。気分が悪い。
ーーー人と約束があるんだ。俺の交友関係にとやかく言われる筋合いはない。
ーーー違う。そうではない。ただ…
落とした視線の先に弁当箱が見えて、力なく幸村の腕を離した。その、手のひらに乗ってしまいそうな大きな存在感に胸騒ぎがした。
(ただ…テニスだけは残してくれてもいいではないか)
一人で食べる夕食は味気ない。
昼も幸村のいない学食で食べる日が続いていて、だんだん蓮二との会話は控えめになっている。
今夜は家族は外でそれぞれに時間を過ごしていて、静かな夜になる。めっきり寒くなったせいか、こんな日は孤独を強く感じた。
こんな時こそ、幸村は今どうしているだろうかと思い悩みながら床に就く。
大人になるという事は、幸村が離れていくという事だ。いつかは誰かと手と手を取って。
不安と想いが募るまま瞼を閉じた。
「真田。いるんだろ?」
この日は違った。
その声に誘われてフラフラと立ち上がる。
引き戸を開けると幸村がいた。そこだけが背後の暗い庭先と切り離して、外玄関の照明が幸村の姿態を浮かび上がらせているかのようだ。
「幸村…」
続く言葉を失った。
黙ったままでいると、「どうしてこんな時間に」という心の声を幸村は掬い上げてくれた。
「うん。俺にもわからない。でもここに来ればわかる気がして」
「…………」
「目を逸らせば逸らすほど真田しか見えなくなってる。こんなのおかしいんだと思ってずっと自分を否定してた」
幸村は頭を垂れると、声を震わせた。
「でも、もう俺も17だから…わかったんだよ。聞いてくれるね?」
真田は視線で、幸村を玄関の中に入るよう促した。
