幕が開ける



家の前に着くと、今度は家族にどんな顔をしたらいいかわからない。気持ちの切り替えが難しい。
玄関で、「ただいま」も言わずにテニスシューズを脱いだ。

家族は俺を目の当たりにすると、驚いた様な顔をしてから笑顔を見せてくれた。
俺が病気で倒れてからは、テニスを続ける事にも心配が尽きなかったと思う。大げさかもしれないけれど、試合の勝敗よりも、俺が歩いて帰って来られただけで嬉しかったという感じ。そんな風に泣き笑いする家族に、俺は心を救われてきた。

「ただいま。負けちゃったよ」

家族になら、この口から"負け"の言葉を放っても惜しくなかった。


夜更けに、体の異変を感じて目を覚ました。ただの夢ではないのはわかる。
気が動転していると、暗い室内に突然スマホが点灯した。タイミングも悪くて、少し怖くなった。
スマホの画面には"真田"の二文字。俺の気持ちはますます乱れた。
通話を始めると、出し抜けに真田が言った。

『声が聞きたくてな』

下着はすでに濡れていた。
このからだに、真田がひそんできた記憶がある。俺の肌は確かに真田の感触をもっていた。
俺は、この状況を心で強く感じて、身に染み入るほど理解した。

『正確には、声がきこえた、といっていい』

「どんな?」

俺は掛け布団を足元に押しやって、仰向けになって膝を立てた。
スマホをしっかり耳にあてがう。

『おまえも知らないおまえの声だ』

「それじゃあ、きかせてやれないじゃないか。声の出しようがない」

俺はふふっと笑って、片手を下着にもっていった。
そこはやっぱり濡れていた。

『いずれは出せる。今は俺の頭の中で息づいてもらう』

「…真田、俺が好き?」

これ以上の会話はまどろっこしい。
真田の口からケリを付けるのが当然じゃないか。

『それは申せませぬ。俺は幸村様に仕える身。好き嫌いなどは申し立てられませぬ』

こいつ…!
俺がこの遊びに弱いのを知ってるな。
その証拠に、内股がびくんと跳ねた。

「真田、主従を外してもらおうか。好きか嫌いか、言え」

『好きだ』

「…!」

即答だった。真田の明言は、力強い。
どんな顔して言ったんだろう…

『…良い声だ。聞き惚れたぞ』

「俺ばっかり…」

『そうでもないぞ。次は…わかっていてほしい』

耳元で、連続してティッシュを引き抜く音がした。
だけどすぐに、ぬあっ!という情けない声がして、「途中で紙を切らした…」と事態に困り果てる様子が伝わってきた。はずみに、通話が途絶えた。

俺は、悠々と自分の処理をしてから布団に潜った。
再度電話をかけ直すつもりはない。
ただ、情けない顔をした真田なんてもう何年も見ていないなぁと思い当たって、まぶたを閉じた。
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