赤心を捧ぐ



幸せな夢は嫌いだ。
最近めっきり見なくなって安心していたのに、酷い仕打ちだと思う。幸せな夢を見た後ほど、現実に醒めた時の絶望はひとしおだ。
耳を澄ませば、相変わらず一定のリズムを刻んで鳴る電子音と、瞼を開ければ、拘束するように腕に繋がれたままの点滴チューブ。
それでも微かに花のような香りが鼻をくすぐって、動かない身体がさっぱりと心地いいのがわかる。大丈夫だ。五感は奪われていないのだから。

『ごめんね。身体拭いてる間に眠っちゃったのね。もうおしまいだから』

パジャマのズボンを整えながら、看護師がまた「ごめんね」と呟いた。
俺は何も答えなかった。
仕方ないんだ。悪夢が魅せた生理現象のせいだから。動かない体のくせに、調子に乗ってるなと思う。
もういっそ、欲望とか願望とか、全部奪ってくれればいいのに。
俺に気遣うまだ若い彼女がかわいそうで、

「苦労かけました」

それだけ伝えたら、ううんと首を振って笑顔を向けてくれた。
看護師が病室を出て行って一人になると、俄(にわか)に恥ずかしくなるからやるせない。テニスどころか、今は次のトイレの心配をしなければならない身の上を呪った。
7/8ページ
スキ