赤心を捧ぐ
夢の続きはもうたくさんだ。
なのに近付いてくる騒々しい声と足音は着実にここに向かっている。
俺の五感がよく知っている、ふたつの刺激に戸惑う。また恥ずかしい目に合いたくなくて、夢なら覚めてくれと願った。
しかし看護師のあわてる声が夢ではないと教えてくれる。
俺はどうせ動けもしないのに、身の回りに不都合がないか視線を巡らせた。幸い、先程の看護師が部屋も体もきれいに整えてくれて、ほっと感謝した。
『ちょっとあなた達!静かに、走らない。ちゃんと手を洗ってからにしなさいね!』
ごめんなさい看護師さん。
これからは俺も嫌がらずに治療や処置を受けます…
やがてドアの前でぴたりと止んだ気配を察して、瞼を閉じた。ドアを開閉する音を遠く聴いたと思って、次に瞼を開けた時には、もう二人はすぐそこに居て。
「二人とも…どうして…?」
心底驚いたよ。
俺は二人にそれぞれ密かな恋心を抱いていたからね。
真田と跡部が揃って見舞いに来るのは初めてだった。
一人ずつを相手なら楽しめる恋心も、二人を前にしては動揺を隠せない。願望はあっても、現実を前にすると俺は文字通り手も足も出なかった。
「「幸村!」」
もう駄目だ、怒られる…そして嫌われるのを覚悟してきつく瞼を閉じた。今の俺には逃げ出す事も許されないのだから。
「これは…?」
タンポポにシロツメクサ、ハルジオンと…俺はドクダミの臭いに思わず目を開けてしまったんだ。採ったのは真田かな。いや、案外跡部かも。
そうっと視線を二人に移して見れば、たぶん俺よりも泣きそうな顔をしていた。
これで俺は泣く事もできなくなった。
「あは…土くさいな」
二人の制服は土草で汚れていた。
良かった。顔はほとんど綺麗なままで。
まさか本当に喧嘩でもしていたら神様は俺にどうしろというのだろう。
「うむ…河川敷でな」
「偶然コイツと」
俺は動かないはずの両腕を目いっぱい広げたんだ。
花も土も臭いも、温もりも全部まとめて抱きしめて。
看護師さん、ごめんなさい。
せっかくきれいにしてくれたのに、シーツもパジャマも頬も、汚してしまいました。
今、針が抜けて血が伝っていようとも、アラームがけたたましく鳴っても、もう少しだけこのままで…
終
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