結婚しようよ!
「もしも泊まったら、どうなったかな俺たち」
帰りの電車で幸村がぽつんと言った。
それからくすくす笑って、
「俺たちだけだよ?先生も誰もいない学校で。停電とか、食べるものとかあるかな?どこで寝ようか」
ちらっと上目遣いで俺を見た。
こういう子供のような思いつきを喋る時、幸村はいつも楽しそうだ。
「そうだな。食堂に何かあるだろう。寝る場所なんてどこでも構わない。暗いんだから動かないでじっとしている方が安全だろう。朝になれば台風も過ぎ去っているだろうからな」
「……あっそ。的確すぎる答えをありがとう」
幸村は立ち上がって、向かいの座席に移動した。
鞄に肘をついて、思い詰めた顔で窓の景色を見ている。
いつもは輝いて映る湘南の海が、今の幸村には沈んで見えていればいい。
窓は内面の映し鏡ともいうから、幸村の心境も反映されていればいい。俺のために、非日常や想像の場所への憧れを抱いていればいい。
俺は腰を上げて、幸村の座席の前に立った。
わざわざ膝がくっつくまで近くに。
「明日、決闘だから」
幸村が顔も上げずに言った。
「ほう」
「朝十時、立海テニスコート」
小さい頃から、俺たちの喧嘩はテニスと決まっていた。
そうはいっても、俺が幸村に対して怒った記憶はない。幸村が怒るなら俺も無意識に怒り返していた。
今思えば、親近感や憧れからくる真似っこだった。
"決闘"という言葉は、俺が教えた。
小学二、三年だったと思う。
『もう怒った!けっとーだよ、ゲンイチロー!』
嬉しかった。
"幸村くん"が俺と同じ言葉を使った事が。
「そうか」
俺は、咄嗟に手の甲を口に当てた。
幸いなことに、笑っているのを見つけられずに済んだ。
「では俺からも一つ」
俺は吊り革に捕まったまま腰を折った。
軋む音に幸村が顔を上げた。
「明日、九時。校舎裏の木の下に来てくれないか」
幸村が息を呑むのが伝わった。
これでもう、俺の告白は九分九厘成功した。
