幸村のいる家


海岸に近いこの辺りに、幸村が見つけた壁打ち場所がある。
日当たりは悪いが、雨宿りにちょうどいいだけのような場所だから人の迷惑にならない。平らなコンクリートに打ちつけられればそれでよかった。

家から持ってきたのは、ラケット一本とボール一個だけ。何日かに一度、それを布製の簡単なラケットケースに入れてぷらっと出かけて帰るのだ。
今は真田と跡部のいる家に居てもやる事はないだけで、一時間もすれば帰るつもりでいる。

ターン、タンタン、ターン、タン…

こうしていると、無心になっていく。
無心になると、気持ちがよかった。
そろそろ止めようと思っても、体が止まらないのだ。ミスをすればちょうどいいけれど、それがいつになるかは幸村自身もわからない。

「いいフォームだ」

終止符を打ってくれた声に振り返ると、手塚だった。
手塚とは前日に、一緒に家で真田の試合観戦をしたばかりである。

(いつから見られてたんだろ…)

プライベートを覗かれた気がして、恥ずかしくなった。

「どうしたんだい?いつもは家だから、外で会うのは初めてだね」

「何度か来る内に、この辺は走るのに良さそうだと思ってからたまに来ている」

「でもわざわざ東京からかい?そっちにもいくらでも良さそうな場所がありそうだけど」

幸村は、すぐ近くの海沿いの柵まで歩いた。
右を向けば、子供たちが水面がキラキラしているのを見てはしゃいでいる。

(ほんとだ。手塚の言う通りだ)

小さい頃から当たり前にある風景だったから忘れていた。同じ走るのでも、大人になって初めてその良さに気づく。子供の頃は走るのだけでいっぱいだった。
強くなる一心で走っていた。

「来てたなら、家に寄ってくれればいいのに」

手塚はほんの一瞬目を丸くしてこちらを見たが、すぐに元の顔つきにもどった。
真田に気をつかっているんだなとわかって、言わなければよかったと幸村は思った。

幸村は水面を見るのが好きだったが、彼は海の遠くの方を見つめていた。
近い内にドイツに帰るというから、プロとして先々の試合を見据えているのだろうか。

「応援しているよ」

握手をしようとしたら、思いのほか手塚との距離が近かった。

「飲んだのか?」

「え?…飲んだけど」

家で飲んできた日本酒かと思って、あわてて口に手を当てた。酒が体に良くないのは知っている。だから特別な日にしか飲まない。
手塚も健康にはうるさい方だった。

「そっちではない」

「あ…うん、飲んだよ。大丈夫」

手塚が目を鋭くする。
青学名物「グラウンド50周」といわれているような気がした。
昼は飲んだが、朝の薬は飲み損ねた。
真田と布団の上で腰を振っていたのだから言い訳のしようがない。

「なんだか俺も走りたくなってきた」

幸村が都合よく別れようとすると、腕をつかまれた。

「俺も行こう」

心配されているのはわかった。
結局、手塚が良しとするまで走らされて幸村は反省した。
今になって、当時の青学の強さの秘訣に触れた気がした。
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