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第1章 人生が終わった日。

目が覚めるとそこは見覚えのない天井だった。幼い頃から何度も嗅いで来た消毒用のアルコールの香りから此処が病院である事を察し、ここが何処かを確認するためにと身体を起こそうとして、癖っ毛のせいか少しふんわりとした明るめの茶髪と大きく垂れた目を持ちベッドに横たわっていた男ーーー日輪唯我ーーーはそこで初めて違和感を覚えた。身体に力を入れ何度動かそうとしても何故か身体は微動だに動かない。理解が追い付かないまま唯一固定されていなさそうな頭部を大きく下に向けて動かし、めいいっぱい視界を広げると辛うじて見える自らの身体はいつの間にか病衣を着込んでおり、その上からベルトやバンドといった黒くて太い紐状のものでベッドにぐるぐるに固定されていて、それを見て唯我はようやく自分が到底身体を動かせない状態であることを理解することが出来た。
他の情報を求めるように今度は頭部を左右にめいいっぱい動かす。ベッド以外に心電図計や看護師が持ってくるようなワゴンなど見慣れたモノが幾つか置かれている事からこの部屋は簡易的ではあるがやはり病室なのだと実感した。ベッドの左側はカーテンが閉まっていてよく見えないが、右側は開けっぱなしのカーテンのおかげでその奥にガラス製のドアが見える。あれは自動ドアだろうか。だとしたらここは稼働したばかりの洒落た集中治療室の一室かもしれない、と唯我は他人事のように思った。
正直に言えば知らないうちに病院に担ぎ込まれていても何ら不思議はなかった。面倒になるからと病院を避けていたが自分の身体がもうボロボロになっている事くらい、唯我自身が1番よく分かっていた。それでも出来る事なら病院の世話にならず最後の一瞬まで彼女の隣で強がって生きていたかった。死んだんだよ、と誰かから教えられても認めずに永遠にもういない自分を愛し続けてくれるようなそんな深い「愛」を彼女に求めていたのかもしれない。それは唯我が幼い頃からずっと求めていたものであり、永遠に手に入れられないと諦めていた物でもあった。
先生が来たら「治療不要」だと伝えて帰ろうと思い至り、ふと、ガラスドアの先を見ようと目を細めたところでドアの向こう側に見知った顔があることに気付いた。いつもよりも少し堅い空気感を纏ったスーツ姿の青髪無表情の男ーーー月島灯ーーーは視線が合っても相変わらず此方を見つめ返すだけで声を掛けてくる様子も部屋に入ってくる様子もない。
その瞬間、何故だかとてつもなく、嫌な予感が、した。
「あ…灯…?…なに…?…い、嫌だ…此処は…、出して…?…出してよ…!!」
嫌な予感に従って困惑する思考回路を放置して思い付いた言葉を全て口にする。それと同時に抵抗するように何度も何度も身体を揺らした。揺れる身体を太いベルトが押さえ付ける度に括り付けられているベッドが軋み、耳障りな金属音を立てたが今はそんなことはどうでもいい。
【灯に彼女を取り上げられた。】
そんな確固たる確信があった。灯はいつだって唯我を心配していた。そして灯は時折、手段を選ばないところがあった。
難しい手術だから、難解な状態だからと幾つもの病院の中でたらい回される程度には唯我の身体は不良品だった。ようやく頷いた病院でも聞いた手術のリスクは計り知れなかった。治療に付き合う長い時間を無駄にして、それでも成功しなかったら。きっと唯我はそこまでの全てを後悔する自信があった。この時間を彼女の隣で過ごさなかったことを死にたいほどに深く後悔するだろうと思った。だからこそ、死ぬ間際まで彼女の隣に居られれば多くは望まないと灯が手術の話をした時にキッパリと断ったはずだったのだ。
それでも、灯なら唯我に知らないところで全てを彼女に話していてもおかしくなかった。彼女を説き伏して自ら離れる事を選択させることだって、きっと容易い。
それは、唯我にとって途方もない絶望感を生んだ。

嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。こんなところで死にたくない。彼女といたい。一緒にいたい。死ぬ間際まで一緒にいたい。それが俺の、人生の全てだったのに。

暴れる度に涙がじわりと溢れて視界がぼやけでくるのを感じた。身体の痛みなのか、叫びによる喉の痛みなのか、心の痛みなのかはもう分からなかった。それでも脳内を占拠する感情のために全てを無視して暴れた。
程なくバタバタと数人の足音と共に部屋に入って来た見知らぬ男達にベルトの上から更にベッドへと身体を押さえ付けられ、そのうち1人に口の中に何かが押し込まれ、頭を動かせないように押さえ付けられた。程なく首元一瞬の痛みを感じ、数秒後に意識が遠のくのを感じる。この感覚には覚えがあった。麻酔だ。
遠のいていく意識の中で、口にものが詰められたせいでもう上手く発音も出来ていないであろう悲鳴のような呻き声を上げた。涙が溢れ、ぼやけた視界のまま灯を睨もうとして間も無く視界が失われる。
「…あ…ひ…」
声にならない声で彼女の名前を呼んだ。
助けて。助けて。会いたい。
続く言葉は言葉にもならなかった。そうして唯我はこの部屋で、1度目の意識を失った。
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